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 同い年で婚約者のゼグにこの言葉を言われて、10歳のシキアは絶望よりも戸惑いを最初に感じた。二人は同じ村で生まれ育ち、両親たちの勧めもあって婚約者となっていた。シキアはゼグと生涯を共にすると心を固め、彼を愛した。ゼグもこの関係に不満はないはずだ。


 彼から何故か両親たちを呼んで話したいことがあると集まって、開口一番にこんな事を言われ意味が分からない。


 平民のシキアからすれば婚約破棄という言葉の意味は想像つくが、今まで聞いたことがない。


 双方の両親たちも同じで、首を傾げて何も言えずにいた。


「それでいいのか、駄目なのか?」


 ゼグはシキアに返答を急がせようと詰め寄ってくる。大事な話であるということだけは理解していたシキアは、状況を整理しようとゼグに問いかけた。


「ねえ、ゼグ。婚約破棄って私たちの婚約をなかったことにしようってことでいいのよね?」


 まず、婚約破棄の意味の確認から入る。すると、不機嫌そうな顔でゼグは答えた。


「わかってるじゃないか。だったら早く返答してくれ」


 どうやら、シキアの考えている意味で正しいらしい。ゼグの親は驚いて目を見開き、シキアの親は顔を歪ませた。


「ゼグくん、そんなことは冗談で言っていても許されることじゃないぞ」


 立ち上がり、ゼグを睨みつけるシキアの父。娘が婚約者である男から理不尽なことを言われて黙っていられるはずがない。しかも、娘からの告げ口ではなく、この場で確かに耳にした言葉だ。違う意味であると思う隙もない。


「どうしたの、ゼグ。……シキアちゃんと喧嘩でもしたの?」


 ゼグの母が彼をフォローしようとこうなった訳を聞く。婚約を解消しようなんてことになるのだから、それなりの理由があるのだと思うのは当然のことだ。彼の母はそこでシキア側にも非がある理由が出てくることを期待した。


 それで、シキアの両親にも納得してもらい、穏便に事を済ませたかったのだ。


「いや、シキアは何もしてないけど」


 しかし、ゼグからは彼の母が望んだ言葉は出ない。これでシキアの両親が向ける敵意は強まり、彼の両親は自分の息子に失望する。


「だったら、どうしてそんなことを!? 他に好きな女の子でもできたの」

「ああ、できたんだ」


 シキアの母は怒りのあまり下賤な想像を言葉に出してしまうが、ゼグはその通りの人間だった。シキアの父は息子と呼ぶはずだった男に拳を向け、全力で殴ろうとする。


「ここら辺一体を治めているラレ男爵の娘、ヨミリーに俺は惚れたんだよ」


 領主の名前が出てきたことで、全員が再び沈黙する。シキアの父も上げた拳を下げてしまっていた。

 それほどまでに、ゼグが言ったことは突拍子がない。領主やその家族が村を訪れてくることは滅多になく、会う機会など皆無に等しいからだ。恋仲になるような時間を作れるはずがない。


「昨日、俺は彼女と出会った。そして、『一緒に来てほしいと』言われてさ。俺には剣の才能があって、もっと強くなれるって。そして、強くなったら私を娶ってほしいって」

「だから、私を捨てるの?」


 ゼグは村の子どもたちの中で一番剣の腕前に優れていることは事実だ。兵士になれば出世するかもしれないと有望視していた。しかし、ゼグには両親が耕している農地がある。そのため、彼も結局は農業を営む平民として生涯を全うするとシキアは思っていたのだ。


 その隣には自分や二人の子どもがいると。


 それなのに、彼は自分たちとの未来を捨てて、剣の道に行こうとしている。


「そうだな、ヨミリー様の方がより良い人生を送れそうだし」

「より良い人生……」


 ゼグから自分の存在を完全に否定されたと思った。シキアの顔は引きつり、頬から涙が流れる。


 彼とは多くの時間を共に過ごしたはずだ。それなのに、彼は昨日の一日の方が重いと言っている。そして、これからの人生に自分はいらないと考えているのだ。


「まあ、気にするなって。お前ぐらい可愛ければ他に誰とでも結婚できるだろ」

「ふざけるなっ!!」


 怒りの限り叫んだのはゼグの父だった。彼からすれば泣いているシキアを慰めるために言った言葉だが、彼以外の人間には嫌味や侮辱にしか聞こえない。


 その中で、何の悪びれもなく慰めていることに気づいた彼の父だけが最も怒りを露にしたのだ。


「私は生きてきてこれほど恥ずかしかったことはない。息子がここまで浅慮だったとは。可愛いから次も新しい人が見つかる? 人間が見るところは容姿だけじゃないんだぞ。お前との婚約を解消したことでシキアちゃんにも悪評が出てくるだろう。本人は何もしてないのにな。どんなに美人でも悪い噂を聞けば寄り付かなくなる。そんなこともわからないのか? 」


 ゼグが慰めで言った言葉を真っ向から否定する。話はここで終わらず、


「何より、お前はここまでシキアちゃんを傷つけて心が痛まないのか? これまで婚約をしていた仲だろ。私たちから見てだがそれなりに良好な関係だったはずだ。それなのに、お前は……」


 どうして今ここで彼女を拒絶できるのだ。


 二人の幸せな日々を祈っていたのはシキアだけではない。彼らを結びつけることにした両親たちも同じ感情を抱いていたのだ。


 それなのに、ゼグはそんな未来を捨て去ろうとしている。どう考えたら、そんな行動ができるのか彼以外全員がわからなかった。


「より良くて好きなものを選ぶのは当然だろ」


 故に、ゼグの答えには共感できない。罪悪感を持たずに、期待を裏切れる男には恐怖すら感じた。


「私がその答えを代弁しましょう」


 全員が血の気を引く中、扉が開きある一人の女性が入ってくる。

 着飾った衣装に身を包み、自然とゼグの腕に寄り添う少女。


「……ヨミリー・ラレ」


 予想できる人物の名前をシキアは無意識に口にしていた。太陽のように輝く金髪の髪に海のように青い瞳。真っ白で綺麗な肌は人生で見た誰よりも美しく、ゼグが一目惚れしてしまったことを理解してしまう自分がいる。


「貴方がシキアさんですね。ゼグのことを代弁する前に忠告しておきます。自分より高位な人間には必ず敬語で話すことです。呼び捨てなんてするものではありませんよ」

「……」

「返事は?」

「は、はい」


 呆けた返事に不満そうな顔をしながらも、ヨミリーはシキアから視線を外して話を始める。


「まず、確認します。貴方方はゼグの考えていることがわからない。そうですよね?」


 質問に対して相槌を打つシキアや両親たち。それを見てヨミリーは微笑む。


「その理由は簡単です。ゼグが天才だからですよ。正確にはその素質を持っている。凡人にはたどり着けない正しき道へと行けるのがゼグなのです」


 ヨミリーからすればゼグが間違っているのではなく、シキアたちが間違っていると言う。


「私が彼を導きます。そうすればきっとゼグは歴史に名を残す英雄となるでしょう。ただの一平民に収まる器ではないのです。ご家族は快く彼の旅立ちを見送るべきです」


 ゼグの両親に話しかけ二人を説得する。そして、彼らが答える前にシキアの方を向いた。


「それとシキアさん。貴方も彼の幸せを願うなら身を引くべきです。貴方が纏わりつくことで彼は大きな機会を逃すことになるのですよ」


 笑顔のままだが、どこか威嚇するような瞳にシキアは目を逸らす。出来ることならば、耳を塞いで彼女の言葉も聞こえないようにしたかった。


 男爵令嬢からも自分たちの一緒に進むはずだった未来を否定されたのだ。教養ある人物に言われることで、シキアは自分たちが一緒になる運命ではないと思い知らされる。


 そんな事実を認めたくない。ゼグと笑いあった日々が彼にとって悪いものであったと断言したくないのだ。


「なあ、シキア」

「何?」


 ゼグに声を掛けられ、ヨミリーから逃げるようにシキアは反応する。


「俺のこと好きか?」

「うん、大好きだよ」


 そして、ゼグへの愛を問われて即答した。シキアにとってゼグは運命の人だったのだ。これまで考えていた未来が思い浮かぶ。


 大人になって、田畑を耕しながら二人は汗を流すのだ。不作の時もあり、貧しい時もあるが決して卑屈になることはない。そんな日々で子どもができて、仕事の余暇を使って親子の愛を育む。子も大人になり、孫ができたら涙を流して喜ぶのだ。


 年老いてきて美しさが損なわれるが、二人は笑顔のまま。そして、家族に囲まれて人生を終える。そんな日々をゼグと過ごしたいことをシキアは言おうとしたのだ。


「だったら、別れてくれ。婚約破棄しよう」

「……え」


 そんな思いをゼグに伝えることは叶わない。例え、伝えたとしても彼が自分の行いを変えることはないとわかってしまった。


「本当にお前が俺を愛しているのなら、俺の本当の幸せを願えるはずだ。正しいことを優先して自分を犠牲にできるはずだ」

「そんな――」

「それができないなら、お前は俺が嫌いだったんだよ。それとも、婚約破棄するって言ったから嫌いになったのか。まあどっちでもいい。嫌われている奴には俺も耳を貸さないさ。勝手に出てってやる」

「それは困りますわ、ゼグ。こういうのはちゃんと手続きが必要なのです」

「そうか、それは困ったな」


 シキアは既に冷静に話を聞ける状態ではなかったが、だからこそ聞き取れた部分があった。それはここで駄々をこねればゼグとは婚約者のままでいれるということだ。それなら嫌われても構わない。彼と一緒にいられるのなら罵倒される日々でも耐えられる。


「しかし、私はこの領地を統べる者の娘です。家族の力を借りて、この問題を解消することもできます」


 しかし、そんな希望すらもヨミリーの一言で粉々に砕け散った。

 考えられるどんなことをしてもゼグと結ばれる道はない。


「そうか、なら問題ないんだ。でも、どうせならここで終わらせたいよな」

「ええ、そうですね」

「なあ、シキア。婚約破棄してくれよ」


 婚約破棄という言葉をこの短時間で何回聞いただろうか。シキアは婚約破棄をしたくはない。

 でも、それが逃れられない運命ならば、


「ゼグ、私は貴方を愛しています。だから、貴方のために婚約破棄を受け入れます」


 せめて、ゼグに嫌われない選択をとるしかなかった。


「そうか、ありがとう! それじゃあ皆、行ってくる!!」


 満面の笑みでヨミリーと外へ出て行ったゼグ。それにシキアは変な感情を覚えた。

 これまで綺麗だと感じていたゼグの笑顔が醜くて仕方がない。これが憎しみによるものだと思うことができなかったのだ。


 シキアは心変わりですぐに恨めるほどゼグが小さな存在ではないのだから。


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