旅立ちの和音
夜が明け、村は静かな朝を迎えていた。
昨日の魔物襲撃は嘘のように収まり、広場にはまだ焦げ跡が残っている。
しかし、村人たちの表情は不安ではなく、希望に満ちていた。
奏は村の外れの小川で顔を洗いながら、昨夜の出来事を思い返していた。
――あの時、鍵盤に触れた瞬間、心が燃え上がった。
ステージでの演奏では得られなかった感覚。
音楽が、人の命を守る力になったのだ。
「……音楽は、こんなにも強く、優しい」
呟いた時、背後から声がした。
「昨日は、本当にありがとう。あなたがいなかったら、私たちは全滅していました」
振り返ると、村長と数人の村人が頭を下げていた。
村長は続けて言った。
「あなたの力は、この小さな村で眠らせておくには惜しい。王都に行くべきです。そこなら、もっと多くの人を救える」
「王都……」
奏は一瞬、迷った。
自分が本当にそんな大それた存在になれるのか。
ピアニストとしての人生ならば、観客を前に演奏するだけでよかった。
だがこの世界では、音楽は戦いであり、命を救う武器でもある。
その時だった。
広場から子供たちの笑い声が聞こえてきた。
覗いてみると、昨日助けた少年が古びた鍵盤を叩いて遊んでいた。
不器用に指を動かし、ぎこちない音を奏でる。
「見て! ぼくもお兄ちゃんみたいにピアノ弾けるんだ!」
周りの子供たちが手を叩き、笑顔でそれを見守る。
その光景に、奏は胸を打たれた。
――これだ。
音楽は、人を笑顔にできる。
それは前世でも信じていたことだが、この世界では命を救う力と重なり合う。
だからこそ、もっと広く届けるべきだ。
奏は拳を握りしめ、決意を固めた。
「行こう。王都へ。俺の音を、この世界中に響かせるんだ」
その言葉に、村人たちは歓声を上げた。
村長は旅の路銀を、村人たちは食料を手渡してくれる。
見送りの時、子供たちは拙い音で「別れの和音」を奏でてくれた。
奏は振り返り、静かに微笑む。
「ありがとう。必ずまた、この音を届けに戻ってくる」
朝日を背に、少年は歩き出した。
ピアニストではなく、音楽で世界を変える者として。
その足取りは軽やかで、旋律のように伸びやかに続いていた。