33.決着は自分の手で
本来の予定を変更してまで、ディディたちに同行したいと言い出したルシェ。その言葉を聞いて、ディディが考えつつ答える。
「同行ねえ……わたくしたちがこれから何をしにいくつもりなのか、気づいている?」
「……薄々は」
町中の人間が総出で王国兵を翻弄しているこの状況について、ルシェはきちんと説明を受けてはいなかった。ただ、みなが王国兵に逆らおうとしていることと、理由はともあれ自分を守ろうとしてくれていることだけはうっすらと理解していた。
「わたくしたちはこの騒ぎに乗じてこっそり町を出て、あちらの総大将に奇襲をかけるのよ? さすがにあなた、王国兵とは戦えないでしょう?」
「そ、それは……少し、考えさせてくれ。ともかく今は、君のそばを離れたくないんだ。それに、まだ私にも、何かできることがあるかもしれない」
首に青いリボンを巻いたまま、凛々しい目でディディを見つめるルシェ。そのひたむきな表情にほんの少し戸惑いつつも、彼女はわずかに肩をすくめた。
「いいわ、ついていらっしゃい。ただし、できるだけ気配は消してね。……ああ、そうだわ」
ふと何かを思いついたらしいディディが、すっとルシェを指さす。次の瞬間、彼の姿が変わっていた。近くに控えていた三兄弟が、同時に驚きの声を上げる。少し遅れて、ルシェも。
「これは……」
「幻影の魔法で、リタの姿をかぶせたわ。王国兵に見つかったとしても、これなら怪しまれにくくなるから。ただ、あなたの腰の剣、それを抜いたらたぶん元の姿に戻ってしまうから気をつけてね」
そう注意すると、ディディはさっさと歩き出す。
「いってらっしゃいませ、ディディ様。俺、急にひまになっちゃったんで、ルシェ様の影武者でもやりましょうか? 屋敷の辺りまできた兵士たちがディディ様たちに気づかないように、気を引いておきますよ」
「ええ、面白そうだから頼むわ。髪を隠せば案外いけそうだし」
「ですよね! ……まあ、まだ俺のほうが背が低いんで……そこのところは、演技力でごまかすしか……」
そんなことを言っているリックに別れを告げ、五人は兵士に見つからないよう裏道を進んでいく。そのまま、町の東側の谷に下りていった。
崖に身を隠すようにして、どんどん歩き続ける。崖の上、町のあるほうからは、王国兵たちが大騒ぎしている声がまだ聞こえ続けていた。
「じゃあ、ちょっと見てくるわ」
そう言うなり、ディディは崖の斜面に張りついている、小さな岩の上に転移した。不安定な岩にちょこんと立っているその姿に、ルシェ……今はリタの姿だ……が悲鳴を呑み込む。
しかしディディはそんなルシェには目もくれず、崖の縁につかまるようにして目の前の草原をじっと観察していた。
「……かなりの数の王国兵を、町に引き付けることに成功したわね……あとは、総大将……ベルストだったかしら? を抑えれば何とかなりそうね」
また転移の魔法で音もなく、しかも瞬時に崖を下りてきたディディが、三兄弟に向き直り手招きする。
「最初に、ルシェと話していた男性、覚えている? あれがベルスト。あいつを捕まえて、人質にしてしまえばこちらの勝ちよ。彼らの位置は把握したから、さっさと打ち合わせてしまいましょう」
「いや、待ってくれ」
軽やかに言い放つディディを、ルシェが止める。彼はとても険しい顔をしていた。リタの顔で。しかし声は、元のままだ。
ルシェの奇妙な状況に、三兄弟が一斉に何とも言えない表情になる。けれど賢明なことに、彼らはきちんと口をつぐんでいた。
そしてルシェは、やけに熱心に言いつのっていた。
「ベルストは武官の中でも腕が立つ。ゼストたちの腕っぷしには信頼を置いているが、力だけでどうにかするには、ベルストは少し難しい相手だ」
「あら、そうなの? だったら、わたくしが行きましょうか」
真剣なルシェとは裏腹に、ディディは余裕さえ漂わせている。彼女の言葉に、すっとルシェが青ざめた。
「ゼストたちにおとりを頼むとして、その隙にベルストを転移の魔法でどこか手頃な場所にひっかければ……でもあの辺、吊り下げるのにちょうどいい木がないわね。ぶら下げる崖も」
ぶつぶつと不穏なことをつぶやきながら、彼女は視線をあちこちにさまよわせている。ちょっぴり楽しそうに。
「だったら、彼らをこちらにおびき出そうかしら? この谷なら、わたくしたちがとっても有利……ただ、できればあちら側にも怪我人を出したくないのよねえ。余計なしこりになりそうだし」
「ディディ。だからここは、私も行く。行かせてくれ」
きっぱりと言い放ったルシェの言葉に、ディディは独り言を止めて彼を見た。きょとんとした表情で。
「リタの姿の幻をかぶったまま近づけば、隙をつくこともできるだろう。何より、今この町でもっとも剣術に優れているのは私だ。それに私なら、ベルストの剣もいなせる……と思う」
とんでもない提案をしたルシェに、三兄弟がそれぞれのんびりと感想を口にし始めた。
「最後のほう、ちょっと自信ない感じだな」
「でも、見てみてえな。リタさんがルシェ様になって、かっこよく剣を抜くところ」
「そもそもちゃんとした剣術なんて、見たことねえからなあ」
彼らの声に耳を傾け、それからまた考え込んで。ディディはルシェに歩み寄り、小声でささやきかけた。
「……本気? 正面切って王国軍に逆らう気なの? 王太子のあなたが?」
「ああ、本気だ。もう私は、一番大切なものを見失いたくない。そのために、私は君と共に戦う」
「戦うって、ちょっと大げさじゃないかしら……でもまあ、あの崖を登ってくるくらいだし、覚悟をどうのこうのと尋ねるのも、今さら……かしらね」
ふうとため息をついて、ディディは笑う。
「それじゃあ、わたくしたち五人で、あいつらを何とかしましょうか」
「ベルスト様、町中心部の細道、ようやく数名ほど突破できたようです!」
「うむ。引き続き、兵を先に進めよ。報告によれば、ルシェンタ殿下は丘の上の屋敷におられる。しかし町中には、他にもまだ罠があるやもしれん。慎重に進め」
キスカの町の、すぐ南に広がる草原。そこにベルストはまっすぐに立ち、配下たちの報告を聞いていた。
彼の視線は、目の前の町にひたと据えられている。丘を取り巻くようにして素朴な家々が並び、一番上には小さな屋敷。きっと普段は、とてものどかな町なのだろう。その平穏を乱してしまったことに、ベルストは少し申し訳なさを感じていた。
それと、自分たち王国兵の存在に気づいてから一日程度しか時間がなかっただろうに、これほど見事な迎撃態勢を整えてしまった町の人間たちへの敬意と、うっすらとした恐怖も。
しかしながら、自分には果たさねばならない王命がある。そのためなら、こんな感傷など無視せねばならない。
彼がそう気合を入れ直したその時、周囲の様子を警戒させていた兵士が声を上げた。
「東より奇襲! その数……三人?」
「陽動にしても少なすぎるな……この町の人間は、何がしたいのだ……」
ベルストは、ずっと違和感を覚えていた。というより、ここに集まった王国軍関係者は全員同じことを感じていた。
町の人間たちは自分たちのことを警戒していて、大人しく言うことを聞くつもりもないらしい。
しかしそれにしては、抵抗の仕方が妙に子供じみていて、その癖異様に統率が取れている。民を傷つけないよう手加減しているとはいえ、王国兵がここまで翻弄されたことが、今までにあっただろうか。
しかし時間をかければ、ルシェを見つけ、連れ帰ることもできるだろう。ベルストはこの期に及んでも楽観的にそう考えていた、のだが。
「お逃げください、ベルスト様!」
「ば、爆弾です!」
続いて、いくつもの破裂音。どうやら、さっきの三人が爆弾を隠し持っていたらしい。そうして、彼の視界はただ一面の白に塗りつぶされてしまった。
それから、どれくらい経ったのだろうか。
「また会ったわね、ベルスト? ごきげんはいかがかしら」
場違いに美しい声が、白い煙の中に響く。そちらを向いたベルストは、驚きに目を見開いた。
ディディがこの上なく優雅な足取りで、ベルストに歩み寄ってくる。その姿に、ベルストは謁見の間に敷かれる赤いじゅうたんの幻を見た。女王陛下が玉座を下り、じきじきに声をかけてくださる。そんな、幻だった。
思わずベルストが身震いすると、彼の視界はまた真っ白になった。その中をどんどん近づいてくるディディと、彼女に付き従う若いメイド。メイドは幼げな容貌には不釣り合いな、やけに強い目の光が印象的な少女だった。
「ルシェは戻りたくないと、そう言っているの。崖を登ってでも町に戻ってきたあの姿、見たでしょう?」
聞くものをぞくぞくさせるような魅惑的な声で、彼女は告げる。ベルストはつい聞き入りそうになるのをこらえつつ、必死に耐える。
「陛下はどうしてもルシェを連れ戻したいようだけれど、そのために民を傷つけることをよしとするような、そんなお方だったかしらね?」
「……いや、そうは思わない」
「だったら、ここは退いてくれないかしら? ほら、あなたの味方もずいぶんと減ってしまったし」
その頃には、辺りを厚く包んでいた白い煙も薄れていた。そうして周囲の状況を知ったベルストは、全身に鳥肌が立つのを感じた。
彼の近くにいた兵士たちは、みな影も形もなかった。とはいえ、殺された訳ではなかった。武器を奪われ、両手をしっかりと縛られた姿で、離れたところに集められている。
どうやったのかは分からないが、あの煙の中、彼らはあそこまで連れ去られてしまったらしい。その手際の良さに、ベルストは震えをこらえる。
さらに、いつの間にか町の中はすっかり静まり返っていて、町の人間たちは草原に出てきていた。あの三人の男たちと協力して、次々と王国兵を縛っている。
まだ拘束されていない王国兵が戸惑いつつ町の人間を追いかけていたが、じきに落とし穴にはまった。どうやらこの町の周囲には、防犯用の罠まであったらしい。
ベルストが煙の中で立ち往生している間に、戦局はどうしようもないところまで来てしまっていたのだった。
呆然として、歯を食いしばって。ベルストは、うつむきながらつぶやいた。
「……駄目だ。私は、王命を果たさねば……たとえ、最後の一人となろうとも」
「ならば、力ずくでも!」
突然、凛々しい声が草原を切り裂いた。




