3.女王様と側近の出会い
晴れてシャイエン公爵家のメイドとなったリタだったが、当然ながらその先にも苦難は数多く待ち受けていた。
シャイエン公爵と公爵夫人、それに他の使用人の全てが、リタをいつも見張り、落ち度を探し続けているような状況が続いたのだ。……シャイエン公爵の娘であるディディだけは、我関せずといった態度だったが。
けれどリタはそんな状況に少しも動じることなく、メイドとしての仕事に励んでいた。非の打ちどころのない、見事な働きぶりだった。
そうしているうちに、公爵夫妻やメイド長などは、彼女の粗探しから手を引いた。不毛な日々に疲れ果て、あきらめたとも言うが。
しかしそれでも面白くないのは、リタと同じ下働きのメイドたちだった。彼女たちは公爵家で働いているだけあって、みな多かれ少なかれ貴族の血を引いている。そして、それをささやかな誇りとしていたのだ。
そんなところに、平民そのもののリタがやってきて、自分たちと同様……あるいは自分たち以上の評価を得ている。メイドたちは次第に、リタに憎しみを抱くようになった。
リタも一応は男爵家の血を引いてはいるし、周囲のメイドたちが考えていることも理解していたが、決して自分の素性を明かさなかった。
母親は駆け落ちしているのだし、今さら貴族の血を主張するなど、図々しい。それにあの母親なら、平民として立派に勤め上げてこいと言うだろう。リタは、そう考えたのだった。
そうして彼女たちは、リタをこそこそといじめ始めた。決して上の者に知られないよう、注意深く。
「ほらリタ、あんたってとおっても優秀なんでしょう? ここの掃除もやっておいてよ。あたしたちの手本になるくらい、ぴっかぴかにね!」
「それが済んだら、台所の掃除もよろしく! こないだネズミが出たから、やっつけておいて」
「平民なんだし、ネズミくらい慣れっこでしょ? あたしたちには、他にやることがあるから」
メイドたちはそう言って、リタに大量の雑用を押しつけるようになったのだ。しかしリタは、愚痴一つ言わずに黙々と仕事をこなし続けた。手を抜かず、こつこつと。
リタはメイド長などに、自分の苦境を訴えることもできた。しかしなぜか彼女は、ひたすら沈黙を続けていた。周囲のメイドたちがさらに増長していき、リタの仕事は増え続けた。それでもやはり、彼女は黙々と働いていた。
そんな日がしばらく続いた後の、ある昼下がり。
「ねえ、あなたたちはこんなところで何をしているのかしら?」
屋敷の裏庭の一角に、そんな軽やかな声が響いた。あちこちの物陰に隠れるようにして小声でお喋りしていたメイドたちが、一斉に口をつぐむ。
「最近、同じメイドが働いているところばかり見かける気がしてたのよね。うちにはたくさんメイドがいたはずなのに、どういうことなのかしらって気になっていたのだけれど」
しとやかな足取りで、ディディが進み出る。散歩の途中といった、気軽な態度で。
しかしメイドたちは、生きた心地がしなかった。さぼっているところを、よりにもよって主人の娘に見つかってしまったのだから。
「ディディアルーア様! その、私たちは少し休憩を取っておりました!」
青ざめながら、それでもどうにか取りつくろおうとするメイドたち。ディディはおっとりとした笑みを浮かべて、さらに問いかける。
「こんなにたくさん、同時に? だとしたら、メイド長を叱らないとね。メイドたちの仕事の割り振り、間違えているわよ、って」
「あの、いえ! そうではなくて……わ、私たち、その、体調が悪くて……最近、急に暑くなってきましたし……」
自分たちの行いがメイド長にばれるのはまずい。冷や汗をかきながら、メイドたちはさらに言い訳を重ねていく。
「確かに、ここ数日よく晴れてほんのり汗ばむくらいの陽気だけれど……メイド以外の使用人は、みんな元気みたいよ?」
メイドたちは、何も答えない。ただひたすらに冷や汗を流しながら、ちらちらと互いを見やっている。
ちょっと、誰か答えなさいよ!? えっ、あたし? 無理だってば! 彼女たちは視線だけで、そんなやり取りをしているようだった。
そんな彼女たちをディディは静かに見守っている。しかしよく見ると、必死に笑いをこられているのかその口元は引きつっていた。
「あら、まさかはやり病か何かかしら!? 言われてみれば、顔色も悪いし……分かったわ、待っていて。今、医者を呼んでくるわ!」
大げさなくらいに目を見開いて、ディディが両の手を打ち合わせる。ぱんという乾いた音が、空しく広がっていった。
「…………なんて、ね。素直に白状したら、大目に見てあげようかと思っていたのだけれど、期待するだけ無駄だったみたい」
ディディがため息をつき、うなだれる。その拍子に、髪が一房目元に垂れかかった。彼女がすっとその髪をかき上げると、メイドたちからひいっ、というか細い悲鳴が漏れた。
青い目をらんらんと光らせ、ディディは低い声で告げる。
「あなたたちが集団でさぼっているのは知っていたわ。おそらく、お父様たちも知っている」
ディディが半歩進み出ると、メイドたちが身をすくめる。
「今のところ、屋敷の運営に支障は出ていない。だからかしらね、お父様たちはひとまずあなたたちのことを見過ごすことにしたみたい」
その言葉に、メイドたちが顔を見合わせた。しかしそこに、ディディは容赦なく言葉を浴びせていった。
「でもわたくしは、見過ごす気はないわ。だってわたくし、あなたたちみたいな人間が大っ嫌いだから」
腰を抜かしたメイドたちを静かな目で見据えながら、ディディはさらに半歩進み出た。
「寄ってたかって一人をいじめるその根性も、自分たちの悪行を適当に言い逃れようとする甘い考えも、最低よ! あなたたちには、恥ってものがないの?」
そうして彼女は言葉を切り、ゆっくりと息を吸った。
「あなたたち、全員解雇よ!!」
氷の女王の二つ名にふさわしい鋭い声が、屋敷の裏庭に響き渡った。辺りの空気を、びりびりと振るわせて。
◇
「結局、あれがきっかけでわたくしの悪評が本格的に立ち始めたのよね。あそこのお嬢様はとびきり恐ろしい方だって」
そう言いながらも、ディディはたいそう楽しそうだった。
「お父様やお母様にも、渋い顔をされてしまったし……いきなりメイドをまとめて首にしたら、屋敷の切り盛りはどうするんだって」
「それが普通の反応ですよ、ディディ様」
「リタとメイド長がいれば、しばらくはしのげる。その間に、次のメイドを探せばいい。そう主張したけれど、中々聞き入れてもらえなくて」
当時のことを思い出しているのだろう、ディディはくすくすと笑っている。
「『シャイエン家のメイドたちは、怠惰で傲慢、品性のかけらもない者ばかりだ』という噂を流されるのとどちらがいいですか、と迫ったら、さすがのお父様も折れてくれたわ。ふふ、あの時のお父様の顔ったら」
リタはそんなディディを嬉しそうに見守っていたが、やがてぺこりと頭を下げた。
「私の件でお手数をおかけした点については、申し訳なく思っています」
「気にしないで。わたくしも、あの性悪どもにがつんと言ってやれてすっとしたから」
そう言って頬を上気させていたディディだったが、ふと何かに気づいたように視線をさまよわせる。それから、じっとリタの顔を見据えた。
「以前のあなた、あまりにもおとなしくいじめられていたから、きっと引っ込み思案な子なのねって思ってたのだけれど……予想よりもずっと気が強くて、遥かに有能な子だったわね。ええ、意外だったわ」
「お褒めいただき、ありがとうございます!」
褒め言葉と取るには少し微妙な言葉も混ざってはいたが、リタは目を輝かせて頭を下げた。
「というか、一度聞いてみたかったのよ。どうしてあなた、あの時抵抗しなかったの?」
「ああ、それですか。簡単な話です。下手に抵抗すると、余計に面倒なことになるからなんです。あの時の私には、何一つ後ろ盾がありませんでしたから」
なるほどとうなずくディディに、さらにすらすらと語るリタ。
「日々耐えながら、その間に彼女たちの不利になる証拠を集めていたんです。いずれ、それを使って黙らせる予定でした。尻尾をつかむといいますか、首根っこを押さえるといいますか。ああいう手合いは、力の差を見せつければ案外もろいですから」
ちょっぴり不穏なことを言い放ち、リタはディディを見つめ返す。この上なく嬉しそうに、灰色の目を細めて。
「でもその計画を実行に移す前に、ディディ様に助けられてしまいました。私は果報者です!」
はしゃぐリタと、それを見て苦笑するディディ。そんな二人を乗せて、馬車は走り続けていた。目的地である、田舎の屋敷に向かって。