姫様と菓子職人と女騎士と、その後
「アマンダ! お帰りなさい!」
ご友人たちと女子会をしていた姫様が、こちらに気づくなり名前を呼んでくださった。
「姫様。ご歓談中に失礼いたします。演習から戻ったばかりのため、このような恰好のままで申し訳ございません」
「私がすぐ会いたいっておねがいしたのだから、気にしないで。ケガをしていなくて良かったわ!」
実は、急きょ騎士団の演習に参加することになり、約一ヵ月ぶりの登城だった。
本来は身なりを整えてからご挨拶するべきだが、姫様からすぐに顔を見せるように連絡を受けたので、そのまま直行すると姫様は輝くような笑顔を向けてくださった。
とはいえ、土埃のついた格好のままでお茶の席に長居するのは気が引けるので、片膝をついて姫様に挨拶をする。
「姫様にお変わりがなくて良かったです。明日からは再び護衛を務めますので、よろしくお願い致します」
「ええ。また明日からよろしくね」
まだ七歳とは思えないほどしっかりとした口調の姫様に感動しながら、騎士の礼をして立ち上がり、姫様のご友人方にも礼をして側を離れる。
顔見知りの侍女たちにも挨拶をしてから退出する前に、気になって部屋の端にいた城の料理人たちの方をちらりと伺った。
すると、その中の一番若い男性と目が合った。
思わず飛び跳ねそうになっていると、彼は目が合ったままいつものように笑いかけてきた――。
少し迷いつつも、いつもの場所へと向かう。
姫様の女子会が行われたあとの恒例ではあったが、私はこの一ヵ月近く演習で不在だったので、今日はないかもしれない。
けれど、もしも用意して待ってくれていたら……。
そんなことを交互に考えながら、いつも約束している部屋の前へとたどり着いた。
だが扉を前にしても迷い、しばらく立ち止まったあと意を決して扉を開けようとしたそのとき、急に中から開いた。
「ぅわ!」
「なかなか入ってこないので、どうしたんですか?」
中から扉を開けたのは、先ほど目が合って笑いかけてくれた人物。
姫様の女子会のデザートを作る若き菓子職人だ。
相変わらず温和な微笑みを浮かべ、彼の方こそデザートのような甘い雰囲気があふれていた。
しかし私の頭の中には、演習に出向く直前に言われた『下心』という言葉がよみがえっていた。
そう、あのあとすぐに演習へ行くこととなったため、彼と顔を合わせるのはあの衝撃発言のとき以来なのだ。
それを思い出して緊張しそうになったが、彼は普段と変わらない様子で部屋の中を示した。
「用意できていますよ」
その言葉と共に部屋の中へと視線を向ければ、先ほど姫様にご挨拶をしたときに少しだけ見た、いつも通り美味しそうなデザートの数々が並んでいた。
思わず引き込まれそうになって、しかし入り口の手前で踏みとどまる。
部屋の中に入るのを躊躇してしまうのは、あの衝撃発言を思い出したことだけが理由ではない。
「あ、いや……しかし、今日は演習から帰ってきたばかりで汚れているから……」
演習帰りなので服も綺麗とは言えない上に、汗くさくもあるだろうから、美味しく可愛いデザートの前では気が引けてしまう。
そう思って今日は遠慮しようとしたのだが……。
「あなたのために用意したものなので、食べて貰えなければ無駄になってしまいます」
眉が垂れ下がり、残念そうな声音で言われてしまうと、断ることなんてできない。
あとで部屋を綺麗に掃除しようと決意しながら、いつものように椅子の上に腰を下ろした。
目の前には、美味しそうなデザートが並んでいて、演習で甘いものと疎遠になっていたせいで、思わずよだれが出そうになる。
しかし、約一ヵ月ぶりにも関わらず、いつも姫様の女子会のあとに用意されていたときと同じようにデザートが並んでいて、もしかして私が留守の間も用意してくれていたのだろうかと思った。
演習への参加が急に決まったため、彼にそれを伝える時間はなく、もし用意してくれていたとしたら申し訳なかった。
「もしかして、姫様のお茶会のたびに用意してくれていたり……?」
「いえ、騎士団の演習で不在だと教えていただきました」
「だ、だよね!」
「けど、今日は帰ってくると聞いていたので、張り切って用意しました」
「んんっ」
「ちなみに帰ってくることを教えてくださったのも姫様です」
「えっ!?」
演習に行っていた間もデザートを用意してくれていたのだろうかと勘違いして恥ずかしくなっていると、思わぬ言葉と、思わぬ人物が出てきて、理解が追い付かなくなる。
そんな私に構わず、彼はケーキとお茶を差し出してくれた。
「姫様に先に言われてしまいましたが、ケガがないようで良かったです。演習で疲れているでしょうから、帰ってきたら甘いものを食べて貰いたかったです」
彼の言葉通り、演習で疲れた体に甘いケーキは染み入った。
ふんわりしたスポンジと、甘い生クリームと、上にはさくらんぼの乗った贅沢なケーキの甘みを堪能する。
「あなたも、ぼくの作ったデザートを食べたいと、思ってくれましたか?」
思った。
演習中は甘い物なんて縁遠かったので、彼の作るデザートがしょっちゅう夢に出てきたし、硬いパンを齧っているときはこれがチョコチップクッキーに変わらないかなと思ったりした。
けれど、それよりも思ったのは――。
「ぼくのことも、思い出してくれましたか?」
甘いデザートを思い出すとき、必ず微笑んでこちらを見てくる彼の姿があって、夢の中だというのに落ち着かなくなった。
今は、夢ではなくて現実で、にこにこと微笑んでいる彼が目の前にいて、夢の中よりももっと落ち着かなくて私は自分でも分かるほど顔を赤くしながら頷いた。
「良かった。胃袋、つかめていたようですね」
胃袋どころか私の夢の中まで占めていたのだから、もう完敗だった。
「あ、あの、私のどこが良いんだ……? 職業柄、今みたいに身綺麗ではないし、淑やかでもないし、あまり好かれる要素はないと思うんだが……?」
どちらかといえば、姫様付きの侍女たちの方が断然モテるタイプだ。
実際に、同僚の騎士たちからは侍女を紹介してくれとよく頼まれる。
そう言うと、彼は首を横に振りながら微笑んだ。
「悩んでいた新人菓子職人に、親身になってどんなデザートが良いか一緒に考えてくれたアマンダさんが、ぼくは好きです。その上、自分の作ったものをこんなにも美味しそうに食べてくれるんですから、あなたの胃袋を独り占めしたいんです」
どうやら、デザートのように甘い笑顔のこの菓子職人は、なかなか独占欲が強いらしい。
そして私も、もう彼の作るデザート以外では満足できない胃袋かもしれない。
「あと、こちらも独り占めしたいです」
そんなことを考えていると、不意に頤を持ち上げられた。
彼の顔が近づいてくる。
「え……――っんぅ」
生クリームよりも甘いキスが降ってきた。