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「ヴェロニカ様……ヴェロニカ様!」


 シキアはヴェロニカの名前を呼び、二回目でようやくヴェロニカは気づいた。ハッと驚いた顔でシキアの方を向く。


「どうしたの、シキア?」

「そろそろ到着する時間です。寝ていないで起きてください」

「わかりました、ありがとうございます。そういえば、寝ている間に貴方と出会った7年前のことが夢に出ましたよ」

「そうですか」


 馬車で寝ていたことを恥ずかしいとも思わず、自分が見ていた夢の話をするヴェロニカにシキアは呆れてしまう。


 村から出て5年。シキアはヴェロニカの近衛侍女として生活していた。そのために、並々ならぬ努力を重ね、去年にようやく近衛侍女の地位を手にしたところだ。


 そして、この期間でシキアはヴェロニカという人間のことを知った。

 

 ヴェロニカ・サラマス。

 リゾーマタ王国公爵家第一位の長女であり、国にいる女性の中では五指に入る権力を持つ人物。


 しかし、その大きな権威に反して性格は良く言えば親しみやすく、悪く言えば威厳を持たない。無論、礼儀や職務は公爵家第一位に相応しいものなのだが、メリハリの差が激しい。


 気を張らないような場所ではこんな姿を見せることも少なくはない。シキアもそのことに不満はないが、心配してしまう。


 気を許す人間の前では油断することも多く、裏切られる隙が生まれてしまうのだ。シキアはそんなことをする気はないが、他の人間もしないとは限らない。


 貴族は探り合い化かし合いの世界だ。一時でも隙を見せれば家そのものが没落することもある。


 心を開いた人間にヴェロニカが騙されないかとシキアは気が気ではなかった。


「それだけですか、随分と簡素な感想ですね……笑うところですよ」

「他のお方には言わないようにしてくださいね。あまり面白くありません」

「そんな!? 夫は笑っていましたが」

「残念ながら愛想笑いでは」

「ありえません……ありえま、せんわ」

「……すいません、言葉が過ぎました」

「許します、安心しなさい」

 

 戸惑うヴェロニカにシキアは不安が消し飛ぶ。こんな親しみのある人柄も人気の理由になっていないわけではない。


 こんなことを別の令嬢とすれば最悪首が飛ぶ。それを受け流し、何も仕返しをしないヴェロニカは他の人間にとっては安心できる人間だった。


 無論、彼女も怒ることはあるが、それは相手の悪意によるものだ。礼儀の誤りや何かの失敗で怒ることはない。


 平民や貴族どちらにも人気がある令嬢は誰かと言われれば、彼女が挙げられるだろう。


「それにしても、到着する前に貴方との出会いを思い出すのは何か予感を感じますわね」

「はい、そうですね」


 話が変わり、シキアは口を強く引き締める。シキアが近衛侍女となったように、ある男も何も変わらなかったのではない。


 ゼグはこの5年間でラレ男爵家の騎士となった。そして、ヨミリー・ラレの婚約者候補ともなっている。


 ラレ男爵家は歴史が浅い貴族であるが、近年最も隆盛している貴族の一つだ。初代が武勲によって騎士から男爵となり、一代で巨万の富を築いた。そのため、王国では男爵でありながら立場は上の爵位を持つ貴族よりも高い。


 そのため、ラレ男爵家の長男は何と王族の第一王女を娶っている。長女であるヨミリー・ラレもそれ相応な爵位の人間が婚約者候補として挙げられたが、現在二代目となるラレ男爵が最有力候補に選んでいるのは平民だ。


 自分の家の起こりが平民からの成り上がりであり、ラレ男爵家は平民出の人間を家に入れることに熱心な家風がある。


 才能ある若者を集め、その中で最も優秀な人間に娘を差し出すような方針をとっていた。


 その才能ある若者の中にゼグがいるのである。


 ラレ男爵家の実情を聞いた時、シキアは臓腑が煮えたくった。彼らの家は才能がある平民を無作為に引き抜いているのだ。それも婚約者がいても婚約破棄までさせる強引な方法で。


 それに、シキアにとってはゼグが自分と絶対に過ごせるよりも、ヨミリーと過ごせる可能性を優先したことに凄まじい敗北感を味わった。


 不幸中の幸い、この負の感情をばねに今日まで頑張れたのだ。


「今日、全ての貴族が集まり総会を行います。きっと、ヨミリー・ラレやゼグとも会うでしょう。もしかしたら、話すこともあるかもしれません。爵位はこちらが上ですが、相手は湯水のような資金を有する。それこそ、王族までも恐れています。私も例外ではありません。きっと、下手に出ることもあるでしょう。そうすることを貴方は許してくれますか?」


 申し訳なさそうな顔でヴェロニカはシキアに許しを請う。

 こんなことを普通の貴族はしない。例え、二人のように友情を育んでいても、無言で察しなければいけないものだ。


 しかし、ヴェロニカは律儀に口にしてくれる。こんな真摯な姿勢が彼女の魅力だ。本来なら、礼儀を尽くさなくても構わない人間にもその態度をとるために威厳がないともされる。それを悪いことだと感じる人もいるが、シキアは悪い部分だけではないと思っていた。


「もちろんです。そして、言葉にしてくれてありがとうございます」


 返事をして数分すると、会場に到着した。

 馬車から出て、二人は会場の入り口まで来て別れる。


「それではまた」

「はい、お待ちしております」


 ヴェロニカが会場に入り、シキアは彼女が総会の終わりまで過ごす別荘の支度のために馬車に戻るのである。


 他の国では侍女も会場で過ごすこともあるらしいが、リゾーマタ王国ではこのような仕来りである。そして、シキアにはそれが好都合であった。


 ゼグは勿論のこと、ヨミリー・ラレも昔自分の顔を見ている。7年経ったとはいえ、名前も同じでは察しが付くだろう。


 それを会場に行かないことで防げるのだ。


 馬車へ戻ろうと歩を進める。すると、シキアの前に立ち、進路を塞ぐ者がいた。


「すいません、名前を教えていただきたい。できれば、一緒にお茶でも」


 如何にも軽薄そうな男で、こちらをナンパしていることが見て取れる。シキアは彼に愛想笑いをして断った。


「申し訳ありません、業務中ですので失礼します」


 貴族の中にも女性をどんな場所であろうと口説く手合いがいるが、侍女には良い迷惑だ。口説きに乗ったところで彼らには火遊びの感覚であり、結婚はできない。


 それに、受け入れることはもとより誘われただけで従事している家にも悪評が立つのだ。あの家は男に容易に股を開く女を雇っていると。


 人がいないところでも最低の行為だが、こんな総会の人が出入りする会場では迷惑極まりない行為である。


 不運にあったと、シキアは馬車へと早歩きで移動しようとした。


「待ってください! せめて名前や働いている家だけでも教えてください!」


 男は去ろうとするシキアの手を強く掴んで引き留めた。

 周りにも注目されて、屈辱をシキアは感じずにはいられない。


 手を振り払おうとしても男の掴む手の強さは尋常ではなかった。悪い意味で注目されることと自分では解決できない無力さに打ちのめされる。


「せめて名前だけでも!!」


 更に男は力を強め、腕が折れそうになった。

 表情を取り繕うことも限界で、顔に出てしまいそうになる。


「やめないか、チャール」


 すると、助けが来て男の腕はシキアから離れた。


「こんな場所で女を口説くな。ラレ男爵家の風評にかかわるぞ」


 助けてくれた人を見て、シキアは眉をひそめる。

 7年で変わった部分もあるが、顔の輪郭に変化はない。だから、シキアにはわかってしまう。


「ゼグ……」


 かつて自分を捨てた男にシキアは助けられたのだ。相手には聞こえないぐらい小さいものだったが、驚きのあまり復讐するべき男の名前を声に出してしまう。

 

「元の場所に戻れ、いいな」

「ああ」

 

 チャールと呼ばれた男は未練がましくこちらを見つめたが、命令通りにシキアから離れていった。


 これでチャールというゼグの知り合いからの執拗な口説きは終わったが、代わりにゼグから自分の正体がばれてしまう。


 どうにか隠そうとするが、予想外の状況が多すぎて顔をそらして話すことしかできなかった。


「すいません、我らの仲間が無礼を働いて。彼は新人でまだ礼儀を知らないのです。どうか許してほしい」

「わかりました。それでは失礼します」


 相手にとっては不満を感じていると捉えられたのか違和感は持っていない。

 このまま気づかれないうちに去ろうとしていた。


「少し待ってほしい」

「……何でしょうか?」


 足が動く前にゼグに呼び止められ、反射的に目が合ってしまった。顔には出さないが、これまでの努力が無駄になるかもしれないと心を震わせる。


「無暗にこのことを話さないようにしてくださいませんか。その方が双方に利益があります。それだけです」

「わかりました。失礼します」


 ゼグはシキアに今回のことを他人に話さないようにと頼んだ。


 そこからは、自分の正体が看破されたかを知ることは叶わない。しかし、


――私のこと馬鹿にしているのかしら


 口説かれたことを知人に話す低俗な人間に見られたのは確かな事実だった。暗黙の了解で話を広げないことぐらい簡単にわかるはずだ。それなのに、口に出して話したということは相手がわかっていないと思っている証拠である。


 5年間頑張ってきたのに、ゼグにはシキアが公爵家第一位に仕える淑女ではなく、仕える家の恥となる劣等な女としか見られなかったのだ。


 そして、復讐する相手に助けられたこともシキアに後味の悪さを感じさせた。


 シキアがここまで無様を晒して泣きたくなったのは両親が死んだ時以来のことである。それでも、シキアは涙を流すことはない。


 この感情を涙で終わらせるのは無駄なことだ。憎しみへと変え、熱意として復習に還元する。


 そして、ゼグに裁きを下すことでようやく報われるようにするのだ。


 馬車に乗り、窓からゼグ達の姿が見えた。相手は何事もなかったようにシキアを視線から外している。シキアは彼らに明確な敵意を持って睨んだ。


 5年間でシキアは本来なら知るはずもない大きな世界を知れた。そして、今では順応したと思う。

 もう少しでやっと、ゼグへの復讐が始まるのだ。

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