26.喜びを分かち合って
そうして、どうにかこうにか荒れ地は片付いた。ごろごろしていた岩も、好き勝手に伸びていた木も、もう影も形もない。
ちょうどその頃、リタやサリー、それに町の女性たちが料理の入った大鍋を荷車に乗せて引きながら、ぞろぞろとやってくる。
「お待たせしました、昼食です!」
腕力には自信がないとかで荒れ地の整地作業には加わっていなかったジョイエルが、やけに得意げに声を張り上げる。彼もまた、荷車を引いていた。
「……ジョイエル、やけに上機嫌ね?」
首をかしげたディディに、リタが小声で耳打ちする。
「『僕だけ役立たずの汚名を着たくはないのです!』とか何とか言って、料理を手伝ってたんです。どうやら、それが誇らしいみたいで」
「えっ!? ……彼、そんなことできたの?」
ディディが驚きに声を張り上げそうになり、とっさにこらえる。そして、リタが即座に首を横に振った。
「もちろんできません。ナイフに触りたがって危なかったので、あれこれと用事を頼んで気をそらすはめになりました。仕方なく、切った野菜を炒める作業をお願いしたのですが……フライパンの扱いはうまかったです。意外にも」
ずけずけと物を言ってから、リタはにっこりと笑った。
「ところで、ディディ様はどうされます? 屋敷に戻って食事にされるのなら、改めてそちらに支度を整えますが」
そこに、サリーがそろそろと口を挟む。ディディとルシェを、交互に見ながら。
「その……ルシェ様も屋敷に戻られたほうがいいと思います……いくらなんでも、こんな野原で食事というのは……」
その頃にはもう、町の人間たちは食事を始めていた。適当なところに腰を下ろして、わいわいと騒ぎながら。一仕事終えた満足感からか、みないい笑顔をしている。
ディディは優しい笑みを浮かべて辺りを見渡し、それからさらりと答えた。
「いいわよ、ここで。リタ、敷物か何か、持ってきていない?」
「はい、そうおっしゃると思って持ってきました!」
「ふふ、あなたはやっぱり有能ね。せっかくだから、わたくしもこのにぎわいを楽しむことにするわ」
そこに、古布で汗を拭いながらルシェが近づいてきた。
「私も同席していいだろうか、ディディ」
「ええ、もちろんよ。リタ、サリー、あなたたちもどうぞ」
リタが広げた敷物は十分に大きかったので、四人が腰を下ろしてもまだ余裕があった。それに気がついたリックとジョイエルも、料理の皿を手にいそいそと歩み寄ってくる。
豆と小さく切った野菜を炒め、干したトマトやハーブを加えて煮込み、水分を飛ばして味を調えたペースト。それを薄切りのパン、それも貴族が普段食べる白いパンではなく、様々な穀物を混ぜた茶色のパンに塗っただけのもの。
平民であるリタやリックにとって、このような料理は食べ慣れたものだ。普段はディディたちのために貴族向けの料理を作っているリタだが、自分のためにこういった夜食を作ることもある。
そしてディディ、サリー、ジョイエルも、この町で暮らしている間に幾度もこういった料理をふるまわれる機会があった。
困りごとを解決した時のささやかな謝礼だったり、町の人間たちの食事会に誘われたり。あるいは、リタの夜食の匂いにつられて深夜の厨房に顔を出し、おすそ分けをしてもらったり。
だからディディたちは、この質素そのものの料理をおいしそうだと思えたし、手づかみで食べることにもためらいはなかった。
しかし、最近この町に来た、しかも王子であるルシェはそうはいかない。だからリタたちは、一応ナイフとフォーク、それに皿を持ってきていた。彼が屋敷に戻らず、ここで食事にするのだと言い張った時に備えて。
ナプキンに包んでバスケットにしまってあった食器を取り出して、リタがルシェに声をかける。どうやらその備えが、役に立ちそうだと思いながら。
「少々お待ちください、ルシェ様の分はこちらに用意しま、す……?」
リタの言葉が、尻つぼみに消えていく。何事だろうかと、ディディたちがリタを見る。そして彼女の視線をたどり、今度はルシェに注目した。そうしてはっと、一斉に息を呑む。
どうやら町の女たちが渡したらしく、彼はもう料理を手にしていたのだ。顔を近づけて、じっくりと眺め、ペーストの匂いをかいでいる。それから周囲を見渡し、既に食事を始めている人間たちを観察していた。
ディディたちははらはらしながら、なりゆきを見守る。張り詰めた空気が居心地悪かったのか、リックが小声でつぶやいた。
「……犬っぽいな。知らないものを目にした時の」
「ちょっとリック、静かに!」
「あの、リタさんのほうが声が大きいです……」
すぐさまリタが口を挟み、サリーがひそひそ声でリタを止めている。その間も、ルシェは手にした料理から目を離さなかった。
そうして彼は居住まいをただし、厳かな表情でパンに噛みついた。ディディたちが、ぴたりと動きを止める。
「……美味だな」
ルシェの顔に、大きな笑みが浮かんだ。少し遅れて、ディディたちが同時に息を吐く。
「あなたがためらいなくそれに口をつけるとは思わなかったわ。ついこないだまで、王宮で暮らしていたのに」
自分もパンをかじりながら、ディディが肩をすくめている。そんな彼女に、ルシェはさわやかに笑いかけた。
「食べたことのない料理だが、いい香りがした。それにみな、こうやって食べている。……今の君と同じように。だったら、私もそれにならうべきだと思ったのだ」
「……こないだからずっと思っていたのだけれど、あなた、割と順応力が高いのね。意外だったわ」
ディディが苦笑すると、ルシェが驚いたように目を丸くした。
「意外……君は、そう思うのか?」
「ええ。だって以前のあなたときたら、頭は固いし人の話は聞かないし。こうと決めたら突っ走っていく……ああ、そこは今も変わらないわね」
そう言ってくすくすと笑うディディ。しかしルシェは何か思うところがあったのか、ふっと難しい顔をした。
「……もしかして、かつて私が君の悪事を糾弾した時、君が何一つ反論しなかったのも……私の意見を変えることはできないと思っていたから、なのだろうか」
「半分くらいは当たりかしらね」
その返答に、ルシェが悲しげに目を伏せた。
「……そう、か……私さえもっと聡明であったなら、柔軟であったなら……君をこんな目に」
「はい、そこまで!」
突然落ち込んでしまったルシェの独り言を、ディディの凛とした声が遮る。
その声に、無言で様子をうかがい続けていたリタたちだけでなく、離れたところにいた町の人間たちまでがディディたちのほうを見た。
「たかだかそんなことで、落ち込まないの」
ディディが明るく言い放った言葉に、ルシェがまた目を真ん丸にして彼女を見た。
「そ、そんなこと……」
「そう、そんなことよ。それにもう、過ぎたこと」
青い目を細め、ディディはまぶしそうに空を見上げる。その口元には、満足げな笑みが浮かんでいる。
「天気はいいし、食事はおいしいし、みんなは楽しそう。この時間を満喫しないなんて、もったいないでしょう?」
地面に広げた敷物に腰を下ろし、素朴なパンを片手に幸せそうに天を仰ぐディディ。
幼子のように無邪気で、けれどやはり女王の品格をたたえたその姿は、ルシェのみならず、その場の全員の目を強く惹きつけるものだった。
「今日は素敵な日。それだけよ」
ルシェはしばらく、そんな彼女に見とれていた。けれどやがて、穏やかに微笑んだ。
「ああ、君の言う通りだ。今日は、素敵な日だ」
そうしてディディたちは、また和やかに食事を始めた。王都からは遠く、贅沢なものなど何一つないこの場所に、とても豊かな時間が流れていた。




