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1.悪女なりの思惑

「ディディアルーア・ミディ・シャイエン! 君の悪事の証拠は、ここにある!」


 整った顔を険しく引き締めて、青年が苦しげに叫ぶ。彼の手には、あちこちにしわの寄った紙束があった。


 ここは王宮。壁際には本棚が並び、その前に大きな机が置かれた、特に豪華な一室だ。そして今、その机を挟んで、二人の人物が向かい合っていた。


 一人は、今しがた叫んだ青年だ。柔らかな白金の髪、明るい紫の目。陶器のように滑らかな肌の、美しい青年だった。


 男性にしてはやや線が細いが、それを補って余りある気品をたたえている。まとっているのは、豪華絢爛な貴族の略装だった。


 彼の視線の先には、この上なく麗しい女性が立っていた。青年の叫びをさらりとやり過ごし、悠然と笑みを浮かべている。


 彼女はつややかな灰青色の髪をゆったりと結い上げ、強い光を宿した鮮やかな青の目をかすかに細めている。優雅な曲線を描く体に比較的簡素なドレスをまとったその様は、物腰おだやかでありながら強い生命力を感じさせた。


 ほぼ同じくらいの年頃の、青年と女性。しかしかすかに震える声で女性を糾弾する青年と、そんな彼を苦笑しながら見守る女性は、まるで姉弟のようにすら見えていた。


「そちらの紙に、わたくしの悪行がつづられていますのね?」


 どことなく笑いを含んだ声で女性が尋ねると、青年は気おされつつも言い返す。ただその目は、どことなく悲しげでもあった。


「ああ、その通りだ。心当たりがないとは言わせない!」


「こうなってしまっては、弁明するのも潔くありませんし……」


 青年の様子がおかしいことには少しも触れずに、女性は鮮やかに笑った。


「王太子、ルシェンタ・レヴェ・ファラスト殿下。あなたは、わたくしにどのような罰を与えるおつもりですの?」


 慈愛すら感じさせる微笑みに、青年は一瞬たじろいだ。しかしまたすぐに女性をにらみつけ、厳かに告げる。もっともその声は、すっかり上ずってしまっていたけれど。


「……私と君との婚約を、白紙にさせてもらう」





「……とまあ、そんなことがあったの」


「大変でしたね、ディディ様。おいたわしい……」


「ふふ、そんな顔しなくてもいいのよ、リタ」


 豪華な馬車の中で、あの女性――公爵令嬢ディディアルーア・ミディ・シャイエンことディディは、メイドと二人和やかにお喋りをしていた。まだ年の若い、少女といったほうがぴったりくる年頃のメイドだ。


 リタと呼ばれたそのメイドは、たっぷりした赤みの栗毛を三つ編みにして、メイド服に身を包んでいる。生き生きと輝く灰色の目は、強い意志と高い知性を感じさせるものだった。


 彼女は憤り半分、呆れ半分、そこにちょっぴりの悔しさを足したような複雑な表情をしている。


「わたくしはあのルシェ王子に望まれて、彼の婚約者になった。いずれは王妃となり、一生を王宮という鳥かごで終えるはずだった」


 そんなリタに、ディディが歌うように話しかける。こちらは、やけに上機嫌だった。つい先日、婚約を白紙に戻されたとは思えないくらいに。


「けれど思いもかけず、わたくしは自由になった。ルシェ王子にいきなり呼び出された時は驚いたけれど……」


「でもそのせいで、こうして田舎に追放されることになってしまいました」


 相変わらずふてくされた顔で、リタがぼやく。今二人が乗っているこの馬車は、田舎に向かってひた走っているのだった。


「そうねえ、わたくしが王子の婚約者になったことでお父様は大喜びだったし、裏切られた気分なんでしょうね。真っ赤になって、即座にわたくしの追放を決めてしまったから」


 やはりのほほんと、ディディがつぶやく。父親の怒りなど、毛一筋ほどもこたえていないといった態度だ。


 しかしそれでも、いやだからこそ、リタの怒りは増しているようだった。


「旦那様は、自分の思い通りにならないことがあるとすぐにかっとなるお方ですから。奥方様は旦那様にうなずくことしかしませんし」


「ちょっとリタ、一応はあなたの雇い主なのよ? ちょっと辛辣じゃないかしら」


 リタの遠慮のない物言いに、おかしくなったのかディディが笑いながらたしなめる。


「いいんです。私の主は、ディディ様だけですから」


 つんと顎を上げて、リタが言い切る。その愛らしい様を苦笑しながら眺めていたディディが、不意に表情を曇らせた。


「……そのことなのだけど、本当についてきてしまってよかったの?」


 リタは元々、シャイエン公爵家に仕えるメイドだった。しかしディディが追放されると知った彼女は、ためらうことなくディディについていくことを決めたのだった。


「公爵家でメイドとして勤め上げれば、いい縁談も得られるし、次の仕事も探しやすい。でも田舎に行ってしまったら、それも無理になるから……」


「私の幸せは、ディディ様と共にあることです! 次の仕事なんて知りません! それに素敵な殿方は、田舎にだっているかもしれませんし!」


 申し訳なさそうなディディに、リタは堂々と胸を張って答えた。しかし次の瞬間、ぷうと頬を膨らませてしまう。


「それはそうとして、ディディ様をあっさりと悪女扱いするなんて……本当にルシェ様は、見る目のない方ですよね。別れられてよかったです、まったく」


「ふふ、仕方ないわよ。今までわたくしがしてきたことって、ぱっと見は……悪事そのものですもの」


「それはまあ、そうなんですが……」


「ほら、あの時のことだって……」


 そうしてディディとリタは、思い出話に花を咲かせ始めた。





 それは、ディディがまだシャイエンの屋敷で過ごしていたある日のこと。


「も、申し訳ありません、ディディ様!」


 メイドが真っ青になり、床にひれ伏している。そのかたわらには、小さな手桶が横倒しになって転がっていた。


 そして彼女の前には、ディディが仁王立ちしていた。彼女の上等な絹のスカートにはたっぷりと水が染み込んでいるし、その肩には濡れた雑巾がへばりついている。


 普段からそそっかしいところのあるこのメイドは、拭き掃除をしようと廊下を歩いていた。


 しかしよく磨きこまれた石の床で足を滑らせ、手桶の中の水をぶちまけてしまったのだ。運悪く、ちょうどそこを通りがかったディディ目がけて。


 顔に飛んでしまった水をハンカチで拭いながら、ディディは感情のない声で尋ねる。


「……あなた、確か元騎士の娘でしたかしら?」


 その声音に、ひれ伏したメイドはかろうじてうなずきを返したものの、何も言うことができずにただ震えていた。


 ディディは、貴族の中でも最上位の公爵家の娘だ。そしてその貫禄と鋭い眼光、冷静かつ歯に衣着せぬ物言いから、社交界では『氷の女王』と呼ばれて恐れられ……一目置かれていた。


 そんな彼女相手に、そそうをしてしまった。メイドはもう、この世の終わりのようにおびえ切っていたのだった。


 と、騒ぎを聞きつけたメイド長が血相を変えて割って入る。


「ディディ様、この者は仕事に不慣れで……この辺りの掃除を担当させておけば、ディディ様や旦那様、奥方様の目に入ることもないと考えておりました。そうして少しずつ、練習させていくつもりだったのです」


 そうしてメイド長は、メイドの隣に膝をつく。


「今回の失態、仕事の割り振りを誤った私のとがでもあります。どうか、寛大なご判断を……」


 そんな二人に、冷ややかな声がかけられた。


「親が倒れて騎士として働けなくなり、しかも親の薬代のために莫大な借金を抱えた末に、この屋敷で働くことになった……でしたわね、そちらの子」


 ディディのそんなつぶやきに、メイド長とメイドがびくりと身を震わせた。


 それはディディの気迫に押されたからでもあり、そして同時に、この屋敷の主の娘たるディディが、こんな末端のメイドの事情を把握していたことについての驚きからでもあった。


「けれどそれは、わたくしに水を浴びせていい理由にはならない。まともな家事一つこなせない娘がメイド働きなんて、笑わせるわ。働き口を間違えたのではなくって?」


 そう言ってディディは、すっと片手を掲げる。


「もういいわ。わたくしの目の前から、消えてちょうだい」


 その手から、まばゆい光がほとばしる。その光は哀れなメイドを包み込み……そしてメイドもろとも、消えた。その場に居合わせた者が、みな震え上がる。


 これは、ディディが得意とする魔法だった。


 この世界には、ごくまれに魔法を使える人間が生まれてくる。誰に学ぶでもなく、自然と魔法を会得するのだ。


 そしてディディも、そんな人間の一人だった。彼女は破壊の魔法や消滅の魔法、その他の恐ろしい魔法の数々を使いこなすのだと、人々はそうささやいていた。


「……今度は、もっとまともなメイドを雇ってちょうだい」


 針一本落としても聞こえそうなほどの静寂の中、ディディの声が響く。何の感情も載せていない、平坦な声だった。


「はっ、はい!」


 震える声で返事をするメイド長には目もくれず、ディディは足早にその場を立ち去っていった。濡れた雑巾を、ぼとりと床に落としながら。





 そこまで語ったところで、ディディはふうとため息をつく。ちょっぴりおかしそうな、そして満足そうな顔で。


「我ながら、あの時はいい演技ができたと思ったわ」


「私も見たかったです……ディディ様のその雄姿」


 一方のリタは、少し残念そうにしている。


「あんまり見せたいものじゃないのだけれどね。それよりもあの時は、あなたの働きに助けられたわ」


「そう言っていただけると、頑張ったかいがありました!」


 そうして二人は、思い出話の種明かしへと移っていったのだった。

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