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6.氷の女王と手下たち

 次の日の朝、ディディは外から聞こえる人の声で目を覚ました。


「ほら、薪割りが終わったら水汲みだ! 俺も手伝うから、さっさと済ませるぞ」


「庭の掃除、終わりました? 落ち葉が残っていないか、確認しますね!」


 それは、リックとリタの元気いっぱいな声だった。耳を澄ませると、その合間に野太い返事も聞こえてくる。力なく疲れ切った、弱々しい声だった。


 おそらく二人は、昨夜の男たちをこきつかっているのだろう。ひとまずそちらは、うまくいっているようで何よりだ。


 そう考えてくすりと笑ったディディが、すぐに真剣な目になる。天蓋を見つめながら、昨夜のことを思い起こしていた。


 悪行とあまりの不出来さのせいで両親に見放された娘。男たちは、このキスカの町にそんな噂が流れていると言っていた。


 婚約破棄の噂がここまで流れてくるには早すぎる。ここはかなりの田舎で、しかもシャイエン公爵からはほぼ見放された地だから。


「となると、お父様がわざと噂を流したのかもね……わたくしがここで、肩身の狭い思いをするように」


 ディディの両親、シャイエン公爵夫妻。彼女は二人に対して、温かな親愛の情を抱いたことは一度もなかった。


 両親は自分のことを、シャイエン公爵家を栄えさせるための道具なのだと考えている。そのことに、彼女は幼くして気づいていたから。


 きっちりと着飾り、距離を置いて礼儀正しく言葉を交わす。彼女にとって親子で過ごす時間とは、ただそれだけのものだったから。


 そして両親は、毎回同じことを言い続けていた。「シャイエン公爵家の娘として恥ずかしくないように」と。


 ディディがルシェ王子と婚約してからは「未来の王妃としてふさわしいふるまいをせよ」という言葉に変わった。


 婚約が白紙になってから、ディディは一度も両親に会っていない。屋敷を出る際に挨拶くらいはしておくべきかと考えたものの、両親がそれを拒んだのだった。


「王妃になりそこねた、できそこないの娘。たぶんお父様もお母様も、わたくしには見切りをつけたのでしょうね」


 ディディには弟妹もいるし、従兄弟たちもいる。言い方は悪いが、シャイエン公爵夫妻にとってはまだまだ使える駒はあるのだ。悪評まみれになったディディに、いつまでもこだわっている理由もない。


「……まあ、いいわ。そちらがその気なら、こちらとしても遠慮なく好き勝手できるというものよ」


 そうつぶやいて、ディディがゆっくりと身を起こす。少し寝癖のついた灰青色の髪が、朝日を受けてきらめいた。彼女の口元には、大きな笑みが浮かんでいた。




「それではリタとリック、それに……ゼストにレストにシスト? で合ってるわね? 買い出しにいくわよ」


 朝食を済ませたディディは、声高にそう言った。張り切った様子のリタと、面白そうに笑っているリック、それに大いに戸惑った顔で荷車を引いている男たちに向かって。


 明るいところで見た男たちはよく似た骨ばった顔立ちで、麦わら色の髪に灰色の目をしていた。そして、どちらかというと人のよさそうな雰囲気だった。


 少し骨太で力の強い長男がゼスト、一番小柄だがよく気が回る次男がレスト、手先がとても器用な三男がシスト。


 そんな彼らをじっくりと眺めたリックは、「いわゆる『根は悪い奴じゃないんだけどなあ』って言われがちな人間かな? 何回か道を踏み外して、そろそろ本当の悪党になりかけてる感じの」などという感想を漏らしていた。


 三人ともぐうの音も出なかったらしく、ごつい体を精いっぱい縮こまらせてうつむいてしまった。それを見て、ディディとリタが楽しげに笑う。


 そうやって和やかに進んでいるディディたちとは対照的に、町はすっかり混乱に陥ってしまっていた。


 悪名高きシャイエン家の娘が、町の鼻つまみ者たちを連れて町に降りてきた。予想もしなかったそんな状況に、女子供は家に逃げ込み、男たちはいざという場合に備えて身構えていたのだ。


 しかしディディは涼しい顔で、近くの店――野菜を中心に、その加工品も取り扱っている店――をのぞいている。逃げ損ねた哀れな店主が、はらはらしながら彼女の動向を見守っていた。


「あら、種類とか名前とか、そういうのはさっぱり分からないけれど、みずみずしい野菜ね。おいしそう」


「はい、鮮度も素晴らしいですが、いい感じの育ちっぷりですね! 種類も多いし……おじさん、この野菜ってキスカでとれたやつですか?」


 ざるに積み上げられた野菜を、ディディが身を乗り出して興味深そうに眺めている。隣のリタが満面の笑みで、店主に尋ねていた。


「あ、ああ……町の横と、下に畑があるが……」


「水はけのいい斜面と、川の恵みを受けた肥沃な地ですね! それだけの畑があるのなら、この品ぞろえもうなずけます!」


「そうだな。俺はそのうち、畑を見にいきたいな。周囲の地形の把握がてら」


 店主の返答にリタがはしゃぎ、リックがのんびりと辺りを見渡している。それを見て、ディディもおっとりと微笑んでいた。


「聞いているだけでお腹が空きそうね。店主さん、お勧めはどれかしら?」


「あ、はい、こちらの……」


 町の人間たちの突き刺さるような視線にもお構いなしでディディたちが買い物をしている、その後ろ。


「なあ、オレたち……とんでもない相手に手を出しちまったんじゃ……」


「オレもそう思う。こうして生きてられるだけめっけもんだって」


「だよなあ……こうなったら、腹くくってあの女王様についていこうぜ。逆らわなければ、案外悪くないかもしれねえし」


 まだ空のままの荷車の隣にきちんと並んで、三兄弟がこそこそとささやき合っている。その時、突然リタが彼らのほうを振り向いた。三つ編みの髪が、ぶんと縄のようにひるがえる。


「今、女王様って言いました?」


 男たちはびしっと背筋を伸ばして、しどろもどろになりながら言い訳を始める。


「いや、その、今のは言葉のあやで」


「別に、ディディ様を悪く言おうとした訳じゃなくて」


「お、オレは言ってねえぞ! シストの奴が勝手に」


 昨夜三兄弟を捕らえたのはリックの罠で、さらに彼らを追い詰めたのはディディの魔法だ。しかし三兄弟は、リックやディディと同じくらい、あるいはそれ以上にリタのことを恐れていた。彼女からにじみ出る強い意志、ある種の底知れなさに圧倒されていたのだ。


 町の人々の視線に、戸惑いの色が混ざる。あのごろつきたちが、あんなか弱い少女におとなしく従っている。あの令嬢たちがこの町に来てまだ一晩しか経っていないのに、何があったのだろう、と。


 周囲に立ち込める困惑をものともせずに、リタは明るく言い放った。


「そうですよね! やっぱりディディ様には、女王の貫禄がありますよね!」


 思いもかけない言葉に、三兄弟が呆然としつつ後ずさりする。それを見ていた町の人間たちも、話についていけないのかあんぐりと口を開けていた。リックがこっそりと、おかしそうな顔をして笑いを噛み殺している。


「ディディ様、『氷の女王』って二つ名があるんですよ。かっこよくて、とってもお似合いで」


「リタ、道端でそういうことを大声で言われると、さすがに恥ずかしいわ」


 そんなリタを、ディディがおっとりとたしなめている。ただ、その二つ名自体は少しも否定していない。


「わたくし、普通の令嬢よりほんの少し気が強くて、ほんの少し行動力があるだけよ?」


「いいえ、普通の令嬢よりずっと芯が強くて、ずっとしっかりしておられるんです!」


 ディディの言葉を、リタのはしゃいだ声がすぐに打ち消す。話している内容こそちょっと普通ではないけれど、それは年頃の女性たちの、ごく気軽なお喋りそのものだった。


「……はは、ほんと、面白い女王様だな。さすが、リタが見込んだだけのことはある」


 そんな二人をのんびりと眺め、リックがしみじみとつぶやいていた。

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