36.みんなからの贈り物
「ディディ様が……不自由?」
ルシェの言葉が理解できなかったのか、サリーがぽかんとした顔をしている。
「ああ、そうだ。私が初めてキスカの町にやってきた時、彼女は言い放った。未来の王妃としてふるまうのは息苦しくてたまらない、ここの自由な暮らしが好きなのだと」
そんなサリーに、ルシェが静かな声で語る。すると、リタが苦しげな顔で口を挟んだ。
「……以前のディディ様は、色んなしがらみにとらわれていました。シャイエン公爵の意向とか、殿下の婚約者としての立場とか、そういうものに。そのせいで、ずっと窮屈な思いをされていたんです」
みなの視線を受けながら、リタは言葉を吐き出していく。
「だからディディ様は、人助け一つするにもあんな回りくどいことをしなくてはならなかった。シャイエン公爵は、自分の娘が下々の者たちにわざわざ情けをかけることを嫌う、そんな方ですから」
下々の者。その言葉に、みなが嫌悪感をあらわにした。さらに戸惑いながら、サリーがまた口を開いた。
「……その結果、社交界にディディ様の悪い噂が流れても……ですか?」
「……はい。あの方は、取るに足らない下々の者たちがぴいぴいさえずっていても気にされません」
サリーの問いに、リタは力強く、即座に答えた。
「あと、あの方はかんしゃく持ちで……先日の手紙から見ても、ディディ様に相当腹を立てておられるのは間違いないかと。絶縁を宣言しただけでは、たぶん済まないでしょう」
リタが自信たっぷりに断言し、みなはさらにうんざりした顔になる。実際にシャイエン公爵と会ったことのあるルシェは、ひときわ複雑そうな表情で小さくうなずいていた。
そんな全員を見渡し、リタはさらに続ける。
「いずれ何らかの形で、公爵の横やりが入ると考えておいたほうがいいですね。私もいずれ、そのことについてみなさんと話し合いたいなって思っていたんです」
「リタの言う通りだ。ディディを真の意味で自由にするためには、シャイエン公爵が余計な事をしないように手を打っておかなくてはならないと、私もそう思う」
その言葉を受け、みなが考え込む。と、呆れたような声が沈黙を破った。
「シャイエン公爵、器ちっちゃいなあ。ディディ様は、一体誰に似たんだ? というのは置いておいて。ひとまず、公爵が軍を動かしてくる可能性は低いな。うかつなことをすると、陛下への反逆とみなされかねないし」
いつも通りの軽い口調で、リックがさらりとそう分析する。
「兵士を出せない……でしたら、ちょっとした嫌がらせを仕掛けてくるとか、でしょうか? 分かりにくく陰湿なものであれば、証拠もつかみにくくなりますし……」
「そうですね。僕と父の商取引に口を挟まれたら厄介です。うちは伯爵家ですし、公爵に何か言われてしまったら無視できません。キスカのこれからの繁栄のためにも、様々な物資がまだまだ必要ですのに」
悲しげに口を開くサリーと、困った顔のジョイエル。
「オレらは賢くねえし、細けえことは分からねえっすが……実の親に嫌がらせをされるかも、なんてのは寂しいっすね」
「……何だかさ、貴族ってのも大変だなって思ったっす。訳の分かんねえ身分だか面子だかに振り回されて」
「っていうか、偉い人が強ええっていうんなら、もっと偉い人にぶん殴ってもらえりゃおとなしくなるんじゃないっすかね、そのシャイエン? とかいうおっさんも」
ゼスト、レスト、シストが口々にそんなことをつぶやいている。みな、気持ちは同じだった。どうにかしてディディを、シャイエン公爵から自由にしてやりたい。彼女がもっとのびのびと過ごせるように。
そうして、またみなが考え込んでしまう。しかしじきに、ジョイエルが恐る恐る手を挙げた。
「……あの、そちらの三人の話を聞いて、一つ思いついたのですが」
彼が語り出した内容に、みなが耳を傾ける。説明を聞いているうちに、みなの顔に笑みが浮かび始めた。
「中々に突拍子もない案だが、同時にかなりの名案のようにも思う。みなはどうだろうか」
ルシェがそう問いかけると、全員がすぐにうなずいた。ちょっぴりおかしそうな笑顔のまま。
「それでは、そのように手配しよう。どうか、ディディには内緒に頼む。どうせなら、驚かせたい」
いたずらっぽく続けたルシェに、みなはまたしてもうなずきかける。先ほどよりも、力強く。
「で、今度はどうしてこんなことになっているのかしらねえ?」
ルシェたちの秘密の話し合いから、しばらく経って。
居間の椅子に優雅に腰かけたディディは、王宮からの書状を手に、それはもう見事な笑みを浮かべていた。もっとも、書状を握りしめた手はぷるぷると震えていたけれど。
そしてその書状には、このようなことが記されていた。
『キスカの町を、我が国から独立した公国として認める。初代女王はディディアルーア・キスカとする』
『我が国と、キスカ公国の友情が、長く続くことを祈る。我が国の廃太子ルシェンタが、二国をつなぐ架け橋とならんことを』
改めて書状の内容に目を通し、ディディが額に手を当てる。頭が痛いわと、そう言わんばかりに。
「……ルシェが王太子じゃなくなったことを、ついでにさらりと書かないで欲しいわ……」
そうして彼女は、隣に座るルシェをきっとにらみつけた。
「というかこれ、またあなたの差し金ね? どういう魂胆なのか、説明してもらえるかしら!?」
その鋭い眼光にも全くひるむことなく、ルシェは朗らかに答える。
「私たちは、君を自由にしてやりたかった。余計な干渉を受けずに、君が思うままふるまえる、ここをそんな場所にしたかった」
思いもかけない言葉に、ディディが片方の眉をつり上げた。
「君が公国女王となれば、君を上から抑えつけられる者はほぼいなくなる。シャイエン公爵も手が出せなくなるし、私は隣国の王子として君のところに婿入りすることになるな」
「……望みもしない淑女の仮面を強制されることはなくなる、ということね。あと、お父様……シャイエン公爵にも邪魔されなくなるし」
「ああ。それに公国という形を取ることで、君の後継者を柔軟に選ぶことができる。法に一言添えておくだけで、それこそみなの合議で次の王を決めることだってできるんだ」
ほんの少し得意げに、ルシェが語る。
「これがもし王国という形での独立であれば、諸外国との兼ね合いや格式などに邪魔されるから、そこまで自由にはできない」
その言葉を噛みしめるような顔をしていたディディが、そろそろとつぶやいた。
「つまりわたくしは、子を産み血を残すという義務からも解放された、という解釈で合ってる?」
「ああ。正確には『子を産み、その子に家やら何やらを継がせる義務』だ。もちろん、君が望むのなら、どんどん子を生み育てるといい。みな、喜んで子育てを手伝ってくれるだろう。この町、ではなくこの公国に愛されて子が育つんだ。素敵だな」
聞いているだけで恥ずかしくなりそうなことをさらりと口にしたルシェが、そっと頬を赤らめる。まるで、年頃の乙女のように。
「……実は、子だくさんの家庭に対して、憧れもあるんだ。それも貴族らしい上品で澄ました関係ではなく、毎日家族で助け合い、にぎやかに食事をとるような、そんな家庭に」
はにかんだような顔で、ルシェはディディに微笑みかける。甘いその視線に、ディディがどきまぎしたように横を向いた。
「と、ともかく! わたくしの肩書き以外のところは、ほとんど変わっていないみたいね。少々、守りが強くなったとかそんな感じで」
「ああ。そして私たちは、この場所が君にとって居心地のいい場所であるよう、力を尽くす。……私たちの、女王様のために」
「もう、あなたまでそんなことを言って」
そうして二人は、顔を見合わせてくすくすと笑う。
二人がそんなことを静かに話していた一方、リタたちは書状の続きを読みながらわいわい騒いでいた。
何とものどかな、午後のひと時だった。
 




