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既に観客は怒号を鳴らし、ラレ男爵を非難している。それに加えてまだ何かあることにアンリは呆れた表情を見せた。
「まだ何かあるのですか」
「ありえません! 私はこれ以外には――」
「男爵は黙っていてください。貴方が口にすることは信用できない」
苦しそうにしているラレ男爵から視線を外し、ヴェロニカが話し始める。
「ラレ男爵が知らないのも当然でしょう。私たちの調べでは、この件に貴方は関わっていませんから。しかし、ラレ家の人間がしたことには変わりありません」
別の人間がやったということにラレ男爵は冷や汗をかく。これまでよりも一層混乱し、ヴェロニカたちに声を荒げた。
「それは誰だというのだ!?」
「ヨミリー殿です」
即答するヴェロニカに、首を傾げるラレ男爵。この反応から調べた情報は正しかったことが判明した。
「彼女はこの大会において談合をしていました。ある人間が勝ち進むように対価を提示して貴族たちを買収したのです」
ヴェロニカがヨミリーの罪を述べたところで、シキアはラレ男爵やアンリへある書類を渡す。それは買収された貴族の証言が書かれたものだった。
「彼らは今ここにいるので召喚することも可能なはずです。もしよろしければここで話してもらいましょう。後、ヨミリー様にもお話をお聞きしたいですね」
「いいでしょう。ヨミリー並びに証人をここに来させなさい」
アンリも不機嫌な顔はしているが、シキアたちの申し出を了承する。予め準備していたこともあって、証人たちは早く会場の中央に来た。ニコラが話し始めた直後から、こうなることを予測していたのだ。
しかし、そんなことを知らない人間が一人おり、ヴェロニカたちの護衛から引きずられるように会場に姿を現す。
「離してよ、変態!」
「おや、淑女としてはしたないことで」
必死に逃げようとするヨミリーだったが、シキアの一言で抵抗しなくなる。代わりに殺すという念が籠った眼光をシキアに向けた。
「ふざけるのもいい加減にしたら。貴方たちはラレ杯を貶めたのよ。この罪は――」
「貶めたのは貴方たちでしょう。ここにいる観客や参加した人間全てを自分たちの思い通りに弄んだ。そうですよね、証人の方々」
「……はい。ヨミリー・ラレはこの大会において談合を行い、予め勝利する選手を決めておりました。本当は許諾したくありませんでしたが、サラマス家から手引きをして欲しいと言われ、表面上は協力した次第です」
ヨミリーの策謀は杜撰極まりなかった。協力する人間を選ばず、無暗に自分の計画を話す。そのおかげで協力者を得ることよりも、アンリにヨミリーの暴走を知られないことに手間がかかったほどだ。
最初はシキアたちを罠に落とすためにこんなことをしているのかと思ったが、シキアだけはそう思わなかった。
ゼグに捨てられたあの日。ヨミリーのやり方はシキア自身が体感している。貴族ということを笠に着てやりたい放題。あの頃はシキアも押しつぶされるしかなかったが、今は違う。
ヨミリーがすることへの対抗策を考え実行できるようになった。また、万が一に備え、罠である可能性も調べつくした。結果は何の仕込みをしておらず、5年前と同じ。変化がないことを確認した時、シキアは笑いを堪え切れなかった。
「以上がラレ杯の真の姿です。ここは平等に力を競う場ではなく、大会の主催者がある一部分の参加者を贔屓し、ヨミリーが夫を品定めする場所でしかなかった!」
「う、うお、うおおおおおおおおおおおおおお」
全てが終わり、ラレ男爵は跪いて号泣する。自分の行いのせいで家が潰れる未来を想像し、心を抑えなれなくなったのだ。対して、ヨミリーは口を半開きにしているだけだった。この状況はもちろんのこと、自分に降りかかる報いを考えることができないのである。
会場に木霊する男の悲鳴。それを近くで聞き、ある男が目を覚ました。
「……んん、誰だこんな声を上げるのは」
気絶していたゼグは能天気に自らを起こした声が誰のものかを問いかける。しかし、答える者はいない。彼は段々と意識が覚醒し、周りを見回して騒然とした。自らの主君は泣き叫び、愛した女は男たちに囚われているのだ。
こんな場所に突然いればこんな反応もする。
「これは、一体――」
「ラレ男爵とヨミリーはこの大会において不正をしていました。私たちがそれを看破した所です」
ゼグへ向けてシキアは簡潔に説明する。それを聞き、再びゼグは視線をラレ男爵とヨミリーに移した。
主の哀れな姿と視線を外す恋人の反応から、それが事実であると理解する。
「そんな……男爵もヨミリーも俺のことを信じてなかったのかよ」
自分が最強の戦士であると疑わなかったゼグの自尊心は粉々に砕け散った。よりにもよって、信じていない人間が自分を見出した人間だったのだから。
しかし、それだけでは終わらせない。シキアはゼグに自分ができる最後の報復をする。
「ええ。それと、ヨミリーさんは談合をしてある選手を勝たせようとしていましたが、その選手は貴方ではありません」
「……どういうことだ?」
「ハルケル伯爵家のご子息、カメネア・ハルケル。ヨミリーが勝ち上がるように画策した人物の名前です」
ハルケル家は実力主義派の人間であるが、そこまで大きな勢力ではない。どこにでもいる凡夫である。しかし、その子息であるカメネアは容姿端麗で名が知れていた。ヨミリーもその容姿に魅了された女の一人だったのだろう。
ゼグが彼女を見ると、顔を真っ青にしていた。その時点でほとんど真偽は明らかにされていたが、拒絶したいがために彼は問いかける。
「なあ、ヨミリー。嘘、だよな」
「……ごめんなさい」
絞り出すように謝罪するヨミリー。一言謝って気持ちが軽くなったのか、長い言い訳を並べ立てる。
「でも、勘違いしないで。一番愛していたのは貴方。結婚すると思っていたのは貴方なの。だけどね、もしかしたらってことがあるじゃない。そういう時のために保険が必要でしょ。カメネアはそんな保険のためだけに選ばれた男だったのよ」
赤裸々に恥をさらす言葉を並べ立てる。非難で近くの人間しか聞こえないのは幸いだっただろう。観客全員に聞かれでもしていたらどんなことになるかわからない。
「その保険は役に立たなかった。そして、貴方も私たちの期待を裏切った。一回戦で負けるような屑になり果てたのよ。もしも、貴方が勝っていれば」
自分を否定するヨミリーにゼグは目を濁らせる。
5年前、故郷から自分を拾い上げた少女に屑と呼ばれるとは思っていなかっただろう。
彼が描いた、シキアと一緒にいるよりも素晴らしい人生はここにはなかった。
「えっ?」
木刀を握りしめ、ゼグは無言で一撃を放っていた。自分が愛した人間の頭に向けて、その思いを伝えていた。
誰も止めることはできなかった。それほど鋭く、素早い一撃。
試合で見たよりも何倍も上回る閃光がそこにはあった。頭に直撃し、ヨミリーは小さく呟いた後に体をビクンと震わせる。
それ以降、動くことはなかった。
「彼を拘束しなさい!」
アンリが叫び、兵士たちはゼグに槍を向ける。しかし、攻撃しようとはしない。
自分たちにもヨミリーを殺した一撃が放たれるのではないかと恐れていた。
十数秒誰も動かなかったが、ゼグが木刀を落として、その場に座り込むことで状況は変わる。反抗する力がなくなったと思った兵士たちが彼を抑えつけた。
観客も会場も混乱状態で収集がつかない。試合をしていた時のような歓声は消え去り、悲鳴と逃げ惑う人々がそこにはいた。
シキアたちもこの場を諫めようとするが、シキアたちが命令できる人間は少ない。それで民衆を平静に戻すことは不可能だった。
すると、多くの兵士が退路を防ぎ、この場から人が逃げないようにした。彼らは無理に出ようとする民衆にある言葉を投げかけている。
その内容をシキアは聞き取れなかったが、察しはついた。
決闘場の中央にまた来た人物が一人。
ラレ男爵の跡取りであるゲルトワ・ラレである。
「この会場にいる紳士淑女の皆さん。異常事態が起きてしまって申し訳ない。しかし、どうか冷静になって私の話を聞いてほしい」
民衆はゲルトワを見る。次第に静まり返り、誰もが黙ったところで彼は事の全てを明らかにした。
「開催されたラレ杯は決して我が家の理念に沿ったものではなかった。そうなったのは我が父と妹によるものである。彼らは力に溺れ、不正の限りを尽くしてしまった。私は家族を止めるためにサラマス家に協力を仰ぎ、この大会で彼らの罪を暴いた。そして、これからも償いをしていくと宣言しよう。巻き込んでしまって申し訳なかった。貴方方の入場料を返却し、この大会は中止する。また、遠くから来た方々の移動費は我々で賄おう。それ以外の賠償に関しては後日報告させていただきたい」
会場を去る傍ら、ゲルトワは決闘場にいる人間全てに視線を向けた。
シキアたちには共に家族を打倒した人間として笑顔を見せる。泣いている父を見る時は悲しそうな表情をしていた。死んでしまった妹にも同様の対応をする。
そして、最後に妹を殺したゼグには敵意を持っていた。
「ゼグ、何か言うことはあるか?」
ゼグは目を泳がし、何も言うことはない。しかし、次第に目から涙を流し、顔を歪ませた。それはヨミリーを殺したことによる後悔に他ならない。
「そうか。ならば、君を処断することにしよう。おい、彼を罪人として連れていけ」
「承知いたしました!」
兵士に連れられ、ゼグは決闘場を後にした。
ゲルトワの言葉を信じれば、ゼグは罰せられることになる。そして、ヨミリーもこの世にはいない。
シキアは復讐を成し遂げたのであった。
何か憑き物が落ちたような感覚はある。しかし、酔いしれるほどの歓喜は湧き上がってこなかった。