⑤魔法歴女ひすとりりかる
高校生、麻止史子は魔法歴女である。
魔法歴女とは、魔法使いで歴女。
要するに人知を越えた不思議な力を持つ歴史おたくの女の子である。
すべての始まりは半年前。
封印されし悪の秘密結社「ふること」が復活をはたした、運命の日。
あの瞬間、史子の魔法歴女としての才能が宿命的に目覚めたのだ。
「ふること」は悪の心を持つ時空魔導師の集団である。
彼らは時空間を自在に跳躍し、歴史の一場面に移動する魔法を操る。
その力を悪用して歴史上の偉人たちに接触し、日本の歴史を改変しようとしているのである。
その野望を阻むべく、史子は日夜「ふること」の手先と戦い続けているのだ。
◇◇◇
「時空に歪みが生じたれき! 魔法歴女、出動れき!」
「分かったわ! 変身!」
使い魔の歴狐が敵の出現を察知する。
史子は迷いなく変身して時空の渦へと飛び込んでいく。
数学の授業中であったが、崇高な使命の前では些細な事であった。
「れっこ君。今度の敵は何時代に現れたの?」
「明治時代だれき! 正確には明治三年れき!」
「なるほど。つまり西暦でいうと千八百七十年ね」
史子が正確に年号変換してのける。
魔法歴女にとってはこの程度は基礎技能にすぎない。
「敵の狙いは誰なのかしら。この時代の大物といえば、やっぱり伊藤博文か大隈重信あたり?」
敵が狙うであろう今回の標的を予測する史子。
前回の出動時には、今川義元を桶狭間で勝たせようと暗躍していた。
その前は鎌倉幕府成立前の時期に源頼朝を暗殺しようとしていた。
敵は今度もまた、歴史上の偉人の誰かの前に現れるはずだ。
歴史を変えるために。
それは、歴史を尊く思っている魔法歴女にとって決して許せない悪行であった。
「敵の反応は近いれき! 気を引き締めるれき!」
歴狐に導かれ、時空空間を跳躍した史子。
ほどなくして、明治時代の街並みの一画に降り立った。
「あっ! あそこ! すでに襲われてるれき!」
歴狐が叫ぶ。
示す方角に史子が顔を向けると、「ふること」の手先である魔法戦闘員たちの白装束姿が視界に入った。
白装束たちは、中年の男一人を取り囲んでいる。
すでにかなり危険な状態であるようだ。
「捕まってるあの人は誰れき!?」
「ちょっと待って。教科書では見慣れない顔だわ」
史子は即座にぐぐろうとしたが、過去では電子端末は使用できないことに気付いて舌打ちした。
このままでは今回巻き込まれている偉人が誰なのかが判別できない。
「無様よのう! あやつを知らぬとは、魔法歴女が聞いて呆れるぜよ!」
「ああ! あんたは!」
史子の前に立ちはだかるように、黒装束の男が出現した。
「ふること」の魔法戦闘員たちを束ねる、悪の大幹部の一人である。
「出たわね! 今度は何を企んでいるの!?」
「知れたこと。あやつをここで始末すれば日本の郵便制度は完成を見ることはないけえのう。そうなりゃあ現代社会が大混乱に陥るっちゅうわけよ!」
「郵便制度……? ってことはあの人は……っ」
その会話から、史子は今回の標的が誰なのかをようやく理解した。
明治時代初期の政府官僚。
この国に郵便の仕組みを築いて全国普及させた、日本近代郵便の父。
前島密である。
一円切手の肖像画にもなっている人物だが、この時代の前島密はまだかなり若い。
なので、さすがの史子もそうと言われるまでは分からなかったのだ。
「社会基盤そのものの成立を妨害しようだなんて、いよいよあんたたちも本気ってわけね」
「そのとおり! 適当に公家やら戦国武将やらを消しても現代に与える影響はいまいち読みきれんものよ。じゃったら現代日本の礎とも言える明治以降の政策を邪魔したほうが効果は大きいっちゅうことぜよ!」
やっかいね、と史子は思った。
どうやら今後の敵勢力は明治以降の偉人に的を絞るつもりらしい。
史子の推し偉人は鎌倉から安土桃山時代に多いのだが、今後はそちら方面に会う機会は少なくなりそうであった。
「まずは手始めに前島密を消してやるぜよ。そうなりゃこの国で手紙をやりとりするなんて事は困難になるけえのう。ひゃははは」
「なんてことを考えるれき!ひどいれき!」
敵幹部が高笑いし、歴狐が怒りのままに歯噛みする。
その傍らで、史子の拳にも思わず力が入った。
「許せないわ」
「なにぃ?」
「手紙は離れた人と人の想いを繋ぐ大切なものよ! それを届けるための郵便制度を破壊しようだなんて、絶対に許せないんだから!」
怒りの感情とともに、史子の周囲に風が逆巻く。
魔力が昂っているのだ。
今すぐにでも敵を葬るため、彼女は臨戦態勢に入っていた。
「そうは言うが貴様、手紙なんて出したことあるんか?」
「なっ!」
「どうせ今どきの若いもんは電子郵便とかいうやつを使っとるんじゃろ? 手書きの手紙なんざ出したことあるんか? そもそも投函の仕方を知っとるんかあ?」
「ぐ、ぐぬぬ」
敵幹部の指摘は図星であった。
よくよく考えたら日常生活で手紙なんか書く機会は史子にはまるでなかった。
動揺したせいか、史子の魔力の出力がみるみるうちに下がっていく。
「ちょ、ちょっと! どうしたれき!?」
「悔しい……言い返せないよう」
「落ち着くれき! さっきのが図星でも、郵便制度を無くして良い理由には全然なってないれきよ!」
「はっ! それもそうよね!」
歴狐の説得に、史子は冷静さを取り戻した。
単純である。
途端、みるみるうちに彼女の魔力が増幅されていく。
敵を殲滅する準備は、たちまちのうちに整った。
「おっと、こいつはやばい。退散ぜよ」
敵幹部はそそくさと時空間に逃げ込んだ。
だがその場には、前島密を取り囲む無数の白装束の群れがまだ残っている。
「時空の理を曲げようとする者どもよ。断罪の焔を喰らえ!」
史子は、必殺の魔法を放った。
「ひすとりりかる・いんふぇるのっ!」
次の瞬間、天と地の両側から煉獄の炎が召喚された。
炎は悪しき心を持つ「ふること」の戦闘員のみを一瞬にして灰塵と帰していく。
これが、魔法歴女として史子が編み出した対魔導師用の必殺技であった。
戦闘員どもは全滅し、灰となった彼らは時空間へと散っていく。
その場には史子と歴狐、そして今回の被害者である前島密が残された。
「な、なんだかよく分からないが、君が助けてくれたのか。ありがとう」
「どういたしまして」
事務的な挨拶をしつつ、史子は前島密から今回の出来事の記憶を消去した。
これにて歴史は史実通りに流れることになるだろう。
かくして、魔法歴女の活躍により、日本郵便制度は守られたのであった。
なお後の世に電子通信が登場して以降、手紙のやりとりは各段に減少した。
たしかにそれは事実であろう。
しかし、手紙によって紡がれた想いや絆が無数に存在したのもまた事実。
かつて戦争や災害が起きたときも、手紙によって救われた人々は確かにいた。
そんな手紙を体系的に届ける仕組み、すなわち郵便制度を作り上げた前島密という人物の偉業は、もっと広く知られても良いのではないか。
現代へと戻る時空跳躍の最中、史子はそんなことを考えたのであった。
◇◇◇
「また会ったのう! 魔法歴女!」
舞台は幕末最後の年、慶応三年。
それは同時に、明治元年を迎える直前でもあった。
前回から少しばかり遡った時代で、再び史子は敵幹部と会敵していた。
だが。
「どういうこと!?」
「なにがじゃい」
「だって、今回のあんたたちの標的って……」
白装束たちに囲まれ、今にも襲われそうになっている人物。
その顔に、史子は見覚えがあった。
というより、ついこの前見たばかりだった。
前回より少し若いようだが、間違いない。
「なんであんたたち、また同じ人を襲ってるのよ!」
そう。
襲撃されているのは、またしても前島密その人であった。
同じ偉人が襲撃されるなんて、初めての事態だ。
「まさかまだ郵便制度を妨害する気なの?」
「違うわい。今度の狙いは遷都じゃい」
「遷都……? ああっ!」
敵幹部の種明かしに史子は思わず唸り声を上げた。
「ど、どういうことれき? 分かんないれきよ!」
「この時代は慶応三年でしょ? そろそろ明治政府が成立して、首都をどこにしようかなって考えはじめる時期なのよ」
「そ、それがなんだっていうんだれき?」
いまいちぴんと来ていない歴狐に、史子は言葉を続ける。
「このころ大久保利通は、日本の首都を大阪にしようとしてたのよ。それが政府内でも主流の考え方だった。でも前島密が首都を江戸のままにすべきと主張して、それが通ったのが今の東京なの」
「そ、そうだったれきね。で、それがどうしたれき?」
分かんないかなあ、と史子は肩をすくめた。
「つまりこの時代で前島密を消せば、現代日本の首都は大阪になるって寸法よ」
「な、なんだってれきぃっ!」
驚愕の声をあげる歴狐。
大阪が日本の首都になるなど、あまりに突拍子もない話だ。
「首都が変われば国の歴史も大きく変わるじゃろ。混沌の幕開けじゃあ!」
「ゆ、許せないわ! そんなこと!」
大阪が首都になると歴史がどう変化して、なにがどのように問題なのか。
いまいち上手く想像できなかったが、とりあえず史子は激昂した。
前島密の命が再び脅かされている。
怒りの理由はそれで十分だ。
かくして魔法歴女と「ふること」の戦いがいつものように始まった。
鉄道、電話事業、運送業に産業博覧会などなど。
今後も繰り返し襲われる理由になるであろう前島密の功績の数々に思いを馳せながら、史子は今日も敵を全滅させたのだった。
◇◇◇
それ以降、日曜朝の子供向け番組「魔法少女ひすとりりかる」は、敵に狙われる偉人が前島密と渋沢栄一ばかりになって新鮮味がなくなったため人気が低迷した。
だが奇しくも番組宛には、劇中で敵幹部に軽く揶揄されていた「手書きの手紙」による子供たちの応援がそこそこ届いた。
それらの想いに支えられて、番組は無事に最終回を迎えることができたという。
この番組もある意味では、前島密によって救われたのかもしれない。