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プロローグ

「世界が生まれるより遥か昔、ひとつの神が存在していました」


 鈴を転がすような声で少女は語る。


「全知全能の神はある時、自らの力を二分して双子を生み出しました。その双子とは秩序(ハルモニ)混沌(カオス)です。神から生み出された双子は全知全能ではなく、しかし強大な力を有しておりました。ただ稚児である双子はまだその力を正しく扱うことができませんでした」


 白を基調とした清潔な部屋の中。少女の紡ぐ声だけが緩やかに反響する。白いカーテンが引かれた窓。そこから差し込む温かな日差しと涼やかな風。少女の腰まで伸びた金色の髪が、日差しを反射してキラキラと輝き、風に揺られてふわりと膨らむ。


「神は双子を育てるために、揺り籠となる世界を生み出しました。大地を土台にして山と海を置き、空には無数の星々をちりばめたのです。揺り籠となるその世界はとても美しいもので双子はすくすくと成長しました」


 少女がここで一旦口をつぐむ。先の内容を忘れたわけではない。ただ呼吸を整えているだけだ。少女が生まれてより十四年。一日も欠かすことなく聞かされてきた話。五百年前より語り継がれてきた神話。それはすでに少女の血肉となり染みついている。忘れようにも忘れられるはずもない。少女が碧い瞳を瞬きさせて桜色の唇を再び開いた。


「時が流れて双子は成熟を果たしました。そこで神は強大な力を扱えるようになった双子に一つの試練を課します。その試練とは揺り籠である世界を管理していくことです。そして、世界をより良くした片割れを新たな神とすると、そう話しました」


 背筋を伸ばして言葉を紡ぐ少女。その彼女の目の前には一人の女性がいた。簡素な丸椅子に腰かけた美しい女性。金色の髪に碧い瞳。透き通るような白肌に薄紅色の唇。少女によく似たその美しい女性が、表情を真剣なものにして少女の言葉を静かに聞いている。


「神の試練を受けて、双子の片割れであるハルモニは自らの一部を分離して、星の数にも負けない生命を生み出しました。そして魚やクジラを海に放ち、狼やウサギを山に放ちました。広大な世界を管理するためには生命による秩序こそが重要だとハルモニは考えたのです。そして多くの生命を生み出したハルモニは最後――人間を生み出しました」


 少女により淀みなく紡がれる言葉。だがその言葉の意味を理解できる者は数少ないだろう。なぜなら少女が紡いでいるその言葉は、少女が暮らしているこの国――日本国の言語ではないからだ。少女が紡いでいる異国の言葉。それは神話の発祥地となる国――


 ドイツ言語により構成されている。


「ハルモニの生み出した生命は瞬く間に世界へと広がり、ハルモニの思惑通り秩序をもたらしました。数多な生命による世界の管理。しかし双子の片割れであるカオスは、ハルモニのもたらした秩序を快く思いませんでした」


 ここでまた少女が一呼吸の間を置く。少女の言葉に耳を傾けていた女性がその碧い瞳をゆっくりと瞬きさせた。女性の濁りない碧い瞳。自身よりも鮮やかなその瞳を見据えながら少女が言葉を再開させる。


「カオスは混沌による支配こそが世界を管理する術だと考えていました。世界の在り方について対立したカオスは、ハルモニの生み出した生命による秩序の破壊を目論みます。そしてカオスは生命の天敵である――悪魔を生み出したのです」


 少女の口調が僅かに沈む。それは誰もが気付かない微細な変化だった。だが話を聞いていた女性はその変化に気付いたのだろう。女性の形の良い眉がピクリと揺れた。


「カオスの生み出した悪魔は世界中の生命を次々と喰らいました。ハルモニから生み出された無数の生命。その分散された個々の力は唯一である悪魔の力には遠く及ばなかったのです。このままでは築き上げた秩序が崩壊する。それを危惧したハルモニは自らの力を封じ込めた聖剣を生み出し、神の力を扱える特別な人間に与えました。その人間とは――」


 少女が慎重にその名前を口にする。


「ビアンカ・ホルトハウス。以降今日まで、初代聖女として語り継がれる女性です」


 少女の碧い瞳が小さく震えた。初代聖女。ビアンカ・ホルトハウス。その偉大な名前は否応にも少女を緊張させた。少女の動揺にまたも眉を揺らす女性。これまでになく長い間を空けてから少女が再び口を開く。


「聖女ビアンカはハルモニの力が封じ込められた聖剣により悪魔を討伐しました。しかし聖剣にその身を切り裂かれた悪魔は自身の欠片を世界中へと散りばめたのです。いずれ悪魔の欠片が再び世界に災いをもたらす。それを悟った聖女ビアンカは悪魔と戦うための組織を設立しました。その組織こそが私たちが身を捧げる教団――」


 少女の口調が一段と上がる。


「ホルトハウス教団です。聖女とともに悪魔打倒を目的として設立された教団は、ハルモニ様の意志を引き継ぎ、必ずや私たち人類を救済する光となるでしょう」


 少女が口を閉ざす。謳うように流れていた少女の声。穏やかながら力あるその声が沈黙することで部屋に無機質な静寂が訪れる。丸椅子に腰かけた女性を見つめる少女。まるで吟味するように碧い瞳をゆっくり瞬かせて、女性が薄紅色の唇を開いた。


「話の途中、所々で感情の揺らぎが見られたわね。例えそれが僅かな動揺でも、それは教団を信じる方々を不安にさせかねない。以後気を付けなさい」


 日本語で告げられた女性の苦言。少女が小さく肩を落として「……申し訳ありません」と女性同様に日本語で謝罪した。しばしの間。女性が静かに溜息を吐いて――


 その表情に柔らかな微笑みを浮かべる。


「だけど――概ね良く話せていたわ。先程の話は教典を要約したものに過ぎず、教団の教義を全て網羅しているとは言い難い。しかし()()()()()()、大勢の前でそれを語る機会は幾度もあるでしょう。今後もそれを自覚して練習を怠らないようにね」


「は――はい。ありがとうございます」


 滅多に褒めることがない女性。その彼女から送られたささやかな賛辞。それが嬉しかったのか、少女が頭を下げながら頬をほんのりと赤らめた。女性が丸椅子からゆっくりと腰を上げる。そして少女へと一歩近づいて、少女の赤らんだ頬にそっと手を触れさせた。


「……早いものね。あの小さかった貴女があと六年で成人を迎えるのだから」


「……そうですね」


「貴女には申し訳ないと思っているわ」


 少女が首を傾げる。女性の言葉を理解できなかったのだろう。困惑している少女の頬を優しく撫でながら女性が小さく溜息を吐く。


「貴女の年齢ならば本来、学校へと通い同年代の友達と過ごしているはず。しかし私が貴女に宿命を背負わせたばかりに、学校にも通えず自由に外出することもできない。私は貴女に恨まれても仕方のない女よ。それなのに貴女は文句の一つもなく、私の期待に応えようとしてくれている。今更ではあるけど――貴女には感謝している」


「そんな……止めてください! 感謝しているのは私のほうなのですから!」


 思いもよらない女性の告白。その言葉に溢れる涙を堪えながら少女は頭を振った。


「私は自分の宿命を恨んだことなど一度たりとありません! むしろ誇りに感じて生きてきました! その気持ちはこれからも決して変わらないと断言できます!」


「……その言葉は貴女の本心なの?」


「もちろん偽りのない本心です!」


 自身の胸に手を当てて――


 少女が力強く宣言する。


「今ここで私は誓います。私は必ずやお母様――聖女アンナ・ホルトハウス・ヴァーゲ様の意志を受け継ぎ、聖女の後継者としてその運命を全ういたします。どうか私が立派な聖女として自立できるよう、これからも厳しく指導をつけてください」


「……分かったわ」


 碧い瞳の女性――少女の実母である聖女アンナ・ホルトハウス・ヴァーゲが小さく頷いた。少女の頬に触れていた女性の手。その手がゆっくりと離れていき――


 女性の表情がキリリと引き締められる。


「もとより甘やかす気などないわ。覚悟しなさいね、リア」


 敬愛する母の言葉に――


 聖女の後継者である少女――


 リア・ホルトハウス・ヴァーゲは――


「はい、お母様」


 そう力強く頷いた。

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