13.陰謀と色仕掛けと
「ね、わたくしが疲れた顔をしている理由が分かったでしょう?」
部屋着に着替えたディディは、寝台に腰を下ろしてため息をついていた。リタはドレスを片付けながら、そっと眉をひそめている。
「はい。せっかくの夜会でそんなことになってしまうなんて……ご愁傷様でした」
それから、ふと何かに気づいたような顔でディディに尋ねた。
「ところで、狙われている方のお名前は分かるのですか?」
「ええ。でも彼は、既に黒薔薇の君のとりこになっているみたいだったわ。人前なのに、あんなに堂々といちゃついて……」
ぶつぶつとつぶやいて、ディディは頭を抱える。
「ああもう、庭になんか出るんじゃなかったわ……」
そんなディディに、リタがちょっぴりおかしそうな笑みを向けた。
「ですが、このまま何もせず放っておくという選択肢もありませんよね?」
「そうね……放置して死なれでもしたら、ものすごく寝ざめが悪いわ。しばらくうなされそうだし。……ただ」
ディディはまっすぐ前を向いたまま、頬を膨らませている。
「……真正面から忠告しても、まず間違いなく聞いてはくれない。というか、逆にかたくなになってしまいそうな気がするの」
「ええ、私も同感です」
「どうしたものかしらね、これ。手詰まりっぽいわ。……本当にもう、どうしてわたくしがこんな目に……」
なげやりにそう言って、ディディがそのまま寝台に寝転がった。主の子供のようなふるまいにふふと笑いながら、リタが何事かつぶやく。
「……え?」
ディディが跳ね起き、目を真ん丸にする。さっきまでのふてくされたような様子はもうどこにもなく、ただ純粋な驚きだけが、その顔に浮かんでいた。
「……ちょっと待ってリタ、それ、本当にやるの? このわたくしが? もっと適役がいるんじゃない? もしくは、もっと別の方法とか」
やけに焦った様子のディディが、少し早口でまくしたてる。リタは楽しげに、にっこりと笑いかけた。
「いえ、ディディ様が適任です。やり方は私がきちんと教えますから。ね?」
「自信、ないのだけれど……」
「絶対に大丈夫です、必ず成功しますから!」
妙に弱腰のディディと、やけに乗り気のリタの相談は、夜遅くまで続いていた。
それから、数日後。ディディはきっちりと着飾り、とある屋敷に出かけていた。
「はじめまして、ジョイエル・アンガス様。わたくし、ディディアルーアと申します」
いつも通りゆったりと優雅に、しかしそこにほんの少しの愛らしさを混ぜ込んだ笑顔で、ディディが自己紹介する。
どことなく夢見がちな雰囲気のこの青年、ジョイエルこそが、黒薔薇の君の標的だった。
「アンガスの家は、代々素晴らしい商才を受け継いでおられると聞きまして……わたくし、ぜひ商売について学びたいと、そう思いましたの」
ディディの言葉に、ジョイエルが不思議そうな顔をする。
「しかし貴方は、ルシェンタ殿下の婚約者でしょう? そのようなことをする必要はないように思いますが」
「いえ、物の取引について熟知しておけば、国の統治においても役に立ちますもの」
「そういうことであれば、喜んで」
どうやらジョイエルは、元々警戒心が薄い人物のようだった。彼はそれ以上疑うことなく、ディディの願いを聞き入れたのだった。
そしてそれを皮切りに、ディディはジョイエルの屋敷をこまめに訪ねるようになっていた。
彼の屋敷には黒薔薇の君が客人として長期滞在していたが、彼女は定期的にどこかに出かけていた。その隙をつくようにして、ディディは顔を出していたのだった。恋仲のお二人を邪魔しては悪いわと、そんな言い訳をつけて。
黒薔薇の君の行き先をジョイエルは知らなかったが、ディディには見当がついていた。あの夜会の時、黒薔薇の君と一緒にいた男性のところだ、と。
でもそんなことはかけらほども顔に出さず、ディディはジョイエルと勉強にいそしんでいた。
そうこうしているうちに、二人の距離はぐっと近づいていた。
「あら、ジョイ様は博識ですのね」
商売についての勉強の合間に、そう言ってディディがくすりと笑う。そのたびに、ジョイエルは得意げな、そしてうっとりした顔をするようになった。
「いえ、僕はまだまだです。ですがディディ様に褒めていただけると、それだけで心が浮き立ってしまいます」
そして彼は、ディディが屋敷を訪ねてくる日はいつも、玄関先で彼女の馬車を待つようになっていた。
「ようこそ、ディディ様! 今日も貴方の麗しい姿を見ることができて、この上なく幸せです!」
「ふふ、大げさですのねジョイ様は」
愛らしく笑うディディに、ジョイエルがぽっと頬を染める。
「……けれどあなたには、素敵な恋人がいらっしゃるでしょう?」
ディディがいたずらっぽく問いかけると、ジョイエルは一瞬気まずそうな表情になったが、すぐにきりりと顔を引き締めた。
「確かに、僕には恋人がいます。それも、婚約して欲しいとせっつかれるくらいの仲ではあります。ですがそれとは別に、貴方と過ごす時間はかけがえのないものなのです」
そんなことを大真面目に言っているジョイエルを、ディディは優しく微笑みながら見つめていた。内心ちょっぴり呆れつつ。
その日、帰宅したディディから進捗を聞いたリタは、満足しながら怒るという器用な反応を見せていた。
「お話を聞く限りだと、ジョイエル様の心はかなりこちらに傾いてますね。もしかすると、半々よりもこちら寄りかも。さすがディディ様……というか、両手に花で浮かれるだなんて、ふざけてますねジョイエル様……」
「リタ、そもそもあなたが言い出した作戦じゃないの。半分もぎ取れたなら上々よ」
これこそリタが提案した作戦、その第一段階だった。ディディの魅力をもって、ジョイエルの心の少なくとも一部分をつかむ。そうして、黒薔薇の君の動きをけん制する。婚約、結婚。その一連の流れを、少しでも遅らせるために。
「……そうですね。それでは引き続き、第二段階をお願いします」
「ええ。これも乗りかかった船、もう少し頑張るわ」
そうしてディディは、それまでと同じようにジョイエルに会いながら、裏でこそこそと動き回り始めた。
彼の屋敷、黒薔薇の君が滞在している部屋。密かにそこを調べて、彼女の企みを裏付ける証拠を手に入れるために。
普通の人間なら、まず無理だっただろう。しかし幸か不幸か、ディディには転移の魔法があった。「わたくしがどうして、こんなこそ泥のような真似を……」とぼやきつつ、彼女は黒薔薇の君の部屋を思う存分家探しして、じきに必要な証拠を手に入れることができたのだ。
その証拠をリタに預け、ディディはジョイエルのもとにまた向かっていく。今までまとっていたほんの少しの愛らしさをかなぐり捨てて、代わりにどこか獰猛ですらある笑みを浮かべて。
そうして彼女は、玄関先で言い放った。女王の貫録を見せつけるように。
「今までありがとう、ジョイエル。そして、さようなら」




