2.ややこしい人助け
不器用で哀れなメイドを魔法で消滅させたディディは、迷うことなく歩き続けていた。母屋を出て、庭を抜けて、離れへ向かって。
普段のディディは、ほぼずっとこの離れに入り浸っている。木々に隠れるようにして建つ小ぶりの離れは、彼女にとっては隠れ家のようなものだった。そしてここの掃除は、リタが一人で担当している。つまりここには、ディディとリタ以外はほぼ入ってこない。
離れの一番奥、裏口に続く部屋に足を踏み入れたディディを、明るい声が出迎えた。
「おかえりなさいディディ様、準備できてます!」
「そう。それでは、計画通りにね」
その部屋にいたのは、この上なく張り切ったリタと、混乱し切った少女の二人。少女は目立たない服を着せられているが、間違いなく先ほどのメイドだった。
「あの……ディディ、さま……」
呆然とつぶやくメイドを、ディディは視線だけで黙らせる。
「早く、外の馬車に乗りなさい。家まで連れていってくれるから。あなたの荷物は、後でリタがまとめて送るわ。……借金を返すのに必要なだけの、お金と共にね」
「貴女、絶望的なまでにメイドに向いてませんよ。ですから、次は野菜売りの店員とかどうですか。愛嬌はありますし、多少失敗しても許してもらえると思うんですよね」
そんなことをずけずけと言いつつ、リタはメイドを裏口に引っ張っていく。
メイドは口をぱくぱくさせていたが、質素な馬車に押し込まれる寸前に短く言った。ありがとうございます、と。
そうして、馬車の音が遠ざかっていって。
「……片付いたわね」
ディディが、ぽつりとつぶやいた。
「はい。事前に準備していたとはいえ、うまくいくかどうかはらはらしました」
「あの子、一日三回は転んでたから、適当に後をつけておけばどうにかなるかと思ったのだけれど……見事なまでにわたくしの前ですっころんでくれた時は、ちょっと笑いそうになったわ」
「神の思し召しかってくらい、ちょうどいい頃合いでしたよね」
そんなことを言い合って、ディディとリタは笑い合う。二人の間には、達成感が満ちていた。
あのメイドはあまりに不器用で、そろそろその噂が使用人のみならず、主であるシャイエン公爵夫妻の耳にも届きそうになっていたのだ。
もし彼女が公爵夫妻に対してそそうを働けば、間違いなく彼女は即座に追い出される。シャイエン公爵を怒らせたという、悪評付きで。そうなれば、次の仕事探しにも支障が出てしまう。
既に多額の借金を抱えた彼女に、それはあまりにむごすぎる。そう思ったディディとリタは、二人がかりでこんな手の込んだことをしてのけたのだった。
「それにしても、どうしてみんな信じてしまうのかしらね……わたくしが、恐るべき破壊の魔法を使えるなんて大嘘を」
ふと、ディディが眉をひそめ、小首をかしげる。
「わたくしが使えるのは、ちょっとした幻を生み出す魔法と、人や物を離れたところに飛ばす魔法。それだけなのに」
「夜会で幻の魔法をほんの少しだけ披露したら、いつの間にかものすごく尾ひれがついていたんでしたっけ」
「尾ひれがついた、なんてものではないわよ、あれは……まあ今回は、それを利用させてもらったけれど。表立って、彼女に手を差し伸べることはできなかったから」
「旦那様も奥様も、ディディ様がメイド一人を特別扱いしたなんて知ったら気を悪くされますからね。……逆に、そそうをしたメイドを魔法で消したと聞いても、まったく気にされないだろうなって確信できちゃうのが怖いんですが」
リタのぼやきに、ディディが身を乗り出す。
「そう、そうなのよ! できることならわたくしだって、こんな面倒なことはしたくないわ。あの子の借金なんて、わたくしたちからすればはした金。ちょっとした寄付だと思えばいいだけなのに」
美しい眉をぐうっと寄せて、ディディがため息をつく。
「公爵家の娘たるもの、下々の者にいちいち関わるなってお父様もお母様もうるさくって。ああもう、二言目には公爵家がどうたらこうたらって、やってられないわ!!」
「ディディ様……いつか、そういったしがらみに縛られずに、ディディ様がのびのびと輝ける日が来ると、私は信じていますから!」
「ありがとう、リタ。そうなるといいわね……」
離れの一室で、ディディは途方に暮れた子供のような、切なげな笑みを浮かべていた。
◇
「あの時のあなたの励ましが、こんな形で実現するとは思わなかったわ。ふふ、最高の気分」
すっきりした顔で、ディディはそう言い切った。かなり人里を離れたようで、馬車の外には一面の野山が広がっていた。
「でもあの件も、ルシェ様の耳に入っていたみたいね。わたくしの『悪事』の一つとして」
人を助けようとして追放される、中々におかしなものね、とつぶやいて苦笑するディディに、向かいのリタが身を乗り出して言い返す。
「誰が何と言おうと、私は知っています。ディディ様が、とっても優しくて強い、素敵な方なんだって!」
「そうでもないわよ? 両親に逆らえなくて回りくどいことをしていた、気弱な娘だもの」
「いいえ、ディディ様は強い方です。だって私を助けてくれた時、あんなに無茶をしてくれました!」
「……あの頃は、わたくしは一人だったもの。作戦を立ててくれたり、別行動を取って補佐してくれるような頼もしい味方はいなかった。だから、力ずくで押し切るほかなかったのよ」
「それでも、私は嬉しかったです」
そうして二人の話題は、さらに過去へと飛んでいった。二人が出会った、その時の騒動について。
「全ての始まりは、あなたが我がシャイエン公爵家にやってきたことだったわね」
リタは、賢かった。貧乏な学者と、そんな彼に惚れ込んだ男爵家の令嬢との間に生まれた子供、それが彼女だった。
両親が駆け落ちしていたこともあって、決して豊かな暮らしではなかった。けれど彼女は父親からは様々な学問を、母親からは貴族の社会に関わるあれこれを教わって育った。
そして成長した彼女は、それらの知識を武器として、なんと単身シャイエン公爵家の採用試験に挑んだのだった。
貴族の家に仕える使用人たちは、ほぼ全てが縁故で採用される。当主の遠縁だとか、知り合いの貴族の遠縁だとか、あるいは既に雇われている使用人に紹介された者だとか、そういった者ばかりだ。
しかし貴族にも、世間体というものがある。身内のみで固まり、下々の者を拒んでいると思われるのは得策ではない。
そんな事情から、貴族たちはそれぞれ独自に使用人の採用試験を設けるようになっていた。身分に関係なく、能力のあるものを取り立てる。自分たちは、広く平民たちを受け入れるのだと、そう示すために。
……もちろんこれは、形だけのものだった。その採用試験はとても厳しく、礼儀作法に教養、そしてもちろん実際の仕事の腕前など、様々な項目で合格しなければ、使用人となることはできない。
だから採用試験を突破して使用人になる者は、国中を見渡しても数年に一人いるかいないかだった。それも、比較的基準の緩い、下級の男爵家ばかりで。
ところがリタは、たった十四歳で見事その試験に合格してのけたのだ。それも、貴族の中でも最上位であるシャイエン公爵家に。
「あの時は、社交界がざわついて面白かったわ。お父様もお母様も、どうにかしてあなたの粗を見つけられないかって目を皿にしていたわね」
その頃のことを思い出して、ディディがおかしそうに笑う。
「どうしてうちを受けたのか、その理由を知った時は驚いたわ。というか、耳を疑った」
『かつて母が所属していたのだという、貴族の世界を間近で見てみたかった。それもどうせなら、できるだけ上の世界がいい。だったら、公爵家を目指すべきだと思った』
リタの動機は、ただそれだけだった。偉業を成し遂げた彼女は、こともなげに笑っている。あの時も、今も。
「今後どんな道に進むにしても、ここでの経験は役に立つと思いましたから」
「そんな軽い理由で、超難関の試験を突破する。ふふっ、普通の人間が聞いたら卒倒しそうな話ね」
「何事も挑戦あるのみだというのが、母さんの教えなんです。……一目惚れした父さんを説得して、無理やり駆け落ちに持ち込んで、なんだかんだで幸せに暮らしているような人なんですから、うちの母さん」
リタが語る彼女の母の行いのおかしさに、ディディがぷっと吹き出す。
「何度聞いても、とんでもないお母様ね。けれどそうして挑戦した結果、あなたは中々大変な目にあった訳だけれど……後悔はしていないの?」
「しませんよ! その挑戦の結果、こうやってディディ様の隣にいられるんですから!」
即座にそう答え、リタはまた昔話に戻っていった。