第3話 精霊の名前と、小さな家の魔導士見習い
◆ 村の入り口──精霊を迎える場所
森を抜けると、空がひらけた。
木々の間から、藁ぶき屋根や木造の家並みがぽつぽつと顔を出す。
煙突からは白い煙がのぼり、朝の光に溶けていく。
セレスティアは足を止めて、その景色をじっと見つめた。
森とは違う匂い。
焚き火、土、焼きたてのパン。
見たことのない色や形が、胸の奥をそわそわと揺らす。
その横で、ガイルが短く息を吐く。
「……ついた。ここが、俺の村だ」
彼の声には、どこか少しだけ誇らしさが混じっていた。
村の入り口に足を踏み入れた瞬間――
「あっ……!」
近くで遊んでいた子どもが、セレスティアを見つけて指をさした。
「お父さん! あの人、羽がはえてる!」
その一声で、人々の視線が一斉に集まる。
洗濯物を干していた女たち、畑から戻る男たち。
みんなが目を見開き、セレスティアの背中を見つめた。
「あれは……」
「羽……本当に?」
「森の……精霊様か?」
ざわめき。
けれど、その目には恐怖よりも、畏れと戸惑いが混じっていた。
セレスティアはきゅっと肩をすくめる。
背中の羽が、かすかに震えた。
――こわくは、ない。
森で感じた敵意とは違う。
熱い視線なのに、冷たくない。
ガイルはそんな空気に気づいて、慌てて口を開いた。
「ち、ちがう! いや、違わないのか? その……」
自分でも言っていて訳が分からなくなる。
「この子は森で迷ってて、その……危ないから連れてきただけで……!」
村人たちは顔を見合わせ、小さく笑った。
「危ないどころか、ありがたいんじゃないのかい」
「森の精霊様が来てくださるなんて、何十年ぶりだろうねえ」
“精霊様”。
聞き慣れない言葉に、セレスティアは瞬きをする。
自分を指している――と、うっすら理解した。
胸の中で、なにかがやわらかくほどけていく。
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◆ 薬草師の家──魔導士見習いの少年と妹
「と、とにかくフィンのところだ」
ガイルは耳まで赤くしながら、セレスティアの手を引いた。
村を抜け、小さな庭先に薬草が並ぶ家の前で足を止める。
屋根の下には、干された草束や、小さな瓶がいくつも吊るされていた。
かすかに薬草とインクの匂いが漂う。
その家の前には、小柄な少女がしゃがみこんでいた。
白い布を広げ、摘んだ花を丁寧に並べている。
ガイルが声をかける。
「……妹さんか」
少女は顔を上げ、ぱちりと瞬きをした。
セレスティアを見ると、驚きで目を丸くする。
「……きれい……」
それだけ言って、少女はそそくさと家の中へ小走りに戻っていった。
「中にいるのはフィンだ。妹は手伝いをしてることが多い」
ガイルはそう言って扉を軽く叩いた。
「フィン、いるか?」
少し間をおいて、ぎい、と木の扉が開いた。
「朝からうるさいな、ガイル。薬草の帳面を――」
不機嫌そうな声が、そこで途切れる。
扉の向こうに立っていた少年は、セレスティアを見るなり、目を丸くした。
淡い灰色の髪、静かな琥珀色の瞳。
腰には古びた小さな杖、机の上には開きっぱなしの魔導書。
彼が、フィン=アストレイア。
まだ“見習い”の魔導士だが、村では一番の物知りとして知られている。
「……ガイル」
フィンはゆっくりとまばたきした。
「お前……本当に、連れてきたのか?」
「……なにをだよ」
「精霊をだ」
あまりにもあっさりと言われて、ガイルは固まった。
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◆ 精霊を見る目──観察と気づき
「人間なら、こんな光はまとわないよ」
フィンはセレスティアの背後に視線を向ける。
薄い光の羽がふるりと揺れる。
見間違えようのない、透き通るような“光の翼”。
「生きた魔力の羽。これは……本物だ」
ガイルは混乱して頭をかいた。
「か、飾りじゃなかったのか……」
「ガイル。森でよく無事だったな」
「……俺もそう思う」
セレスティアは二人の会話を理解できず、きょろきょろと部屋を見回す。
その様子を見て、フィンは柔らかく微笑んだ。
「怖くないよ。座って」
椅子を引いてくれる。
セレスティアは少し戸惑いながらも、ちょこんと腰を下ろした。
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◆ 初めての名乗り──「セレスティア」
「君、言葉は分かる?」
フィンが優しく問いかける。
セレスティアはこくん、と小さく頷いた。
「じゃあ――名前を、教えてくれる?」
部屋の空気が静まる。
胸の奥に、あの“光の音”がよみがえる。
セレスティアはそっと胸に手を当て、震える声を出した。
「……セレ……
……セレス……ティア……」
しん、と沈黙。
続いて、フィンの柔らかい声。
「セレスティア。
……綺麗だね。森の光そのものだ」
ガイルも照れくさそうに言った。
「いい名前だと思うぞ」
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◆ 名前を呼ぶ──ガイルとフィン
セレスティアは勇気を振り絞り、ガイルを呼んだ。
「……ガイル」
ガイルの肩がびくりと揺れる。
次に、フィンへ。
「……フィン」
フィンは微笑む。
「うん。よく言えたね」
たったそれだけで、
三人のあいだに新しい“輪”が結ばれた。
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◆ 小さな約束──別の部屋で休む場所を
フィンは机の本を閉じ、立ち上がる。
「セレスティア。
向こうに空き部屋があるんだ。
妹が使ってない、日の入る静かな部屋だよ。
そこで休むといい」
ガイルも言う。
「俺たちは隣の部屋だ。
何かあったら呼んでくれ。すぐ来る」
セレスティアは二人を見て、小さく微笑む。
「……ここに、いても……いい……?」
「もちろんだよ」
「当たり前だろ」
光の粒が、背中の羽からこぼれ落ちる。
その光が部屋をやさしく照らした。
こうして――
精霊の少女は“名前”と“居場所”を手に入れた。
世界が少しだけ広がった、その朝。
三人の物語は、静かに動き始める。




