12.来訪者再び
ある日、キスカの町にやけに豪華な馬車がやってきた。そしてそこから、やはり豪華な身なりの青年が降り立つ。
戸惑う町の人間に、彼はすたすたと歩み寄っていく。そうしてディディの居場所を尋ねると、そのまま丘の上に歩いていってしまった。
「……今の、誰だ?」
「やけに気取った貴族だったな……」
「しかも、妙にご機嫌で……」
「ディディ様に用事って……もしかして、昔の男……とか?」
「いやそれは……ある、かもな」
彼が立ち去った後、町の人間たちはそんなことを口々にささやき合っていたのだった。
そうして彼は丘の上の屋敷にたどり着き、ディディの姿を見るなりひざまずいたのだった。
喜びに頬を紅潮させている青年とは対照的に、ディディはうんざりした様子を隠そうともしていなかった。
「誰かと思ったら、ジョイエルじゃないの。どうしてあなたまで、こんな田舎に来ているの?」
「どうか、そんなつれないことを言わないでください! どうか以前のように、気安くジョイと呼んでもらえないでしょうか!」
冷ややかな視線を投げかけるディディに、ジョイエルと呼ばれた青年は少々大げさな身振り手振りを交えて応えている。
ディディの戸惑いをものともせずに、青年はぐいぐい迫ってくる。その態度に、ディディは少々既視感を覚えていた。
「……この話の通じなさ、サリーの時のことを思い出すわ……」
見せつけるようにため息をついて、ディディはジョイエルに言い聞かせた。
「……あなたに声をかけたのはただの戯れだと、別れ際に言ったでしょう? いつまでも昔の女にすがるなんて、みっともないとは思わなくて?」
昔の女。ディディの口から飛び出したそんな言葉に、屋敷の中が一気にざわつく。
興味津々のゼスト、レスト、シストの三兄弟が、すっかり定位置と化した部屋の隅っこでささやき合っている。
「なんだ、女王様の昔の男か? にしちゃあちっとひ弱そうな……」
「そもそも、女王様が火遊びしてるとこなんて想像つかないんだが」
「俺もだ。ああ見えて女王様、結構身持ちが固そうだし……」
そんな彼らに、リタがすさまじい目つきで釘を刺している。
「貴方たち、それ以上ごちゃごちゃ余計なせんさくをすると新作爆弾の的にしますよ。ほらリック、やっちゃって」
「新作爆弾の件については、内緒にしていて欲しかったんだけどなあ……存在がばれると間違いなく面倒なことになるから」
リックがそんなリタの口をさっとふさぎつつ、小声でぼやいている。
「あの、リタさん。あの方は、本当にディディ様の……?」
そしてサリーは、すっかり青ざめてしまっていた。敬愛するディディは、かつてルシェンタ王子の婚約者だった。そんな彼女に、他に男がいたなんて聞いていない。そんな顔だった。
「とにかく帰ってちょうだい、ジョイエル」
「いや、このままでは帰れません! どうか、僕の話を聞いてくれないでしょうか!」
一方でディディとジョイエルは、周囲の騒動に全く目を向けることなくそんな押し問答を続けていた。
すっかり大混乱に陥ってしまった室内を見渡し、リタが眉間にしわを寄せる。自分の口を覆っていたリックの手を引っ張って外し、ぷはあと息を吐いた。そうして、小声でぼやく。
「……ひとまず、事情を知らない人たちにはきちんと説明しておいたほうがよさそうですね。これ以上、余計な誤解を招かないためにも」
ジョイエルに手を取られてうんざりしているディディのほうをちらと見ながら、リタはリックと三兄弟、それにサリーを部屋の片隅に集める。
そうしてひそひそと、打ち明け話を始めた。
「あの方の名はジョイエル・アンガス、アンガス伯爵家の跡取りです」
彼について以前リタから知らされていたリックが、ふと何かを思い出したような顔をする。
「前から気になってたんだが、その家って貴族にしては珍しく、商売上手で有名なところだよな? 母さんから聞いた覚えがある」
「ええ、そうよ。特に現当主はかなりのやり手で、アンガス家はどんどん裕福になっているの」
リタの返事を聞いた三兄弟が、またちらりとジョイエルを見た。
「なるほどな、確かにいいところの坊ちゃんって感じだ」
「ただちょっと、商売を継ぐにしては頭が残念そうじゃねえか……? 学問がどうとかじゃなくて、こう……性格が?」
「それ、俺たちが言えたことじゃねえよ。にしても、どうしてあんなお坊ちゃんが、女王様と仲良くなったんだか」
三兄弟の感想に、リタがすかさず人差し指を突き付けた。
「そう、そこなんです!」
きりりと顔を引き締めて、彼女はびしりと言い放つ。
「ディディ様に、あんなぽわぽわした男性はまるで似合いません! それなのにジョイエル様があんな勘違いをしておられるのには、ちゃんとした理由があるんです!」
「ですよね! ああ、よかった……」
たいそうほっとした顔で、サリーが相槌を打つ。安堵と苦笑が複雑に混じり合った表情だ。
「結構とんでもない理由だけどな。前に話を聞いたとき、俺は自分の耳を疑ったぞ」
おかしそうに笑うリックを視線だけで黙らせて、リタは言葉を続けた。
「あれは、半年……いえ、十か月ほど前のことでした……」
◇
その日、夜会から帰ってきたディディは、珍しくも難しい顔をしていた。今夜はルシェ様もいないから、気軽に楽しめるわと言って出かけていったというのに。
どうしたのですか、と尋ねるリタに、ディディは答えた。夜会でちょっと、まずいことを聞いてしまったのよね、と。
「黒薔薇の君が、とんでもないことを企んでるみたいなのよ」
当時の社交界には、ディディに匹敵するほどの存在感を放つ女性が一人だけいた。
どこぞの貴族の隠し子という触れ込みのその女性は、凛々しく気高いディディとはまるで逆の、男に媚びるような色香を放っていた。
そんな彼女を、人は『黒薔薇の君』と呼んでいた。『氷の女王』と『黒薔薇の君』、この二人は社交界の双花とでも呼ぶべき存在だった。
対照的なのは、雰囲気だけではなかった。いつも悠然としていて身持ちの堅い氷の女王に対し、黒薔薇の君は男漁りが激しいことでも有名だった。
目をつけた男をたらし込み、言葉巧みに財産をかすめ取っては、また次の男へ向かっていく。彼女は、そんな女性だったのだ。
それでも不思議なことに、彼女の魅力のとりこになってしまう男性は後を絶たなかった。
そしてこの日の夜会に、黒薔薇の君も顔を出していた。彼女は当然のように、以前とは違う青年と連れ立っていた。二人はたいそう仲睦まじく顔を寄せ合っていたが、いつものことだと人々は気にも留めていなかった。もちろん、ディディも。
「しばらくして、少し涼もうと思って会場を離れたの。そうして庭に出たところで、誰かの話し声が聞こえて……」
立ち聞きするつもりは全くなかった。ただ、聞こえてきた言葉があまりにとんでもないものだったせいで、ディディは思わず立ち止まってしまったのだ。
『最高のカモが引っかかったわ。見てたでしょう、さっきの若者よ』
『いつものようにたらしこんで、でも今回は結婚まで持ち込むの』
『頃合いを見て毒を盛れば、あの伯爵家は私たちが乗っ取れるわ』
それは、男女がひそひそとささやき合っている声だった。ディディには女性の声しか聞き取れなかったが、それはまぎれもなく黒薔薇の君の声だった。
「転移の魔法を使ってその場を離れたから、わたくしが立ち聞きしていたことには気づかれていないと思うのだけれど……これ、放っておいたら死人が出るわね」
「ですね」
そうしてディディとリタは、何とも言えない難しい顔を見合わせたのだった。




