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第一話──少年の運命は廻り出す。

 二○九三年。

 その日は、朝から冷え冷えとした陽気だった。

 斜めに差す陽光からして、まるで色が違う。予定よりも長く秋の名残が続いていたが、ようやく観念して居場所を冬に譲り渡したかのような──そんな日。

 とりわけ、学び舎では顕著だった。

 人生の平和を愛する者にこそ、冬の寒さは堪えると言うように。

 光の風が揺れ、学舎の屋上では、ひとりの黒い軍服を着た三十代半ばのごく緩やかなウェーブがかった黒髪の男が眠りから目覚めた。

 そして淡く、微笑して、


「……ああ、今日も少年(春人)瘴気(しょうき)を才能に任せて祓うのかねぇ」


 とてもとても嬉しそうに小さく呟き、忽然(こつぜん)と姿を消した。

 同じく陽光に晒された校門の金属板には、こう浮き彫りされていた。

 市立陽呉(ひぐれ)中学校、と。


 ◆


 本日、四時間目の授業が終わった神奈川県茅ヶ崎(ちがさき)市にある市立陽呉中学校・一年四組の教室で、浅倉春人(あさくらはると)は大きな欠伸(あくび)を洩らしていた。

 つまらない午前中の授業を寝て過ごしたお陰で、いくらか頭はスッキリしている。

 春人の座席は教室の一番隅の窓側。

 中学一年の二学期のころから、自然とここは春人の定位置となっていた。

 何のことはない。邪魔になる奴はなるべく端に置いて置く方が安全だと、学校がそう判断しただけのことだった。触らぬ神に祟りなしとも言える。

 春人としてはその扱いに特段の不満はないので、受け入れることにした。

 人を見かけで判断するな、とはよく言うが視力を介する限りどうしたって外見的な要素は深く関わってくるものである。

 浅倉春人という少年を見た場合、まず間違いなく気弱な人間は警戒、あるいは不快感を抱く。

 青みがかった黒髪に荒っぽい言動は、他人を寄せ付けにくい。背は高く、体格はそれなり。そして性格はどちらかと言えば人当たりはいいほうだが、小学生の頃から人付き合いが苦手な一匹狼タイプ。

 その目立つ髪色が災いして、春人は入学当初から学校側にも問題だと判断されている強面(こわもて)の上級生グループに目をつけられ、連行された。教師の目の届かない場所。人員不足で廃部となった演劇部の部室は、そうした連中のたまり場になっていた。グループの指示に逆らうな、という上級生の言い分が、春人には「下僕になれ」と聞こえた。

 意味に大差はないだろう。

 春人はそれに拳で応え、そのまま乱闘に発展した。春人は肋骨を四本折られたが、上級生三人を気絶させるほど殴り潰していた。幸か不幸か、この一件は教師の耳に入るも春人の義母が世間的にも有名人だったため、学校側は表沙汰したくないゆえに上級生の不祥事として事態の収拾を図ったのである。

 だがいかに学校が隠蔽しても、その乱闘話が生徒の間で密かに広まった。詳細を割愛されたそれは、春人の人間像を勝手に形作り、余計な噂が絡みひとり歩きしていった。

 浅倉春人という一年生は、手当たり次第にあらゆる力で黙らせる異常で危険な奴だと。

 そうして、一学期の頃には周りから敬遠されるようになり、二学期になってもそれは維持された。

 その間にも、春人が何度か他校と喧嘩沙汰を起こしたことが、噂に真実味を持たせ、もはや生徒たちの共通の認識となっていた。

 ゆえに、クラスにおける自分の扱いが腫れ物を触るようであるのも、春人は納得している。

 仲の良い友達を作るとか、部活に真剣に取り組むとか、春人にはそういった発想はなかったので、その扱いに不満はなかった。

 ──面倒な人間関係に巻き込まれないというのも、存外気分が晴れやかになれると思う。

 十一月の中旬。それぞれの弁当やらサンドイッチを持ち寄ってガヤガヤとごったがえした教室のそこかしこで広げるなか、春人はそんなことをぼんやりと思い浮かべ、瞼を閉じるとすぐにそんな考えは忘れ昼飯を鞄から取り出した。

 すると、


「やっほー、浅倉君!」


 そんな横からかけられた高い声に春人は仕方なく顔を向けるると、優しい視線が春人を見据えていた。


「うるせぇな。いい加減俺に話しかけるんじゃねぇよ」

「本日は私のミニハンバーグを二個進呈しちゃいます」

「いらねぇ。ていうか、人の話しを訊けよ」

「浅倉君は代わりに、その卵焼きをちょうだい」

「何の話をしてるんだ!」

「私は手作りのおかずが好き、という話だよ?」


 真っ向から春人の話を受け流すこの少女は、クラスメイトである雪原冬音(せつはらふゆね)

 春人の悪い噂を訊いても無視して接してくる、数少ない存在。

 冬音は小学校三年からの同級生であり、中学校に入ってから初めて同じクラスになった。

 中学入学早々悪い噂が流れる前から、冬音は春人が一匹狼になってしまったわけを知っている。小学校に春人が転入して一週間が経った時期、教室の天井の隅を指差して()()()()()()()()()()()()()()()()と問うた。()()()()()()()()()()()()()指を指してそう言った春人は、感情に乏しい無表情であり、それが一層不気味に映ったのだろう。担任の先生ですら引き()った笑みを浮かべていた。それからだ、積極的に春人へと誰も話しかけなくなったのは。

 それから春人も、クラス中を冷たい空気にした時のような発言はしなくなった。しかしもう誰も話しかけなくなり、中学校の乱闘話が混ざり合ったことで多くの生徒が無関係を装うようになったのだ。

 しかし冬音は「君は人と違うのが視えるの? なら浅倉君が知ってることを色々と教えてね」と春人に言ってきたのが同じクラスになった入学当日のこと。

 彼女はこの学校で春人の友人を自称する唯一の人間であり、春人にとっては扱いに困る相手であった。どんな生徒でも、たいていは春人が軽く睨むだけで言葉を失うのに、冬音はそれに笑顔で応えるのだ。


「……おまえ今右肩、痛くないか」

「ん? 確かに今日はなんか調子良くないんだよね。あ、もしかしてアレなの? ならよろしく!」


 冬音の右肩を見ながら春人は問いかけると、楽しそうにニッと笑いながら冬音はお願いしてきた。

 それを了承した春人は彼女の右肩に手を伸ばし、虚空へデコピンをする。

 しばらくして冬音は右腕をグルグルと回して肩の調子を確かめると、治ったと思ったのか、また春人に笑顔でニッと笑いかける。


「やったー! うん、治った治った! ありがとう浅倉君!」

「……ああ、どういたしまして」


 春人には生まれてから変なモノが視えていた。この世のものとは思えない悍ましい形をした、生物のようなナニカである。それが冬音の肩にくっついていた。だからデコピンで消し飛ばした。体の内から溢れてくる不思議な力を手に纏わせて。

 この不思議な力の使い方は誰かに教えられたわけではなかった。ただ、体の内側に()()()()()()()()()()()()()という認識だった。そして()()()()()()()(おぞ)ましいナニカが学校の帰り道で自身に襲いかかってきた時、素手で応対した。弾き飛ばすことは出来ても消滅させることができなかった。そこで、何となく体の内側にある不思議な力を手に纏わせて殴ったところ、悍ましいナニカは跡形もなく消し飛んだのだ。

 まだまだ小さい子供である春人が、そこら辺に居るナニカに対する対処法を発見したのだ。それからは襲い掛かってくるナニカに対してだけ対処することを決めている。下手に刺激しなくても良いと考えたからだ。反応を見る限り、身近で視えているのは自分のみだからゆえに。それからは誰にも何も言わずに平穏な日々を過ごしている。


「この卵焼き、美味しいね。フワフワって食感もいいよ」

「……おまえ、勝手に俺のおかずを」

「私のミニハンバーグも美味しいよ? 手作りの自信作だからさ」


 またしても笑顔で押し切られて、春人は冬音から勝手に交換されたミニハンバーグを渋々ながら口に運んだ。

 確かに自信作だからか市販品より美味しい。でもそんなことを言葉にする気はなかった。冬音もそんなことを期待していないのか、そんな春人に何も言わない。

 今も軽い笑みを浮かべ馬鹿にされているような気もしたが、この少女の性格からいってそれは皆無だろう。

 春人がクラスで最も人間関係が終わっている生徒だとすれば、冬音はその逆だった。誰にでも屈託のない笑顔で話しかけ、その持ち前の明るさと楽しい性格で相手の警戒心を解いてしまうのだ。クラスのみんなが友達、という発言も、彼女が言えば限りなく真実に近い。

 人目を惹くような美人であるし、結構な数の男子から一日に何度も告白されているという噂だった。それでも今のところはフリーらしく、そのへんの身持ちの堅さも彼女の人気に繋がっているらしい。

 ──博愛精神みたいなもんを自然と持ってるんだろう。自分には勿体ないくらいに良い奴だよ、本当に。

 自分のような男にも気軽に接する彼女の真意が掴めず、最初はただ戸惑っていたが、今ではそう春人は納得していた。クラスから変に浮いてしまっている自分を、彼女は哀れだと感じ、唯一の友人と言っているのかもしれない。そうした平等な気遣いを迷惑だと思うほど、春人は疑り深いアホなひねくれではなかったし、少しは感謝もしていた。

 彼女から話しかけない限り、春人は学校で一言も会話もせずに過ごすことが多いのである。


「しっかしおまえは、こんなところにいていいのか?」

「どうして?」

「昼飯を誘う連中は、引く手数多いるだろ」

「今日は浅倉君の番だから」

「……ふ~ん、ま、いいけどさ」


 雪原冬音とこうして一緒に昼食をとっている光景は、さぞかし周囲の反感を買いそうだった。案の定、クラスの何人か、特にみんなの中心にいるような男女のほとんどが睨んでいた。

 おそらくは、春人が冬音の人の良さにつけこんでいるように思えるのだろう。今時珍しい不良が教室で何食わぬ顔で堂々としてるため、敵視されてもおかしくないのである。

 ──ま、入学当初からこれだからどっちでもいいけど。

 春人はそんなことを思いつつ、さっさと昼飯を済ませることにした。

 冬音がまだ弁当の三分の一も食べてないうちに、席を立つ。


「うわ、ちょっと意地悪じゃないかな、浅倉君」

「トイレだ」


 軽く手を振り春人は教室を出て男子便所に向かい、トイレを済ませて渡り廊下から校庭を見る。

 太陽が昇ってるのに、頬にあたる風が冷たく、学校の敷地外を歩く人にもう半袖の人は見当たらない。なのに楽しげにサッカーボールを蹴る男子生徒たちを観察して、春人なりの分析をする。「行動的な人間は人生がプラスになるよな」、と。

 そんな当たり前の考察をしていた春人は、廊下の端から歩いてくる人影に気づいて視線を向ける。


「あ、春人くん」

「……宮島会長」


 春人は、遠巻きから周りの視線がこちらへ集まっているのを感じた。それらが向かうのは冬音以上に自分ではなく、目の前の少女。男女の区別問わず、廊下から見える階段を行き来していた者たちでさえ大半が動きを止め、彼女を見ている。男子は羨望の眼差し、女子は、それに若干の嫉妬が加わる。


「ちょうどいいところで会えましたね。冬音ちゃんと一緒にいないときに春人くんを見つけられて、ちょっぴり運命的です」


 陽呉中学校三年、生徒会長宮島佳乃(みやじまかの)は、おっとりした笑顔を浮かべてそう言った。

 清楚で慎み深く、いつも穏やかに微笑み、それでいて堅苦しさのない女性。容姿と性格が完璧な調和を見せる佳乃は男子の憧れの的であり、彼女の写真を撮るためだけに他校の生徒がやって来ることさえあるぼどだった。

 春人も、その気持ちはよくわかる。最も意識する異性は誰かと考えたら、佳乃しかいないし、最も怖い異性は誰かと考えても、やはり佳乃となる。

 彼女は他校との喧嘩に明け暮れていた春人を、言葉で説得して止めさせた聖人のような存在だった。

 昔から自分に注目が集まるのに慣れている佳乃は、その扱いにも慣れている。自分を見つめる生徒たちに向けて、絶妙な角度で首を傾げると、無言で微笑み返した。それだけで、彼女に熱烈な視線を送っていた者たちは何故か満足する。彼女に反応してもらえた。それてもう十分だと。

 校内において、勉強も運動もやる気を見せず見事に落ちこぼれな生徒だと自己判断する春人からすれば、誰からも意識される佳乃に対して不快や毛嫌いする思いがないのは、無粋な気持ちを洗い流す、彼女の清涼(せいりょう)な雰囲気のお陰だろう。冬音から自身と相反する佳乃と接することを不振に思われたが、その親しげな様子を変に誤解されぬよう、冬音には「親同士が知り合い」だと説明していた。実際にはこちらの気分が悪いときに、他校の男子数名がいて暇潰しにと喧嘩を吹っ掛けたら、その他校の男子らは佳乃をナンパしていた。それを偶然助ける形になっただけだが。


「春人くん、今日のお昼は足りましたか?」

「……まだ、ちょっと()いてますね」

「ああ、良かった」


 佳乃はホッと胸を撫で下ろし、片手に持っていた包みを春人に差し出す。確認するまでなく、中身は弁当箱。


「今日は彩ねえがこーちゃんの遠足で、お弁当のおかずを作り過ぎちゃったんです。だから、春人くんにお裾分けします」

「ありがとうございます、宮島会長」

「いいえ」


 朗らかに微笑んだ佳乃は、何故かそこで目を瞬きした。

 そして、上目遣いで春人に迫る。


「春人くん」

「はい」

「大丈夫ですか?」

「えっ? 何がでしょうか?」

「今日もちょっと元気がないみたいです。いつも何に悩んでいるんですか?」


 彼女は勘が鋭い。

 悍ましいナニカの件で密かに悩んでいることを、こちらから話すことを待っている。


「宮島会長に今日会えて、元気になりましたよ」


 理由を誤魔化すように作り笑顔でそう言うと、佳乃はしばらくその顔をじっと見つめていたが、春人が口を割らないと判断したのか、悲しそうに肩を落とす。


「……わたしには、やっぱり話せないことなんですね」

「──まあ、個人的な悩みだから……」

「ん~。色々と悩むのはいいことですけど、春人くんは特に心身ともに気をつけるんですよ?」

「まあ、それなりに……」

「そんなんじゃダメです。お返事は?」

「はい、最大限気を付けます」


 よろしい、と佳乃は朗らかに微笑み、手を伸ばして春人の制服の乱れを直す。そしてパンパンと胸の辺りを軽く叩き、満足げに頷いた。


「それでは、また明日」


 折り目正しい一礼をしてから、佳乃は階段を下りて行く。決して慌てない、流れるような足運び。窓からの風が彼女の長い黒髪を揺らし、通りすぎる生徒たちが学校一の不良である春人のことなんかに気づくことなく、何人も振り返って見ていた。中には、無断で彼女の後ろ姿を携帯電話で撮影する者さえいる。

 偶然とは言え佳乃をナンパから助けることさえなければ、春人は彼女を遠巻きに見ている男子生徒の一人でしかなかっただろう。だとすれば今の現状は、幸せな時間というべきか。

 春人は佳乃から渡された弁当箱を見て少し笑い、人混みが少なくなったであろう屋上へ向けて階段を上って行った。


 ◆


 その三日後……春人は冬音にある遊びに誘われることになる。


「ね、浅倉君──宮島会長と一緒に、季節外れの肝試ししない?」


 その日が、悍ましいナニカ(瘴気)が視える春人にとって大事な決断をする日となった。

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