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①代筆の螺旋 後編

 「やいやい、増吉はいるかあ!」

 「なんだ与太郎この野郎。さては恋文書けねえってんで泣き戻ってきたなぁ?」


 もうすぐ正午になろうかという頃合い。

 与太郎の隣家に住まうという傘職人のもとへ辿り着いたりく爺。

 そこで目にしたのは与太郎に負けじと威勢のよさそうな男、増吉である。


 軽く挨拶をかわしたあと、りく爺はすぐさま本題に入った。


 「増吉さんっていったか。あんた、どこぞの娘に恋をしているらしいね」

 「ああ? さ、さては与太郎、てめえが話したな」

 「どんな相手か興味あって尋ねに来たんだ。ここはひとつ教えてはくれないかねぇ」

 「相手って言われても、そ、そんな急に、え、ええと、分かんねえな」


 増吉が目に見える形で激しく狼狽する。

 最初は照れているのかとりく爺には見えたが、何やら様子がおかしい。


 この反応はどこかで見たことがある。

 そう、例えば、つい先刻。

 りく爺が与太郎に、恋文を渡す相手のことを尋ねたときの反応がそれだ。


 「なんだ増吉。お前、惚れた相手のことも知らねえってのか?」

 「そ、そんなわけあるか。ただうっかり聞き忘れただけ……あっ」


 思わず口が滑った、というような表情で増吉が慌てて黙り込んだ。


 この時。

 まさか、とは思いつつも、りく爺の中にある推測が沸き起こった。


 「あんた、もしかして、誰かから代筆を頼まれているんじゃあないかい?」

 「な、なんでそれをっ……」


 やはりか、とりく爺は思った。

 あっさりと看破されて観念した増吉は、ほどなくして勝手に自供を始めた。


 要約すると。

 一昨日の夜、増吉は傘を買い取りに来たひいきの商人から恋文の代筆を頼まれたのだという。

 何を書いたらいいか分からないから、上手い口説き文句を設えてくれと。


 だがこの増吉という男、子供の頃は親の方針で家業の傘作りを手伝わされ、寺小屋になど通わせてもらえなかった。

 それゆえに字の読み書きが出来ないにも関わらず、商人の依頼に対してつい見栄をはってしまい、一つ返事で承諾したのである。


 細かい所は違えど、増吉の事情も与太郎と同じ。

 無筆を隠し通さんがために、代筆を安請け合いしてしまったというわけだ。


 なんともややこしいことになってきた、とりく爺は思う。

 どうやら自分は代筆の代筆の代筆を頼まれていたらしい。


 「全て打ち明けた以上はもう恥も外聞もねぇ。この際、貴方がこの代筆をうまくやりとげちゃあもらえねえだろうか。お客の頼みを一度引き受けておきながら匙を投げたとあっちゃあ、職人として信用を失っちまう」


 増吉が頭を下げてりく爺に懇願した。

 半ば呆れていたりく爺だが、面と向かって頼み込まれては断れない。


 「仕方ない。じゃあその商人の御方の元に案内願えるかい?」


 商人から恋慕相手のことを上手く聞き出す。

 そうしたら一旦家に戻って、上手いこと恋文を取り繕う。

 あとはそれを増吉が商人に渡せば、全てが丸く収まる。


 そう説明すると、増吉はぱっと顔を上げて、それから何度も笑顔で頷いた。

 りく爺に従えば上手くいく、と確信したようである。


 こうして、三人は件の商人のもとへと向かったのであった。


◆◆◆


 さて。

 もうこのあたりから先の展開はもう諸兄諸姉の想像通りであろうか。


 さっそく商人のもとを尋ね、想い人の情報を聞き出そうとするりく爺一行。

 しかし商人は言葉を濁し、黙して語ろうとはしない。

 そんな状況にいい加減慣れてきているりく爺が追及すると、商人は恥じ入るようにしぶしぶと明かす。


 「実は問屋の大将から頼まれまして……」

 「あんたもかい」


 この商人、丁稚奉公の時分に読み書きそろばんの教育は一通り受けている。

 だから商現場で頻出する文章などは問題ないが、気の利いた繊細な表現を要する恋文はとてもじゃないが書ける気がしないのだという。


 しかしそれが知られると人生経験が少ないだとか、文才がないだとか思われそうで我慢ならず、つい代筆を請け負ってしまったという次第であった。


 どうやら自分は代筆の代筆の代筆の代筆を頼まれていたらしい。

 見栄というやつは、学の有無とは関係なく人の心の中にあるようだ。


 さてはて。


 頼みを達成できなければ問屋との信頼関係が壊れると言い出す商人。

 やはり頼み込まれて、恋文代筆の試みを継続することになったりく爺。

 一行は、恋文代筆を依頼したという問屋のもとへ向かう。


 この時点でりく爺は嫌な予感がしていた。

 二度あることは何度でもある。


 はたして。

 問屋はやはりというべきか、自分も代筆を請け負っていたと白状した。

 問屋に出入りする港場の役人から頼まれたのだという。


 役人の依頼を失敗できぬからなんとかしてくれと問屋に頼まれるりく爺。

 まるっきり同じ展開を繰り返している。


 その後も、恋文の依頼主を巡る道中は続いた。

 港場役人、町奉行所の役人、武家屋敷の客人などが次々と現れる。


 どいつもこいつも事情は同じ。

 代筆の螺旋がどこまでも続くかに思われた。

 途中からりく爺は、自分に回ってきた代筆依頼が何次請けであるかを数えるのを諦めた。


 早く終わってほしい。

 そう願いながら、りく爺たち一行はとある場所に辿り着いた。


 天下に名高い江戸城の門の前である。


 さすがにここから先は下々の者では立ち入ることが叶わない。

 しかし次に会うべき相手は、この先にいる江戸幕府の役人であった。


 夕刻になれば、目的の相手が城勤めを終えて屋敷に戻るはず。

 そう考えたりく爺は、相手を往来で待ち構えることにした。


 さすがに城の前で大勢で出待ちしていては討ち入りの疑いをかけられかねない。

 りく爺以外はひとまず解散の運びとなる。


 一人になると、りく爺の中に小さな不安が浮かんできた。

 このままいくと、最後には征夷大将軍に行き着くのではないか。

 なんとも恐れ多いことである。


 そのような想像をしているうちに、退勤となった旗本、御家人らがぞろぞろと城門から出はじめた。

 江戸城の門限は厳しく、暮れ四つまでに退勤しなければならない規律だ。

 つまり夕陽が落ちるまでには待ち人が現れるはずである。


 はたして、その人物は半刻もしないうちに城門から姿を現した。


 「お久しぶりですな、弘賢殿」

 「これはこれは陸衛門殿ではないか。壮健そうで何よりと存ずる」


 りく爺が声をかけた相手は、幕府に出仕する若い御家人だった。

 共侍を横に従え、これから籠に乗って帰ろうかというところであった。


 彼の役職は表祐筆。

 りく爺もかつて奥祐筆となる前には表祐筆を経験している。

 奥祐筆が将軍周辺の重要な機密文書の作成に特化した事務官である一方、表祐筆は幕政に関する諸々の記録を担当する書記といった位置づけである。


 弘賢はりく爺が城勤めを退いた前年に幕府に登城した人物だ。

 同じ事務方として、二人の間には一応の面識があった。


 知っている相手が今回の尋ね先であったことは、りく爺にとって幸運である。

 これが名も顔も知らぬ相手であれば、今回の待ち伏せは叶わなかった。


 「それにしても陸衛門殿、この度は何用だろうか。便りでも寄こしていただければこちらから馳せ参じたものを」

 「いや、つかぬことをお尋ねしに参った次第なのだがねぇ」


 りく爺はことの成り行きを説明した。

 恋文の代筆という依頼事が、数珠繋ぎのごとく大勢の者を巻き込んでいる様を。

 そしてその依頼の発信源を探しているのだということを。


 どうせこの弘賢も代筆の螺旋の一部なのだろう。

 大方これから勘定方や目付役あたりが話に出てくるに違いない。

 そう思っていたりく爺であったが、弘賢の反応は異なっていた。


 「なるほど、左様な愉快なことになっていようとは」


 弘賢は心からおかしそうにからからと笑った。


 「その恋文の代筆を依頼したのは、拙者の家来にござる」

 「おお、それは本当かい?」


 長い旅の終着が見えてきた。

 そのような希望を前にして、りく爺の体に活力が戻ってくる。


 弘賢の話によれば。

 そもそもは彼の家来が町娘に一目惚れしたのがことの始まりであった。

 すでに過ぎ去った今年の夏、かの伝統ある隅田川花火大会でのことだ。


 家来は伝手を使って娘の名前や住処までは調べた。

 だが直接会う勇気に恵まれず悩んだ末、ひとまずは恋文を送ろうと図った。

 だが綴るべき粋な文句が何一つ浮かばず、結局は主である弘賢に代筆を頼んだという次第であった。


 「とはいえ拙者も多忙の身。ただでさえ普段から幕府の書類を大量にこさえており申すゆえ、畑違いの恋文に頭を悩ます時間などあるはずもなく。そこで町役人の知人に代筆を頼んだというわけにござる」


 ははあ、とりく爺は脱力する。

 要するにこの弘賢が代筆を他人に丸投げしたことで全てが始まったわけだ。


 「しかし何故、その娘さんの素性を一緒に伝えなかったのですかな? おかげで苦労させられましたぞ」

 「なにぶん拙者の家来は下級ではあれど立派な武士。町娘相手ではこれまさに身分違いの恋というべきもの。お上に知られれば秩序を乱したとして罰せられかねぬと考えた次第でござる」


 武士の結婚は大名から下級武士にいたるまで原則として幕府の許可制である。

 大名同士、あるいは武家と公家の縁組は強固な同盟関係を生み、幕府にとって脅威になりうるからだ。


 そこで身分制度の枠組み内での結婚のみが許可されるという決まりが生まれた。

 武士と町人、農民との結婚もこの建前を破壊するので固く禁じられる。


 無論、お目こぼしされた例が数多くあるにはあるのも事実。

 しかし表祐筆の家来がそのようではさすがに体裁が悪いというもの。

 その情報を伏せたのは、弘賢なりの配慮であった。


 「なるほど。しかしそれをここで明かしてしまって良かったのかい」

 「陸衛門殿は口の堅い御方と信じてござる。機密を吹聴するような気質の者ならば、奥祐筆に取り立てられることもなかったろうと存ずるゆえ」


 そういって弘賢が笑うと、りく爺もつられて笑った。


 その後。

 りく爺は弘賢の紹介でことの発端となった家来の屋敷を尋ねた。

 そうして恋慕相手の情報を改めて聞き出していくうちに、恋文に書くべき文章がつらつらと頭の中に浮かんできた。


 創作衝動とでも呼ぶべき迸りのままに、その場で筆を借りたりく爺。

 達筆な字を走らせると、たちまちのうちに恋文を完成させたのだった。


 確認のため恋文を読んだ家来は、そのあまりの詞的で繊細な言の葉の編まれように、思わず感激の涙を流した。

 横から覗き見た弘賢も、これならば恋愛成就間違いなしと太鼓判を押す。

 りく爺自身も、成功の手ごたえをひしひしと感じる出来栄えである。


 後日、弘賢からりく爺宛に便りが届いた。

 家来が勇気を出して無事に町娘に恋文を手渡し終えたとの律儀な報告であった。


 その結末までは綴られていないが、ひとまずはこれでよかったのだろう。


 かくして、奇妙な恋文代筆の依頼はこれにて無事に終わりと相成った。

 闇も深まりゆく秋の夜のことであった。


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