11.これまでと、これからと
そうしてディディたちは、大喜びで歓声を上げる町の人間たちに見送られ、街道を後にした。そうして、またキスカの町の屋敷に戻ってくる。
「ディディ様、ご覧になられましたか!? みなさんの、あの喜ぶ顔を!」
屋敷の居間で、サリーがはしゃいでいる。ディディは頭でも痛むのか、額を押さえてうめいていた。
「そうね……とっても喜んでいたわね……」
力なく答えるディディ。三兄弟がそんな彼女を見ながら、部屋の片隅で顔を寄せ合ってひそひそとささやき合っている。
「お、女王様が照れてるぞ。あれって照れ隠しだよな」
「街道の片付けを急いでたのが、まさかこんな理由だったなんてなあ」
「町の人間たちにどんな顔をしていいか分からねえ……なんて、意外と可愛いところがあるんだな」
そんな三兄弟を、ディディが横目でじろりとにらむ。
「お黙り、三人とも。今からでも、谷底に落としてあげましょうか?」
すると三兄弟はぴたりと口を閉ざして、一斉に明後日の方向を向いた。
しかしサリーは少しもひるむことなく、ディディに語りかけ続ける。
「ディディ様、どうしてそんな浮かない顔をされているのでしょうか? みなさんがあんなにディディ様に感謝していたのです。堂々と、誇ってください!」
「誇る……それが、普通の反応なのかもしれないわね……でも、わたくしにはちょっと……似合わないわ」
ディディは傍らのテーブルに両肘をついて、がっくりとうなだれた。そのまま、頭を抱えてしまう。それでも、サリーの言葉は止まない。
「似合わないなんて、そのようなこと! 今日のことで、みなさんがディディ様に向ける目も変わってきたはずです。この調子で頑張りましょう! わたしも、全力でお手伝いしますから!」
「サリー様、ディディ様はお疲れなのです。少し静かにしていただけますか」
ディディとサリーの温度差を見かねたように、リタが割って入る。サリーは一瞬きょとんとしていたが、また満面に笑みを浮かべた。
「はい、分かりました! それでは私、ディディ様の休憩をお邪魔しないように部屋に帰りますね。『みんなに愛されるディディ様作戦』のために、頑張って計画を練っておきます!」
そうしてサリーは、ぱたぱたと軽い足取りで去っていった。
「『みんなに愛されるディディ様作戦』って……いつの間にか、とんでもないことを考えてるな、あのお嬢様」
呆然と、リックがつぶやく。部屋の片隅で、三兄弟がこくこくとうなずいた。
「総合的に見れば、悪いほうには向かってないんだけど……ちょっと、ううん、かなり強引よね、サリー様。……昔ディディ様から聞いたのと、全然違う……」
リタが困惑の声を漏らすと、テーブルに額をつけたディディが力なく答えた。
「わたくしも、彼女があんな子だなんて思いもしなかったわ……変わりすぎにもほどがあるわ……」
その日の夜遅く、ディディとリタは屋敷の外にいた。屋敷の近くの崖の上に、ディディの魔法で二人一緒に転移したのだ。
降り注ぐような星空の下、乙女たちは草地に腰かけて話し込んでいる。ここでなら、屋敷の人間たちを起こすこともない。
「まったく、面倒なことになったわ……昼間は、どうしようかと思った……」
夜風に髪をなびかせながら、ディディがため息をつく。
「お疲れ様です、ディディ様。……あの感じだとたぶんもう何回か、あんな感じで面倒ごとを持ってくるでしょうね……」
リタも少し疲れた様子で、そう言葉を返した。うんざりした様子でディディが肩をすくめ、小声でぼやく。
「まったく、わたくしは今の暮らしを割と楽しんでいたというのに。何だか急に、色々変わってしまいそうな気がするわ」
そうして二人は、静かに星空を眺める。少しして、ディディがまた口を開いた。
「そもそもの始まりは、ルシェ様がわたくしの『悪事』について知ったことだった。いったいどこからあの方の耳に入ったのか、気になってはいたのだけれど……」
「ルシェ様は、他人を疑ってかかるような方ではないと聞いています。しかも、噂のたぐいには疎い方だと。となると、ディディ様を蹴落としたいどこかの貴族がわざわざ吹き込んだのでしょう」
きっぱりと答えたリタに、ディディもうなずいている。
「あなたもそう思う? ……まあ、犯人が誰なのか、それについては置いておきましょう。その人物はこれ以上、わたくしたちに干渉するつもりはないみたいだし。多分狙いは、ルシェ様のほうだったのでしょうね」
ディディが、ふっと言葉を途切れさせた。暗闇に、くすくすという小さな笑い声が柔らかく響く。
「……それに、彼との婚約が白紙になったことで、うまい具合にお父様を激怒させることができたのだし」
「旦那様は、かっとなりやすいお方ですから。特に目下が逆らったり、余計な口を挟んできたり……要するに、自分の思うように物事が運ばない時は」
「そうなのよ。だから、わたくしがこうやってどこぞの田舎に追いやられるところまでは、ある意味計算通りだった」
両手を後ろについて、ディディが大きく背をそらす。そうして、空を仰いだ。
「もう社交界も婚約も、肩の凝るものは全部こりごり。しばらく、田舎で羽を伸ばすつもりだったのよ……」
どこか遠くを見ているような目つきで、ディディは続ける。
「あなたがついてきてくれたし、リックも来てくれた。三人いれば、どうにかやっていけると思ったの」
「そうですね。私は全力でディディ様をお支えするつもりでしたから。たとえリックが来てくれなくても、ディディ様に不自由をさせることのないように」
「ありがとう、リタ。あなたにはいつも助けられてばかり。感謝しているわ」
「貴女の力になれているのなら、光栄です」
心底嬉しそうに、リタが答えた。けれどすぐに、小さく笑う。
「……もっとも、すぐに人手が増えましたが」
「ふふ、そうね。意外な拾い物をしたわ」
「ディディ様が彼らを雇うと言い出した時は、ちょっぴり驚きました。でも実際にこきつかってみたら、意外と素直でした。そんなところまで見抜いていたのですね。さすがです、ディディ様」
「あら、何となくよ。彼らは案外気が弱いんじゃないかって、そう思っただけ」
そう答えて、ディディは身を起こす。視線を動かし、眼下に広がるキスカの町を眺めた。
王都であれば、夜でも何かしら明かりがある。城門にはかがり火がたかれているし、屋敷の門の前にもランタンが提げられているから。
しかし今、彼女の目にはろうそくの明かり一つ映らない。それだけここは田舎で、栄えてもいないのだ。
「ただ、わたくしがこの町であんなに疎まれているとは思わなかったわ。ひとまず実害はなさそうだから放っておいたのだけれど……サリーが居座ったのは、予想外だったわ」
頬に手を当てて、ディディは可愛らしく小首をかしげる。
「前は、あんなに行動力のある子じゃなかったのにね。何でまた、あそこまで変わってしまったのかしら」
「それはきっと、ディディ様の人望ですよ」
「もう、リタったら。あなたまでサリーと同じようなことを言って」
「掛け値のない本心ですよ?」
リタの態度がおかしかったのか、ディディが小さく笑う。しかし、不意に小声でつぶやいた。
「……けれど……正々堂々と人助けをするのも悪くはないわね。照れくさくて、どんな態度を取ればいいのか分からなかったけれど」
「堂々としていらしたらいいんですよ。私の大好きな、かっこいいディディ様は、いつも胸を張っておられますから」
「ふふ、次からは試してみるわ。『悪事』を働くのに慣れ過ぎちゃったから、うまくいくか分からないけれど」
そう答えるディディの笑顔は、とても鮮やかで、透き通っていた。
それからも、サリーが次々と持ち込んできた依頼を、ディディたちはこつこつと片付けるはめになっていた。そんな、ある日。
「ああ、麗しのディディアルーア様! ようやっと、貴方に再会できた……」
黒髪の青年が、深緑の目をきらきらと輝かせながらディディの前にひざまずいていた。その顔に、隠しようのない喜びをたたえて。




