蚋
知り合いに作家の先生がいた。
昭和11年9月16日──つまりはつい先日お亡くなりになったのだが、その有様が実に奇妙であった。書斎にて畳の上に突っ伏し息を引き取っていたのだが、先生の周りには流出した血液が凝固しており、先生の身体は月のクレーターのように、穴だらけだったという。
先生に家族はなく、書生も置かずの独り暮らしであった。
最も親しい知己であった私が遺品整理に出向いたのだが、その時にその手記を発見したのである。
その手記によると、先生は9月13日の晩、旅行先の三朝温泉にて、中秋の名月を見ようと、日本酒を引っ提げ、一人で近くの小山に登っていったのだそうだ。
あとは実際の手記をここに書き写すことにする。
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九月十三日
三朝の湯ですっかり気分よくなった私は、日本酒を入れた徳利をお伴に、山道のつけられた近くの小山へ登ることにした。
夏の暑気がまだ少し残っていたが、夜風は涼しく気分爽快であった。
今日は中秋の名月である。その美貌を成る可く近くで見てやろうと、右手に懐中電灯、左手に日本酒をぶら提げ、五拾歳の老人とは傍目からはとても見えぬであろう健脚振りで、私は山道を登っていった。
頂上へ着くと、夜空に描いた饅頭のごとき名月と出逢った。
縁台代わりの岩に腰を下ろすと、それをつまみに酒を飲んだ。
空はよく晴れ、悠久の時を思わせる星たちが私を包み込んだ。この夜空に比べたら、東京には空がないようなもんだ。いつか詩人か誰かがそんなことを書くかもしれない。
気分よく酒を飲んでいると、チクリと腕に痛みを感じた。
懐中電灯で照らしてみると、どうやら蚊に咬まれたようだ。小さな赤い点が出来、その周りがうっすらと腫れている。
気にせず暫く月を眺めていたが、次々とチクチクと、音もなく蚊がやって来ては咬む。自慢のハゲ頭も咬まれたので、こりゃたまらんと私は山を下りることにした。
その夜、宿で、ほとんど一睡も出来なかった。
蚊の咬み傷が、重く痛みはじめたのである。
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九月十四日
東京へ帰る汽車の中で何度も虫刺されの薬を塗った。
痒い、痒い──。
鳥取県の蚊は、東京の蚊と種類が違うのであろうか。東京の蚊になら免疫ももっているが、鳥取の蚊に対する免疫が私にないのであろうか。とにかく刺されたあとが今まで見たこともないほどに広く腫れ上がり、それは重く深い痛みを伴って、とどまることなく私を苦しめる。
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九月十五日
東京の医者に診てもらった。
「先生、蚋に咬まれましたね?」
そう言われ、聞いたこともないその虫の名前に、私は首を捻った。そしてただもう、只管に全身が痒いのだ、いやむしろ痛いのだと告げると、医者がその薬を処方してくれた。
「この薬をお塗りなさい。塗り続けていれば、すぐによくなりますよ」
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九月十六日
痒みは止まらなかった。むしろどんどん激しくなる。
しかしまだ薬を塗りはじめて二日目だ。私は医者の言葉を信じ、只管にそれを全身に塗り続けた。
見えぬが、頭頂にでっかい山が盛り上がっている。おそらくは赤色のピラミッドのごとき咬まれ傷であろう。そこへ薬を塗りつける。
着物を脱いでみると、胸にも腹にも腋の下にも、赤い点を中心に、紫色の腫れが広がっている。直径は五センチメートルほどもあろうか。旭日竜大型五十銭銀貨よりも大きい。
痒い! 痒い!
掻きむしるうちに私の指は腫れものの表面を突き破り、中から血液が溢れ出した。
そうするとすうっと痒みが引く。不思議なことに痛みもそれほどない。これは善い!
ひとつずつ、蚋の咬まれ傷をこれで潰してやることにする。
塗り薬などより、こちらのほうがよっぽど善い。
こう痒くては仕事もままならぬのだ。早く総て潰して、仕事に取りかかるとしよう。
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手記を読み、私は理解した。
東京にはいない虫に刺され、免疫をもたない先生は抵抗する術をもたず、自分の身体が穴だらけになるほどに掻きむしったのだ。
しかし、私には疑問が残る。
いくら免疫がなかったとはいえ、初めて刺された虫のことが原因で、そこまでなるものなのであろうか?
先生を咬んだその虫は、本當に蚋だったのであろうか?




