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第四章 ホルトハウス教団2

「あんなことをした後だけれど、喫茶店で話したようにこれからもリアと呼ばせてもらうわね。それでリア。貴女はホルトハウス教団についてどれだけ知っているのかしら?」


 睡眠薬で眠らされて強制的に連れてこられた建物。そのリビングと思しき場所にて秤谷莉愛はソファに腰掛けていた。テーブルを挟んで向かいにあるソファ。そこに腰掛けている一人の女性。明るいブラウンの髪に青い瞳。天笠芹栖ことインフルエンサーのセリス。その彼女からの問いに莉愛は表情を渋くする。


「んなことより、まずここがどこだか説明しろよ。街中って感じじゃなさそうだけど?」


 リビングにある大きな窓。そこから鬱蒼とした樹々が覗いて見えた。樹々の荒れた状態から整備された庭園でもなさそうなので、この建物は街中にはないのだろう。碧い瞳を尖らせる莉愛にセリスがにこやかに微笑む。


「具体的な場所は内緒。でもそうね、私たちが所有している山の中とだけ答えておこうかしら。この建物以外これといった施設もないから人が寄りつくことなんてないわ」


「私たち?」


「そう、私たち――()()()()()()()()ね」


 莉愛はぴくりと眉を動かす。ホルトハウス教団。それは自分が所属している――正確には生まれた時から勝手に所属させられている――教団だ。仏頂面のまま困惑する莉愛。彼女の疑問に気付いたのだろう。セリスが「もっとも」と言葉を付け足す。


「リアが所属する教団と私たちとは似て非なるものよ。リアが所属する教団は私たちのことをホルトハウス原理主義と呼んでいる」


「ホルトハウス原理主義?」


「ホルトハウス教が掲げる真理を厳格に守ろうとする立場、並びその人間により構成された組織のことね。だけど私はその呼称があまり好きではないの」


 セリスが青い瞳に眼光を輝かせる。


「だってそうじゃない? ホルトハウス教の教えに厳格も何もない。それが絶対であり全てなんだから。些細であろうと教えを歪めてしまえばそれはもう別物なのよ」


「つまり――テメエらが有難がっているホルトハウス教のほうこそパチモンってことだ」


 セリスの言葉に続いて聞き覚えのない声が割り込んできた。莉愛は聞こえてきた声にジト目を向ける。セリスの背後に壁に寄り掛かった一人の男がいた。逆立てた黒髪にピアスだらけの顔面。見るからにまともでないその男に莉愛は視線を尖らせる。


「誰アンタ? いかにも社会不適合者って感じだけど?」


「ヒデエこと言うな、お前。俺は時東(ときとう)圭司(けいじ)っつう誰もが認めるまっとうな人間だよ。そうそう、お前んところの騎士さん――巨乳の姉ちゃんともお知り合いなんだぜ?」


「巨乳と言えば――桜井だな」


 何の迷いもなくそれを確信して、莉愛はふと首を傾げる。


「アンタ桜井の知り合いなん? 桜井とどういう関係なんだよ」


「一発ヤリあった仲だ」


 髪を逆立てた男――時東の思いがけない回答に莉愛は「は?」と目を丸くする。唖然とする莉愛など無視して、時東が「ああ……」どこか虚ろな瞳で表情をにやけさせる。


「あれは気持ち良かったな。互いに見つめ合いながら体を何度も重ね合わせてよ。特に俺が全力で突いてやった時にアイツから思わずこぼれた喘ぎ声。ありゃ興奮したぜ」


「……うわマジかよ」


 莉愛は素直にドン引きした。


「桜井って男の趣味悪いんだな。まあ真面目な奴ほどクズ男に引っかかるって言うし」


「……念のため補足しておくけど、ケイジが言っているのは、そちらの騎士さんと殺し合いをしたという意味よ。恐らくだけど、リアが想像していることとは違うから」


 セリスの補足に莉愛は肩をこけさせる。なんとも紛らわしい言い方だ。殺し合いという事実も物騒ではあるが、そちらの方がよほど桜井らしいと言える。


「デタラメばかり言わないでくれる? 訂正するのも面倒じゃない」


 不快げに眉をひそめるセリスに、時東が犬歯を剥いて肩をすくめた。


「俺は別に嘘なんざ吐いちゃねえよ。そっちが勝手に勘違いしてんだろうが」


「……どうして貴方のような無神経な人が私の()()なのかしら」


 セリスが自然と口にした言葉。騎士。それは現代日本では違和感ある単語だ。騎士などファンタジーの中でしか存在しない。強いて例外を上げるなら桜井だろう。聖女の後継者――リア・ホルトハウス・ヴァーゲを護衛する騎士。桜井はそれを自称している。


(こいつが……セリスの騎士?)


 セリスの苦言に「クヒヒヒ」と笑うだけの男。時東圭司。彼がセリスの騎士とはどういう意味か。ただのお遊びか。それとも桜井同様に自称か。何にせよ騎士ならば守るべき肩書きがあるはずだ。桜井がリア個人ではなく聖女の後継者を守るように、セリスの騎士である時東はセリス個人ではなく――


 一体何を守っているのだろうか。


「……話が逸れてしまったわね。本意ではないけれど混乱すると良くないから、私たちが所属する組織をホルトハウス原理主義、リアの所属する組織をホルトハウス教団と呼ばせてもらうわ。それで本題に戻すけど、ホルトハウス教団についてどれだけ知ってる?」


 二度目となるセリスの質問に莉愛は「チッ」と軽い舌打ちをする。


「……答えたら家に帰してくれんのかよ?」


「少なくともこの面倒な問答はなくなるわ」


 答えになっていないセリスの返答。莉愛は嘆息して頭をボリボリと掻いた。


「……これでも教団では聖女の後継者として育てられたんでね。大抵のことは知ってるつもりだよ。もっと詳しく答えろってなら、答えてほしい内容をそっちから言いな」


「それならホルトハウス教団の教典について話を聞かせてちょうだい」


「――世界が生まれるより遥か昔、ひとつの神が存在していた」


 幼少期より暗記させられた神話を交えた伝承――教典の内容を莉愛は口にした。


「神は秩序(ハルモニ)混沌(カオス)と呼ばれる双子を生み出して、その揺り籠として世界を創造した。神は双子に世界を管理する試練を課した。世界を管理するためハルモニは人間を含めたあらゆる生物を生み出した。ハルモニは生命による秩序で世界を管理しようとしていた」


 原文を簡潔にした要約。それをさらに噛み砕いた言葉にして莉愛はスラスラと語る。


「だがハルモニの目指した管理をカオスは拒絶した。カオスが望んでいたのは混沌による管理だった。ハルモニの秩序を破壊するためカオスは生物を喰らう悪魔を生み出した。悪魔により次々と生物が殺されていく中、ハルモニは自身の力を一人の女性に託した」


 莉愛は一呼吸の間を空けてから「その女性が――」と僅かに口調を強めた。


「聖女ビアンカだ。ビアンカはハルモニの力が封じ込められた聖剣を使用して悪魔を切り裂いた。聖剣により分断された悪魔は世界に散らばった。不死の悪魔が再び人間の脅威とならないよう、ビアンカは悪魔と戦うための組織を設立した。その組織こそ――」


「――ホルトハウス教団」


 莉愛の言葉を引き継ぐようにセリスが締めの言葉を口にした。柔らかな微笑みを浮かべているセリス。その彼女を鋭く見据えつつ莉愛は「――で?」と眉間にしわを寄せた。


「このフィクションがどうしたってんだよ?」


「フィクション……そう、リアはこれを作り話だと考えているのね」


 どこか呆れたような口調のセリスに、リアは「あたりめえだろ」と声を尖らせた。


「このご時世に、神だ悪魔だなんて一体誰が信じるってんだよ。まさかとは思うが、アタシを拉致った理由はこのフィクションと何か関係があるってんじゃねえだろうな」


「ふふ……なるほどね。よく分かったわ」


「何が分かったってんだ?」


「貴女が周囲からとても大切に育てられていたということよ」


 セリスの返答に莉愛はぽかんとする。今の話の流れから何故そのような感想につながるのか。意味がまるで分からない。十四歳まで作り話に過ぎない教団の伝承を鵜呑みにさせられてきたのだ。十四年間と周囲に騙され続けてきた自分が――


 どう解釈したら大切に育てられてきたとなるのか。


「貴女が話してくれたホルトハウス教団の教え――その教典は確かに完全ではない。だけれどフィクションでも決してない。少なくとも悪魔は実在しているのだから」


「……悪魔が実在する? 何を言うかと思えば……んな馬鹿な話があるかよ」


 セリスの不可解な発言に動揺しながらも、莉愛は無理やり笑いそう言葉を吐き捨てた。嘲笑されてなお微笑みを崩さないセリス。それが妙に腹立たしく莉愛は声を荒げる。


「今はネット主流の情報化社会だぜ!? 悪魔みてえに角や羽が生えてん奴が道端に歩いていたら、とっくの昔にネットに拡散されて晒しもんになってんだろうが!」


「悪魔は認知されて初めて存在するの」


 莉愛の怒声にまるで怯む様子なく、セリスが穏やかな言葉を淡々と紡いでいく。


「聖剣により分断された悪魔はその個々の力が当時と比較してとても弱く、自力では世界に存在することができない。意思もなく世界に溶け込んでいるだけの状態だわ。だけどその悪魔を認知することで悪魔は世界に収束する。つまり肉体を手に入れるのね」


「……認知だって?」


「量子力学のコペンハーゲン解釈というものを知っているかしら。簡単に説明すると、量子世界の物理状態はひどく曖昧だけれど観測されることで一つの状態に収束するという解釈よ。悪魔もそれと近い特性があるの。世界に曖昧に溶け込んでいる悪魔が、認知を得ることで世界に収束して存在を獲得する」


「――っ……意味わかんねえよ」


「因みに悪魔に角や羽が生えているというのは誤解よ。悪魔の姿は悪魔を認知した生物種と同じになる。犬が悪魔を認知すれば犬の姿に。魚が悪魔を認知すれば魚の姿に。そして人間が悪魔を認知すれば――悪魔は人間の姿に収束する」


「だから――意味わかんねえってんだよ!」


 淀みなくされるセリスのオカルト話に、莉愛は苛立ちのままテーブルを拳で叩いた。


「そういう御託は聞き飽きてんだ! グダグダと適当なこと言ってねえで、悪魔がいるってならこの場所に連れてきてみやがれ!」


「もちろん。だから幽閉していた彼女をこの場所に連れてきたのよ」


 セリスの返答に莉愛は荒げていた声を呑み込んだ。セリスがパンパンと手を打ち鳴らす。それが合図なのだろう。廊下から一人の少女がリビングに現れた。おかっぱの黒髪に褐色の肌。特徴的な赤い瞳。莉愛が連れてこられた部屋に一緒にいた名前のない少女だ。


 顔を俯けて肩を震わせている少女。何かに酷く怯えているようだ。どうしてあの話の流れから少女を呼んだのか。意味が分からずに唖然と少女を見つめる莉愛。するとここで廊下からまた一人の男がリビングに現れた。黒いスーツを着たガタイの良い男。男は右手に鳥かごを持っており、その鳥かごの中には一羽のインコが入れられていた。


 セリスが静かに席を立つ。直後、少女がびくりと体を震わせた。のんびりとした足取りで少女へと近づくセリス。彼女が少女の前に立ち止まり少女の首にそっと両手を伸ばす。少女の首に巻かれていた無骨な首輪。それをセリスが手慣れた様子で外した。


 セリスが首輪を外している間、少女はその場から一切動かない。ただ顔面を蒼白にして震えているだけだ。セリスが少女から外した首輪を黒スーツの男に渡して、男が持っている鳥かごのドアを開ける。鳥かごに入れられたインコを指先に止めて、セリスがゆっくりと鳥かごの外にインコを取り出した。


 少女の赤い瞳が見開かれる。咄嗟に一歩後ずさる少女。だがセリスの視線が少女に向けられると、まるで彼女の青い瞳に射竦められたように少女の足が止まった。


 セリスがインコを乗せた指を少女の肩へと近づける。カチカチと歯を鳴らすだけで身動きのできない少女。インコが何度か首を傾げた後、少女の肩にぴょんと飛び乗った。一体彼女たちは何をしているのか。莉愛がそんな疑問を抱いた次の瞬間――


 少女の肩にいたインコが破裂した。


「――な!?」


 莉愛は表情を強張らせた。突然に肉片となり飛び散ったインコ。その弾けた血が少女の頬をべったりと濡らしている。赤い瞳を見開いて全身をガタガタと震わせる少女。引きつるような呼吸を繰り返していた少女が、唐突に膝を崩してその場に座り込んだ。


「これが悪魔の力よ」


 セリスがスーツの男からハンカチを受け取り、インコの血を浴びた手を拭いながら淡々とそう話す。床にうずくまり体を震わせる少女。その赤い瞳からは大粒の涙がポロポロとこぼれていた。涙を流している少女をちらりと一瞥してセリスが言葉を続ける。


「カオスから生み出された悪魔とハルモニ様から生み出された生物(わたしたち)は互いの力が反発している。その両者が接触すると力の弱いほうが反発する力に耐えきれず体をバラバラにされるの。聖剣により分断されたとはいえ悪魔の力は絶大。大抵は生物のほうが死ぬわね」


「……そのガキが?」


「そう――悪魔よ」


 セリスがひどくあっさりと答える。


「この子は半年前に私が認知したことで世界に収束した悪魔よ。だから人の形をしているのね。それ以来、周りに被害が及ばないように私が責任をもって管理している」


「……管理だって?」


「普段は家に閉じ込めているの。今日は貴女に会わせるため連れてきたけどね。まだ信じられないようなら、この子の腕を切り落としてみましょうか? 悪魔ならその程度で死んだりしない。痛みぐらいは感じると思うけど」


 セリスのこの発言に時東が笑みをニンマリと歪める。冗談で話しているのではない。少なくとも時東は指示があればそれを躊躇なくするだろう。莉愛はそう直感して表情を青ざめさせた。莉愛の反応に気付いたのだろう。セリスの微笑みに満足げな気配が浮かぶ。


「納得してくれたようで嬉しいわ。それでは話を進めさせてもらうわね。ただその前に少しだけ待ってちょうだい。この子に首輪をはめてあげないといけないから」


 セリスがスーツの男に預けていた首輪を受け取り少女の傍に屈みこむ。未だうずくまり涙を流している少女。セリスがふっと苦笑して少女の血に濡れた頬を撫でる。


「本当に仕方のない子ね。何度も話しているでしょ。貴女は悲しんではいけないの」


「もう……こんなの……いやだよ……」


 少女から掠れた声がこぼれる。少女の涙は誰に向けられたものか。少女のこぼした言葉は誰を想うがゆえのものか。もしそれが自身の殺したインコだというのなら――


 少女はあまりに悪魔らしくない。


「貴女は悪魔なのよ」


 莉愛の胸中に浮かんだ疑問に答えるようにセリスがその言葉を少女に告げる。


「貴女の悲しみは教えに反したものよ。貴女は悪魔としての役割を全うしなければならない。それが悪魔である貴女が救済される唯一の方法なのよ。貴女に殺された動物たちもそのための犠牲。教えのために命を捧げた彼らもまたその魂がきっと救済されたはずよ」


 セリスが少女の頬から手を離して、少女の首に首輪をつけ始める。


「血で汚れてしまったわね。後で体を拭いてあげるわ。服も着替えましょう。辛いことだとは思うけれど一緒に乗り越えましょうね」


 莉愛は絶句する。セリスは一体何を話しているのか。一体何がしたいのか。セリスが少女に語る言葉。それは優しさに溢れていた。少女を想う気持ちに満ちていた。憎悪や侮蔑など感じられない。だからこそ平然と行われる少女への残酷な仕打ちが理解できない。


 ただ何となく感じるものがある。天笠芹栖。彼女は普通とは根本的に思考回路が異なるのだ。信頼する常識も。嫌悪する非常識も。一般と決して交わらない。ゆえに彼女の一語一句、一挙手一投足に、寒気を覚えるのだろう。


「さてと……前置きが長くなってしまったわね。貴女がフィクションだと話していたホルトハウス教の教典。それが事実に基づいたものだということは理解してくれたと思うわ。だけどそれだけでは不完全なの。理解すべきは教典ではなく――()()なのよ」


 少女に首輪をつけ終えたセリスが、その場に立ち上がりながらそう話す。教典に記された悪魔の存在。莉愛はそれを完全に信じたわけではない。だがそれをまた口にすればセリスは本当に少女の腕を切り落としかねない。莉愛はそう考えて言葉を呑み込んだ。


「教典は大筋で事実を伝えている。ただし重要な節がひとつだけ抜け落ちているの。人類が救済されるための唯一の道筋。それを示すために聖女ビアンカが教典に記した最後の節。彼女が最も伝えたかったその内容が――」


 セリスの青い瞳が静かに細められていく。


「全人類はホルトハウス教団の管理下に置かれなければならない。ホルトハウス教団の管理を拒絶するモノが世界に存在してはならない。その契りが守られる限り、聖女の偉大なる力は悪魔の脅威を退け、人類を永劫なる安息へと導くだろう」


 莉愛の背筋がゾクリと凍えた。


 セリスが語る教典の真実。ホルトハウス教団に隠された意志。全人類を管理するという理想。それはもはや独裁者の発言だ。カルト宗教にありがちな狂気じみた思想だ。悪魔を討伐した聖女ビアンカ。その彼女に漠然と抱いていた印象。セリスの語る真実は――


 聖女ビアンカのその印象とあまりにかけ離れていた。


「これが五百年前に掲げられた真実の教典――私たちは聖典と呼んでいるわ。だけど現在のホルトハウス教団はその聖典を歪めて伝えてしまっている。これでは聖女ビアンカが望んだ救済は人類にもたらされることがない」


「……そんなの……デタラメだ」


 莉愛は言葉を絞り出した。明らかに動揺している莉愛にセリスがクスリと笑う。


「信じたくない気持ちも無理ないわ。生まれてからずっと歪んだ教典を教えられてきたのだからね。でもこれは紛れもない真実。それはリアの母――現聖女であるアンナ・ホルトハウス・ヴァーゲも認めているわ。だからこそ教団は私たちを弾圧してきたの」


「……弾圧?」


「五百年もの長い年月の中、教団はいつしか聖女ビアンカの意志よりも社会の協調性を重んじるようになった。社会という権力に屈したということね。ゆえに教団は聖女ビアンカの意志を危険思想だとして、私たち原理主義の弾圧を始めた。教団と原理主義の戦いは三百年も前に始まり今なお続いている」


「それじゃあ……母様も?」


 莉愛からこぼれた疑問にセリスが「もちろん例外じゃない」とあっさり頷く。


「むしろ聖女アンナは原理主義の人間にとって最大の脅威だった。彼女は歴代を通しても最高峰の力を有した聖女よ。事実、彼女により原理主義は十年前に一度解体させられた」


「そんなはずない……聖女なんて呼ばれているけどあの人は……普通の母親だ」


 莉愛は声を絞り出す。幼い頃より母親の教育を受けてきた。それは時に厳しいものであり、聖女の教育を拒絶した今においても、母親は唯一逆らうことのできない人である。


 だが特別な人だと思ったことなどない。聖女という立場ではあるが、あの人は普通の母親であったはずだ。悪いことをすれば叱り正しいことをすれば褒めてくれる。自作した味噌や野菜を近所に販売して喜んでいる。そんな母親だ。最高峰の力を有した聖女。原理主義との戦い。そのような言葉など――


 普通の母親であるあの人に似合わない。


「すぐに理解してくれなくてもいい。ただこれだけは注意して聞いてちょうだい」


 セリスが唇の前に人差し指を立てて話す。


「一度解体された原理主義は新たな形で生まれ変わり活動を再開させた。そして新たな原理主義は大きく変化した点が一つある。それが一枚岩ではなくなったこと」


「……一枚岩?」


「幾つかの派閥ができたということ。私たちもその一つね。各派閥は原理主義という根本的な思想は共有しているけれど、細かな点で意見を違えている。顕著なのが聖女や悪魔に対する認識ね。派閥の中には歪んだ教典に従う聖女を――敵視している者もいる」


 セリスが唇の前に立てた人差し指を莉愛へと傾ける。莉愛に向けられたセリスの人差し指。その先端が莉愛の心臓を突き刺す。じんわり汗を滲ませる莉愛にセリスが微笑する。


「これまで原理主義は聖女と対立こそしていたけれど、聖女を敵視することはなかった。なぜなら原理主義の理想には聖女の存在が必要不可欠だから。ゆえに原理主義はあくまで聖女との対話を試みていたの。でもある進展により――その必要がなくなった」


「……それじゃあアタシは?」


「そう……貴女はいつ殺されてもおかしくない状況にある。例えばそう――今とかね」


 セリスが人差し指を「バァン」と跳ねさせる。拳銃を真似た仕草。当然弾など出ない。だが莉愛は思わず息を止めた。セリスがクスクスと肩を揺らして人差し指を下ろす。


「安心して。私たちは貴女を殺すつもりなんかない。むしろ貴女を守るつもりよ。私は全員を救済してあげたいの。世界に破滅をもたらす悪魔であろうと、歪んだ教典に染められた聖女であろうとね。それが聖女ビアンカの意志だと信じているから」


「……だったらどうしてアタシを拉致ったんだよ?」


「何も知らない貴女に注意喚起をしてあげたくてね。そして歪められた教典ではなく私たちの聖典を貴女にも支持して欲しい。権力に屈した罪深き聖女の末裔。だけど今からでも聖典に従い行動を改めれば、慈悲深き聖女ビアンカはきっと貴女をお許しになるわ」


 セリスが小さく嘆息して苦笑する。


「今日はここまでにしましょう。話の続きはまた今度。リアも色々なことを一度に聞いて話を整理する時間が必要でしょ? 部屋でゆっくりと体と頭を休めるといいわ。ただ明日の早朝にはここを移動するつもりだから、夜更かしして寝坊しないようにしてね」


 セリスがゆったりと歩き出す。リビングから出ていくつもりだろう。廊下に面した扉へと近づいていくセリス。淀みなく進んでいた彼女の足がふと止まる。


「そうそう――大丈夫だと思うけれど」


 セリスがクルリと振り返る。


「逃げたりなんかしないでね。私はリアと仲良くしたいだけなんだから。もしその気持ちを裏切られたりでもしたら、私はリアのことを嫌いになってしまうかも知れない」


 そう話してセリスがニコリと微笑んだ。

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