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10月12日 曇り

「ねぇ、あさみ。」


 別の学科の友達が次の講義に向かった直後、今日はずっと無口だった美奈子が口を開いた。

 美奈子は高校からの友達で、学科も同じだから学内ではあたしと一緒にいることが多い。『今日は無口』と言っても、機嫌が悪いときとお腹痛いときはいつもそうだから気にしていなかったのだけど、少し様子が違う気がする。

 あたしと二人になるのを待ってたみたいな。


「なぁに?」


 あたしたちは次のコマには講義を入れていないので90分間暇になる。だからいつも学生食堂でレポートをこなしながら駄弁(だべ)ることにしていた。


「言おうか迷ったんだけどさ。」

「ん? どうかした?」

「アタシね、あんたの彼氏にセフレになってって言われた。」

「え…?」


 すごく嫌な感覚が背中を走った。


「でも寝たわけじゃないんだ。」

「じゃあ、何?」


 あ、声が少しきつくなってしまった。


「アタシ結構あいつと仲いいじゃん。」

「うん。」


 確かに美奈子はしんちゃんと仲が良かった。でも、美奈子だけはただの友達として仲が良いんだと思ってた。


「ま、お友達として、のつもりだったんだけど、昨日、抱きつかれたのよ。」

「一緒に飲んでたんだよね。」


 美奈子からそう聞いていた。

 だから昨日は安心して眠れたのに。


「うん。これについては完全に油断してたアタシの落ち度だ。ビンタしていいよ。」

「ううん。…美奈子は悪くないじゃん。」

「泣きそうな顔して言うなよ。続きはまた今度話そうか?」

「ううん、続けて。」

「…でね、そのままホテル行こうって。アンタには可愛い彼女がいるでしょって言ったら黙り込んでさ。何、あさみと別れるの?って聞いたら『じゃあセフレは?』って。ふざけんなっつったらそれ以上何も言わなかったけどさ、帰りに冗談ぽくアンタ何人セフレいるの?って聞いたら得意げに『秘密』って言ってた。」

「そっか。」

「アタシはあいつの友達やめるけどさ、あさみ、アンタも」

「待って。その続きは聞きたくない。」


「…そう。」


 沈黙。


 美奈子があたしのために言おうとしたのはわかる。別れろ、って。でもそれは嫌。ぜったい嫌。だってきっと、しんちゃんと別れるほうが今よりずっと辛いもん。

 自分の気持ちがどんどん沈んでいく。あたしは口を開いた。


「美奈子、あたしちょっとお散歩してくるね。気分転換。」


 立ち上がる。


「台詞だけは明るいわね。ま、出席票(カード)はアタシが書いとくよ。」

「うん、ごめんね。」

「謝るのはアタシのほうだよね。」


 苦笑いで言われた。あたしは「ううん」とだけ返して歩き出した。こんな気分で講義聞いたって頭に入らないだろうから、次の講義はサボりになる。



 ―***―



 学食を出て、理棟のほうに向かった。理棟というのは理学部と農学部の校舎で、7つの建物がまとまっているとこだ。教育棟や共通棟からはちょっと離れている。

 そこには、大きな池があった。

 大きいと言っても30mくらいで、楕円と言うにもぐにゃぐにゃしすぎてるような形。水面には睡蓮(すいれん)の葉っぱが浮いている。農学部が実習に使う田んぼに入れる水を溜めてるらしいって誰かが言っていたけど、あたしたちにとってはただ鑑賞するだけの池だった。そこに置いてあるベンチに座る。ひやりと硬い。


 しんちゃんのことを考えると、泣きそうになった。深く座りなおしてかかとをベンチに乗せた。脚を抱いてうずくまると少しはマシな気分になる。

 今日は風がなくて、水面は落ち着いている。あたしの心はざわざわと揺らされているのに、なんか不公平だななんて思う。どこにも不公平なんてないってわかってるのに。

 おでこを膝に乗せる。目も閉じた。

 あたしって本命なんだよね?

 (ほか)()は『彼女』じゃないんだもん。

 だったらあたしが一番のはずじゃん。

 だってあたし、いわゆる()い女じゃないから。

 スタイルは普通。平均の平均って感じだけど、背が低い(ぶん)だけ子供っぽく見えるかも。

 顔は論外。化粧しても着飾っても中の中…だと思いたい。

 料理できるわけでもないし、掃除してあげたりとかするような世話焼きでもない。

 成績は()が7割だけど()はゼロ。先輩からもらった過去問で対策してそれがやっと。(※優は高評価、秀は最高評価のこと。)

 美奈子みたいにデザインが上手くて将来仕事できそうとか、そんな特別な特技もない。

 え、えっちだって別に上手いわけじゃないし…。

 それに、面白い話もできない。

 だからあたしを彼女にしてるのは純粋にあたしのことを好きだから…なんじゃないのかな。

 でも、男の人って、子孫をたくさん残さなきゃいけないから色んな人に性欲が沸くんだっけ。そんな理屈っぽいこと言われてもイラっとくるけど、本能ならしょうがない面もあると思う。

 多少の浮気はしょうがないじゃん…しょうがなくないけどさ、しょうがないじゃん。みんなそうだし、女の子だって浮気する()たくさんいるもん。あたしはしたいと思わないけど、すっごいイケメンで優しい王子様みたいな人が現れて(せま)られたらわかんないし。

 でも普通、節度は守ると思うのよね。浮気に節度っておかしいけど。せめて一人とか二人とかでさ、気づかれないようにするもんじゃないの? なんであんなにたくさんの人と…ああああ、なんか一周回ってイライラしてきたなぁ。


 ふと美奈子の顔が浮かぶ。

 可愛いなぁ。

 スタイルも()い。

 姉御肌で、性格まで()いからあたしが男子なら惚れていたと思う。

 なんでしんちゃんは美奈子に『あさみと別れるの?』って聞かれたとき黙ったんだろ…?

 自分で言うのも悲しいけど、あたしなら美奈子を取ると思うもん。


「なんか、あった?」


 頭の上から声が降ってきた。驚いて顔を上げる。

 りょうちゃんだ。

 サークルでできた友達で、数少ない男の友達。

 少し顔を傾け、心配そうにあたしを見ている。


「あ…えと…」


 急に話しかけられたからパニクった。やばい。何か言わなきゃ。


「あ、やっぱりあさみちゃんだ。」

「え…あたしだってわかってて声かけたんじゃないの?」

「んーん。あさみちゃんな気はしてたけど、4割ハズレかなって。」

「あたしじゃなかったらどうする気だったの?」

「いやぁ、ベンチに体育座りして頭伏せてるなんてわかりやすい落ち込み方してたら知り合いじゃなくても声かけるって。」


 りょうちゃんは笑いながらそう言い、あたしの隣に座った。隣と言っても、不自然じゃない程度に距離が空いている。

 サークルはだいたい3か月で辞めてしまったけど、何人かの友達とは学食で会ったときに立ち話をする程度の関係が続いていた。りょうちゃんとはあいさつくらいしかしてなかったけど。でも、同じ講義とってるのが結構多くて、いつも一緒にいるメンバーを除けば一番顔を合わせてる人かもしれない。


「あ、でも別に落ち込んでたんじゃなくて、ちょっとお昼寝してただけなんだよ?」


 そう言いながら精一杯の愛想笑いを向けると、りょうちゃんは目をそらした。同時に笑顔も消える。


「…先週は目ぇ真っ赤に腫らして学校来てたよね?」

「え?」

「結構前からだけど、最近沈んでること多いよね。」


 それ最近て言わないんじゃ、と反射的に思った。頭は意外と冷静なのかな。


「どうして知ってるの?」

「俺とかぶってる講義、結構あるんだよ? 沈んでるときはおはよって言っても気づいてくれないけど。」


 また笑顔。

 電気のスイッチを消して()けたみたいに表情が変わる。


「あ、ごめん。」

「いいよいいよ。でも、悩み事、俺で何かできることあれば手伝うよ?」

「うん、ありがと。でも大丈夫だから。明日になれば元気になってる。」

「平日だけで週に3日以上は沈んでんのに?」

「あたし、そんなに目立つかな?」

「いや、知ってる人だから気づくだけだと思うよ。」

「『知ってる』って?」

「あさみちゃんのこと。あ、悩みが何かまでは知らないよ。単に知り合いって意味。俺そんなエスパーじゃないし。」


 しんちゃんのこと知ってるのかと思った。


「でもさ、俺に話すのはアレとしてもさ、友達には相談したほういいよ。」

「うん…。」


 嫌だよ、もう。だってみんな別れろとしか言わないんだもん。

 ちょっと間があいて、りょうちゃんが再び口を開いた。


「それとも、友達に相談できないようなことなの?」

「うん…あ、うんじゃなくて、そんなことないんだけど」

「じゃあ俺には相談できる?」

「え、あ…」

「いや、無理して話さなくてもいんだよ。俺なんて言っちまえば他人だしさ。」


 りょうちゃんはまた笑いながら言った。あたしが言葉につまるとすぐフォローしてくれる。きっと話すのがうまいんだ。


「でも逆に、他人だからこそ気楽に言っちゃえることもあるんじゃない? 気まずくなったらもう会話しなきゃいいだけなんだから。」

 りょうちゃんはそれきり黙った。1分か2分の沈黙のあと、


「じゃあ…聞いてくれる?」


 あたしはそう言った。

 そしてしんちゃんのことを話した。出会ったときの話から。りょうちゃんもしんちゃんのことは知っていた、というかあたしのカレとして知っていたらしい。


「あさみちゃんがサークル辞めたあたりさ、すれ違ったとき、たまに気づかない振りしたことあったじゃん。あれ、彼氏に遠慮してたんだよ。」

「そうだったの?あたしが影薄いだけだと思ってた。」

「すれ違っても気づかないくらい影薄い人なんて実際はいないよー。」


 また笑顔。りょうちゃんはよく笑うなぁ。


「…ていうか、あんな幸せそうにしてんのに声かけるなんて無理っしょ。『え、あの男誰だよ』なんてなったら最悪やん。」


 りょうちゃんは明るい。こんなときなのに他人が見たらどう見えるんだろうと思ってしまう。だって暗い顔の女と笑顔の男が二人で話しているなんて変だ。


「そんなに幸せそうだったかな?」

「そりゃーもう。」


 その後は本題に戻った。続けて浮気の話もした。本当にあったことだけ。疑わしいってだけのことは言わなかった。美奈子のことも言わなかった。それでも喋りきるのに15分以上かかったと思う。その間、りょうちゃんは黙って聞いていた。


「でね、どうしたらあたしだけのことを見てくれるかな?」


 長い沈黙。


「…好きなんだね。」


 りょうちゃんが言った。すぐに「うん」と答える。


「俺、そういうこと疎いからうまいアドバイスなんてできないけど、あさみちゃんに魅力が足りないってことじゃないと思うんだ。彼、かっこいいし、他の子にアプローチされちゃうんじゃないかな。そんで、別にその子に気持ちが行ってなくても、快楽に負けてというか、だらしないところが出ちゃって…」


 沈黙。続きは察してってことなんだろうけど。でも、だからって好きでもない()とえっちするっておかしくない? だったらあたしに魅力がないほうがまだマシじゃん。きっとちょっとは気持ちがあるんじゃないかな。美奈子のこともあるし…。


「りょうちゃんもそうなの?」

「え…いや…」

「りょうちゃんの他の友達も? んーん、仮に全部の男の人がそうだったとしても、あたしはしょうがないなんて思えないよ。」

「違うよ。本当に好きな人がいたらその人以外とはできない。可愛い()がいたら目で追っちゃうくらいはあるかもしれないけど、だけど『いざ!』ってなると、好きな人以外いらないと思う。少なくとも、俺は。でも、俺以外にもそういう人、たくさんいると思う。」


 真剣な顔。


「…そっか。少し安心した。」

「ああ…」

「でもそれだと、あたしはそこまで愛されてないってことだよね?」


 安心より大きな悲しみがぐるぐるしだす。


「いや! そうじゃないよ。彼だってあさみちゃんのこと好きだって。じゃなきゃ(ほか)の子たちと同じようにされるはずじゃん。あさみちゃんは『彼女』なんだから。問題は…」


 うん。あたしもそう思う。だから問題は…の続きを待った。


「じゃあさ、携帯(スマホ)壊しちゃおうよ。」

「へ?」

「要は(ほか)の子と連絡取れなきゃいいんじゃないかな? 接点なくなれば何もしようがなくなるじゃん。どっかご飯食べに行ったときとか、コップに腕でもぶつけてスマホ水びたしにしてさ、データ復旧できなくしちゃえばいいじゃん。」


 それからりょうちゃんはかなり具体的な方法を教えてくれた。水びたしにするより先にライムの知らない人とのトークを非表示にするとか、女友達のニックネームを入れ替えてみるとか、冗談のような語り口でいろいろ。きっと時間がたてば元通りになるんだろうけど、やったみたらちょっとはよくなるかな。


「そのうち設定直されるだろうけどさ、一回既読スルーされるとなかなかその次のを送る気にならないじゃん。」


 この言葉には惹きつけられた。だってそのとおりじゃない。やってみようかな。きっとしんちゃんがお風呂中とかなら設定変えたりできるよね。ロックナンバーなら知ってるし。やっぱ水びたしにするのが一番難しいかなぁ。


「んで、あとは飲み屋でコップをバシャーって。お互い酔ってればちょっとわざとらしさ残ってても大丈夫だよ。」

「でも、怒られちゃうよ。」


 そう言う口元が緩んでいるのがわかる。それに気づかれたみたいで、りょうちゃんがにやっと笑う。ああ、あたし悪女になっちゃうな。でもなんとなく楽しい気持ち。夜の学校に忍び込むみたいな。


 でも、そんな可愛いもんじゃないか。他人にやられたら最悪かも。あ、最悪同士のカップルで案外お似合いなんじゃないかな。なんて。


 りょうちゃんのおかげで随分気が晴れた気がする。やるやらないは別にして、相談して良かった。


「はい。」


 りょうちゃんがスマホ画面をあたしに向けた。満面の笑顔。


「成功したら教えて。あ、失敗しても教えて。」


 QRコードが表示されている。あたしのスマホで読み取れってことだ。

 中央に小さくライムのアイコンがある。


「でもあたし、りょうちゃん登録されてるよ?」

「え?」

「サークル入ってひと月くらいに学年のグループできたじゃん。あのとき友達追加したから。相互にはなってなかったっけ? なんか送ってみるね。」


 スマホを開いて友達一覧からりょうちゃんを探していると、りょうちゃんがちょっと元気のない声で言った。


「いやいいよ。俺も登録済みだから。」

「え?」


 りょうちゃんを見ると、目をそらされた。


「や、用もないのに連絡先登録なんてキモいかなって思って。」

「そんなことないよー。あたしもやってるし。」

「男と女の子じゃ印象違うじゃん。」

「そうかな?」

「うん。」

「でもいざってときに使えるかもしんないじゃん。」

「ふっ、いざってどんなときだよ。」


 りょうちゃんが笑顔に戻った。


「飲み会遅れたときとかー…ほら、今とか。」


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