32.仕込みは上々
こつん。
石よりもずっと軽い、ささやかな衝撃。兜の後頭部のところから聞こえてきたそんな音に、王国兵たちはばっと振り返る。
地面に、さっきまではなかったものが落ちていた。竹ひごにアヒルか何かの羽を取り付けた、矢に似ていなくもない何か。おそらく、おもちゃの矢だろう。子供たちのために親が作ってやった、そんな素朴なものだ。
矢尻のところには、袋状になったぼろ布がくっついていた。ただ、王国兵にぶつかった拍子に開いてしまったのか、中に入っていたらしい何かがぱらぱらとこぼれ落ちている。
こつん、こん。
そうこうしている間にも、どんどん軽い音が増えていく。次々と降り注いでくるおもちゃの矢を見つめて、王国兵が首をかしげた。
その時、彼らは猛烈な違和感に身震いした。
「うわっ、かゆい!」
「何だ、これは!!」
「くそっ、かこうにも鎧を脱がねばどうしようも……しかし、任務中に……」
「馬鹿、さっさと脱げ! もうそれどころではないだろう!」
てんでにそんなことを叫んで、鎧を外しては全身をばりばりとかきむしりはじめる王国兵たち。
そうやって騒ぐ彼らを、近くの高台からたくさんの目が見つめていた。サリーとジョイエル、それに町の子供たちだ。
「賊が集団で攻めてきた時に備えて、かゆみの粉を仕入れていたのですが……まさか、王国兵相手に使うことになるとは思いませんでした」
ジョイエルはそうつぶやきながら、今度は自分のすぐ近くに視線を走らせている。
彼の周囲では、子供たちが愉快そうな顔でおもちゃの矢を射かけ続けていた。下の道にいる王国兵に向かって。
これだけの高低差があれば、子供の腕でも矢を王国兵のところまで届けることができるし、反撃される心配もない。
ただ時々、かゆみの粉を手に付けてしまう子もいる。そういった子はサリーがすかさず下がらせて、用意しておいた水で手を洗ってやっていた。
「ありがとう、サリーおねえちゃん! みずであらったら、かゆくなくなった!」
無邪気な子供の声に、王国兵たちがはっと我に返る。それから、いきなり走り出した。今まで向かっていたのとはまるで別のほう、西の谷川に向かって。剣も鎧も投げ捨てて、我先にと駆けていく。
それを見た後続の兵士たちが、何が起こっているのか分からずに立ち止まり、うろたえている。と、今度は別の高台から、声が上がった。
「今です、みなさん! 目標をしっかりと見据えて、向きを間違えないように!」
リタの掛け声と同時に、町中をぶわりと風が吹き抜ける。その風は地面に溜まっていたかゆみの粉を巻き上げ、後続の王国兵たちへ浴びせかけた。
「よし、いい感じですね! サリー様、ジョイエル様、そちらも引き続きお願いします!」
リタは、竹と布を組み合わせた大きな丸い板のようなものを掲げ、道を挟んだ向こうの高台にいるサリーたちに向かって叫んでいた。
そしてリタの周囲に集まった女性たちも、みな同じようなものを手にしている。リタの号令に合わせて、女性たちがみんなで息を合わせて板を振り、風を起こす。王国兵たちの苦悶の声が、さらに大きくなった。
この奇妙な板は、リックが前に面白半分にこしらえたものだった。
ジョイエル様が取り寄せたかゆみの粉をもっと活用するには、風があったほうがいいよな、などとつぶやきつつ。板の構造については、以前に父から聞いた遠方の国の道具を真似たのだとか。
自分たちが巻き込まれないよう注意しながら、どんどん王国兵たちを無力化していく町の人間たち。そのせいで、王国兵たちはもうルシェを追いかけるどころではなくなってしまっていた。
そしてディディと三兄弟とリック、それにルシェは、そんな騒動を丘の上の屋敷から眺めていた。
「なんという、見事な連携……地形を利用し、罠を張り、相手の心理を利用して、王国軍を翻弄している……」
ルシェは先ほどから、ずっとこの調子だった。ディディに指示された通りに単身町の中を歩いただけで、面白いように王国兵がついてきて、そしてみな西の谷川へと走り去っていってしまったのだから。
「……まさかとは思うが、昨日町の守りを固めた際に、これらの仕掛けも用意しておいたのだろうか……」
「ええ、その通りよ。この町の人たち、王宮のこともよく思っていないから」
あっさりとそう答えたディディの顔を、ルシェは目を丸くして見つめた。
「『事と次第によってはあの王国兵たちにちょっとした嫌がらせをするかもしれないから、準備をお願い』って言ったら、みんな力強くうなずいてくれたわ。だから後は、リタとリックに指揮を頼んでおいたの」
「その……彼らが王宮のことをよく思っていない、というのは……」
「言葉の通りの意味よ。この町は見ての通りのど田舎にあって、色々と不便も多い。だから彼らは、領主であるシャイエン公爵……お父様に幾度となく陳情をしては、無視されていた」
ぽかんとするルシェと、うんうんとうなずく三兄弟。
「そのせいでわたくしも、ここに来てしばらくは白い目で見られていたわね。サリーがひっくり返してくれたけど」
ルシェは、今現在の町の人間たちのことしか知らない。ディディを慕い、頼りにする彼らの姿しか。
「本当に、そんなことが……」
「ええ。だからこそお父様は、わたくしをここに放り込んだのだと思うわ。肩身の狭い思いをすることで、自分の行いを反省しろとか何とか、そんな感じで」
その言葉に、ルシェが一気に悲しげな顔をした。シャイエン公爵がディディに罰を与えようとしたのであれば、きっとそれは自分の愚かな行い、婚約を白紙に戻したせいなのだから。
「そうして、町の人の恨みは王宮にも向いた。何もしてくれない領主を、どうしてそのままにしておくのか。王は何をしているのか、って」
「……ならばどうして、彼らは私をすぐに受け入れてくれたのだろうか……」
「さあ? あなたはわたくしたちの一味に加わったのだと、みんなはそう判断したのかもしれないし。あなたの物おじしない、飾らないところを認めたのかもしれないし」
ディディの褒め言葉にほんの少し頬を緩めつつも、ルシェの表情は暗かった。
自分はかつて、ディディの行動の真意を見抜けずに、不幸を招いてしまった。そしてまた、自分は町の人間たちの真意に気づかないまま、自分は町の一員になれたのだと思い込み、幸せに過ごしていたのだった。自分は何と愚かで、不甲斐ないのだろう。
そうやって唇を噛みしめるルシェにちらりと視線をやってから、ディディはのんびりとした口調で話を切り替えた。
「さて、いい感じに混乱させることはできたけれど……そう長くはもたないわね。そろそろ、最後の仕上げといきましょうか。ゼスト、レスト、シスト、あなたたちの出番よ。リック、ルシェをお願いね」
丘の上の屋敷、そこの玄関先に仁王立ちになり町を眺めていたディディが、そう言って歩き出す。そうして三兄弟が、それに続く。
ルシェはまだ苦しげな表情のまま、そんな四人の背中を見送っていた。
今町の人間たちが盛大に暴れ回っているのは、王国兵たちにルシェを連れていかせないためだ。
だから彼は、一番安全なこの丘の上の屋敷で待機することになっている。もしこの近くまで王国兵たちが攻め寄せてきたら、ルシェはリックの手引きで逃げ出すことになっているのだ。ディディは、転移の魔法をもって追っ手を散らすのに忙しくなるから。
いざという時のため、ルシェは腰に剣を帯びている。この町で暮らすようになってから、ずっとしまいこまれたままになっていたそれを。
自分の役目は、ここに留まること。ルシェはそう自分に言い聞かせて続けていた。それなのに彼の口は、全く違う言葉を紡ぎ出す。
「ディディ、私も同行させてもらえないだろうか」
ふり絞るようなその声に、ディディたちが足を止め、振り返る。
「……こうして一人だけ安全圏にいるのは……ただ守られているのは、嫌なんだ」




