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16.この町のために

「……案外、いい拾いものだったのかしらね、ジョイエルは……?」


 キスカの丘の上の屋敷で、書類に目を通しながらディディが眉をひそめる。


 彼女が見ているのは、ジョイエルからの報告書だった。美しく几帳面な字で、事の次第がつづられている。


 この屋敷に住みつくと宣言するなり、彼は「恩を返すと同時に、自分の誠意を示したい、何かできることはないでしょうか」と言い出したのだった。


 暑苦しいのが増えたわと頭を抱えていたディディは、これ幸いと言い放った。「サリーがこの町の人たちの困りごとを集めているの。どれでもいいから、解決してあげて」と。


 こうすればしばらくの間、あの二人をまとめて封じておける。我ながらいい考えだと思ったディディのもとに、突然この報告書が届いたのだった。


「アンガス家に出入りしている商人たちと協力して、国の中央とここキスカとを結ぶ物流経路を新たに作った……ねえ」


「『キスカ側の支払いが高額になる取引の場合、分割での支払いも可能とする』……ですか。担保も何もなしにこう言い切るなんて、キスカはかなり優遇されてますよね。ジョイエル様、どうやって父君を説得されたのでしょう?」


 ディディのすぐ隣で、リタがさらに難しい顔をしている。


「どっちかというと、アンガス伯爵はこの話に商機を見出しているんじゃないかって、そんな気がします」


 さらにリタの隣で、リックが目を輝かせている。


「キスカの北に広がる野山って、険しいせいで人が立ち入らず、国境も未設定になってますよね。でもああいうところって、宝の山だったりするんですよ。ひっそりと鉱脈が埋もれていたりしますし」


「……もしかしてリックが、ちょくちょく町の周囲を探索してるのは……」


 呆れたように肩をすくめるリタに、さらにリックが言い返す。


「だってさ、見つけたいだろ? お宝。……それにもしかしたら、爆弾の材料が近くで手に入るかもしれないし。今は遠方とこっそり取引しないと手に入らないから、色々面倒なんだよ」


「ちょっとリック、爆弾とかそういうの内緒でしょう!」


「こないだ爆弾についてばらしたの、誰だったかなあ?」


「あ……あれは、屋敷の人間しか聞いてないから別にいいの!」


「それを言うなら、今ここにいるのも俺たち三人だけだぜ?」


 きゃんきゃん吠えるリタと、からかうように笑うリック。そんな二人を微笑ましく思いながら、ディディが声をかける。


「そうやって騒いでいたら、さらにあちこちに秘密が漏れてしまいかねないわよ?」


 おかしそうなその声に、二人がぴたりと口論を止める。リタがこほんと咳払いをして、ちょっぴり決まりの悪そうな顔で続けた。


「と、ともかく。リックの言う通り、アンガス伯爵は今のうちにキスカと関係を作っておく、というより恩を売っておくことにしたのだと思います」


 そしてリックは、けろりとした顔で言葉を添える。


「それと、ここにはディディ様もおられますから、シャイエン家とのつながりを持てないかと思っている可能性もありますね」


「ああ、それは考えていそうね。もっともわたくしは、お父様と縁が切れかかっている状態ではあるけれど……それについては、問題になった時に考えればいいわ。ひとまずこれからは、キスカに十分な物資が来るようになる。そのことを喜びましょう」


 報告書を机に置いて、ディディはううんと伸びをする。


「それじゃあ、ちょっとお茶にでもしましょうか。リタ、リック、あなたたちも付き合ってね」




 そうして三人は、のんびりとお茶を飲みながらお喋りし始めた。三兄弟は買い出しと薪割りにいそしんでいるし、サリーとジョイエルは連れ立って町に下りている。だから今屋敷でのんびりしているのは、この三人だけなのだ。


 あれこれと喋っているうちに、自然と話題はアンガス家の、そしてジョイエルのことになっていく。


「アンガス家は面白いところね。商売を得意とする裕福な家だってことは前から知っていたけれど、まさかこんな形で縁ができるなんて」


「しかし裕福だったせいで、黒薔薇の君に狙われることになりましたよね。あと、ジョイエル様が、その、ちょっと……あんな感じですから」


 リタが視線をそらしながら、ぼそりとつぶやく。ちょっと決まりが悪そうに。


「ジョイエルは情熱的で夢見がち、そしてちょっぴり間抜け。以前わたくしが彼に近づいた時、あまりにころっとなびくものだから、あっけに取られたわ」


 そんなリタに、ディディはくすくすと笑いながら容赦ない言葉を披露していく。その遠慮のない言葉に、リックが薄笑いを浮かべながら身震いしている。


「……報告書を見ている限り、彼の父親であるアンガス伯爵は抜け目のない、有能な人物みたいですけど……ジョイエル様、誰に似たんでしょうかね?」


 なおも笑いつつ、ディディがリックの疑問に答えた。


「優秀な一代目が家を興し、ぼんくらの息子が家を傾ける。よくある話だけれど、それと似たようなものでしょうね。もっとも、ジョイエルもまだ発展途上みたいだから、温かく遠巻きに見守ってやるとしましょうか」


「ディディ様、休憩中失礼します!」


 そこへ、ぱたぱたとサリーが駆け込んできた。おっとりとした顔に、困り果てたような表情を浮かべて。そうして、ちょっと問題が、と前置きしてから説明を始めた。


 一通り聞き終えたディディが、ふうと小さくため息をつく。とても上品に、優雅に。


「……あら、そんなことになっているの。そろそろそちらも片付けるべきかと思っていたから、ちょうどいいわ。リタ、リック、あなたたちもついてきてちょうだい」


「はい、ディディ様!」


「万が一の時は、俺も援護します!」


 そうしてディディは、やはり優雅に立ち上がり、悠々と部屋を出ていったのだった。リタたちを従えて。




 ディディたちは屋敷を出て、町に向かう。そうして、キスカの町で一番大きく、一番豪華な建物の前にやってきていた。


 そこにはやけに多くの人が集まっていて、何やら不穏な空気が漂っていた。


 しかし人々はディディの姿を認めると、左右に分かれてすっと道を空ける。彼女ならこの状況をどうにかしてくれると、そう信じているような表情だった。


 目の前にぽっかりと空いた道を、ディディはゆったりと歩く。そうして、その先にいる人物に呼びかけた。あでやかな笑みを浮かべながら。


「ねえ、この騒ぎは何かしら?」


「……ああ、あなたが屋敷のお嬢様ですか。勝手によその貴族と取引されると、うちが困るんですよ」


 そこでディディを出迎えたのは、やけに豪華な身なりの中年夫婦だった。二人そろって、ぶよぶよと膨れている。さほど裕福ではないこの町では、その姿は異様に浮いていた。


 さらにその隣には、途方に暮れた顔のジョイエルと、荷物がたっぷりと載った荷車のそばでぽかんとしている三兄弟の姿もある。


 この夫婦はキスカで唯一の商人であり、これまでずっと外部との物資のやり取りを全て握っている人物だった。


 ディディの父であるシャイエン公爵がこの地をろくに統治していないのをいいことに、二人は品物の値段をつり上げ、私腹を肥やしていたのだった。


 二人の突き刺さるような視線にも全くたじろぐことなく、ディディが答える。


「わたくしが誰と取引しようと、とがめられる筋合いはないわよ?」


「いいえ、商売の素人に出てこられると困ります。このキスカのためにも、安定した流通は保たれなければなりません」


 苦々しい声でぴしりと鋭く言い放った夫婦に、リタがうんざりしたような顔をした。どこが安定した流通なのでしょうかね、と小声でつぶやいている。


「あらあら、わたくしたちが商売の素人? おかしいったら」


 ディディは余裕の笑みを浮かべ、リタとリックを一歩前に進ませる。


「この二人は、商取引についてはきちんと学んでいるわ。この若さにして、必要な書類を読みこなせるくらいに」


 そうして次に、うろたえているジョイエルを指さした。


「そしてそちらは、商売上手と名高いアンガス伯爵の令息。まだ若年ながら、知識は中々のものよ。わたくしも彼に、あれこれ教わったの」


 その言葉を聞いたジョイエルが感動に目を潤ませ、ディディを見つめる。彼女はそれに気づいていないふりをしながら、また夫婦に向き直った。


「それに、わたくしたちの取引相手はそのアンガス伯爵なの。その結果これまでにない、大規模で便利な流通網が築かれたわ。分かった? あなたたちの出る幕なんて、もうないの」


 自信たっぷりにそう言い切ったディディが、その青い目をふっと細める。そして妙に甘く優しい声で、そっとささやいた。


「……だから、あなたたちが町の人を食い物にして儲ける夢みたいな時間は、もうおしまいよ」


 その声に真っ先に反応したのは、夫婦ではなく町の人間たちだった。「何かおかしいと思ったら、やっぱり俺たちからぼったくってたのか!?」「ふざけるな!」という声が、次々に上がる。


 そちらには全く目もくれずに、ディディは優雅に髪をかき上げた。


「心を入れ替えてまっとうに稼ぐか、あるいはどこかよそに移るか。どっちでも、好きにしなさいな」


 ついと顎を上げて、憐れむような視線を夫婦に投げかけるディディ。


「もっとも、わたくしとしては出ていくことをお勧めするわ。あなたたち、相当恨みを買っているようだから。夜逃げしたいのなら、わたくしが魔法で手伝ってあげてもよくってよ?」


 彼女の後ろに立つ、いきり立った町の人間たち。その怒りの表情に、夫婦はディディの忠告に従うほかなくなったのだと、そう悟った。


 青ざめて、その場に崩れ落ちる夫婦。それを見て、町の人間たちが歓声を上げた。


 そんな声を、ディディは笑顔で聞いていた。さわやかな風に、髪をなびかせながら。

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