02 異質な教室
「おはよう。琴葉」
「おはようございます、兄さん」
台所で朝食の準備をしている琴葉に朝の挨拶をする。
朝食の準備と言っても、市販のサンドウィッチを皿の上に並べているだけなのだが。
本音を言うと、米と味噌汁、納豆みたいな和食って感じの朝食が食べたいが、用意を琴葉に任せている俺がこれ以上、文句を言うのはお門違いってってもんだろう。
そして何より琴葉に料理をさせたくない。
他意はない。
「さ、早く食べちゃいましょう」
そう言いながら食卓に二人分のサンドウィッチを置く琴葉。
ん? ちょっと待て。
「お前もサンドウィッチを食べるのか?」
「はい? 何言ってるんですか。ボケたんですか」
うん。かなり辛辣。せめて、寝ぼけていると言ってもらいたい。
「いや、俺が買ってあげた……買わされたパンはどうしたんだよ?」
「昨日のうちに全部、食べましたよ?」
「は⁇」
ちょっと何言ってるかわかんない。
「お前、全部って……いつ食ったの?」
「普通に帰宅してからすぐに食べましたけど」
ほんとに何言ってるのかわからない。ボケてるのは琴葉の方じゃないのか?
「俺がお前に買ったのってパリジャンだよな? しかも五個」
「そうですね」
「それをお前は帰宅後、全部食べて晩飯も普通に食べたと?」
「そう言ってるじゃないですか。めんどくさい兄さんですね」
年頃の女子高生としてそれは大丈夫なのだろうか。どうやってその食い意地で華奢なスタイルを維持できているのだろうか。
その答えに少し興味はあるが、たとえ妹だろうと体型について男からとやかく言われるのは、嫌がるだろうと思い、流石に尋ねるのはやめておいた。
「お粗末さまでした。兄さん、早く食べちゃってくださいね」
「ん。了解」
残りのサンドウィッチを全て口いっぱいに頬張り、牛乳で流し込んで朝食を終える。
食器を片し、となりの椅子に事前に掛けておいたバッグを手に取り、玄関へと向かう。
「んじゃ、行くか」
「急ぎますよ。私、日直なので」
通学用の靴に履き終えたところで俺は後ろを振り返る。
「いってきます」
誰もいないリビングに向かってそう言い放ち、琴葉のあとを追った。
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「よお、奏」
教室に入って顔を合わせるや否や、開口一番、うざったいテンションの水門に声をかけられてしまった。
「ん、なんだよ。陰気臭いぞ」
「それはお前のせいだ! 昨日は俺を売りやがったなてめえ!」
「俺は何も間違っていない。全てお前が間違っている」
意外と根にもつタイプなんだよなこいつ。心底、めんどくさい。
「ククク……まあいい。昨日宣言した通り、ボコボコにしてやるからな!」
「せんせー、水門くんが学校でス○ブラしようとしていまーす」
「なんだって? まだ懲りていないようだな、水門」
俺のすぐ後に教室に入ってきた皇先生に、めんどくさいさいのでバカを押し付ける。
すまん、先生。
「くっそ! 奏、昼休み覚悟しとけよ‼︎」
皇先生に引きずられながら、そう叫ぶ水門。
(はあ……。やっと騒々しいのが消えた)
そう安堵すると同時に、昼休みもまた騒々しくなるのを察して、俺はもう一度長嘆息を漏らす。
「起立、礼、ありがとうございました!」
お昼前の教室に四限の終了を宣言する号令が響き渡る。
「よっしゃ、購買行こうぜ!」
「お前の奢りなー」
「はー? なんでだよ!」
そんな和気あいあいとした会話が聞こえくる中、奏は憂鬱そうな顔をして自身の机に突っ伏していた。
その理由は言わずもがなあいつだ。
「さあ、昼休みだぞ奏。覚えてるよな」
「はいはい、覚えてる覚えてる。さっさとどうしたいのか言え」
「文字通りボコボコにしてやる。これでな!」
そう言って、水門は今から使うのであろう小道具をポケットから取り出した。
「トランプ…………?」
「そうトランプだ! そして今からやるゲームはー?」
ジャラジャラジャラジャラとセルフでドラムロールをしだす水門。
何故こんなにテンションが高いのだろうか。始業式に俺や校長に言ったことがブーメランになってるぞ。
「兄さん、何やってるんですか?」
その声に反応して振り返ると琴葉がいつのまにか俺の真後ろで、コンビニ弁当の入ったビニール袋を片手に立っていた。
琴葉がうちのクラスに俺を尋ねて来るのは珍しいことではない。おそらく一緒に昼食を取りにでも来たんだろう。
だが残念だったな琴葉、お前も巻き添えだ。
「ん? ああ、琴葉か。すまんな」
「え? なんの謝罪ですか?」
不思議そうな表情を浮かべる琴葉。
「お、琴葉ちゃん! 一緒にトランプやらない?」
琴葉の表情が露骨に悪くなった。薄々判ってはいたが、琴葉は水門のことが嫌いという訳ではないだろうが、少々苦手なのだろう。
「いえ、結構です。私は兄さんと一緒にご飯を食べようと思ってきただけなので」
「えー、そんなドライな。んー、じゃあ、こういうのはどう?」
水門はニヤニヤしながら自信ありげに人差し指を立ててこう言った。
「勝った人が負けた二人のどちらかに、なんでも一つ命令できるというのは‼︎」
「やりましょう。何をしますか?」
さっきまでめんどくさそうな顔していたのに、その言葉を聞いた瞬間、キリっとした振る舞いに変わった。
「勝ったら兄さんに……あんなことやそんなことしてもらったり……ふふっ」
琴葉ってこんなに強欲だったけ。
ん? 待てよ。琴葉が勝った場合、指名されるの俺確定じゃね?
琴葉は周りから見たら優等生でしっかり者の俗に言う良い子かもしれないが、唯一家族である俺だからわかる。
俺の妹は実は腹黒いと。
「俺も真面目にやらないとヤバそうだな……」
何を命令されるか考えただけでも恐ろしい。
てか、水門が勝っても俺を指名するだろうからこの戦い、絶対に負けられないな。
「よし、じゃあ水門。勝負するゲームを教えてくれ」
「お、ようやく乗り気になったか! では、教えてしんぜよう。今からやるゲームは…………ポーカーだ!」
ポーカか。まあ、すぐに決着がつくしちょうどいいな。
「了解、それでいこう。琴葉もポーカーで大丈夫か? 役の作り方とか平気か?」
「スマホのゲームアプリでやったことあるので大丈夫です」
「OK、今回のルールを説明するぞ!」
意気揚々と水門はゲームのルール説明を始める。
説明されたルールはこんな感じだ。
まず、ジョーカーを抜いた山札をシャッフルし、全員に五枚ずつ配る。そして水門、琴葉、俺の順番に一度だけ手札を捨て、捨てた枚数分ドローができる。何枚交換してもいい。もちろん、交換しないという手もある。圧倒的に不利になるだけだが。
全員のターンが終わったら手札を明かして、役が強かった人の勝ちというわけだ。
「じゃあ、しっかりシャッフルしたから配るぞ!」
3人の手元に五枚のカードが配られる。
(ふむ。まあまあ良い手だな)
「俺からだな! 三枚交換しま〜す」
(は? ジャック一枚とクイーン二枚を捨てるとか、やっぱりバカだわこいつ)
「じゃあ、私は二枚交換します」
(琴葉は弱い数字のカードを捨てたという感じだな。まあ妥当な判断だ)
「俺はこの三枚を交換する」
「よっしゃ、これで全員ハンドが決まったな。じゃあ、ショウダウンだ!」
「俺の役はキングのスリーカードだ‼︎」
おお。バカみたいな交換をしたと思ったがこれ狙いだったのか。まさかこいつに一本取られるとはな。
「私は八のカードが二枚と十のカードが三枚でフルハウスです」
「えっ。嘘」
琴葉のハンドに驚愕する水門。
「追い討ちをかけるようで申し訳ないが__」
そう言い、俺は自分のハンドを見せる。
「エースのフォーカードだ」
「はああああああ⁉︎」
「うるせえ、叫ぶな」
「いやだって、エースのフォーカードだぞ⁉︎ めちゃくちゃ強いし、何より出る確率が相当低いんだ‼︎ お前、イカサマしてるだろ‼︎」
「イカサマしてるのはそっちだろ。なあ水門」
ここで水門の表情に焦りが現れる。
「いや〜なんのことかわかんないなー」
「単純すぎるんだよ、お前は」
「じゃあ、俺がどんなイカサマしたって言うんだよ」
「それはだな__」
めんどくさいと思いつつも俺は口を開き、言葉を紡ぐ。
「まず、お前のシャッフルには癖があった。ショットガンシャッフルに似ていたが少し違った。そしてお前はルール説明の時になぜかドローする順番を指定した。さらに、お前は自分のターンでクイーンズとジャックを捨てた。ジャックはまだ良いとして、クイーンズを捨てるなんて、このブラフが存在しないゲームにおいて、ほぼ自殺行為だ」
「つまりどういうことですか兄さん?」
「要はシャッフルの時に自分のターンでキングが三枚引けるようにズルしてたってことだ」
「そうなんですか!? 水門くん最低です‼︎」
今の言葉が刺さったのだろうか。水門がシュンとなった。
「ああもう、そうだよ! 俺はイカサマしました!」
「認めたならさっさと謝れ」
「ごめんな、琴葉ちゃん。ズルしてしまって」
いや、俺にも謝れよ。
「でもさー何で気づいたんだよ、奏」
「そりゃ気づくわ。お前、俺をボコボコにしてやるとか言って勝負を仕掛けてきたくせに、ポーカーとかほとんど運ゲーになるゲーム持ってきたからな。最初から疑って当然だろ?」
「マジかよ〜。最初から疑われてたのか」
「ちなみにクイーン二枚を捨てなければ、キング三枚と合わせて、かなり強力なフルハウスが完成してたはず。それを見落とすあたりもさすが水門って感じだな」
「さすが兄さんですね! 卑怯な水門くんとは違います!」
「事実だけど流石に傷つくよ……琴葉ちゃん…………」
やっぱ結構水門に対しての当たりが強いな。まあ、自業自得だろう。
「さて、覚えているな水門」
「あ」
「勝ったら何でも命令して良いんだよな?」
ニコニコしながら水門に迫る。
「さあ、覚悟はいいか?」
「待ってください奏様! 慈悲を!」
「そんなもんはない。今から俺の言うことを帰りのHRで実行しろ!」
「いやあああああああああ‼︎‼︎」
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「いやー! 最高に滑稽だったな!」
「兄さん、意外と恐ろしいですね……私は別のクラスなので見れていませんが、容易に想像できます」
「まさか本当に実行するとはな……」
そう俺が水門にさせたのは、帰りのHRにみんなの前で皇先生をバカにして最大限煽るということだ。
「今頃、水門くんは指導室でコテンパンにされているでしょうね……」
「そうだな……あいつはいい奴だったよ……」
さらば親友、お前の犠牲はきっと無駄にはしない。
「では兄さん。そろそろ帰りましょう」
「ああ、そうだな……って、やばい忘れてた。悪い琴葉、先帰っててもらえるか?」
「え? どうかしたんですか?」
琴葉が寂しそうな表情を浮かべる。
「俺、家庭科係で今日集めたみんなのノート提出しなきゃならないんだ」
「なんだ、そんなことですか。それくらいの用事なら私は靴箱のところで兄さんを待ちますよ」
「そうか、悪いな面倒かけて」
「いえいえ、このくらいどうってことないです」
「じゃあ、ちょっと行ってくるわ!」
「早めに戻ってきてくださいねー!」
その場に琴葉を残し、教室にあるノートの山を抱えて被服室へと向かう。
「先生、二年の椿です。今日提出のノート持ってきました」
「ご苦労さん。そこの机の上に置いといてくれ」
「了解です」
本当は終礼後に即持って来なければならなかったが、優しい先生でよかった。正直、名前も覚えてない先生だけど。
「それでは、失礼します」
「おう、気をつけて帰れよ」
俺は先生に礼をし、その場を後にする。
「ん? なんだこれ」
靴箱に向かう最中、謎の紙が貼られた教室を発見した。
「月……並み……部?」
確かにそう書かれていた。
その時、今振り返ってもなぜかは見当もつかないが、その教室に吸い込まれるようにして、俺は目の前にある扉を開いた。
「綺麗だ……」
気がつくと俺はそう口にしていた。
教室の中には夕日が差し込んでおり、そして何より一組だけある向かい合わせの机に一人、座って窓の外を眺めている少女。
その少女の容姿は、作り物のように完璧だった。
夕日に反射する肩に少しかかるくらいの銀色の髪。透き通るような蒼い瞳。
そして可憐なアクセントとなっている三日月型のヘアピン。
俺は完全にその少女の美しさに魅了されていた。
俺が彼女を見つめていたのに気がついたのか、少女は振り返り、俺を見つめてその薄い唇で構成された口をゆっくりと開いた。
「ここに来たということは君が次の相談者なのかな」
それが彼女・朝霧月那と初めて言葉を交わした瞬間だった。




