音律魔法の真価
――あの獣を炎で焼き尽くしたのは、偶然ではなかった。
鍵盤を叩いた瞬間に走った旋律は、確かに世界を揺さぶった。
奏は荒い息を吐きながらピアノの前に座り込んだ。
心臓は早鐘のように鳴り、震える手を押さえることもできない。
だが恐怖ではない。胸を支配しているのは、燃えるような昂揚感だった。
「……間違いない。これは……ただの音楽じゃない」
試しに静かにアルペジオを紡ぐ。
低音が大地を包み込み、高音は澄んだ光を生み出す。
その光が奏の体を包み、疲労がじんわりと抜けていった。
「……回復、してる?」
思わず笑みがこぼれる。
旋律は攻撃にも、癒やしにもなる。
まさに「音律魔法」。
その力に胸を震わせていた矢先だった。
――遠くから悲鳴が聞こえた。
奏は顔を上げる。
草原の先に、小さな村が見える。煙が上がり、人々が逃げ惑っていた。
群れを成した魔物が村を襲っている。
「……くそっ!」
気づけば、奏は走っていた。
助けられるかどうかなんてわからない。
けれど、あの力を確かめずにはいられなかった。
村の広場に駆け込むと、泣き叫ぶ子供の姿が目に飛び込んできた。
魔物が牙を剥き、今にも襲いかかろうとしている。
「やめろッ!」
広場には村の人が祭か何かで使ったのであろうか、古びたピアノが置いてあった。
奏はそのピアノへ飛びつき、鍵盤を叩いた。
流れる旋律は、彼がもっとも得意とする「革命のエチュード」。
――ドロロロロッ!
疾走する両手。怒涛の旋律。
その瞬間、地面が裂け、炎の奔流が走った。
群れをなしていた魔物が一斉に巻き込まれ、断末魔を上げて消し飛ぶ。
広場に轟く音の嵐。
火花が散り、風が唸り、人々の視線が釘付けになる。
「な、なんだ……あれは……」
「音楽で、魔物を……!?」
人々の驚愕の声が響く。
だが奏は止まらない。
高音部のアルペジオは閃光となって空を裂き、低音の和音は大地を震わせる。
魔物たちは次々と飲み込まれ、やがて一匹残らず消え失せた。
――静寂。
残ったのは、焦げた大地と、広場に響くピアノの残響。
そして、呆然と立ち尽くす村人たち。
奏はゆっくりと手を離し、深く息を吐いた。
「……これが……俺の力……」
震える指先を見つめながら呟く。
ステージでの拍手喝采よりも、心に響く何かがそこにあった。
「ありがとう! 助かった……!」
「すごい……音楽で……」
村人たちが駆け寄り、口々に感謝を告げる。
子供が涙を拭いながら言った。
「お兄ちゃんのピアノ、すごかった! 怖くなかったよ!」
その言葉に、奏の胸が熱くなる。
音楽で、人を救えた。
ただ聴かせるだけではなく、命を守る力になった。
「……これだ」
心の奥底で、確信が芽生えた。
音楽は戦うための武器じゃない。
けれど、人を救うための力になれるのなら――それはピアニストとして追い求めてきた理想の延長線にある。
夜。村人たちは宴を開き、奏をもてなした。
楽器を持ち寄り、歌い、踊る。
その中心で奏は久しぶりに、純粋な喜びだけの演奏を響かせた。
火の粉が舞い、星がきらめく。
異世界で初めての夜は、音楽と笑顔に包まれて更けていった。