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第四章 ホルトハウス教団3

 どこかも分からない山の中。リビングでの会話を終えた莉愛は、窓を封鎖された息苦しい部屋にまた閉じ込められていた。ベッドに腰を下ろして壁に寄り掛かる莉愛。彼女の虚ろなその碧い瞳は、天井付近をただ彷徨うだけでまるで安定しない。


「……訳わかんねえことになっちまったな」


 莉愛は最も適切な言葉を口にした。ホルトハウス原理主義も、隠されていた聖典も、自身が命を狙われている現状も、全てがこの一言に集約できるだろう。つまり訳が分からない。莉愛は嘆息すると視線を下に移動させた。


 部屋の隅に膝を抱えて座る一人の少女がいる。赤い瞳が特徴的な少女だ。訳が分からない現状。だが一つだけこの場で確認できることがある。膝を抱えたまま顔を俯けている少女に、莉愛は少し緊張しながら声を掛けた。


「なあ……お前って本当に悪魔なの?」


 少女が驚いたように「え?」と俯けていた顔を持ち上げる。話しかけられるとは思ってなかったらしい。リビングでインコの血に汚れた少女。だが今は着替えも終えて血の痕はどこにも見られない。少女が赤い瞳をしばし彷徨わせてから小さく頷く。


「うん……たぶん……そう」


「多分って……ハッキリしねえのな?」


 莉愛のその口調に怒られたと感じたのか少女がびくりと体を縮こまらせる。


「ご、ごめんなさい……ボクも気付いたら……生まれていたから……」


「別に怒っちゃねえけど……ふーん……なんかあまり悪魔っぽくねえのな?」


「ご、ごめんなさい……」


「だから別に怒っちゃねえって」


 莉愛は呆れて嘆息する。少女がもじもじと肩を揺らして消え入るような声で言う。


「セリスさんにも……同じこと言われたの……悪魔らしくないって……自分が悪魔だって自覚しなさいって……そうしないと……ボクを救済できないって……」


「……その救済ってのは何なんだよ?」


「えっと……魂の救済って言ってた……魂が天国に送られること……ボクは悪魔らしくないから……聖典にある悪魔のようにならないと……天国にいけないみたい……」


「なんだそりゃ? んじゃセリスはお前を極悪非道の悪魔にしたいってことか?」


「……ごくあくひどう……あの……世界の敵になりなさいって……だから沢山の動物を連れてきて……それをボクに殺させるの……ボクがちゃんと悪魔になれるように……」


 無害な悪魔を無理やり有害な悪魔へと仕立てる。それは救済を掲げるセリスの矛盾点にも思える。だがそう感じられるのは自分が聖典の意味を正しく理解していないからなのかも知れない。少なくともセリスはそれを矛盾点とは考えていないだろう。


(まあ……やっぱよく分かんねえけど)


 適当に理解を放棄して莉愛はふとした疑問を少女に尋ねる。


「悪魔ってなら連中をやっつけちまえばいいじゃねえか。すげえ強いんだろ?」


「つ、強くないよ……ボクなんて力もないし……足もそんな速くないし……」


「胸も大きいし?」


「……え?」


「あ、いや何でもねえ。へえ、悪魔といっても案外たいしたことねえんだな」


「他の悪魔は知らないけど……ボクはそう……ボクなんかみんなの目が怖くて……見られただけでも……足が動かなくて……」


「あー……確かにあのセリスの何を考えてるか分からない目は怖いかもな」


「え……あ……違くて……その……目が怖いのはセリスさん以外の人なの」


 莉愛はきょとんと首を傾げる。少女が表情をまた一段と暗くしてポツポツと話す。


「セリスさんは……ああ言ってるけど……他の人は……悪魔を救済することに反対みたいで……悪魔はすぐに殺すべきだって……セリスさんにそう言ってた……でもセリスさんが救済は分け隔てなく与えるべきだって……ボクを庇ってくれて……」


「そんで幽閉したあげくに沢山の動物を殺させたって?」


「あ……う、うん……で、でもセリスさんも怖いけど……目はいつも優しいから……それにお風呂も……いつも入れてくれるし」


 少女が尻すぼみに声を小さくする。セリスが少女にした仕打ちは恨まれて当然のものだ。だがそのセリスを少女はそれとなく庇おうとしている。なんともお人好しなことだ。


(なんつうか……DV男を庇おうとする彼女の心境なんかね?)


 莉愛はまたも理解を放棄して「そういや」と少女に次の疑問を投げた。


「お前って触るだけで人を殺せんだろ? だったらビビることねえじゃねえか? 触るぞって脅して連中から逃げちまえばいいんだよ」


 その手が使えるならここから逃げ出せるかも知れない。そう期待する莉愛に少女が「あの……えっと」と声を詰まらせながら答える。


「それは……無理なの……この首輪をしてると……悪魔の力が使えないから」


「首輪って……そのごつい奴?」


 少女の首に巻かれた無骨な首輪。少女がコクリと頷いて首輪に指先を触れさせる。


「聖なる力がある首輪だって……セリスさんが言ってた……ボクはよく分かんないけど……でもこれをつけていると……人に触っても大丈夫なの」


「聖なる力ねえ……それ自分で外せねえの?」


「ボクからは見えないんだけど……ダイヤルロックしてるとか……だから無理かも」


 莉愛は少女の答えに落胆する。ただよく考えると、たとえ触れられなくとも何か道具を使えば少女の拘束など簡単だろう。つまり首輪が外せたところで脱出などできない。


(あれ? でもセリスは首輪をつける前にこいつに触ってなかったっけ?)


 何せ混乱していためよく覚えていない。リビングでの記憶を掘り返そうとする莉愛。するとここで「あ……あの……」と初めて少女から口を開いた。会話をしたことで少し緊張が解けたのかも知れない。少女が赤い瞳を揺らしながら曖昧に笑う。


「セリスさんが言ってたけど……お姉ちゃん()その……聖女さん……なんだよね?」


「ん……まあ正確には聖女の後継者って奴だけどな……それがどうしたよ?」


「ううん……ただちょっと……思ってた聖女さんと違うなって……」


「あん?」


 ジト目になる莉愛に少女が「ご、ごめんなさい」と顔をサッと俯けた。普通に返事したつもりがまた怖がらせてしまったらしい。顔を伏せて沈黙する少女に莉愛は嘆息する。


(ん? お姉ちゃん――()?)


 妙な言い方だ。だが何となく気にはなるも、こんな言葉尻を捕まえて怯えている少女に話し掛けるのも躊躇われる。莉愛は肩を落とすと視線をまた虚ろに彷徨わせた。


(まったく……どうすりゃいいのかね?)


 セリスの話を信じるのなら即座に殺されるようなことはないようだ。セリスの目的は聖典による人類の救済。原理主義に対立する聖女もまた彼女の中では救済の対象らしい。だがその救済はあくまで彼女の目的を全面支持することが条件にある。


 セリスの信奉する聖典。それを裏切るようなことがあれば彼女は聖女にも容赦しないだろう。それは悪魔の少女に対する仕打ちからもよく分かる。殺されないまでも聖典を支持するまで精神を追い込まれるに違いない。


(だからって……聖女が人類を管理するとか……んな話を真に受けろってのもな)


 五百年前ならいざ知らず、現代において聖女という個人が人類を管理するなど不可能だ。世界の情勢をいち早く察知するインフルエンサー。その代表格でもあるセリスがその程度のことも理解できないのか。それとも理解した上でそれを実現する算段があるのか。


(どっちにしろ……きな臭いよな)


 やはりセリスからどうにかして逃げるべきか。だが逃げてどうするのか。原理主義は聖女との対話を望んでいた。だがある進展によりその必要がなくなった。その進展が何かと言うのも気になるが、重要なことは彼らがもはや聖女を躊躇なく殺せると言うことだ。


 ここを逃げ出したとして、これからその原理主義と命懸けで戦うと言うのか。これまでの聖女がそうであったように、母がそうであるように、自分もまたそうすると言うのか。その覚悟をしろと言うのか。自分は一体――


 聖女の末裔としてどうあるべきなのか。


「ああああああああ! もう!」


 莉愛は頭をガシガシと乱暴に掻きまわした。どうにもしっくりこない。まるで他人事のようにその問題に向き合うことができない。何かが違う。そうではないはずだ。この考え方には違和感がある。だがその違和感の正体が自分でも分からない。莉愛は大きく嘆息すると何の気なしにポツリと呟いた。


「こんな時に桜井とルーカスは何してんだよ。いや二人を撒いたのはアタシのほうなんだけどさ……都合よくここに現れてくれねえかな。いつもみてえにひょっこりと――」


 するとこの直後――


「はい――ひょっこり」


 聞き馴染みある声がすぐ近くから聞こえた。


 莉愛はぽかんと目を丸くして彷徨わせていた視線を正面に向ける。眼前に立つ一人の男性。銀色の髪に美形の顔立ち。皺ひとつない黒スーツ。ピンと背筋を伸ばしてイケメンスマイルを浮かべている、腹立たしいまでに普段通りのその彼は間違いなく――


 執事のルーカス・シュベルトだった。


「――う……うぎゃ――」


「いけません」


 ルーカスが素早く莉愛の口に何かをねじ込む。「むぐっ」と物理的に声を抑え込まれる莉愛。ルーカスが何やら汗を拭く素振りをして手袋に包まれた人差し指をピンと立てた。


「大声を出しては見張りに気付かれてしまいます。お静かにお願いします、リア様」


「――……ぷはっ……お、おう……そうだなって……こりゃアタシのスマホか?」


 口にねじ込まれたものを取り出すと、それは無くしていた自身のスマホであった。碧い瞳をパタパタ瞬かせて困惑する莉愛に、ルーカスが「ええ」と丁寧に一礼する。


「とある場所で発見したので拾っておきました。念のために充電も済ませてあります」


「そ、そっか……そいつは気が利くな」


 とりあえずスマホをポケットに入れて、莉愛はふと悪魔の少女を見やる。少女が顔面を蒼白にしてカタカタ震えていた。突然現れた銀髪の男に怯えているらしい。何にせよ騒ぎ立てる様子もないため、莉愛は少女からルーカスに視線を戻した。


「……それで……お前どうやってここに現れたんだよ?」


「以前もお伝えしたはずですよ。主たるリア様よりお呼びがかかれば、このルーカスは時空をも超えて即座に駆けつけると」


「いやまあ……確かに言ってたけどよ」


 そういうノリはこんなシリアスな場面でも適用されるものなのだろうか。どうにも納得できずに首を傾げる莉愛。彼女の疑問など意にも介さずルーカスが淡々と言う。


「状況はおおよそ予測できています。リア様のスマホに搭載されたGPSの位置情報を頼りに桜井さんもすぐここに駆けつけるはず。彼女と合流次第ここを脱出しましょう」


 スマホに搭載されたGPS。その事実については初耳だ。しかしこの切迫した状況でそれを追求するのもお門違いだろう。莉愛はルーカスの言葉に素直に頷いた。


 これで原理主義の連中から逃げることができる。安全な屋敷に帰ることができる。それは当然喜ばしいことだ。諸手を上げて歓喜することだ。だがどういうわけか――


 莉愛の胸中にはモヤモヤが残されていた。


「どうかされましたか、リア様?」


 莉愛の様子がおかしいことに気付いたのだろう。ルーカスが端正な眉を僅かにひそめる。莉愛は「ん……まあちょっと」と言葉を濁しながらもルーカスにポツリと尋ねた。


「……ルーカスとか桜井は……知ってたんだよな? ずっと昔から教団と原理主義が戦っていたこととか……悪魔が本当に実在していたこととかさ」


「……そうでございますか。リア様もその事実に気付かれてしまったのですね」


 ルーカスの表情が僅かに沈む。


「はい。把握しておりました。これまでその事実をお伝えせずに申し訳ありません」


「……別にそれはいいよ。言われても信じなかっただろうし。そういうことじゃなくてよ……なんかこう……アタシはこれからどうしたらいいのかなって……」


 胸の中に残り続けている違和感。それを意識しながら莉愛は言葉を吐き出していく。


「やっぱ聖女の後継者として、アタシもそういう連中と戦わなきゃダメなのかな。これからは悪魔や原理主義と戦っていくのが正しいってことなのかな」


 悪魔や原理主義と戦う。覚悟を決めるために敢えて口にした言葉。だがやはり違和感が拭えない。どうしても滑稽しか聞こえない。一体何がおかしいのか。一体何が間違っているのか。聖女の後継者としての決意。それの一体どこに――


 自分は不満を感じているのだろう。


「……リア様。恐れながら申し上げます」


 ルーカスが口を開く。彼が一体何を話すのか。それはおおかた予想できた。彼は聖女の従者だ。決意を鈍らせる聖女の後継者に彼は苦言を呈するのだろう。莉愛はそれを覚悟してルーカスを見つめた。表情を真剣にさせたルーカスが莉愛をじっと見やり――


 その表情をふっと苦笑させる。


「そのような発言は、リア様には似つかわしくないと思いますよ」


「……アタシに似つかわしくない?」


 予想外となるルーカスの言葉。莉愛はその意味が分からず首を傾げた。疑問符を浮かべる莉愛にルーカスが「そうでございましょう?」と気楽に肩をすくめる。


「聖女としてのしがらみやしきたり。リア様はそれら全てを拒絶していたではありませんか。周りに何を言われようと頑として言うことを聞かず、自分勝手に振る舞ってきたではありませんか。そのリア様が何故今更に聖女のあるべき姿を気にされるのですか?」


「それは……聖女の伝承なんて全部嘘っぱちだって思ってたから……」


「伝承が嘘であるか。はたまた真実か。それは果たして重要なことでしょうか?」


 莉愛はぽかんとする。伝承の真偽。それは重要なことではないのか。聖女として覚悟するために必要な要素ではないのか。もしそれが重要でないというのなら――


 自分にとって重要なこととは一体何なのか。


「五百年にもなる聖女の歴史。確かに歴代の聖女はその役目に殉じました」


 ルーカスが優しく微笑みながら淡々と語る。


「そしてリア様の母であるアンナ様もまた聖女として生きる決意をされました。それはリア様もご存じだったはず。それでもなおリア様は自身の未来を自身で決めようとしていたはずです。何にも縛られず自らの道を模索していたはずです。伝承の真偽など関係ない。私がよく知るリア様ならば定められた運命になど平気で唾を吐きかけるでしょう」


 それは随分な言い草だ。しかし不思議とその言葉が素直に心へと浸透する。


 ルーカスの言う通りだ。聖女となる運命。周りが定めた未来。自分はそれを拒絶していたではないか。身勝手に駄々をこねてきたではないか。それなのに伝承が真実であったからと臆してしまった。ビビッて縮こまってしまった。そのような態度は――


 我儘な秤谷莉愛らしくない。


(……違和感の正体がようやく分かった)


 聖女の後継者。その運命。一度はそれを覚悟しようとした。聖女として生きることを決意しようとした。だがお笑い草だ。何を勘違いしていたのか。一体自分はいつから――


 聖女であることに納得したというのだ。


「リア様に質問がございます。どうか心の赴くままにお答えください」


 ルーカスが大仰に手を広げる。


「あろうことかこの連中はリア様を拉致したあげくに監禁し、愚にもつかない長話を延々と聞かせてリア様を混乱させました。これは由々しき事態ですぞ。罪深き愚行でございます。さてリア様。この彼らへの落とし前、如何お付けになりましょうか?」


 ルーカスがおどけるように笑う。莉愛は従者たる彼のその意図を察して――


「――そんなの決まってんだろ」


 その表情に荒々しい笑みを浮かべた。


「やられたらやり返す。それがアタシ――秤谷莉愛のやり方だ」

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