31.最高の悪事
ディディの転移の魔法でルシェ王子が町を追い出されたものの、王子は無理やり崖を登って町に戻ってしまった。
これは、町に押し入ってでも王子の身柄を確保すべきか。王国兵たちを率いてきた武官のベルストは、大いに悩んでいた。
武力をもって、少々脅すくらいは構わない。だが、いたずらに民を傷つけぬようにせよ。それが、王の命令だったから。
「ベルスト様、町の入り口が!!」
考え込んでいた彼は、王国兵の報告に我に返る。さっきまで頑丈な板で閉ざされていた町の入り口が、少しだけ開いていた。ちょうど、兵が二人並んで通れるくらいの幅だ。
降参するのだろうか、それとも誘い込むための罠なのだろうか。ベルストがなおも無言で悩んでいると、突然彼の目の前にふわりとディディが舞い降りた。転移の魔法だ。
彼女の麗しく気品に満ちた姿に、周囲の王国兵たちが一斉に息を呑む。
「あなたたち、ルシェに用があるのでしょう? でもあいにく、彼はもうこの町の仲間なの。どうしても連れ戻したいというのなら、どうぞ奪い返しにいらっしゃいな」
歌うような調子でそう言って、ディディはなまめかしい笑みを浮かべる。
「……もっともわたくしたちも、おとなしくしているつもりはないわ。とはいえこちらは罪のない町の人間たちがほとんど。血を流すのは、陛下の本意ではないでしょう?」
鮮やかな青の目に見据えられて、ベルストはたじろぎながらうなずくことしかできない。この女性は公爵家の娘なのだと聞いているが、間違いなく女王の貫録をたたえている。彼は心の中で、そんなことを思っていた。
「だから、平和に追いかけっこよ。あなたたちがルシェを捕まえられたら、あなたたちの勝ち。わたくしたちがあなたたちを降参させられたら、わたくしたちの勝ち。これでどう?」
「あ、ああ……」
「それじゃあ、さっそく始めましょうか!」
子供のようにはしゃいだ声を上げると、ディディの姿がふっとかき消える。そうして、辺りは静まり返った。
「……機動性に優れる者を数名、斥候として偵察に出せ。いいか、決して剣は抜くな」
後に残されたベルストは、考え考えそう言った。この状況では定石と思われたこの指示が、この後のとんでもない騒動の始まりを告げる鐘の音となったことに、ベルストはまだ気づいていなかった。
「う、うわああああ!!」
「退け、退けえ!!」
それから間もなくして、斥候たちの悲鳴が町の入り口付近で響き渡った。時折、ぼん、ぼがんという破裂音も混ざっている。
「あの音……爆弾か!? しかしあれは軍事機密、作れる人間も限られるはず……そんなものが、どうしてこんな田舎に!?」
呆然とするベルストに、彼の副官がそっと声をかけてきた。
「ベルスト様、音の大きさと閃光の強さからすると……あれは従来のものより、かなり大きなものかと……」
「馬鹿な、あり得ない! 爆弾は不安定なものだから、一定以上大きなものを作ると、保管中に勝手に吹き飛びかねない! その問題を解決する技術は、まだ開発途中のはずだ!」
小さく首を横に振って、ベルストは必死に否定している。その額には、うっすらと冷や汗が浮いている。
そうしている間も、町の入り口周辺では派手な音がし続けている。あり得ないものが、そこにはある。
やがて、斥候たちの一部が報告のために戻ってきた。みな、すっかり青ざめている。
「住民たちの襲撃を受けました。小石を雨のように投げてきて、その合間に爆弾を投げ込んでいるんです! 幸い、今のところこちらは無傷で済んではいますが……」
「このまま正面を突っ切るのは、危険です!!」
王国兵の士気は、既に下がりつつあった。ただ町に踏み込むだけだと思ったら、想像もしていない、見たこともない反撃を食らったのだから。
ベルストはぎりりと奥歯を噛みしめ、それから厳しい声で言う。
「しかし、爆弾の数にも限りがあるはずだ。全軍の半数を、一気に投入する! 盾を構え、全力で走り抜けろ! ルシェンタ殿下のもとにさえたどり着けば、何とかなる!」
そうやって身構えたものの、やはり王国兵たちはどことなく腰が引けている。そんな彼らを遠眼鏡で眺めながら、リックがぼそりとつぶやいた。
「ああ、どうやらあちらは突撃を始めるみたいですね。ひとまず、俺たちの出番は終わりということで。目的は達成できたみたいですし」
「そうねえ。あちらの士気は下がっているみたいね。分かりやすく動揺してるわ。……逆に、こちらの士気が高すぎて怖いんだけど」
キスカの町中にある大きな木、その下のほうの枝に、ディディとリックが腰かけている。リックは何か小さなものがたくさん詰まった革袋をいくつも腰につけているが、ディディはいつも通りの格好だ。
この二人は手を組んで、新型の超大型爆弾を演出したのだった。まずは、町の大人たちが石を投げて兵士たちの気をそらしている隙に、リックが爆弾を放り込む。ただし、音だけのものを。
そしてそれが爆発するのに合わせて、ディディが幻影の魔法で閃光を作り出す。こうすれば、威力は全くなく、しかし見た目は大変恐ろしげな爆弾のできあがりだ。
とはいえ、これがただのこけおどしと知られるのもまずいので、リックは時折威力が低い爆弾も投げていた。またディディは、飛んでいる小石の数を幻影の魔法で水増ししたり、投げている人間の数を増やしたりもしていた。
張り切っているのは、二人だけではなかった。最初に兵士たちを迎撃する担当になった町の男たちは、張り切るというより浮かれていた。
この町の人間は、領主であるシャイエン公爵に対してだけでなく、王宮に対してもほんのりとした不満を抱えていた。何もしない領主を、どうして王は放置しておくのか、と。
そんなうっぷんを、彼らはここで存分にぶつけることにしたのだ。ディディは「あの兵士たちも上からの命令で動いているのだし、あんまりいじめてあげないでね?」と言っていたが、男たちは聞かなかったことにしていた。
鎧兜できっちりと武装した兵士なら、これくらいの石がぶつかっても大した怪我にはならない。だから、遠慮なく攻撃できる。
それに、もし兵士たちが暴れ出したらディディが何とかしてくれる。みなはそう信じていた。
「ルシェ様は渡さんぞ、とか何とか叫んでるのはまだ分かるんだけど……あの石投げ、案の定憂さ晴らしみたいになってない? 思っていた以上に浮かれてるわね」
「ですね。新手の祭りみたいです」
「もう少し楽しませてあげたくもあるけれど……盾を構えた突進に巻き込まれたら危ないから、そろそろみんなを引かせて。わたくしは、次の準備に向かうから」
「了解です、ディディ様! ……ここを突破できればもう安心だとか、そんなことを思ってそうだよなあ、あの兵士たち」
盾を構えて町の外から突っ走ってくる兵士たちの姿を見ながら、リックはそれはもう人の悪そうな笑みを浮かべたのだった。
そうして町の入り口をくぐった王国兵たちが見たのは、誰もいない町の姿だった。
「おかしい、さっきまでここで爆弾が……違う場所だったのか?」
「よく見ろ、ここらじゅうに小石が落ちてる。ここで間違いない」
「ならば、町の人間たちはどこへ?」
「そもそも、ルシェンタ殿下はいずこへ!?」
王国兵たちは大いに戸惑いながら、辺りを見渡している。と、町の奥、屋敷へと続く坂を上っているルシェの後ろ姿が目に入った。
もしかしたら、これも罠かもしれない。だがあの人影は、間違いなくルシェに見える。ならば、自分たちは彼を追いかけなくてはならない。
そう考えた王国兵たちは、やや慎重な足取りで進んでいく。そんな彼らを、静かに見守っている一団がいた。彼らの斜め後ろの高台で、茂みに身を隠すようにしながら。
「ふふ、それではみなさん、わたしたちの出番ですよ」
その一団に交ざっていたサリーが、声をひそめてそう言った。この上なく、楽しげに。




