4.田舎の屋敷で
ディディとリタを乗せた馬車は、シャイエン領のへき地、かなりの田舎にあるキスカの町に入っていった。そうして、その一番奥にある屋敷の前で止まる。
「中々面白いつくりね、この町。町の入り口が一番低くて、中はひたすら上り坂」
「おそらく、小ぶりの山をそのまま町に作り替えたんだと思います。この屋敷をてっぺんに建てて、下へと町を広げていく形で」
二人がそんなことを話している間にも、御者は馬車に積んでいた荷物を下ろし、さっさと走り去っていった。
「……お父様の言いつけなのでしょうけど……薄情よねえ。別れの挨拶すらないなんて」
「馬車が必要なら町で借りろ、と旦那様はおっしゃっていましたが……公爵家のご令嬢であるディディ様に、この仕打ち……」
そうつぶやくリタの声が、どんどん低く、不穏なものになっていく。
貴族の女性は、自分の足で歩いて外出するようなことはまずない。当然ながら馬車は必需品なのだが、こんな田舎町で調達できる馬車など、たかが知れている。
つまりシャイエン公爵は、ディディに恥をかかせ、それをもって仕置きの代わりにしようとしているのだろう。リタはそのことに、憤っているのだった。
「まあそう怒るなよ、リタ。ちゃんとした馬車と馬なら、もう手配してるよ。じきに、隣町からやってくる。あ、支払いは頼む」
そんな声と共に、屋敷の中から誰かが出てきた。ディディが小首をかしげ、リタがばっとそちらに向き直る。
「リック! もう来てたの!?」
「ああ。知らせを受けて、すぐに発ったからな。お前から事情を知らされた時は、さすがに驚いたが」
リックと呼ばれた少年は、赤みの栗毛を首のところでざっくりとまとめ、生き生きとした灰色の目でディディたちを見ていた。快活そうな笑みを浮かべたその顔は、リタにどことなく似ていた。
ディディがすっと進み出て、リックに声をかける。
「はじめまして。わたくしがディディアルーアよ。あなたがリックね? リタの双子の兄の。話には聞いていたけれど」
「名乗りが遅れました、リックです。貴女のことは、リタからいつも聞いています。素敵な主君だって。……確かに、女王の貫録とあでやかな色香が感じられますね」
まだ幼さを残した顔には似つかわしくない気取ったせりふを口にして、リックが優雅に礼をした。
「これからは、俺も貴女にお仕えします。リタとは違って、シャイエンの採用試験に合格するほどの力量はありませんが、俺には俺の、得意分野もありますし」
「ええ、頼りにしているわ。これからよろしくね」
初対面でありながら親しげに挨拶を交わしているディディとリックの間に、リタがずいと割って入る。
「リック、それより屋敷はどうだった? 先に確認してたんでしょう?」
「ああ、防衛という観点では結構悪くないぞ、ここ。ただ、内装とかそういったことは俺には分からないから、自分の目で確認してくれ」
「という訳ですので、さあ! 屋敷を見て回りましょう!」
リタがディディの腕を取って、そのまま屋敷の中に大急ぎで引っ張り込んでいく。リックはその様を、苦笑しながら見守っていた。
「思っていたより居心地はよさそうね、この屋敷。素朴だけれど、その分落ち着くというか……ほっとする感じだわ」
「屋敷というより、こぢんまりとした別荘と言ったほうがぴったり来ますね。これなら、私一人でもディディ様の身の回りのお世話ができそうです。力仕事はリックに押しつけますし」
「おいリタ、俺は力仕事はそこまで得意じゃないぞ。折を見て、町の人間を雇ってくれ……って、聞いてないな」
後ろで抗議するリックを無視して、リタはさらに屋敷の奥に突き進んでいく。
「塀の内側に井戸が一つ、塀の外は切り立った崖……この位置なら、毒を入れられるようなこともなさそうですね」
そうやって屋敷を検分するリタの視線は、まるで学者か何かのように思慮深く、軍人のように冷静なものだった。
「さらに屋敷の西には深い谷。空を飛びでもしない限り、こちら側から攻められることはありません」
「そうね。……って、そもそも何が攻めてくるのかしら?」
「不審者とか、そういったたぐいの輩でしょうか。ディディ様はこの通り、とても魅力的な方ですから」
ぽかんとした顔で、ディディが何か言い返そうとする。しかしその言葉を待たずに、リタはさらに話し続けた。
「屋敷の南北はいずれも下りの崖ですから、不審者が入り込む可能性は低いでしょう。崖を登られるおそれはありますが、そちらについては先手を打てます」
そう語るリタの声に、どんどん熱がこもっていく。リックが苦笑して、肩をすくめていた。
「建物周囲の地形を考えると……一番侵入されやすいのはここ、東側ですね」
今ではリタの口調は、まるで戦に備える軍師のようですらあった。そんな彼女のふるまいを見て、ディディがおかしそうに笑う。
「あなたのお父様が地形について研究していて、あなたも教えを受けていたのだと聞いてはいたけれど……さすがね」
「正確には、地形が商業や軍事などにもたらす影響について、ですね。俺はあまり詳しくないんですけど、リタはしっかり親父から学んでます」
そこに、ひょいとリックが割って入った。
「でも俺から見ても、この屋敷の守りは堅いですよ。リタが言うように屋敷の入り口、東側だけ何とかすれば、ディディ様ものんびり暮らせます」
「あら、東側を何とかしないといけない理由があるのかしら?」
ディディの問いに、リックが口ごもる。それから、言葉を選びつつ答えた。
「……俺の気のせいかもしれませんが、どうもこの町の連中、ぴりぴりしてるんですよね……何があったのか聞いても、よそ者の俺には答えてくれないし。だから、警戒しておくに越したことはないかな、と」
「わたくしの追放先としてこの町が選ばれたのには、何か訳があるのかもしれないわね。警戒……って、どうすればいいのかしら」
「大丈夫です、ディディ様。リックはそういうの、得意ですから!」
「そうなの? 頼もしいわ」
悠然と微笑むディディと、明るく笑うリタ。二人の女性の視線を受けて、リックは額に手を当てる。
「はいはい。人使いの荒いことで……って、俺はこのために呼ばれたんだからな。まあ、見ていてくれよ」
そうして彼は、意味ありげな笑みを浮かべた。ディディは実のところ、この話についていけていなかったが、いずれ明らかになるでしょうと、おっとりと構えていた。
そうして、三人は手分けして屋敷に手を入れていた。普段は誰も使っていないこの屋敷には、シャイエン公爵の命により定期的に使用人がやってきて、掃除をしている。
しかしそれでも、屋敷全体がどことなく埃っぽいことに変わりはないし、屋敷の中の空気もそこはかとなく淀んでいる。
三人は片っ端から窓を開け、しまわれていたシーツを干していった。驚いたことに、ディディも率先して動いていた。「人手がないのだから、わたくしが手を貸すのは当然でしょう」と言いながら。
もっとも彼女は転移の魔法を駆使して、あっという間に作業を片付けてしまっていたのだが。
それから、リタとリックが協力して食事を作る。食材については、前もってリックが買い求めてくれていた。
仲良く並んで料理をする双子を、ディディは厨房の椅子に座ってのんびり眺めていた。弟妹を見守るような、優しい目つきで。
三人で一緒に食事をとり、それぞれの部屋に戻っていって。やがて、全ての部屋の明かりが消えた。
屋敷だけでなく、その下に広がるキスカの町もすっかり寝静まり、夜鳴鳥の声だけが遠くから聞こえてくる。
そんな静寂を、いきなり野太い叫び声がぶち破った。