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第一章 インフルエンサー3

 喫茶ラフレシアからの帰り道。莉愛は車の助手席で投稿した写真を確認していた。


 目元を加工して隠した女性が艶めかしいポーズでかき氷を食べている写真。適度なエロさがありながら、しかしクレームが入るほど行き過ぎてはいない。初投稿にしては上々の出来だろう。強いて難点を上げるなら、噴き出している火花に遮られて肝心のかき氷がよく見えていないことぐらいか。莉愛はとりあえず概ね満足すると――


 スマホ画面から視線を上げて後部座席にくるりと振り返った。


「いつまで落ち込んでんだよ、桜井」


 ミニバンの後部座席。そこにはうつ伏せに倒れている桜井がいた。後部座席に顔面を埋めてカタカタと体を震わせている桜井。走行している車のエンジン音に混じり、怨嗟のごとき彼女のボソボソ声が聞こえてくる。


「死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にた――」


「大袈裟だねえ、桜井はさ」


 恨みがましい桜井の呟きに、莉愛は頭を振りながら嘆息する。


「別に素っ裸の写真を投稿したわけじゃないんだぜ? この程度で恥ずかしがるなよな。そんな調子じゃ、夏に着させるつもりのグロエグ水着での撮影なんてできねえぞ」


「しませんよ! そんな撮影!」


 俯けていた顔をガバリと上げて、桜井が涙ながらに絶叫する。


「口車に乗せられたとはいえ、あのようなはしたない姿を晒すなど末代までの恥です! 私はもう金輪際、リア様の撮影に協力するつもりなどありませんからね!」


「だからそう言うなって。お前の要望でちゃんと目元を隠してやったじゃねえかよ。本当なら素顔を晒した方が閲覧数だって稼げるのによ。だから機嫌直せって」


「それでも知り合いが見れば写真の女性が私だとすぐ気付きます! 誰かに見られてそうで町を歩くのも怖い! もうお家から出ないから! 一生部屋に引きこもるうぅう!」


「ああもう鼻水まで垂らすんじゃねえよ。分かった分かったから。今度からエロ成分は落とすからよ。だから鼻をかめって」


 莉愛はそう話しながらポケットティッシュを桜井に手渡してやった。受け取ったティッシュで涙と鼻水をグスグスと拭う桜井。これが聖女を守る騎士だというのだから情けない。


(まあ自称騎士だけどな)


 莉愛はそう胸中でぼやきながら視線を再び前方に戻した。


「ところでリア様。投稿した写真の評判は如何でございましたか?」


 車を運転しているルーカスが淡々とした調子で莉愛に尋ねる。莉愛は自身のアカウントのダッシュボードを開きながら、「うーん」と悩ましげに眉をひそめた。


「全然だな。今のところ閲覧数は数件。当然フォロワーもゼロだ。まあ宣伝も何もしてねえからな。まずこのアカウントの存在を周知してもらわないことには始まらねえよ」


「誰にも知られないほうが私の傷も浅くて助かるのですが……」


 鼻をチーンとかみながら桜井がポツリとぼやく。「難しいものですね」と当たり障りのない返答をするルーカスに莉愛はニヤリと笑った。


「まあ大した問題じゃねえよ。アカウントを有名にするための策はもう考えてある。ちょいと準備が必要だがね。上手くいけば数日もしないうちに閲覧数が何百倍にもなるぜ」


「さすがでございます。しかしその策と言うのはどのようなものなのでしょうか?」


「そいつはまだ内緒。策が上手くいったら教えてやるよ。ところで――」


 莉愛は一度言葉を止めると、車窓から眺められる景色に首を傾げた。


「……随分と人気のない道を走ってるな。行きにこんな道って通ってたっけ?」


 車一台がギリギリ通れるだろう人気のない路地。やや薄暗いその道をいつの間にか大通りから外れた車が走っていた。見覚えのない景色に困惑する莉愛。彼女の疑問にルーカスが「いやあ」とバツが悪そうに笑った。


「申し訳ございません。実は近道をしようとしたところ道に迷ってしまいました」


「はあ? 道に迷ったって……おいルーカス。しっかりしてくれよ」


「お恥ずかしい限りです。言い訳をさせてもらえるなら、この車は撮影機材を運ぶためにレンタルしたものであり、普段使用しているカーナビと勝手がどうやら違うようです」


 ルーカスが車を路地に止めて懐から自身のスマホを取り出した。


「少々お待ちください。使い慣れたアプリで道を確認いたしますので」


「はあ……早くしてくれよな」


「ふむふむ……このルートで行けば大通りに戻れそうですね。念のために桜井さんもこのルートを確認してくれませんか?」


 ルーカスが後部座席にいる桜井に自身のスマホ画面をかざす。未だ写真のショックを引きずっているのか拗ねた表情をしていた桜井。その彼女がルーカスのスマホ画面を見るなり表情を真剣なものにした。桜井の表情の変化に僅かな違和感を覚える莉愛。桜井がスマホ画面から視線を上げてルーカスに頷く。


「……このルートで間違いないと思います」


「それは良かった。ではすぐにでも大通りに戻ることにしましょう」


 ルーカスがスマホを懐に戻してハンドルを握る。そして彼が運転を再開しようとしたところ、桜井が「あ、すみません」とおもむろに口を開いた。


「申し訳ないのですが、私はここで一旦降ろしてもらってもいいですか?」


 唐突な桜井からの申し出に、莉愛は「は?」と素っ頓狂な声を上げた。


「いきなり何言ってんだよ? まさかお前……あの写真が気に喰わないからって、この仕事を辞めるって言うんじゃねえだろうな?」


 動揺する莉愛に桜井が慌てて「あ、違いますよ」と苦笑する。


「この近くに知り合いがいるんです。その方と個人的な話があるだけでして、この仕事を辞めるつもりだとかではありませんから」


「……本当だろうな?」


「はい。個人的な要件が終わり次第、私もタクシーで屋敷に帰ります。ルーカス先輩。そう言うことなので、申し訳ないのですが後のこと宜しくお願いできますか?」


「ええ、分かりました」


 桜井のお願いをルーカスがあっさりと承諾する。騎士の立場である桜井が個人的な事情で主から離れるのはどうかと思うが、休みもなく連日働いている彼女にはそのぐらいの自由が認められてもいいだろう。莉愛はそう考えて桜井を引き留めることはしなかった。


(そもそも騎士ってのが馬鹿げた仕事だしな)


 ここでふと莉愛はあることに気付いてぎょっと目を見開いた。


「――って、その刀も持っていくのかよ?」


 屋敷から持ってきた武器。黒塗りの鞘に納められた刀。それを桜井が手にしていた。驚愕する莉愛に車から降りた桜井が刀をかざしながら「はい」と力強く頷く。


「もちろんです。刀は騎士の魂も同然。手放すことなど有りません」


「またそんな訳わかんねえことを……警察にしょっ引かれるぞ?」


「御心配には及びません。では私はこれで一度失礼させてもらいます」


 桜井が会釈して車のドアを閉める。彼女が降りたことを確認して、ルーカスが改めて車を発進させた。人気のない路地に一人残された桜井。その彼女から車が徐々に遠ざかる。莉愛は何の気なしに桜井の姿を眺めていた。莉愛の視線に気付いた桜井が――


 普段と変わらない微笑みを浮かべた。



======================



 聖女アンナ・ホルトハウス・ヴァーゲの一人娘。そして聖女の後継者たる少女。リア・ホルトハウス・ヴァーゲ。その少女を乗せた車が遠ざかり視界の奥へと消えた。少女の騎士たる役割を与えられた女性。桜井花奈。彼女はゆっくりと呼吸を整えると――


 右手にある黒塗りの鞘を握りしめた。


(さて……どう出るかな?)


 ここで引き下がるならばそれも良し。だが恐らくそうはならないだろう。ここで対象を見失うようなことがあれば慎重に()()してきた意味がない。そしてこの入り組んだ路地では別の道から尾行対象の先回りをすることも難しいはずだ。だとすれば――


()()が取るべき手段は限られている)


 そこまで思考を進めたその時――


 彼女の背後に黒塗りの車が停車した。


 桜井は集中力を高めながら背後に停車した車へと振り返る。黒い瞳を鋭く尖らせる桜井。車の後部座席が開かれて、そこから二人の男性が姿を現す。


「……桜井花奈だな?」


 車から現れたスーツ姿の男性二人。その内の一人が高圧的にそう尋ねてくる。男の目元を隠しているサングラス。その奥から感じる凶暴な視線。ただの小娘ならば思わず身を竦めていただろう。だが桜井は一切怯むことなく余裕の笑みを浮かべた。


「なるほどな。やはり偶然行き先が重なったというわけではなさそうだ」


()()()()をどこに隠すつもりだ?」


 男の端的な質問。その内容から男たちの正体も自ずと知れる。もっとも彼らが何者かなど、ルーカスがスマホ画面を通して彼らの尾行を伝えてきたその時から、桜井はおおよそ勘づいていた。


「隠すだなんて物騒だな。私たちは用事を済ませて屋敷に帰るだけだ」


「そのような誤魔化しが通じるとでも思っているのか?」


「誤魔化してなんかいない。リア様が帰るべき場所は生まれ育ったあの屋敷だけだ」


「……ならばお前は何故ここにいる?」


 警戒したのか男たちが僅かに腰を落とす。


「俺たちの尾行に気付いた。それはこの際いいだろう。だが屋敷にただ帰るだけならば尾行を巻く必要もない。屋敷の場所など当然割れているのだからな」


「確かにな。リア様が空暮町から別の場所に移動していないか。お前たちの役目はそれを監視することだろ? こそこそと付けられることそれ自体は不愉快でもあるが、捨て置いたところでリア様に被害を及ぼすことはない」


 ルーカス曰く、彼らの尾行は屋敷を出たその時から始まっていたという。もし彼らが聖女の娘であるリアに直接的な危害を加えようと画策していたなら、仕掛ける機会は幾らでもあったはずだ。そもそも襲撃目的なら人員が少なすぎる。それら状況を踏まえて彼らが荒事を目的として尾行していたわけでないことは容易に知れた。


「……それだけ理解しているならば尚のことお前がここに居る理由に説明がつかない。まさか尾行するのは止めてくださいと頼みに来たとでも言うのか?」


「お前たちが聞き分けのいい人間なら、そういった手もなくはないんだがな」


 刀の柄に左手を触れさせて――


 桜井は抜刀の構えを取る。


「私がここにいる理由は簡単だ。お前たちが車から降りてきた理由と一緒だよ。お前は私から車の行先を聞き出そうとしていたんだろ。だから私の前に現れた。それと同じで私もお前たちに色々聞きたいことがあってな。だから一人この場に残ったんだ」


「……なるほど。つまり俺たちを尋問することが目的か」


「私の質問に素直に答えるなら痛い目にあわず済むぞ」


「……あまり舐めるなよ小娘が」


 男二人が懐から何かを取り出した。桜井は目を細めて男の取り出した()()を確認する。細長い筒に取っ手のついた物体。それはこの手の状況においてはすでに陳腐化した――


 黒光りする拳銃であった。


「偶然俺たちの尾行に気付いて手柄欲しさに単独行動を取った。そんなところだろう。だがな小娘。これはゲームじゃない。多少腕に覚えがあるのか分からんが、出過ぎた真似をすればどういう目にあうか教えてやるよ」


 サングラスの奥に隠れた男の視線。そこから発せられる強烈な殺意。それが瞬間的に膨れ上がる。拳銃の引き金に触れていた男の指。それが躊躇いなく引き絞られて――


 銃弾が桜井に向けて発射された。


 銃弾が空間を貫く。人間の知覚速度を超えて迫りくる脅威。それを回避する術など誰も持ち得るはずがない。少なくとも男たちはそう考えていたはずだ。桜井は極限まで圧縮した意識の中でそう冷静に思案しながら――


 抜刀した刀で銃弾を叩き落とした。


「――え?」


 何が起こったのか理解できないのか。拳銃を発砲した男が唖然としている。隙を見せたその男に体勢を低くして急接近する桜井。銃弾には負けるも人間離れした速度で男に肉薄して彼女は男の鳩尾に刀の柄を突き刺した。


「――がふっ!?」


 男が涎を吐き出しながら崩れ落ちる。仲間があっけなくやられたのを見て、車外に出ていたもう一人の男が「てめえ!」と狼狽しながらも桜井に銃口を向けた。突きつけられた銃口にも怯まず桜井は刀を一振りする。男の構えていた拳銃が――


 桜井の刀に切られて真っ二つとなる。


「――そんな!?」


 拳銃を無力化され動揺する男。その隙をついて桜井は男の腹部に膝を叩きこんだ。またも男が涎を吐き出しながら崩れ落ちる。桜井は止めていた呼吸をゆっくり吐いて、地面に倒れた男二人を見下ろした。意識はあるがしばらく動くことはできないだろう。


 ここで男たちの乗ってきた車が突如後退する。運転席の男がこの場から逃走しようとしているのだ。桜井は地面を蹴りつけてまだ加速していない車に急接近した。狭い路地で車を横切りながら刀を振るう。車の右側面にある前輪と後輪が刀に斬られてパンクした。


 パンクの影響でタイヤが横滑りして車が路地の壁に激突する。路地を塞ぐようにして停止した車。その運転席の扉が開かれて一人の男が這い出してくる。桜井は運転席から出てきた男に無造作に近づくと男の首筋に刀の刀身を触れさせた。


「さて――話を聞かせてもらおうか」


「ぐ……お、お前……何者だ?」


「調べはついているんだろ? 聖女の後継者――リア様をお守りする騎士だ」


 桜井は淡々とそう答えると刃を研ぐようにして黒い瞳を細めた。


「一つ目の質問だ。お前たちは一体何者だ?」


 男が沈黙する。予想通りのその返答に桜井は小さく溜息を吐いた。


「何も言わないつもりか。まあいいさ。察しはついているんだ。お前たちは三百年前にホルトハウス教団を離反した裏切り者――()()()()()()()()()()の人間だろ?」


 男の眉がピクリと揺れる。どうやら推測が的を射ていたらしい。もっとも聖女を狙うような人間など限られている。ここまでは容易に予測できることだ。重要な問いはこれから。桜井は頭の中で言葉をまとめつつ慎重に息を吐く。


「次の質問だ。原理主義であるお前たちがどうしてリア様を今更狙う? 原理主義は十年前に解体されて少なくともここ数年間は組織的な活動自体がなかったはずだ」


「……」


「まただんまりか? だが悪いがこの質問に関しては無理にでも答えてもらうぞ。暴力は好きじゃないが必要なら躊躇わない。五体満足のうちに話すのが身のためだ」


 そう脅し文句を口にしたところ――


「……くっ……くっくっく……くひっひっひっひっひ……」


 突然男が不気味に笑い出した。


 男の奇妙な態度に桜井は警戒心を強める。男の首筋に刀を触れさせたまま男をじっと見据える桜井。男が「ひぃひぃ」とひとしきり笑い終えて口元をニヤリと歪めた。


「一つだけいいこと教えてやるよ……()()()()()()()()()()()()()


「……何だと?」


「人類を導くのは貴様らが信奉する()()()()()ではない! 一点の汚れすらない()()()()()()だ! それをよく覚えておけ! はっはっはっはっはっは――はあ――」


 ここで突如、男が大量の血を吐き出した。


 この異常事態に桜井は「なっ!?」と表情を強張らせる。「がぁああ!」と苦悶の声を漏らしながら体をビクビクと痙攣させる男。一体何が起こっているのか。そう困惑しながらも桜井は苦しんでいる男に咄嗟に手を伸ばそうとして――


「――がぁああああ!」


 またしても男の悲痛に満ちた絶叫が聞こえてきた。桜井は聞こえてきた悲鳴に半ば反射的に振り返る。鳩尾を叩いて倒した男二人。その彼らが大量の血を吐き出しながら痙攣していた。男三人の共通した反応。ここで桜井は遅まきながら事態を察する。


「――毒か!?」


 情報漏洩を防ぐための自殺だ。どのような手段かは分からないが、逃げられないと悟った時点で毒を呑み込んでいたのだろう。時間にして十秒強。苦しんでいた男の声がピタリと止む。桜井は苦々しく歯を食いしばりながら沈黙した男の首筋に指先を触れさせた。


 男の脈はすでに停止していた。


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