第三章 聖女セリス1
「コラボ企画でございますか?」
神奈川県Y市空暮町某所。田舎町には場違いな洋館にて、聖女アンナの後継者であるリア・ホルトハウス・ヴァーゲ――日本名で秤谷莉愛は昨日送られてきたDMについて話をしていた。莉愛の話を聞いて銀髪執事のルーカス・シュベルトが目を丸くする。
「それは具体的にどのようなことをされるものなのでしょうか?」
ルーカスの疑問。莉愛は自室のベッドで胡坐を掻きながら「さあ?」と肩をすくめる。
「具体的なことは何も決まってねえ。まずはその打診をしてきただけだな」
「左様でございますか。しかしセリスさんからの申し出とは驚きましたね」
ルーカスが怪訝そうに眉をひそめる。彼が困惑するのも無理ないだろう。DMにてコラボ企画を打診してきたのは、いま最も注目されているインフルエンサーの一人――
聖女セリスなのだ。
「セリスさんはこのようなコラボ企画をよく実施されているのでしょうか?」
「そんな頻繁ってわけじゃねえけど、ないことはないな」
ルーカスの問いに答えながら莉愛は眉間にしわを寄せる。
「だがセリスほどのランクになると、コラボするのはそれなりに有名な奴だけだ。アカウントを開設したばかりの無名とコラボなんて初めてなんじゃねえかな?」
セリスからフォローされたことで開設したばかりのアカウントは今なお順調にフォロワーを獲得している。昨日投稿した写真もそれなりに好評だ。まだまだ成長を見込めるだろう。近い未来に有名インフルエンサーの仲間入りを果たしている可能性もある。
だからこそセリスもコラボ企画を打診してきたのかも知れない。インフルエンサーは流行に敏感でなければならない。星の数ほどあるインストグラムのアカウント。そこに埋もれている原石をいち早く発掘するのもインフルエンサーの手腕だと言える。
だがそれでも違和感は拭えない。セリスがこちらを甚く気に入ったと仮定する。成長も見込んでいたと仮定する。だとしてもコラボ企画を打診するには時期尚早だろう。そして何よりも疑問に思うことがある。ルーカスには敢えて話していないが――
セリスのDMにはコラボ企画を進めるにあたり奇妙な条件が指定されていたのだ。
「それでお返事はどのように?」
ルーカスから尋ねられて莉愛は思案を中断する。セリスから突然打診されたコラボ企画。その返答。一呼吸の間を空けて、莉愛は「決まってんだろ」とニヤリと笑った。
「もちオーケーだ。返事も昨日のうちにしておいた。色々と気になるところもあるがセリスとのコラボなんて知名度を上げるまたとないチャンスだからな」
順調に成長しているとはいえ国民的な知名度を獲得するためには起爆剤となる何かが必要だ。聖女セリスとのコラボはその役割を十分に果たしてくれるだろう。諸々の疑問点を考慮してもメリットは非常に大きいと言えた。
「今日の午後、セリスと直接対面してコラボ企画の詳細を詰めることになっている。お前たちもそのつもりで宜しくな」
「承知いたしました、リア様」
「お前も話を聞いてただろ? そういうことだから準備しておけよ、桜井」
恭しく一礼するルーカスから視線を逸らして、莉愛は部屋の隅に転がっている女性に声を掛けた。その女性とは黒髪をポニーテールにした自称騎士――桜井花奈だ。莉愛の呼びかけに、膝を抱えた状態で床に寝転がっていた彼女が淀んだ声でボソボソと応える。
「……リア様の嘘つき……恥ずかしい写真はもう投稿しないと約束したのに……」
莉愛に背を向けたまま桜井がそう愚痴をこぼす。どうやら猫におっぱいを噛まれている写真を無断投稿されたことが相当にご立腹らしい。いつにもまして拗ねている自身の騎士に莉愛は頬を掻きながら苦笑する。
「んな怒んなよ、桜井。動物と触れ合っているほのぼのとした写真じゃねえか」
「……ほのぼのとした写真に……あのような卑猥なコメントはつきません……」
桜井が猫におっぱいを噛まれている写真。その投稿記事には『俺も噛ませて』や『これ確実にTKBだろwww』など熱烈なコメントが一定数寄せられていた。一応桜井の目元を目線で隠しているが、その程度の配慮では桜井も納得しないらしい。
「私はもう人間不信です……誰のことも信じられない……放っておいてください……」
「分かった分かった。悪かったよ。勝手に写真を投稿して。今度からは投稿する前に一言相談するからよ。だからそう怒んなって」
「……本当ですね?」
「ホルトハウス教団の神――ハルモニ様に誓って約束するぜ」
莉愛のこの宣言に桜井が渋々という様子ながらも起き上がる。機嫌を直したわけではないが許してはくれたらしい。莉愛はそう判断してほっと安堵した。
(まあもっとも……相談するとは言ったが写真を投稿しないとは言ってねえけど)
こうして善良な人間は騙されていくのだろう。莉愛は他人事のようにそう思う。莉愛の真意など気付く様子もなく、桜井が「準備と話していましたが」と眉をひそめた。
「それはどのような準備ですか? まだどんな企画をするかも決まっていませんよね?」
「だからセリスとコラボ企画について話をする準備だよ。詳細はともかく、お前が話す内容とかざっくりと考えておかねえと駄目だろ」
「私がって……私がコラボ企画についてセリスさんとお話しするんですか?」
ポカンと目を丸くする桜井に、莉愛は「当たり前だろ」と唇を尖らせる。
「投稿した写真に映ってんのは桜井だけなんだぜ? セリス側としては当然、桜井と話すつもりで来るに決まってんじゃねえか」
「そうかも知れませんが……私はコラボ企画を話し合うだけの知識はありませんよ」
「だから事前に話す内容を決めておこうって言ってんだよ。まあそう難しく考えんな。アタシも陰ながらサポートするし、何ならルーカスも使ってもいいからよ」
ルーカスが「私ですか?」と首を傾げる。疑問符を浮かべるルーカスと桜井に莉愛は頷きながら淡々と言った。
「お前たち二人でセリスとの話し合いに参加しろよ。そのほうが気も楽だろ? アカウントは二人の共有ってことにして――そうだな。二人は恋人同士ってことにしよう」
「こここここ、恋人ですかぁああああ!?」
莉愛の思いつきに桜井が声を荒げる。顔を一瞬にして真っ赤に染める桜井。相変わらずウブな反応をする自身の騎士に、莉愛は苦笑しながらも話を続けた。
「兄妹って感じでもねえし、恋人同士ってほうが自然だろ? 二人が協力してセリスとのコラボ企画をまとめてくれよ」
「承知いたしました。それがリア様のご希望ならば私には何の異存もありません」
「ちょちょちょ――ルーカス先輩!」
あっさりと承諾したルーカスに、桜井が泡を喰ったように口早に言う。
「そそ、そんな簡単に決めてしまっていいんですか!? だってここ、恋人ですよ!?」
「あくまでフリをするだけ。深く考えることもないでしょう。それとも桜井さんは例えフリであろうと私が恋人では不満ですか?」
ルーカスお得意のイケメンスマイル。桜井が「そ、そうではなくて……」とさらに顔を紅潮させる。イジイジの指を弄りながら桜井が視線を莉愛へと移動させた。
「ど、どうせ二人で話を聞くのなら、リア様が同席したほうがいいのでは? この手のことに一番詳しいのはリア様ですし私も心強いのですが」
桜井のこの意見は確かに的を射たものだ。事前準備をするにせよ、コラボ企画の話がどう転ぶのか分からない以上、突発的な対応が取れる莉愛が話に参加するのが適切だろう。それは莉愛も理解していた。だがそれを理解してなお莉愛は頭を振る。
「アタシは曲がりなりにも聖女の後継者だぜ? いつどこに危険が潜んでいるか分からないって桜井も言ってたじゃねえか。そのアタシが人前に出る訳にはいかねえだろ?」
「……どうしたんです? これまでそういう話を散々と馬鹿にしてきたではありませんか。それにそれを言うなら、そもそもインフルエンサー自体を辞めるべきです」
「だからそういう面倒な立場を脱却するためにインフルエンサーになるんじゃねえか。それにアタシって人見知りだからな。初対面の奴とは話せねえんだよ」
「リア様が人見知り? とてもそうは思えないのですが?」
「うるせえな。これでも人前だと緊張するタイプなんだよ。とにかくコラボ企画の話し合いは二人に任せる。アタシは少し離れたところから話を聞いてるから宜しくな」
懐疑的な桜井をそう言いくるめて、莉愛はやや強引に話を終わらせた。
======================
屋敷から車で約一時間。インストグラムに初投稿した写真の撮影場所である喫茶店。喫茶ラフレシア。その喫茶店の角席にて桜井はセリスが訪れるのを待っていた。
「この喫茶店を待ち合わせの場所に選んだのはアタシだ。あまり家から近いと生活圏がバレるし、だからと遠すぎても面倒だからな。それにこの喫茶店は一度インストグラムに投稿している。セリスに場所を説明するにも面倒ないだろ?」
自身の主であるリアはそう説明していた。完全にこちら側の都合だがセリスはそれを簡単に受け入れたらしい。セリス側から打診したコラボ企画とはいえ何とも心が広い。
(伊達に聖女と呼ばれてはいないな)
もっとも自身が仕える聖女の後継者はそのような優しさなど微塵もなさそうだが。桜井はそんな不穏なことを考えつつテーブルに置いてあるスマホで時間を確認する。午後一時五十分。約束の時間まで後十分。桜井はスマホから視線を逸らし溜息を吐いた。
「はい、花奈さん。あーん」
聞こえてきたその声に桜井の心臓がドキリと跳ねる。四人掛けのボックス席。向かい合わせに設置されたソファの一つに、桜井と銀髪の青年――ルーカスが並んで腰掛けていた。桜井に爽やかな笑顔を向けているルーカス。彼の手には切り分けたケーキを刺したフォークが握られている。彼の意図を察して桜井は思わず頬を赤くした。
「あ、あの……ルーカス先輩」
「今は先輩ではありませんよ、花奈さん」
「その……ル……ルーカスさん」
ルーカスに名前を呼ばれるたび桜井は頬が否応なく火照るのを自覚する。どうしてこのような事態になったのか。桜井はドキドキと胸を鳴らしつつルーカスに言う。
「こ、恋人のフリをするにしても……セリスさんがまだ来られていないこの段階から恋人のフリをする必要性はないと思いますが?」
「そのようなことはありませんよ。壁に耳あり障子に目ありという言葉もありますし、恋人のフリをすると決めたのなら徹底的にやらなければ意味がないでしょう」
「そ、そうでしょうか?」
「というわけで――あーん」
フォークに刺したケーキをかざすルーカスに桜井は気恥ずかしさから視線を逸らす。というか食べ物を「あーん」するのは本来女性である自分の役なのではないだろうか? 桜井はそんなことを考えつつ胸中で呟く。
(本当にどこか抜けている人だな)
だが顔は文句なしのイケメンだ。性格も悪いわけではない。同じ職場の先輩として尊敬もしている。それだけに恋人同士と言われると、例えそれが真似事と分かっていても、緊張して胸がどうしても高鳴ってしまう。
(うう……こういう雰囲気はやはり苦手だ)
幼少期より剣術中心の生活で異性とまともに付き合ったこともなかった。ゆえにプライベートで異性と二人きりになると途端に何を話していいのか分からなくなる。
(――て違う違う! 今は仕事中だろ!)
いつの間にか本当のデートだと錯覚していた。桜井は勘違いしかけた自身に頭を振る。この雰囲気は駄目だ。まともに思考が働かない。自分の得意とする話題にすり替える必要がある。桜井は懸命に思考して口を開いた。
「あの……ルーカスさん。先日もお話しした尾行の件ですが」
自身が得意とする話題。それはやはり騎士としての職務だろう。ルーカスの微笑みに僅かな緊張感が浮かぶ。恋人同士の甘い雰囲気があっさりと払拭されて、桜井はそれをどこか残念に感じながらも言葉を続けた。
「尾行していた連中……自害したため詳細を聞くことはできませんでしたが、彼らが原理主義の人間であることは間違いないと思います。そして直接危害を加えるつもりがあったかどうかはさておき、彼らの狙いは恐らく聖女の後継者――リア様です」
ルーカスがかざしていたフォークをケーキの皿に戻す。何となくその戻されたフォークに視線を奪われながらも、桜井はここ数日間で考えていた疑問を口にする。
「しかし原理主義は十年前に解体され、少なくともここ数年は組織的な活動をしていなかったはず。そのような彼らが今更何をするつもりなのでしょうか?」
「……私も確かなことは言えませんが――」
ルーカスが眉間に小さなしわを寄せながら口を開く。
「聖女の力を引き継ぐ者は十代後半でその力に目覚めることが多いとされています。リア様は先日十五歳の誕生日を迎えました。いつ聖女の力に目覚めてもおかしくない。彼らもまたそれを理解して、リア様の動向を気にしているのかも知れませんね」
「それはまさか……リア様が聖女の力に目覚めるより前にリア様を始末するため?」
「そう考えるのは早計ですよ」
ルーカスが苦笑する。
「原理主義と聖女は長いこと対立関係にあります。しかし彼らは聖女に敵対しているわけではありません。むしろある意味で彼らの聖女に対する信仰心は誰よりも強い。自身の思想を受け入れてもらえないからと、聖女の血を絶やすような愚行は侵さないでしょう」
ルーカスの言う通りだ。原理主義は聖女と厳密に敵対しているわけではない。彼らはただ守ろうとしている。聖女を中心としたホルトハウス教団。その信仰の要となる教典。聖女の在りかたを記した伝承。彼らはその原初なる思想――
聖典を守ろうとしているだけだ。
彼らの理想には聖女の存在が不可欠である。ゆえに聖女の血が絶えることは彼らも望んでいない。彼らが聖女の後継者であるリアの命を狙う理由などない。リアに命の危険について話しているのは警戒心を持たせるための便宜に過ぎない――はずだった。
しかし桜井は尾行者の口にしたある言葉が心に強く引っかかっていた。
「人類を導くのは貴様らが信奉する汚れた聖女ではない。汚れのない無垢なる聖女だ。彼らはそう話して自ら毒を飲んで自害しました。これはどういう意味でしょうか?」
「……汚れた聖女と無垢なる聖女……ですか」
ルーカスが銀色の瞳を細めていく。彼もまた尾行者が話した言葉の意味を図りかねているのだろう。一呼吸の間を挟んで、桜井は「それともう一つ」と口を再度開く。
「自分たちは一枚岩ではないと……これは原理主義を差した言葉だと思うのですが」
「……何とも言えませんね。しかし私たちの把握していないところで彼らに何か大きな変革があったのかも知れません。用心はしておくべきでしょう」
「……アンナ様から何か連絡は?」
桜井の質問にルーカスが静かに頭を振る。
「今はまだ何も……どうやら調査が難航しているようですね」
「……やはり多少強引にでもリア様の外出を制限したほうが良いのではありませんか? 少なくともアンナ様が屋敷に戻られるまでは」
「昨日今日と尾行の気配は感じられません。とりあえずその必要はないでしょう。それに彼らは屋敷の場所を把握しているのです。屋敷からアンナ様含めて戦闘経験のある人間が出払っている以上、人目のある外の方が安全であるとも考えられます」
「……アンナ様は過去の因縁に決着をつけるために出掛けられました。その決着を見事果たしたその時は、リア様もようやく安全に暮らしていけるのですね」
「……そうなると良いのですが」
ルーカスがふっと微笑する。
「どちらにせよ憶測の段階であれこれ考えても仕方ありません。私たちはこれまで通りリア様をお守りするのみ。どうかこれからも貴女の力を教団にお貸しください」
「もちろんです。私はリア様の騎士ですから」
桜井もルーカスに微笑みを返す。思いのほか長話になってしまった。桜井はふとスマホで現在時刻を確認する。午後二時。ちょうどセリスとの待ち合わせ時刻だ。忘れていた緊張がまた湧き上がるのを感じながら、桜井は喫茶店の奥にある女子トイレに視線を向けた。
「ところで……リア様がトイレに入られてから十五分。随分と長いトイレですね」
十五分前に「便所」と一言だけ告げてトイレに向かったリア。ルーカスと会話をしながらもトイレを常に監視していたが、トイレから出てきたのはコートを着た黒髪の女性一人で、彼女はまだトイレの中にいるはずだ。
時間的にセリスがいつ現れてもおかしくない。屋敷を出る前に事前打ち合わせしたとはいえ、SNSに詳しいリア不在でのコラボ企画の話し合いは不安があった。桜井は喫茶店の入口を横目に見ながらルーカスに尋ねる。
「どうしましょう。私がトイレに入って様子を見てきましょうか?」
「そうですね。リア様のことです。便座にはまり動けなくなっているかも知れません」
冗談なのか真剣なのか。ルーカスのその発言に桜井はクスリと笑う。
「まさか。いくらリア様でもそんなドジは踏みませんよ。それにいざとなればスマホで助けを呼べばいいだけですし。荷物を持ってトイレに向かわれましたから、スマホが手元にないなんてことはないと思いますよ」
トイレに立つ時、リアは大きな荷物を抱えていた。荷物の中身はコラボ企画用の資料と言うことらしい。トイレの邪魔になるだろうから座席に置いておけばいいのに。桜井はそう考えていたため荷物の存在をよく覚えていたのだ。
(それにしてもあの面倒くさがりのリア様が荷物を預けないで自分で持つなんて)
珍しいこともあるものだ。荷物の中によほど大切なモノが入っていたのか。或いは他人に見られたくないモノでも入っていたのか。そう何となしに考えたところで――
桜井は顔面を蒼白にした。