01 新学期初日
「兄さん、さっさと起きてください」
「んあ……。もう昼飯か……」
「何寝ぼけてるんですか……。早く支度して出てきてくださいね!」
そう言い放ち、少し乱暴にドアを閉め、俺の部屋から出て行った妹の琴葉が苛立っていることに疑問を抱きながら、枕元にある目覚まし時計で今の時間を確認する。
朝の七時半。七時半……? 昼飯……じゃないよな。今日何日だっけ。そう思い、俺は壁にかかっているカレンダーを確認する。
九月一日。あれ……夏休みは…………?
あ、そっか。じゃあ、俺素晴らしいほどにやばい状況だよね。
大きく胸を反らして、息を吸って、吐いて、ニコッと口角を上げて前を向き、こう言葉を紡ぐ。
「遅刻だ……! ヤバいヤバいヤバい…………‼︎」
クローゼットから新しい下着と制服を取り出し、爆速で着替え、机の上に置いてあるバッグを徐に掴み、玄関へと向かう。
「すまん……! 寝坊した……!」
「もう、遅すぎますよ! 説教は後にして、少し走りますよ!」
「了解……!」
帰宅部で体育もたまにサボるような俺には、同じ帰宅部のくせに学年でトップレベルに足が速い琴葉に並走するのは至難の業だった。
ていうか、なんで兄妹なのにこんなに身体能力に差が出るんだよ。どんなラグだよ。運営は仕事しろ。
意味不明な愚痴をボソボソとつぶやいているうちに校門が見えてきた。
「皇先生……! おはようございます!」
「先生、おはざいます……!」
校門前に立っている俺の担任に向かって挨拶した琴葉に続いて同じように挨拶する。
「おはようじゃない。早くない。遅いぞ、椿兄妹」
「す、すみません……!」
「謝罪はいいから、さっさと教室に向かえ」
「はい……! ありがとうございます!」
「はあ、はあ……あざす……!」
琴葉と別れ、教室に荷物を置いて、急いで体育館に向かう。
「えー、皆さん、おはようございます。そして、あけましておめでとうございます……じゃなかった。すみません、間違えました。肌寒い季節になってきましたね」
まだ、真夏なのだが。と思いつつ、いつも通り適当な校長の挨拶を聞き流しながら、始業式の終わりを待つ。
「なあ、奏。やっぱあの校長、変なものでも吸ってるんじゃないか」
始業式の真っ最中に話しかけてくるのはどこのバカだよ。まあ状況を考えることもできない残念な脳みそを持っているバカはこの学校にはあいつぐらいだろうがな。
「そうなのかもしれないな」
先生に会話しているのがバレて説教されるのも面倒なので、俺は適当に返事をする。
「あの校長もだけどさ。お前も大概、適当だよな。お前もなんか吸ってんの?」
「うるせえ。はっ倒すぞ」
「おー、怖い怖い」
水門のどうでもいいような発言に付き合っているうちに始業式の終わりを知らせるチャイムがなる。
そして教室へと戻り、全員が着席したところで休み明け初のホームルームが始まる
「お前ら学生にとって、一番の長期休暇が終わったわけだが、何も問題は起こしてないだろうな?」
さすが皇先生。
新学期初っ端から威圧的すぎる。まあ、そこが好きだという男子生徒もかなりの数いるし、女子生徒も含め、生徒からの信頼も厚いから大丈夫ではあるのだが。美人だし。
「はいはーい。何も問題は起こしていませーん」
さすが水門。発言に知性がない。
「ちなみにさっきの質問はお前にしか焦点を当てていない」
「まさか……先生、俺のこと狙ってる……⁉︎」
「本当にお前は救いようのないバカだな。よくこの高校に入学できたもんだ」
「毎度毎度、ストレートすぎますよ……先生」
「まあ、こんなバカは放っておいて次はお前ら全員に向けた質問をする」
「ひどい……」
さすがの俺もこれは水門に同情する。んなわけあるか。いい感じですよ、先生。もっと言ってやってください。
「さっき言った通り、休みが明けたのだが。お前らちゃんと課題はやってきたんだろうな?」
ここで水門を含め、水門のことを笑っていた全員の顔が曇る。
「なんだお前ら、終わってないのか? おい水門、さっきの威勢はどうした?」
少しニヤニヤしながら先生は水門を問い詰める。なんかニヤニヤする先生を見る一部の男子の視線が気持ち悪いのだが。
「いやー、家に忘れてきただけと言いますかー、なくなったと言いますかー」
「よし、お前は指導室な」
「またもやひどい扱い……」
今のは完全に水門が悪い。
「水門は指導室確定として、他にも忘れたやつは私のところまで来いよ。誤魔化したら、わかっているな?」
冷や汗が出ている生徒が多数いる中、ホームルーム終了のチャイムがなり、委員長が号令をかける。
そして俺は帰りの準備を始める。
今日は始業式のみなのでこれで帰れるからだ。
「奏ー、一緒に帰ろうぜー」
「了解―」
と返事をしつつ、帰りの準備をし、靴箱とは別の方向へと水門を連れて歩き出す。
「おい奏、どこ行こうとしてんだよ?」
「ちょっとした用事」
「そっか」
そして俺は水門を引き連れて歩き、指導室の前で足を止める。
「お前……まさか……」
「皇先生、バカを連れてきました」
俺の声を聞き、先生が指導室から顔を出す。
「おー、ありがとな、椿兄。毎度のことながらすまんな」
「いえいえ、ご心配なさらずに」
先生の言葉に俺は丁寧に返事をする。
「奏、てめえ! また裏切りやがったな!」
「さあ、お喋りはそこまでだ。水門、ちとこっちに来い」
そう言って先生は水門の後ろ襟を掴む。
「許さないからなー! 奏‼︎」
「どっぷり叱られてこい」
「ああもう! 今度、ボコボコにしてやるからな……! ス○ブラで!」
「悪いな、ゼ○サム使いの俺がメタナ○ト使いのお前に、負けるビジョンが見えない」
「ちなみに、私はガ○ン使いだ」
うわ、ピッタリすぎる。
「おお、先生にピッタリすね」
あ、バカだ。
「そうか、これから説教だと言うのに良い度胸だな。文字通りボコボコにしてやるよ、拳でな」
先生それアウトです、と心の中でツッコミを入れて、指導室に放り込まれる水門に手を振ってからその場を後にする。
そしてようやく俺は靴箱へ向かって歩き出した。
靴を取り出し、やや踵の部分が潰れそうな靴に足を入れて前を見る。そこで目の前に琴葉がいることに気づく。
「兄さん、少し遅かったですね。何してたんですか?」
「ちょっと野暮用でな。バカを連行してた」
「それはどういう……? まあいいです」
さすが優等生の琴葉さん。切り替えがお早いのなんの。
「ところで、兄さん」
「なんだ」
「私が話したいことはわかりますね?」
うわ、すっごい笑顔。なのに全然可愛くないのは見間違えかな?
「よし、帰り道でパン屋でも寄るか! 今日は俺の奢りだ!」
「誤魔化しても無駄ですからね。パンはもらいますけど」
やべえ、損した。素直に受け入れとけばよかった。テストで一問ミスして先生に煽られたときと同じ気分だ……。いや、違うか。
そんな憂鬱な気分で琴葉と一緒に校門から出て帰路に就く。
「では兄さん」
「はい、なんでございましょう」
「新学期初日なのに、寝坊した理由を簡潔に述べてください」
「別にゲームを徹夜でしてたとか、課題に追われてたわけじゃないよ?」
「だから……簡潔に述べてくださいと言いましたよね?」
「すみません……」
「結局、何が理由なんですか」
最近、俺の妹が可愛くない件について。これでライトノベルかけそう。流行るかな。
「えっと……まだ八月後半くらいかなーって……」
「つまり、まだ休みだと勘違いして、目覚ましもせずに布団に入り込んだと」
「はい、その通りです」
ここで俺は説教が長くなることを見越して開き直ることにした。結果、家に帰るまでずっと琴葉の説教は続いた。しかも、パンを五個も奢らされた。
パリジャンは結構良い値段するからやめて欲しかったのだが。ほんと可愛げがない。
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「兄さんが遅れたら私まで遅れるんですからね、全くもう……」
琴葉は晩御飯を口にしながら、そう俺に言う。
「分かった、分かったから。今度から気をつけるから」
「そのセリフ聞き飽きました」
まだなお冷たい雰囲気の琴葉。
俺はため息をつき、ここで少し琴葉にいたずらしてみることにした。
「あのさ。ずっと思ってたんだけど、どうしていつも俺と登校したり、下校したがるんだ?」
「んなっ! え、えっとそれは……」
お、この反応、ビンゴかも。
「さてはお前……」
「うっ! それ以上は……!」
「クラスに友達……いないんじゃないか?」
「え……? はい?」
よしよし困惑してる、困惑してる。
これこそ立場逆転の神の一手。まあ、琴葉に非はないからなんとも言えないが。
「友達いなくて一緒に帰る人いないから、俺と一緒に帰っているんじゃないのか?」
「いや、別にいますけど?」
あれ、なんか焦ってる様子もないんだけど。
「え。普通に友達いるのか?」
「クラス委員で関わることも多いですから、仲良い人はそれなりにいますよ?」
ああ、神の一手は存在しなかったみたいだ。でも、さっきの問いが俺の中で本当の疑問に変わった。
「じゃあ、なんで友達と帰ったりしないんだ?」
「っ! それは……」
「別に俺に気を遣わなくて良いんだぞ? 俺は水門と帰ればいいし」
「ああもう! うざったい兄さんですね! 私がそうしてるならそのままでいいんです! そう細かいこと言うような人はモテませんよ!」
「いや、実生活で関わりのある女子なんてお前しかいないし、お前に嫌われてなければ別にいいのだが」
「へっ⁉︎」
琴葉はそう一瞬驚いて、深呼吸し、また口を開く。
「兄さんってそういうところありますよね。学校では気をつけたほうがいいですよ、本当に…………」
「え? わかりまし……た?」
琴葉が言ってることがちょっとわからなかったので理解しようと考えていたら、琴葉が別の話題を振ってきた。
「兄さん、その……クラスに変化はありませんでしたか?」
「ん? なにが?」
「あの、えっと、新学期ですから……」
さっきとは違う琴葉の心配していそうな顔を見て察する。
「ああ、大丈夫。しっかりクラス全員の姿、見ることができたよ」
こんな質問をしてくるのは琴葉が兄のクラスメイトがちゃんと学校に来ているかなどと心配するお人好しだからなのではなく、俺が一部の人の姿が見えなくなってしまう現象に悩まされていることを知っている唯一の人物だからだ。
「ならよかったです……。今回は大丈夫だったんですね……」
そう『今回』は大丈夫だったのだ。
俺の身に起こっているこの現象は、いつ起こるかは分からないのだ。
ある日突然クラスメイトの姿が見えなくなったと思ったら、週末の休みが明けたら見えるようになっていたり、いつ変化が起きるのか全く予想がつかない。
でも、定かではないが長い時間をはさむと変化が起きやすいという傾向がある。
それゆえ、夏休みという長い時間をはさんだからこそ、琴葉は変化が起こるのではないかと危惧して心配してくれているのだろう。
「ごめんな、琴葉。こんなわけもわからないようなことに付き合わせってしまって」
「いえいえ、兄さんのことは私自身のことと変わりないくらい重要ですから」
その言葉が胸にしみる。
「ありがとう、琴葉。お前みたいな妹をもてて、俺は幸せだよ」
本心をありのままの言葉にして伝える。
「っ⁉︎ だから、そういうところですってば…………」
「え?」
本音で話しただけなのに怒られた……。本当に最近の俺の妹はよくわからん。
昔はめちゃくちゃ素直だったのに……。
時間経過というのは本当に怖いな、と思いつつ、晩飯を済ませて席を立ち、自室へと足を運ぶ。
自室に入り、即ベットに飛び込んで仰向けになり、つぶやく。
「判ってるよ。琴葉。俺は、ちゃんと」
そう、判っている。琴葉がなぜ、俺と一緒に登下校しているのか。
友達がいないとか、そんな悲しい理由ではなく、俺のことを自分のことより優先するくらい、心配してくれているからだって。
ある意味では友達がいないことより、悲しいことなのかもしれないが。
かといって、俺が琴葉のためにできるようなことはない。
中二の頃に他界した両親の代わりはほとんど琴葉がやってくれているし、琴葉は優等生で成績もいいし、運動神経も抜群だから俺が教えられることもない。
しかも、俺には仲が良いと言える人間も少なく、異性との関わりもほぼないから人間関係のアドバイスもできそうにない。
「ごめんな。どうしようもない兄で」
いつも一人の時間は琴葉に罪悪感を感じている。
だが、琴葉に感謝や謝罪をする一方で、現状を変えようとはしていない自分がいる。
俺ができることは、琴葉にもできるのだから、何をしてもしょうがない、と。
そう、これはしょうがないことなんだ。
しょうがないんだ。
(またそうやって逃げるのか。甘ったれるな、椿奏)
そんな俺を俯瞰して見ている俺が言う。
「わかっているよ。そんなことは」
眠りにつく寸前、微睡みの中でそうつぶやき、深く深く落ちていった。




