14.真相と熱情と
上品で凛としていて、しかしそこにほのかな愛らしさをはらんでいたかつてのディディ。しかし今彼女は胸を張り、堂々とジョイエルに別れの言葉を告げたのだった。
突然態度が変わってしまった彼女に、ジョイエルは蒼白になりながら言葉を返す。
「そんな、ディディ様! 僕は貴方と、まだまだ話したいことがあるのです……どうして突然、そのようなことを……!」
「そうね……あなたが面白くない男だってことがよく分かったから、かしら?」
彼女は悠然と、突き放すような言葉を放つ。
「僕が……面白くない? 貴方と過ごしたあの日々は、嘘だったというのですか……?」
その問いに、ディディは小首をかしげた。口をつぐんだまま視線をそらし、それから不意にジョイエルに向き直る。
「あなた、自覚している? 商売がどうのこうのよりも前に、あなたには大きな問題があるということを」
「大きな問題!?」
先ほどから立て続けに衝撃的な言葉を投げつけられているジョイエルは、ただ口をぱくぱくさせながらディディの言葉を復唱することしかできなかった。
「そう、問題。あなた、人を見る目がないの」
ぽかんとしているジョイエルに、ディディはいたずらっぽくささやく。
「だから、わたくしみたいな面倒な女に引っかかってしまうのよ」
歌うように言って、彼女は馬車の中へと戻っていく。
「これ以上痛い目を見ないうちに、一度自分を見つめ直すことをお勧めするわ」
「ま……待ってください、ディディ様!!」
その背中に、ジョイエルが手を伸ばす。悲痛な表情で、すがるように。悠然と彼に背を向けていたディディの表情が、わずかに揺らいだ。
しかし彼女は、振り返りざま言い放った。いっそふてぶてしいほど、堂々と。
「これだけ罵倒されてもなお、わたくしを引き留めようとする。やはりあなた、人を……女を見る目がないわ。じゃあね、ジョイエル」
ジョイエルの手が、宙をかいた。ディディはそれ以上彼を見ることなく、その場を立ち去っていった。
しばらくしてシャイエンの屋敷に戻ってきたディディは、げっそりと疲れ果てていた。
「……さすがのわたくしも、少々良心が痛んだわ……もうちょっと、手加減してもよかったんじゃ……」
そんなディディに、リタが力強く返答する。
「ですが、きっぱり振っておかないと後々面倒なことになりかねません。……ジョイエル様が予想以上に食いついてきたせいで、こうなった訳ですが……」
難しい顔になるリタと、額を押さえてうめくディディ。
「ところで、あなたに頼んでおいたほうの件についてはどう?」
「はい、ばっちりです。近日中に動きがありますよ。黒薔薇の君の企みは、もうおしまいです」
「そう、それならよかったわ……苦労したかいが、あった……」
そんなやり取りから、数日後。
この国の社交界に、突如激震が走った。
黒薔薇の君による、アンガス家乗っ取り未遂事件。その全貌が、明るみに出たのだ。
彼女はただの、魅惑的で男遊びが激しい女性ではなかった。その裏には、二つ名にふさわしい鋭い棘を隠し持っていた。あの花は、毒の花だ。
貴族たちがそうささやき交わす中、黒薔薇の君は行方をくらましてしまったのだった。
◇
「結局そのまま黒薔薇の君は行方不明、ジョイエル様は傷心のあまり引きこもられてしまった……と聞いています」
リタはそう言って、話を締めくくった。
それを聞いた三兄弟とサリーは、みんな目を丸くしていた。男たちはあぜんとした顔で、サリーは感動したような顔で。ただ、リックだけは笑いをこらえていたが。
そして三兄弟が、ぼそぼそとささやき合う。
「……相変わらずやることがぶっ飛んでるな、女王様は」
「いや、ぶっ飛んでるのはリタさんのほう……おっとと、口が滑った」
「にしても、男の純情をもてあそんでないか?」
その声が届いてしまったのか、今の今までディディに迫っていたジョイエルがくるりと振り返った。大仰な仕草で天を仰ぎながら、三兄弟に語りかける。
「そうなのです! かつてディディ様に捨てられた僕は、その仕打ちにいきどおり、打ちひしがれました」
その場の全員の注目が、ジョイエルに集まる。しかし彼はそんな視線に構うことなく、とうとうと語り続けた。あ、自分に酔ってますねという冷たいリタの言葉も、彼の耳には届いていないようだった。
「だがその後、黒薔薇の君の企みが明らかになり、気がついたのです。確かに僕は、人を見る目がなかったのだと」
朗々とそう言って、ジョイエルはディディに熱い視線を向ける。
「貴方が、僕にそれを教えてくれた。僕に向けられた甘い言葉が偽りだったとしても、僕は貴方に心からの感謝を捧げています! 今こうして貴方の真意を聞いて、その思いを新たにいたしました!」
力強くこぶしを握ったジョイエルだったが、そこでふと不可解そうな顔をした。
「しかし……黒薔薇の君の企みを、どうしてあの時に教えてくれなかったのでしょうか……それに、貴方の真意も」
「ぽいと捨てた直後に、恋人の悪口を吹き込んで追い打ちをかけるなんて、さすがのわたくしでもためらうわよ。信じてもらえるか、怪しかったし」
呆れ顔で、ディディがすぐに答える。それを聞いて、ジョイエルはうっとりと微笑んだ。
「ああ、貴方はやはり優しい……」
「それより、わざわざこんなところまで何をしにきたの」
感極まったように目を潤ませるジョイエルに、突き放すような口調でディディが言い放つ。うっすらと嫌な予感がするわ、などと思いながら。
「貴方の危機を知って、力になりたいとはせ参じました!」
間髪を容れずに返ってきた答えを、ディディもまた即座に切り捨てる。
「いえ、結構よ。見ての通り、人手なら足りているから」
その言葉に、ジョイエルがはっとした顔になって部屋の中をぐるりと見渡す。困った顔で仁王立ちしているディディ、部屋の片隅に集まったリタとリック、サリー、ゼストにレストにシストの三兄弟。
「……これだけ、ですか?」
戸惑うジョイエルに、すかさずサリーが言い返した。
「わ、わたしが連れてきたメイドたちもおりますので!」
「そもそもディディ様のお世話なら、私一人でも十分なんです」
リタも小声で、ぶつぶつとつぶやいている。
「力仕事なら、この三人がいれば何とかなるんですよ。見た目によらず役に立ってくれてます」
リックがあっけらかんと口を挟み、三兄弟を指し示している。ジョイエルは彼らを見て、何とも言えない表情をした。ごろつき……と言いかけて、ぎりぎりのところで踏みとどまっている。
もう一度全員を見て、ジョイエルは黙り込んだ。何か考え込んでいるらしく、珍しくも顔を引き締めている。
やがてゆっくりと、彼はディディに向き直る。そうして、口を開いた。
「いや、それでも僕は、引き下がれないのです……ディディ様、貴方の慈悲深い真意を知ってしまった今ではなおさら」
今までの熱に浮かされたようなものとは違う、静かな声が部屋に響く。
「どうか僕を、ここに置いてください。貴方から受けた恩を返すまで。僕が以前の愚か者ではないと、証明できるまで」
ディディは、ジョイエルを止めようとはしなかった。彼女はただ、ぐったりと疲れた様子でため息をつくだけだった。
「……また、面倒くさいのが増えたわ……」
「大丈夫です、ディディ様! ジョイエル様が妙なことをしでかさないように、わたしがきちんと見張りますから!」
自分もまたその『面倒くさいの』に含まれているとは全く気づいていない顔で、サリーが元気よく答えていた。




