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エピローグ


 空は穏やかな青を湛えて、遠くのビル群を柔らかい光で包んでいる。


 大震災の痛みを抱えた街だけど、今は平和な空気が流れているように感じる。

 僕は学校の正門を抜け、いつものようにグラウンド脇を歩く。すると、軽くジャージ姿の生徒が手を振ってきて、僕も小さく頷き返す。

 以前の僕なら、こんな日常のひとコマにも興味を示さず通り過ぎていたかもしれない。けれど今は、見る景色がどこか違う。守りたいものがある、そう思うだけで、同じ風景なのに輝いて見えるから不思議だ。


 校舎の玄関を入ると、すれ違うクラスメイトがちらちら僕のほうを見ているのがわかる。正直、屋上を派手に壊した件があっという間に広まって、大騒ぎになった。窓が割れて天井がひび割れて、扉まで吹き飛んだとか、いろんな尾ひれが付いて噂されている。

 それも当然かもしれない。たとえニュースにならなかったとしても、生徒たちの目は誤魔化せない。

 けれど、怖がられているというよりは、“何かすごいことをやらかした謎のヒーロー”的な奇妙な注目に包まれているようだ。


「おはよう。昨日の特訓はどうだった?」


 そう声をかけてきたのは橘凛。彼女はいつものロングヘアをゆるくまとめていて、快活な笑みを浮かべている。まるで大きな山を乗り越えたあとの安堵感を讃えているみたいだ。

 僕はかすかに苦笑いしながら小声で返事をする。


「うーん、まだ手探りだけど、だいぶマシになったかな。圭の“干渉”に俺が“創造”で合わせるやり方、結構うまくいってる」

「そっか。よかった」


 凛はほっとしたように胸を撫で下ろす。彼女も相当気を張ってくれているのだろう。

 あの夜の“和解”――というか、圭の再出発を見届けてから、僕たちは三人で協力して訓練を続けている。正直、圭が一夜にしてすべてを受け入れられるわけじゃない。でも、少なくとも「奪うしかない」と言い張っていたときの殺伐とした雰囲気は薄れ、今は消耗しながらも模索している感じだ。

 そこに凛が加わってくれるのが大きい。

 彼女は僕だけじゃなく、圭の痛みまで受け止めようとする。

 例の明るいポジティブ思考で、少しずつ圭の頑固な殻を溶かしている気がする。


「圭は今日、遅刻してくるかな。朝から校舎裏でまた練習してるかもしれない」

「さすがに朝からはやめてほしいな。先生に見つかるといろいろ面倒だし」


 そんな会話をしていると、廊下をふらりと歩く圭の姿が見える。以前はプラチナブロンドがギラついていて威圧感があったけど、いまは少し落ち着いて見えるのが不思議だ。

 気配に気づいたのか、圭はこちらに目を向けてくる。その灰色の瞳には、わずかな疲労がにじんでいる。けれど、もう敵意は感じられない。


「おはよう」


 凛がにこやかに声をかけると、圭はちょっとだけ視線をそらして気まずそうに返事をする。


「……おはよう。昨日よりはうまく眠れた」


 何とも素っ気ないけど、圭なりの精一杯だとわかる。その雰囲気に気づいてか、凛はくすっと笑う。

 廊下の向こうで何人かの生徒が圭を見てざわめいているが、彼は気にしていない様子だ。かつての彼なら「見るんじゃねえ」とばかりに睨み返していただろうから、その変化に僕は少し驚いている。


「無理はするなよ、圭。お前、まだ自分の力を完全に制御できたわけじゃないんだろ?」

「言われなくてもわかってる。…けど、じっとしてたら何も変わらないだろ」


 胸の奥が少しだけ熱くなる。圭は復讐を糧にここまで来た。だけど今は、自分の父親が“暴走”し、言霊を封じきれず大惨事を引き起こした事実に向き合おうとしている。その重圧は相当だろう。

 なのに彼はそれを抱えながら、前に進もうとしているんだ。


「また放課後に三人で練習しようよ。昨日やった合わせ技、もうちょっと上手くいきそう」


 凛が希望に満ちた声で提案してくれる。僕は頷くが、圭は少し黙ってから顔を背けるように「…別にいい」とつぶやく。実質OKってことだろう。そっぽを向きながらも圭の声がかすかに弾んでいる気がするのは、気のせいじゃないと思う。


「じゃ、また後でね」


 凛が手を振って教室へ向かう。僕もクラスが違う圭と別れ、教室のドアを開ける。中に入ると、一瞬ざわっとした空気が走るけど、すぐにいつもの騒がしさが戻る。みんななりに、あれこれ言いたいことはあるんだろうが、特に突っかかってはこない。おかげで僕としては助かる。変に取り巻きができても困るし、同情されても居心地が悪い。


 自席に座ると、隣の男子がこっそり話しかけてくる。


「お前、あの篠宮ってやつと仲いいの? 一時期めっちゃケンカしてたよな」

「べつに仲がいいわけじゃない。ちょっと話し合いする用事があっただけだよ」

「ふーん。…ま、あんまり変な事件起こすなよ。お前らのケンカって桁違いだからさ」


 軽口めかして笑ってくるので、僕も苦笑いを返す。

 まったくそのとおりだ。

 かつては屋上を崩壊させかけたわけだし、今も油断すれば大騒ぎにつながりかねない。


 授業が始まると、いつも通り先生の声をノートに書き写す作業が始まる。だけど、僕の中にある緊張感は以前よりも和らいでいる。母さんが暴走の首謀者じゃなかったと確信できたことが大きい。

 そして、あの震災が“封印の失敗”であった事実も知ったことで、僕自身の力を守りに使う勇気が湧いてきた。


 やがて昼休みになると、凛がさっそく僕のクラスへ来て、「ご飯食べよ」と笑顔で誘ってくれる。廊下を歩いていると、圭が律儀に待っていた。何やらバツが悪そうに腕を組んでいるけど、僕と目が合うと軽く会釈をする。


「おい、どこで食べるんだ?」

「え、まさか一緒に昼飯か?」

「他に行くあてがあるかよ。食堂は人が多すぎて落ち着かない」

「そ、そうか。じゃあ屋上……はやめたほうがいいな」


 僕が言いかけて、凛も「そうだね」と同時に頷く。さすがに屋上は、これまでの“戦場”みたいなイメージが強く、まだ立ち入り禁止の張り紙まで貼られている。工事中と称して修理が始まるらしい。職員室が騒然となっていたのは言うまでもない。


「なら、校舎裏の地味な休憩スペースでいいんじゃない? 草むしり大会してるとき以外は誰も来ないし」

「相変わらずだな、凛は」


 僕は苦笑いを浮かべ、圭を促すように歩き出す。校舎裏には割と広めの空間があって、行事の時などは簡易ステージやらいろんな備品を置くために使われることが多い。ふだんは誰もいないからこそ、僕たちは“特訓場”としても利用していた。


 日光がほどよく差し込むその場所で、三人並んで腰を下ろす。凛は手際よくお弁当を広げ、僕は購買で買ったパンを取り出す。圭はふと思案げに黙ったままだが、ポケットからコンビニのおにぎりを取り出した。


「そういえば、まともに三人でご飯食べるのは初めてかも」


 凛が笑いかけると、圭はぎこちなく視線を落とす。


「……悪いかよ」

「別に。いいと思うよ。そういう普通のことをするのが大事なんじゃない?」


 凛はさらりと言う。そこに含みがあるわけじゃなさそうだが、僕は圭の心情を考えて少しハラハラする。しかし彼は何も言わず、おにぎりの包装を丁寧にむいてかじり始めた。

 ふつうの高校生っぽい仕草を見ていると、彼もまた僕らと同じ十七歳なんだと実感する。


「お前、いつもコンビニ弁当か?」


 思わずそう尋ねると、圭は「実家を出たからな」と素っ気なく答える。


「今は一人暮らしに近い。篠宮家は没落したとかいわれてるけど、元々そんな大きい家柄でもなかったし、昔の遺産もほとんど残ってない。便利だろ、どこに移動しても大した荷物がないから」

「…そっか」


 その言葉の裏にある寂しさに、僕と凛は気づいている。だけど何も言わない。圭だって、今さら同情されても困るだろうし、必要以上に踏み込むのは気が引ける。

 ただ、僕は内心で「いつか圭がもう少し楽になれるといい」と願わずにいられない。


 しばらく黙々と食べ進めていると、凛が話題を変えるように切り出す。


「ねえ、次の週末に町の復興祭があるよね。行ってみない?」

「ああ、毎年この時期にやってるやつか。震災からの復興を祈願して、いろんな出店が並ぶ祭りだろ?」

「そうそう。今年は例年以上に盛大らしいよ。噂だと花火が上がるかもって」


 凛が楽しそうに話すと、圭は小さく口元を歪める。


「そんな祭り、行ったことない。……人の多い場所は苦手なんだよ」

「でも、せっかくの機会だし、たまには気分転換に行ってみるのはどうかな?」


 凛の目が輝いている。僕も誘いの意図を察して、補足を入れる。


「復興祭って言葉の通り、震災を乗り越えようっていう象徴的なイベントだしな。俺たちみたいな過去を引きずってる人間こそ、参加してもいいんじゃないか。後ろ向きなイメージだけじゃなくて、前向きに捉える意味で」


 圭はしばらくおにぎりを噛みながら黙っていたが、やがて「勝手にしろ」とぼそり。どうやら断りではないらしい。凛が「じゃあ決まりだね!」と嬉しそうに手を叩く。


「圭が来るなら、私も行く価値あるし! 蓮と二人きりで行くと、彼は人ごみが苦手で逃げだしそうだから」

「おい、それは失礼だな。俺は意外と祭り好きなんだぞ?」

「いやあ、どうだか。去年も途中で疲れて座り込んでたよね」

「そんな昔の話を蒸し返すなよ」


 凛と軽口を交わしていると、圭が小さくクスッとしたように見えた。はっきりと笑ったわけではない。でも、かすかな微笑みを浮かべたように口角が動いた。その一瞬を見逃さなかった僕は、こそばゆい気持ちになりながらも、何とか話題を続けようとする。


「そういえば、町中も少しずつ震災の傷が減ってきたよな。去年、新しく建った商業ビルとか、この辺だとかなりのにぎわいを見せてる」

「そうだね。地盤が弱い地域は今も工事が続いてるけど、確実に前に進んでる気がする」

「……あの震災から十五年か。早いのか遅いのかわからないけど」


 圭の口調が静かだ。彼がどんな思いでここまで来たのか、全部は測り知れない。僕だって母を失って、ずっと何かを避けるように平凡に生きてきた。


 だけど、今は圭と凛とこうやって一緒に昼飯を食べている。わずかでも笑い合って、次の週末には復興祭に行くかもしれない。信じられないような現実が、ここにある。


「こうして三人で話してるの、たまに“嘘みたい”って思うよね」


 凛が感慨深そうに呟く。僕も圭も、言葉にならない複雑な表情を見せて視線を交わす。少し前まで殺伐とした対立しかなかったのに、今は過去を共有し合って、未来を模索している。


「終わらせるんじゃなくて、受け止めて次に繋げる。……母さんも、それを望んでいたんだと思う」


 小さく口にすると、圭がかすかに息を吸うのがわかる。凛は静かにうなずきながら、僕の言葉を噛みしめる。お互いの過去は変えられないけど、だからこそ僕たちはこの先の時間を手探りで進んでいくしかない。


「戻るか。昼休み、もう終わる」


 圭がそう言って立ち上がる。僕と凛も慌てて弁当の残りをしまって腰を上げる。すると、ふと圭が口を開く。


「……放課後、校舎裏に集合だ。お前らに見せたいものがある」

「え、なにそれ? ヒントちょうだい」


 凛が目を輝かせると、圭は無表情のまま視線をそらす。


「細かいことは後で言う。干渉の言霊をどう使うか、少しだけわかってきたからな」

「わかった。楽しみにしてる」


 期待を込めて答えると、圭は照れくさそうに鼻を鳴らして先に歩き出す。その背中を見送りながら、僕は心の中に小さな感動を覚える。

 あの圭が、自分から何かを“見せたい”なんて言うようになるなんて。ほんの数週間前まで考えられなかったことだ。


 午後の授業をどうにかやり過ごし、チャイムが鳴ると同時に凛と僕は校舎裏へ向かう。陽が西に傾き始め、オレンジ色の光がコンクリートの壁を染めている。

 そこにはもう圭が待っていて、例のプラチナブロンドが夕陽に照らされている。


「おっ、待ってたよ。で、何をやるの?」


 凛がワクワクと尋ねると、圭はやや恥ずかしげに目を伏せ、ポケットから小さなペン型のものを取り出す。


「とりあえず、これを床に置く。……あまり大したものじゃないけど、俺なりに干渉の言霊をコントロールしてみた結果だ」


 彼がペンを地面に置き、静かに息を整える。僕と凛は固唾をのんで見守る。すると圭は低く囁くように言葉を紡ぐ。


「干渉――“浮かべ”」


 なんだか聞き慣れない命令だけど、次の瞬間、ペンがふわりと宙に浮いた。ほんの数センチだけど、まるで重力を無視するみたいに柔らかな動きで上昇している。それだけじゃなく、圭が指先を動かすたびにくるくると回転して、まるで小さなドローンのように上下左右に浮遊している。


「すごい!」


 凛が歓声を上げる。僕も思わず目を丸くしてしまう。圭はやや照れながらも、集中を切らさないようにじっとペンを見つめている。


「本来、干渉の力は他人の言霊を奪う形で発動しやすいんだが、対象が“物”なら被害は少ない。こうやって穏やかに介入すれば、コントロールも難しくない」


 圭の声は落ち着いていて、先日までの殺伐とした様子からは想像もつかないほど。ペンはスルスルと動いて、やがて凛の手元へと近づいていく。彼女は「怖い怖い」と言いながらも楽しそうに受け取り、まじまじと観察している。


「干渉の言霊の使い方って、暴走すると本当に何でも壊しそうなのに、こんな優しい使い方もできるんだね」

「練習すれば、力を無闇に拡大するだけじゃない方法が見えてくる。……まあ、まだ小さな物しか扱えないが」


 圭は苦笑まじりに言う。彼なりの自信の表れに見える。それがすごく嬉しくて、僕は彼の肩を軽く叩く。


「いいじゃん。上出来だよ。俺だってまだ“創造”を制御しきれないのに、ずいぶん先を行かれた気分だ」

「調子に乗るなよ。お前にはお前の役目がある。誰かを守る力を伸ばしたいんだろ? なら、とっとと次の段階に進んでくれ」


 きつい口調だけど、以前の棘は感じられない。むしろ、多少の友情めいたものが混じっているように思えるのは気のせいじゃないはず。


「じゃあ私も手伝うよ! 蓮はいつも“花を出す”って言ってもサボテンだし、“水”って言ってもスライムだから。でもそろそろ本物を出せるようになってほしい!」

「そうだな、なんとか“まとも”な花を咲かせてみるか」


 僕は笑いながら、自分の声を整える。守るために力を使う――その気持ちを忘れないよう心がけながら、ゆっくり言葉を吐き出す。


「言霊――“花、咲け”」


 空気がかすかに震える。ほんの少し前なら、サボテンやスライムといった奇妙な生き物が出てきて、現場を大混乱にしていたかもしれない。

 しかし今回は、足元のコンクリートの隙間から白い花のつぼみがぴょこんと顔を出す。


「わ……成功!」


 凛が嬉しそうに声を上げる。だけど、そのつぼみは小刻みに揺れているだけで、まだ花弁を開こうとしない。僕は「もうひと声かな」と思いながら、緩やかに気持ちを込めてつぶやく。


「……咲いてくれ」


 すると、かすかな揺れとともに白い花弁がそっと開き始める。形の整った四枚の花びらがゆっくり広がって、中心部が淡い黄緑に染まっている。可憐で小さな花だ。コンクリートの隙間から顔を出したその姿は、ほんの少し不思議な光を帯びて見える。


「わあ、綺麗。これならタピオカにも見えないね!」

「おい、今までタピオカ扱いしてたのかよ……」


 凛の冗談めいた言葉に突っ込みを入れつつも、僕は胸がじんと温かくなる。母さんが望んでいたのは、きっとこういうことなんだろう。力を誰かに振りかざすためじゃなく、守りたいものや育みたいものを生み出すために使う。それが本来の“創造の言霊”の姿だ。


 横で圭がふと花に目をやる。冷やかし半分かと思いきや、彼の表情は穏やかで、しかし複雑な思いを隠せないようにも見える。


「お前が出した花に、俺の干渉を少しだけ施したら、もっと強く咲くのかもな。…実験していいか?」

「うん、やってみて!」


 凛が嬉しそうに言う。圭はペンを浮かせたときのように落ち着いた動きで、わずかに手をかざす。


「干渉――“支えろ”」


 小さな声とともに、白い花の根元にほのかな光の層が生まれる。まるで栄養を与えるような優しい干渉だ。すると、花の茎が少し伸びて、花弁もさらに開ききる。繊細な葉がついて、まるで息を吹き返したような生命感に包まれていく。


「うわあ、すごい。なんかどんどん元気になってる!」


 凛が拍手をしそうな勢いで喜ぶ。僕は目の前の奇跡に言葉を失っている。圭の干渉って、奪うことや壊すことが得意なはずなのに、こうやって支えることもできるんだ。

 力の本質は、使い手の心ひとつでいくらでも変わる。それがいま、はっきりと目の前に示されている。


「……やればできるじゃん、圭」


 軽い冗談めかして声をかけると、彼は不機嫌そうに顔を背けるものの、唇の端がかすかに上がっている。


「調子に乗るな。まだまだ実験段階だ」

「よーし、せっかくだし、もっと大きな花も咲かせようよ!」


 凛が勢いに乗ってはしゃぐ。僕と圭は苦笑しながらも、彼女のテンションに引きずられる形で再び力を試し始める。


 夕陽がさらに傾き、空が薄紅色に染まるころ、校舎裏には新たに生まれた数輪の花が咲いていた。まだ形も大きさもまちまちで、圭の干渉が加わったせいか、不思議な色彩を帯びた花もある。それでも、その全部が穏やかな存在感を放っているのがわかる。かつて、この空き地ではスライムやら暴風やらが暴れまわっていたなんて思えないほどに。


「いい景色だね」


 凛は夕焼けに照らされる花を見つめながら、静かにつぶやく。僕は隣でその横顔を見守る。

 今日は特に大きな事件が起きたわけじゃない。ただ、圭と少しだけ理解し合い、力の正しい使い道を模索する一歩を踏み出せた。それが何より大きな前進だと感じる。


「蓮、どう思う? 今の気分」


 凛が不意に問いかけてくる。僕はほんの少し考えて、母さんのことを思い出す。あの日、炎と瓦礫の中で僕を守ろうとしてくれた背中。それが指し示していたのは、おそらくこういう光景だったんだと思う。誰かが誰かを支え、力を使うなら優しさに繋げようとする未来。


「悪くない。むしろ、すごくいい感じだ」


 そう返すと、凛はにこっと笑い、圭はちょっと拗ねたように「俺を褒めるつもりなら直接言え」とぼやく。その何気ないやり取りが、かけがえのない日常に思えてくる。


「ねえ、週末の復興祭。やっぱり三人で回ろうよ。出店のきびだんごとか名物らしいから、食べ歩きしながら花火を見よう!」

「ああ、気が向いたらな」


 圭は素直じゃない返事をするが、凛は「絶対来てね!」と軽く拳を握って意気込んでいる。僕はその様子を見ながら、胸の中に温かな灯がともっているのを感じる。

 大震災の苦しみは消えないし、母さんや圭の父親を失った悲しみはなくならない。だけど、その痛みの先に何かを築けるのなら、僕は力を使う意味を見いだせる。

 そっと白い花に触れると、柔らかな花びらが手のひらをくすぐる。


「よし、そろそろ帰るか。暗くなるぞ」


 圭が立ち上がり、凛がそれに続く。僕も名残惜しいが、最後に一瞥だけ花の群れに目をやる。きっと朝には消えているかもしれない。けれど、それでも今はしっかり咲いている。その事実が尊い。


「今日のところは撤収だ。父さんも待ってるかもしれないし、また相談に乗ってもらう」

「いいんじゃない? お父さんが話してくれたんでしょ? 静さんの真実を。今度は圭も一緒に行って、いろいろ聞かせてもらうのもいいかもね」


 凛の提案に、圭は少し緊張した顔をするが、否定はしない。言霊の存在を隠したままになっている謎はまだ多い。封印に失敗した理由、なぜ隠蔽が行われたのか、いずれはそういったことも明らかにしたい。でも今は、こうして一日一日を積み重ねていくのが大切だと思う。


 三人並んで校舎裏をあとにする。夕陽がもう地平線に沈みかけ、残された空は朱色から藍色へと変化を始めている。どこか肌寒いけど、心が冷えきることはない。苦しみや悲しみを背負っていても、一緒に歩く仲間がいるからだろう。


「明日はどうする? 朝練?」


 凛がふざけて笑うと、圭は大げさにため息をつき、「少しは休ませろ」と言う。それがまた微笑ましくて、僕はつい口元が緩む。


「じゃあ、次の休み時間に軽くやるか。今度は俺が出した花に、圭が干渉を加えすぎて食虫植物にならないように注意してくれよ」

「そんな失敗はしない。…お前こそスライムは勘弁しろ」

「がんばりまーす!」


 凛が陽気に手を挙げて、僕らの真ん中を歩く。三人でくだらない掛け合いを続けながら、校門のほうへ向かって歩を進める。周囲には帰宅部の生徒や部活帰りの友人たちがちらほらいて、それぞれの生活感に満ちた足音が響いている。

 まるで平凡な学園ドラマのワンシーン。だけど、僕たちは平凡ではありえない力を抱えている。


 それでも、前向きに生きることを選んだ。守ることを諦めない。この小さな一歩が、いつか大きな希望に繋がると信じている。痛みを抱えたままでも、笑い合える時間があるなら、きっとそれが言霊の本質だと思えるから。


「蓮、どうしたの? ニヤニヤして」


 不意に凛が怪訝な顔をする。僕は咄嗟に「何でもない」と照れ隠しに笑う。

 圭は苦笑したまま「勝手にニヤニヤしてろ」と吐き捨てる。だが、どこか彼の声色も軽くなっている。


 門を出る瞬間、空を見上げると小さな星が瞬き始めている。夜へ移ろう黄昏時の空気は、どこか清々しい。ああ、今日はいい一日だった。明日もまた練習しながら、少しずつ力を制御していこう。

 守り抜くために。圭の苦しみを減らすために。凛の笑顔を絶やさないために。母さんの意志を胸に刻んで、僕は前へ進んでいく。


 心の中でそっとつぶやく。

 “母さん、見てるか。俺はちゃんと自分の声と言葉を信じて、守りたいものを守り抜くよ”


 その誓いが、かすかな風に乗って宵闇に吸い込まれていく。花のように小さくても確かな希望を携えながら、僕は足を止めずに歩き続ける。守る力を信じる仲間と一緒に、同じ夕陽を見上げながら、今を生きている。それだけで、こんなにも胸が満たされるのを実感する。

 もう僕は弱音ばかり吐いていた昔の自分じゃない。

 力を怖がるだけの自分でもない。圭にも凛にも支えられながら、これからもずっと進んでいこう。


 僕は今、生きている未来をしっかりと噛み締めている。


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