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俺の不思議な妹の話  作者: みたか
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3話 俺の不思議な妹

俺の妹は非常識な存在だ。

今は流石に姉とは言えないから年の離れた妹と言っているが、本当は姉だ。

何故なら生まれたのは香奈の方が早くて、後を追うように香奈が生まれてすぐに俺が生まれたらしい。

もちろん生まれた時の記憶が無いから、本当かどうかはわからないけれど。

歳をとるのが極端にゆっくりな香奈は20年経っても、五歳くらいの容姿をしている。行動も態度も5歳児のままだ。

そして、特殊な力を持っていて俺の『願い』を叶えることができる。


『願い』はできる限り詳細でなければならない。

まるでプログラミングで機械に行動を命令するように、いつ、何を、どういう風に行動して、どのようにしなくてはならないかを香奈に伝えないといけない。

例えば先日のあの事件の時「白いセダンの乗用車を止めろ」と願いをした場合、もちろん暴走していた白い車は止まるだろう。しかし、同時に日本中の白いセダンの車が、いきなり止まってしまい、大惨事になりかねない。日本中はパニックになってしまう。

「ことぶき保育園に向かっている白いセダンの車を止めろ」と願いをしても、もし他の場所にもことぶき保育園という名前の保育園があったとしたら、いきなり止まったことにより事故が起こるかもしれない。

ましてや、今は保育園のお迎えの時間だ。このことぶき保育園に迎えに向かっている他の白いセダンの車も無いとは言いきれない。

何より『願い』は規模の大きさ等によって香奈にかかる負担が違ってくる。

『願い』を叶えるには体力がいるのか、少し大きな『願い』だと体力を回復させるのに時間がかかり眠り続けてしまう。

咄嗟に被害と負担を最小限に抑えようとした結果が、個人名を指定してアクセルを踏みませ、白のセダンにぶつかる事でその車を止めることだった。

少し足を動かせる位なら負担も少ない。

もっと対策を思考する時間があれば、こんな乱暴な方法はとらなかったが、その時は咄嗟にそれしか思いつかなかったのだ。

しかし、この不思議な現象の犯人が香奈だと、わずかでも周りに疑問を持たせたく無かったのに、大失敗をしてしまった。

車が突進して来た時、園の入り口に出てきた女の子が香奈かと思った。香奈かと思ったからこそ、あそこまで無茶をして車を止めにいってしまったのだ。



数分おきに忙しなくホームにくる電車を乗り継いで、病院の最寄り駅につき、バスに乗り次いで病院の前までたどり着いた。

高層階と低層階の二層構造で形成されている病院の、入院患者がいる高層型の建物に向かう。白く大きな四角形の箱が奥に伸び、規則的に連続窓がついている。その箱がエントランスを中心に左右に伸び、木や芝生の生い茂る庭を囲むような形で建っていた。

まっすぐ病棟に向かって歩いていく。


「香奈、病院で騒ぐなよ」


「はぁい!」


「いい返事だ。あと少しで着くから、大人しくしてろよ」


「いい子にしてたら、チョコ買ってくれる?」


「ああ。買ってやるから、いい子にしてろ」


香奈は、にぃっと満面の笑みを浮かべて、背中に背負った小さなリュックをカシャカシャと鳴らしながら、病室の通路を先を歩いた。


目的の病室の前に到着すると、俺は香奈を抱き上げ、ゆっくりと病室に入った。

病室の入り口には「高坂 拓郎」という名札が掛けられている。

四人部屋の病室は静まり返っている。四つのベッドはそれぞれカーテンで仕切られていて、中を伺うことはできないが、おそらく二名は外出しており、残り二名は寝ているのだろう。

喋ろうとした香奈を慌てて制して、一番奥の窓側のカーテンから中に入った。

そこには、頭に包帯を巻いて、右足にギブスをはめた拓郎が、ベッドに横たわっていた。瞳はしっかりと閉じられ、寝ているようにも見える。だが、拓郎は事故目を覚ましていない。

その痛々しい姿をみて、心臓がズキンと傷んだ。

本当に申し訳ないことをしてしまった。

ベッドの横の棚には、小さな花瓶に活けられた花と、拓郎が目が覚めたら使うであろう歯ブラシや着替え等が新品のまま置かれていた。恐らく、拓郎の婚約者が来て置いていったのだろうと推測できた。

今日この時間に、婚約者が来ていないことは想定済みだ。

だが、いつ誰が見舞いに来るかもしれない焦りがある。とにかく、早く目的を成し遂げなければならない。


「香奈、願いだ。今、目の前にいる高坂拓郎の怪我を治して欲しい。そして、俺に関する記憶も消してくれ」


俺は抱き上げた香奈にだけ聞こえるような、小さな声で「願い」を言った。

香奈はキョトンとした表情で、大きな瞳を俺に向ける。そして、口角を上げてにこりと笑みをもらした。香奈の茶色い瞳の中央に、深い海の様な青い光が宿り、超音波にも似た耳鳴りが俺の耳を支配した。


『リョウカイ』


木霊する耳鳴りで朦朧とする脳内に、雑音の様な声が響いた。苦痛に目を瞬かせて、足元が少しふらつきながらも、必死で堪える。

香奈は瞬きすらせずに目を見開いたまま、その瞳の奥に青い光を宿していたが、耳鳴りが消えると共に、青い光も消え失せ何時もの柔らかい表情を取り戻した。


「行くぞ、香奈」


その後治療費と自動車の修理代をテーブルに乗せ、足早に病室から出た。病室を後にして、長い通路を香奈を抱きかかえながら歩いていると、二十後半くらいの落ち着いた雰囲気の女性と擦違った。

その女性には見覚えがあった。以前、拓郎が自慢げに携帯に映った婚約者の写真を、見せてきたことがあった。まさしく、その彼女だった。

間一髪だった。後五分でも遅ければ、彼女と鉢合わせしていたところだ。

祐介は安堵の溜息を洩らす。おそらく彼女は、完治して目覚めた拓郎に、歓喜の声を上げるだろう。


今まで何度となく自分達のことを相手の記憶から消去したり、改ざんしたりを繰り返してきた。

その度に感じるこの何とも言えない虚無感は、寂しいということだろうか。


「ねぇ、お兄ちゃん。香奈すごく眠くなっちゃった。寝てもいい?」


腕の中の香奈が、半分まで落ちかかった瞼を、小さな手で眠そうに擦った。そして、言葉を言い終わるが早いか、すぐに俺の胸に頭を預けて、小さな寝息をたて始めた。


「ああ。寝ていい。ありがとう、おやすみ。香奈」


そう優しく呟くと、寝ている香奈を揺らさないように、静かに病院の長い通路を歩いていった。



□□



美崎が祐介に初めて会ったのは、京都の山に位置する児童養護施設だった。


美崎の両親は物心ついた頃にはいなかった。京都の山奥で祖母が育ててくれていたが、七歳の時に亡くなり、特に身寄りも無く、住んでいた場所から一番近かった児童養護施設に引き取られた。

小さな児童養護施設で、人数は二十五名程しかいなかったが職員さんも優しい人で、酷い苛めも無く、比較的恵まれた環境だったと思う。

養護施設に入ってから驚いたのは、自分とは違い親がいる子が多かったことだ。親の居場所も分っているけれど、一緒に住むことのできない子も数人いた。ネグレクトや金銭的理由で預けられた子もいた。養護施設の子達は皆、自分と同じように両親がいないものと思い込んでいたからだ。

その施設に他の子と明らかに雰囲気の違う印象的な子供がいた。それが祐介だ。


祐介とは、美崎が養護施設に入ってから、一年程して出会った。

その当時、新聞の紙面を騒がせた事故の生き残りで「奇跡の子供」と謳われた二人子供の一人だった。

その事故は一家を乗せた自動車が、ガードレールを突き破って、二十メートルはある崖から転落したという傷ましい事故だった。車両は大破して、運転席と助手席に乗っていた両親は即死したらしい。

しかし、そのような高い所から車ごと落下したにも関わらず、一歳程の幼児と五歳の子供が生きていた事が、奇跡として世間を騒がせた。どのようにして助かったのかは誰にも分らない。

ガードレールにぶつかった衝撃で後部座席の扉が開き、子供達だけが自動車から投げ飛ばされて、草木に受け止められ助かった等、諸説あるがただの憶測でしかなかった。ただ一つ言えるのは、生きていたことが奇跡という事だけだ。

その「奇跡の子供」の姿を初めて見た時、なんて綺麗な子なんだろうと美崎は思った。

身体全体の色素が薄く、儚く、透明で、消え入りそうな雰囲気の顔立ちの綺麗な少年だった。

儚げな少年は予想に反して、中身は儚さの「は」の字も無いような、図太い神経をしていた。初めての環境でも物おじせず堂々としていて、更に口も悪かった。


「おい、人の顔じろじろ見てんなよ」


茶色くて大きな目と視線が重なった。慌てて視線を逸らす。祐介は美崎を一瞥すると、近くの職員さんに話しかけた。


「ねぇ、そこのおばさん。『かな』はどこにいるの?」


美崎はその言葉を聞くと、慌てて祐介の口を塞いだ。そして、耳元で小さい声で伝えた。


「おばさんじゃなくて、ここでは職員さんの事は名前で呼ぶんだよ。加田さんだよ。おばさんなんて、失礼なこと言っちゃだめだよ」


二人の言葉が聞こえていたのか、職員の加田は苦笑いを浮かべた。そして、腰を落として祐介と同じ目線で喋りかけた。加田さんは二十代半ば位でおばさんというよりかは、お姉さんといった感じだ。だからこそ、美崎も慌てて祐介を制したのだ。


「かなちゃんって妹の事かな?ごめんね、かなちゃんはここにはいないの。兄妹を離してしまうのは可哀想だけど、かなちゃんはまだ小さいから、こことは違う所で預かってもらってるのよ。けど、そうね。あと二年位してかなちゃんが大きくなったら、この養護施設に入ることができるかもしれないわね。私には、はっきりとは言えないけど…」


「『かな』が大きくなったらって…。それじゃあ、ずっと『かな』と会うことが出来ないよ。僕は『かな』を守らないといけないんだ。今、『かな』はどこにいるの?ここから近い?住所教えて?」


加田は眉を曲げて困った表情をした。


「お兄ちゃんだもんね、妹を守ってあげたいのは分かるけど…ごめんね。私からは、教えてあげられないの」


「わかった。じゃあ、ホーム長の近藤先生に聞いてくる」


そう言うと、加田先生が止めるのも聞かずに、勢いよく近藤先生がいる事務室に走り出した。美崎はどうしたものかと考えて、が少し時間をおいて事務室に行った。その時には、祐介はすでに事務室から出ていた。近くのベランダ近くで悔しそうに涙ぐみ、小さな肩を震わせていた。美崎が隣に近づいて、話掛けようとすると、気配を察したのか、独り言のように呟いた。


「僕は『かな』に会わなくちゃいけないんだ。『かな』は何からも、守らなきゃいけない。だって、『かな』は、特別だから…」


「…そうやね。祐介君にとっては、たった一人の妹やもん。特別なのは、分かるよ」


美崎は祐介が話すことで気持ちが楽になるのなら、いくらでも話を聞くつもりで慰めるように言った。


「違う!姉ちゃんだ。姉ちゃんは、すべてにおいて、『特別』なんだ!」


振り向いた表情は、三歳も年下の男の子とは思えなかった。意思の強さを瞳に宿し、左右均等に整った顔は幼さを感じさせない迫力があった。美崎は次の言葉が喉から出てこなくて、たじろいでいると、後ろから加田先生の声が聞こえた。


「祐介君、美崎ちゃん、こんな所にいると風邪ひくわよ。早く部屋の中に入りなさい」


祐介は無言で部屋へと戻っていき、美崎もそれに続いた。確か、事故で一緒に助かったのは一歳くらいだと聞いていた。何故「姉」なのだと、頭に疑問が浮かんだが、それ以上は何も聞くことが出来なかった。


祐介は、口は悪いが社交的で、よく喋り、よく笑った。施設の皆の中に溶け込むのも、そんなに時間はかからなかった。

一カ月も過ぎる頃には、「奇跡の子供」としての、あからさまな同情的の目を向けられることも無くなっていた。普段は、他の子供達と変わらず生活していた。

だけど、二か月を過ぎた頃から、祐介の行動に異変が表れ始めた。

養護施設をいつの間にか抜け出し、どこかに出かけてしまうのだ。その、「どこか」に向かう途中で、何度も警察に保護されて施設に戻ってきた。祐介はその養護施設にいた一年半の間だけでも、三十回は「どこか」に行こうと抜け出した。そして、「どこか」がどこなのか、どれだけ問われても頑なに言わなかった。

けど、美崎にはなんとなく、どこに向おうとしたのか分っていた。

きっと、あの時言っていた姉の所に向おうとしていたのだ。

あの時の、幼い男の子とは思えない切実な表情が、美崎の脳裏にこびりついていた。切実な気持ちが伝わってきた。だから、あの時、思わず手伝ってしまったのだ。


度重なる祐介の脱走に、さすがに施設側も厳重に監視するようになった。

基本は職員がみているが、慢性的な人手不足の養護施設では、それは厳しかった。なので、外に出る時などは祐介が一人にならないように、必ず年上の子供が目を離さないように付き添うことになった。だけど、特に当番制で担当が決められている訳でもなかったから、殆ど美崎が自主的にみるようになっていた。

美崎の記憶では、それは、まだ残暑の残る秋の、公園からの帰路でのことだった。

夕方になると少し肌寒くなるけど、同時に夏の暑さから解放されたような、清清しさを感じる季節だった。祐介は、公園から帰る途中で農道の横の小さな溝に、エビにも似た小さな甲殻類を発見して、いつもは生き物に大した興味も持たないのに、この時ばかりは、捕りたいと駄々をこねた。あまりに長い時間甲殻類の生き物に夢中になっているから、一緒に遊んでいた施設の子達は先に帰ってしまって姿がなくなっていた。

いつのまにか、田舎の畦道に二人だけになっていた。


「ねえ、美崎」


「年上を呼び捨てにしないの!美崎さん、でしょ!」


胸を張って叱るように言った。


「じゃあ、美崎さん」


「あら、いつもと違って素直じゃない。どうしたの?」


先程までは夢中になって、小さな腕を伸ばして溝の傍の草を分けたり、覗き込んだりしていたのに、急に興味を失ったかの様に立ち上がった。そして、美崎を見上げて話しかけてきた。やっと施設に帰る気になったのかと胸を撫で下ろしたが、明かに様子がおかしい。


「僕をこのまま、逃がしてよ」


先程までとは打って変わって、真剣な表情だ。見上げてくる薄茶色の大きな瞳に夕日が反射して、まるで瞳の中で赤い炎が蠢いているようだった。


「なにをアホな事言ってるの。そんなこと出来る訳ないでしょ!私が怒られるよ。…どこいくつもりなの?」


祐介の雰囲気に圧倒されながらも、首を横に振った。


「『かな』のところ」


「かなって妹の事だよね?それやったら、施設の職員さんに連れていてもらったらいいと思う。妹に会いたいって言ったら、連れて行ってくれると思うよ。その為に、何度も脱走されるんも敵わないもん。何も一人で行くことないでしょ?大人と一緒に行けばいいじゃない」


「それも考えたけど、それだと会うだけですぐに離されてしまうだろ。俺はずっと『かな』と一緒にいないといけないんだ」


「今は会うだけでも、仕方ないでしょ。もう少しかなちゃんが大きくなったら、もしかしたら一緒の施設に入れてくれるかもしれへんし」


「そんなの、待てない。僕も焦ってるんだ。こんなに長く、離れているつもりは無かった。早く『かな』を守らなきゃ」


祐介は食い下がってきた。冗談では無く、真剣に言っていることも理解できる。だが、まだ幼い祐介を一人で行かせるのは危険だ。止めなくてはいけない。


「そんな事言ったって、一人で行かせるのは無理よ。祐介はまだ五歳でしょ。そんな遠くに行くことなんてできないよ。お金も無いし」


「できる。してみせる。お願いだ」


声も姿も小さな男の子なのに、まるで大人と喋っているような錯覚を起こしそうになった。必死に首を振って説得しようとしたが、祐介は真直ぐに美崎に視線を向けたまま、微動だにしない。決意を表すかのように、小さな手は固く拳が握られていた。年齢も身長も美崎の方がずっと大きいのに、完全に気圧されていた。


「二十秒」


「え?何?」


「二十秒目を瞑ってくれるだけでいい」


美崎は苦虫を噛み潰した表情で、祐介を見下ろした。

真剣な強い瞳に射抜かれて観念したかのように、目を瞑った。

小さな足音が、パタパタと遠ざかっていく音が聞こえる。

もちろん、会話の流れからして、目を瞑ったら祐介が逃げることは解っていた。これは、わざと見逃した事になる。

「お願い」と言った声が脳の中で反芻され、夕焼けが反射して赤く染まった茶色の瞳が、瞼の裏に映し出される。

溝の横には野菜畑があり、これから冬に向けて旬を迎える白菜が沢山植えられていた。数秒して瞳を開けると、眼前には夕焼けに赤く染まる畑が映し出された。まるで海外映画のワンシーンのように美しく、美崎がいつも見ている景色とは違って感じられた。


小さい子供を一人で行かせてしまった事への自己嫌悪と背徳感と心配が入り混じり、胸を掻き毟りたくなる様な衝動に駆られた。

だけど、心のどこかで、祐介なら大丈夫だという根拠のない確信があったのは確かだ。かなり時間をおいて帰り、祐介がいつの間にかいなくなった事を伝えると、職員さんが警察に連絡したり、近くを捜索したりと、俄に慌ただしくなった。

だけど、翌日には昨夜の騒ぎなどまるで無かったかのように、淡々と何時もの日常が繰り返されていた。職員に祐介の安否を確認しても「いいのよ」っと答えになっていない答えが返ってくるだけだった。



二度目祐介に会ったのは、それから十五年経てからだった。

美崎が短大を卒業して、京都の保育園に就職してから二年目に突入した時の事だ。


保母の仕事を選んだ理由は、単純に子供が好きな事と、養護施設で年下の世話をしていたので慣れていた事、ピアノが得意だった事、保育園不足の為に待機児童の問題が叫ばれていて、これから幼稚園や保育園が増えて就職できやすくなるのではないかと思った事だ。

給料は思っていたよりも安いし、元気一杯の子供の相手は体力を使いクタクタになってしまう。

だけど美崎はこの仕事が性に合っていて、気に入っていた。


保母になって三回目の入園式の日、新しい服を着ておめかしした子供達と親が、賑やかに行き来していた。その中で、入園式の会場の保護者席の一角だけ、ザワザワとしたどこか浮き足たった雰囲気があった。

園児の両親達が、かしこまった服装で後ろに並んだパイプ椅子に座っている。

その中で、明かに場違いな青年が一人、一番端の席に腰かけていた。

綺麗と表現するのがぴったりな美しい青年が、リクルートスーツを着込み、足を組んで座っていた。

薄い茶色の髪と瞳。顔は小さいのに各パーツははっきりと彫が深く、左右の均整がとれた顔をしており、少し細身だがバランスのとれた体躯をしていた。

周りの母親達から、多くの視線を浴びているにも関わらず、一切気にする様子も無い。口を一文字に結び、真直ぐに前を向いている。周りには無関心であり、人の視線を浴びることに慣れている雰囲気があった。

無感情な顔はどこか非現実的で、生命の無い人形のようにも思えた。

美崎は、瞳にその姿を捕えた瞬間、まるで周りの空気が停止したかのようなスローモーションに感じた。

心臓が激しく脈打ち、頭がグルグルと高速回転しているようでもあり、その実思考回路が停止しているようでもあった。

長く感じられたその瞬間は一瞬で、入学式の慌ただしさにすぐに現実に引き戻された。

「手伝って」という他の保母さんの呼びかけに、青年が気になりつつも視線を外し、バタバタと入園作業に取り掛かかった。


「そんな訳、ないわよね」


自分自身に言い聞かせるように、静かに呟いた。しかし、一度そう思うと疑念を拭い去る事は出来きない。記憶が美化されて、先程の綺麗な青年と初恋の相手を同じ人物と思い込んでいるだけかもしれない。

けど、名前はすぐにわかった。


「筒川…ゆうすけ」


何度見直しても、そこには「筒川祐介」の文字が刻まれている。思わず美崎の顔からは笑みがこぼれた。


まだ続きます。

昔書いた小説なので修正箇所が多すぎて時間がかかるかもしれません。

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