第44話 全ての始まり
全ての始まりは、今から十二年前だった。
柊ジンは、当時十六歳の高校一年生だった。中学の頃、剣道部の大会で全国優勝という偉業を達成しあらゆる剣道の名門校からスカウトが来ていたが、ジンはそれらを全て断って、地元・横浜の高校に進学した。
彼がそうしたのは、今まで慣れ親しんだ土地を離れたくないという理由もあったが、剣道の指南役は彼の父親で十分だったというのが最たるものだった。
今日も朝から父に稽古をつけてもらい、ひと汗かいてから学校に向かっていた。
「ジーン! おっはよー!」
ぐったりしながら歩いていたジンに、一人の女子が話しかけた。九十九マイ、ジンの幼馴染だ。
「マイ、今俺はめっちゃ疲れてるんだ。今日は親父に厳しくしごかれてさ……」
「それは大変だったねー。まあでも、この調子なら高校でも全国大会優勝できそうだね!」
いつも通りうるさいくらいの声量で話すマイに対し、静かにしてくれと懇願するジン。何の変哲もない日常が、そこにはあった。
「お、ジンさんにマイさんじゃん! おっすー!」
彼らの後ろから、ランドセルを背負った小学生が駆け寄ってくる。十一歳の時雨ナギだ。
「ナギ君おはよう! 最近の調子はどう?」
「剣道はすこぶる快調! 勉強は……、まあいいや!」
ナギはコロコロと表情を変えながら言った。
彼もまた、剣道の小学生の全国大会で優勝を飾った期待の新星である。ジンに次ぐ柊剣道場の顔になるだろうと、皆から期待されていた。
「ナギ君、勉強もちゃんとやらないとダメでしょ? ジンも何か言ってやってよ!」
「そうだな。ナギ、これから勉強もどんどん難しくなってくから、ちゃんとやらないと剣道もできなくなるぞー」
「ちぇっ。分かったよ。やればいいんだろやれば!」
ナギはそう言って、ぷんと怒って足早に去っていった。
「ジンも、剣道に夢中になりすぎて、勉強しなかったらダメだからね」
「大丈夫だよ、俺は」
小さい足で走っていくナギの背中を見ながら、二人も学校へと歩いて行った。
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十六時、ジンたち高校生は授業を終え、学校から解放されていた。
ジンは剣道部の練習がオフの日で、マイは勉強のため部活に入っていなかったので、この日二人は一緒に下校していた。
「それにしてもさ、数学の先生ひどくない!? 私が解いた数式、合ってるのにやり直しにしたんだよ!?」
「それはお前が難解すぎる式で解いたからだろ。あの人はお前に、皆に説明してほしかったんだよ。お前は頭が良すぎるんだ」
「え~、そう~?」
そんな事を話しながら、二人が帰り道を歩いていた時。
———運命は動いた。
「……ん? ねえジン。あれ見て」
突如マイが話すのをやめ、上の方を指さした。
彼女が指さす所には、実に不思議な光景が広がっていた。
まるで空間が歪んでいるかのように、空の一部分が揺らめいていた。
「は? 何だあれ?」
ジンも、それを見て全く理解が及ばない様子だった。
そして、その揺らめきは突如として、真っ二つに裂けた。
「……は?」
裂けた空の向こう側は、完全な漆黒だった。
あの中に入ったら、待っているのは死だけ。そう思わせるほどの根源的な恐怖を感じた。
「ねえジン! あれ……!」
マイがその穴を見て、ヒステリックな声を上げた。
その穴から、人間が降って来たのだ。
「え!? 何これどういう事!?」
「とにかく! 受け止めるぞ!」
二人は咄嗟に動き出し、落ちてきた人を何とかキャッチした。
「この人、濡れてる……?」
マイは予想だにしなかった不快感に突然襲われ、表情を歪める。何故か落ちてきた人は、全身びしょ濡れだった。
「見ろ。穴が閉じてくぞ!」
ジンが言った通り、その穴は少しずつ小さくなっていっていた。そしてやがて、そこには何もなかったかのように完全に消滅した。
「この子……、一体何者?」
その穴から降って来た人は、十四歳くらいの少女だった。全身びしょ濡れで顔色も悪かったが、息はある。一時的に気を失っているだけのようだ。
だが驚くべきは、その少女は金色の美しい髪をしていたことだ。
「外国の子……? とにかく、早く処置しないと」
「ひとまずウチに連れていこう」
二人は急いで少女をジンの家——柊剣道場に連れていき、彼女の処置を行った。
幸い擦り傷程度で大きな怪我はなく、医学に精通しているマイの力もあり、少女は安心できる状態になった。
「これで一安心……。体も温めたから、あとは目覚めるのを待つだけだね」
マイはここまでの疲れが一気に来たのか、その場にぐったりと座り込んだ。
「……俺もまだ理解が追い付かないよ。一体何がどうなってるんだ? あの穴はイタズラとかじゃない。絶対に本物だった。じゃあアレは何だ? ……ダメだ、何にも分からない」
二人とも、あまりにも唐突な出来事をまだ受け入れることができていなかった。
そんな時だった。
「………ここは?」
少女が、目を覚ました。
「……起きた」
二人は唖然としていたが、何か言わないといけないと思い、ジンは慌てて口を開いた。
「どうも……、俺は柊ジンです。ここは俺の家で、貴方が気絶した状態で空から降って来たので、一旦ここに連れてきて処置をしました。……それで、貴方は一体?」
ジンは動揺しながらも、必要な事を伝えた。
「私も何が何だか分からなくて……。あれ、魔力が、無い……?」
少女は何か言い出したと思ったら、よく分からない事を呟きだした。だが、目を大きく見開き、ひどく動揺している様子だった。
「魔力? 君は一体、何を言っているんだ?」
よく見ると少女は、金色の髪だけでなく、深い輝きを放つ紅い瞳も持っていた。ますます、彼女が何者なのか分からなくなる。
「あの……、お二人は『イリベルタ島』という島を知っていますか?」
少女は、今にも消えそうな程に震えた声で聞いた。
「……知ってる?」
「いや……。調べても出てこない。架空の島?」
その返答を聞いて、少女は絶望した表情で倒れこんだ。
「えっ、どうしたの? 具合悪くなった?」
「……いえ、それよりももっと酷い事です」
少女は空虚な瞳で宙を見ながら呟いた。
「………ここはもしかしたら、私がいた世界じゃないのかもしれません」




