都市圏ドクサ - Information is not knowledge -
場所はすでに霊園からモップ湿原を越え南へ移った。
小さな霊園には俺と若者三人、案内役の逞しいが温和そうな男に、痩せこけた男が集まっている。
ドクサは、一つの都市ではない。
複数の都市が集中し、地域的にまとまっており、それが都市圏ドクサと呼ばれている。
観光だけなら中心都市ドクサ近郊に行かせれば良い。
「それでは三人とも楽しんでくるように。知り合い作りも忘れるな」
「はい」、「ういーす!」、「はーい!」
三人は思い思いの返事をし、ザムルング商会が出してきた案内役に連れて行かれた。
俺と痩せこけた男が残る。
「我々も行こうか、リッチ殿」
男はゴホゴホと咳をする。
この男はザムルング商会ドクサ支部の幹部の一人である。
「プロフェッサー・グノスィ、体調が芳しくないようだが」
「私の体調は年中芳しくない。気にせんでくれ」
同支部の幹部であるナフティスとは雰囲気がまるで違う。
ナフティスからは何かあふれ出るものを感じたが、このグノスィからは何も感じない。
こいつのような学者先生がたに多いのだが、むしろこちらの生気を吸い取っていくような人種だ。俺はこの手の人間とは性が合わん。
「……認識できないかね?」
「認識はできている。完璧だ」
性には合わんが、仕事ぶりはさすがザムルング商会の幹部だ。
冒険者養成校のあるティミ区域一帯がダンジョンとして認識をされている。
はっきり言って、何をどうやったら一帯全域を霊園として囲んでしまえるのかわからない。
軽く説明されてはいたが、理論的すぎてさっぱりだった。短期間限定の特別製魔法陣がどうのこうのとか話していた。
「飛ぶぞ」
グノスィが闇に飲まれ、俺の景色も変わる。
霊園から、見晴らしの良い丘へと場所が移動した。
見下ろす景色は街そのものである。
ティミ区域は冒険者養成校を中心として設立された街だ。
場所はダンジョンに近く、冒険者ギルドもここだけのために支店を作った。
それだけではなく魔術師ギルドもここにできているとのこと。
ギルドと国、両者の威信をかけた施設だけはある。
サポートが申し分ない。
「さてプロフェッサー・グノスィ。俺は養成校に行くつもりだが、その前に『プロトキメラ』とやらについて聞かせてもらおうか。ナフティスからはお前から聞けと言われている」
ザムルング商会の気持ち悪い会長が、協力の報酬に挙げた謎の計画である。
冒険者養成校に絡むと嫌でもこの計画に介入することになると会長は伝えていたとか。
そうであれば事前に計画の内容を知っているに超したことはない。
「リッチ殿、プロフェッサー・ゾイを知っているかね?」
「寡聞にして知らんな」
まったく聞き覚えがない。
おそらく忘れたわけではなく、一度も聞いたことがない名前だ。
俺は研究者やら学者といった連中とは付き合いが薄く、興味の歯牙に掛かっていない。
「養成校の発案者の一人だ。私の友人でもあった。彼の目的は完璧な戦士を作り上げることだった」
「ふむ。それなら俺も聞き覚えがある。冒険者養成校の目的は完璧な兵士の育成だと。なるほど、この地区は彼の目的が存分に織り込まれているようだな」
グノスィは否定するように首を振った。
「『育成』ではない。『作製』だ。『兵士』でもない。完璧な『戦士』の『作製』こそ、ゾイの目指すところだった」
遠い目をして街並みを見下ろすグノスィが何を考えているのかはわからない。
「街という飼育の檻はできあがった」
育成だろうが作製だろうがどちらでも変わらない。俺がやることは冒険者へ脅威を示すことだ。
その完璧の戦士にも脅威を示してやれば良いだけのこと。
「要するに、俺にどうしろとお前は言うのか? 戦士の作製を止めろということか」
「作製の秘薬はもうすでにできている。今は調整中といったところか。後は披露会を待つだけだろう」
「それならその完璧な戦士の殺害か? あるいは完璧な戦士作製への協力か」
「好きにすれば良い。私はそうしている。彼らもそうしている。会長も『好きにしろ』と書かれていた。ゾイもきっとそう言っただろう。私らが君にどうしろ、こうしろと言うことはない」
「……は?」
あっけに取られていると、グノスィが俺の横を歩いて通る。
「私はもう帰る。後は君の好きにしたまえ」
ゴホと咳をしつつ、本当に背を向けて帰っていった。
けっきょく「プロトキメラ」計画は朧気にしかわからなかった。
よくわからない計画なんてもはやどうでもいい。
冒険者養成校があり、未来の冒険者がいて、俺達への挑戦者になる奴らがわんさかいる。
さっそく奴らの鼻っ柱を指で弾いてやるとしよう。
冒険者養成校の様子をアンデッドの眼を借りて見る。
内部は難しいが、外でやっている演習ならのぞき見が簡単だ。
「……なかなか見事なものではないか」
大半は年若い奴らだ。
いつもの二人とそれくらいかもう少し若いのもいるかもしれない。
それでも彼らの練度は、例の二人とはまるで違う。自分の力をしっかりと理解している様子だ。
〈闇よ。俺の側へ来い〉
低位を発動する。
これもだいぶん馴染んで来た。
闇を纏うのではなく、闇を自らの手足の延長と考える。
――あそこに転移する。
闇に願うのではなく。
ただ、やるべきことを意識に告げる。
力は当然のように発動し、俺は目的の場所へ飛ぶ。
「……なんだ?」
俺は訓練生の集団の中心に立っていた。
周囲の視線はみな俺の方へと向いている。
「初めまして! ティミ冒険者養成校の諸君! 俺はリッチ! スコタディ霊園のボスだ!」
周囲がざわつき始めた。
みなが俺から距離を取り始めている。
「不安がることはない! 今日は挨拶をしにきただけだ! ただ諸君がどうしても戦いたいのなら、俺が手ずから稽古をつけてやってもいい。安心しろ。怪我はさせん」
自身の力を高めている奴は、その力がどれほどのものか試したがるものだ。
特にこんなところに押し込められていれば、気分を発散させることもないだろう。
感じるぞ。一人や二人ではない。俺の言葉に乗せられ、意識が戦いに向き始めている。
「挑発に乗るな! 常に冷静であれ!」
体格の良い初老のおっさんが、うずき始めた訓練生の意識を止めた。
その頬には十字の傷痕が残っている。
「うん……? 俺はお前を知っている気がするぞ」
見覚えはないのだが、記憶にひっかかるものがある。
「タレンド教官」
訓練生の一部が心配そうに教官の名前を呼んだ。
俺の記憶のどこかに名前の針がひっかかる。
「タレンド……、十字創のタレンドか!」
国の兵士にして、上級ダンジョンを攻略したという強者。
頬の十字創と、彼の使う十字槍からついたあだ名が十字創のタレンド。
なるほど、国とギルドの共同設立となれば、これほど適格な人事はないだろう。
「ここのところ貴兄の活躍を聞かないと思っていたが、訓練生相手に指導をしていたとはな」
「逆に自分は貴方の噂をよく聞いている、リッチ殿。モノマキアにも現れたようだな」
「いかにも。その際は赤騎士殿に相手をしていただいた」
それではここでは誰に相手をしてもらえるのか。
今、目の前に十分すぎるほどの相手がいる。これを倒したとなれば、ここの奴らはこぞって俺へ挑戦をかけてくるだろう。
「自分は貴方の相手をしない」
「おやおや。国宝とまで言われた槍の腕。まさか俺が怖いのか」
「ああ、怖い」
……そんなに堂々と表明されてはこちらもたじろぐ。
「俺は貴兄を戦士と考えていた。俺のような存在を前にして武器を構えないとは、戦士の名は捨てたか」
「今の自分はただの教官だ。だが、自分の教えを受ける者たちに、戦士としての在り方は示さねばならない」
「ほう。おかしなことを言う。敵を前にして武器を構えず何が戦士か。俺はそのような存在を何と呼ぶか知っているぞ。臆病者だ。お前は臆病者だ」
「戦士とはただ闇雲に力を振るう者にあらず、自身の大切なモノを守るために力を示す者。貴兄は先に言われた。『今日は挨拶をしに来ただけ。ここにいる者たちに怪我はさせん』と、それならば貴兄は自分の敵ではない」
……どうも挑発は失敗したな。
現役は退いているようだが、聞いていた通りの男ではないか。
こいつに手は出せん。俺がこいつに手を出せば、訓練生は挑戦者ではなく復讐者に成り下がる。
「訓練を見て行かれよリッチ殿。外部の視線は彼らにとっても良い刺激となる」
「お言葉に甘えさせていただこう。その前に、先ほどの臆病者という言葉を撤回させて頂く。すまなかった、タレンド教官。貴兄は今でも見事な戦士だ」
「いや、間違っていない。自分は臆病者でもある。だから、今まで生きてこれた。――どうぞこちらへ」
タレンドに引き連れられ、訓練生たちの前に立つ。
「それでは訓練を再開する。全員、武器を構えろ」
訓練が再開され、しばらくすると他の教官やらなんやらが集まってきた。
血気にはやる者も当然おり、タレンドが止めていた。
「問題となっている俺が言うのも何だが、大変だな」
「ああ」
実際に大変そうだった。
教官は王国の元兵士と、優秀な冒険者で構成されている。その派閥もあるようで喧嘩が絶えないとか。
さらに上層部と現場での意識の違いもある。
上は訓練生達を戦士ではなく兵士に仕立てあげたいようだが、現場の意見はどちらかと言えば戦士よりである。これは元兵士でも冒険者でも同じだ。
「大変だがやりがいはある。ここで力を付けた戦士達が新しい時代を築く。自分はその礎を任されている。……今のあの子らはまだ弱い。だが、やがて芽吹くときが来る。その一部が貴方のダンジョンを攻略する日がくるだろう」
「うむ、楽しみにしておこう。俺たちもやりがいが増える」
本当に楽しみだ。
本来の計画よりは時間がかかるが、挑戦者が増えることは喜ばしい。
「リッチ殿、明日も来られるか?」
「なぜだ」
「外部からの見学者も呼び、生徒の模擬戦をやる予定でな。教官も出る。特別な招待客も――」
「いいぞ。俺も出てやろう。挑発は失敗したからな。せめて、俺の力を見せつけてから帰るとしよう。なに、心配するな。かすり傷ですませてやる。俺にとっても未来の大切な挑戦者だからな。やりがいを感じるというものだ」
「感謝する」
こうして、話をいくつかしながらその日の訓練見学を終えた。
訓練生達はいつもよりも厳しい訓練にくたくたの体を示し、俺に恨みがましい視線を送ってきていた。
訓練を終えて、俺はザムルング商会の支部に出向く。
奥の部屋で、骸骨のような男がデスクワークをしていた。
こちらをちらりと見て、ペンを置いた。
「情報は入っている。リッチ殿は訓練を見学して来られたようだな」
情報網を褒めるべきかと思ったが、あれだけ騒ぎになれば漏れてもおかしくない。
それよりも俺は聞いておくべきことがあった。
「プロフェッサー・グノスィ。俺もお前の名を養成校で聞いたぞ。訓練のカリキュラムを作ったようだな。プロフェッサー・ゾイの死とともに養成校を離れたとも」
「そうだ。私があそこにいる価値はもはやない」
グノスィとゾイは養成校創立にあたって、訓練理論の両輪だったようだ。
毎度のように喧嘩をしつつも、理論的に最高の訓練をさせていったとか、その結果が氷結の白騎士他多数なので実際に結果も出ている。
「昔のことだ。……リッチ殿は魔法による戦闘力を強める上で一番大切なことが何か知っているかね?」
話が変わった。
あまり昔話は好まないようだな。
ひとまずグノスィの問いに答えておくことにする。
「自身の得意とする魔法を正しく知ることだ」
戦闘における魔法であれば間違いなくこれが大切になる。
自分の得意魔法で何ができて、何ができないのか。
どれくらい使えて、どれだけの威力なのか。
また、その根源の正しい理解だ。
「それではリッチ殿は闇魔法をどれだけご存じか?」
痛いところを突いてくる。
こいつなりの意趣返しだろうか。
「わかって聞いてきているのだろうが、俺は闇魔法を詳しく知らん。よくわからないが使えるから使っている」
「闇魔法の本質と真価に関しては?」
まったくと首を振った。
「一般的な魔法は、位が上がるほどに魔力消費が増え、威力も上がる。さらに魔法属性に正しい理解を深めるほど、魔力効率は上がり、威力の増大が見られる」
「それは知っている」
魔法で戦うなら常識だ。
そのため魔法属性を理解して威力と魔力効率を上げる。
雑魚には効率の良い低位で対応し、強敵には中位や高位を使っていく。
「闇魔法はこの法則から外れている」
「そうだな。なぜだ?」
「それが本質と真価に関わっている。まずは本質だが、闇を正しく理解した者が闇の最高位を使うとどうなるか知っているか?」
「いや」
最近は滅多に使わないが、闇の最高位は自身を闇とする回避技だ。
消費効率が恐ろしく良いが、タイミングは難しい。
「真の闇になる。人間に戻ることはもはやない」
「人間に、戻らない?」
「そうだ。闇を正しく理解した者が闇の最高位を使うとき、魔力の消費量よりも回復量が上回る、と言われている」
「それはどこかで聞いたことがあるな」
「我々の用語では『第一種永久発動機関』と呼ばれる。一種の暴走だ」
最高品質の魔力回復薬を飲んで最低消費の魔法を発動すると、回復薬の効果が切れるまで魔法が連発されるとかだったはず。
体が魔法を使い終わったという知覚が、魔力の減少で認識されるからだったか。
魔力を減少させず魔法を使うと体が発動を認識できず発動し続ける。
「薬を飲む場合は『第二種永久発動機関』。『第一種永久発動機関』は闇魔法以外ではあり得ない。もはや魔法の定義から外れている。つまりだ。闇の正しい理解をした者による最高位発動は魔法ではない」
「それでは何なのだ?」
「ある在り方への昇華だ。闇の本質はただこれに至ることのみを言う」
学者らしく自分の詳しい分野を話すときはいきいきとしている。
咳もおさまっているようだ。
「闇の本質は『不変』――ただこれのみ。何からも干渉されず、何ものにも干渉しない、無為としてあり続けるだけの存在へと自らを成す。闇の真の理解者による闇の最高位魔法発動は現在のところ観測されたことはない。なぜか? 闇となり『不変』となったからだ」
「面白い話だが、それを聞いて俺がどうこうなるとは思えん。俺は不変などを目指していない。俺が目指しているのは変化だ」
俺は常に変わろうとしている。
今も超上級に上がるため強くなろうとしている。不変などはいらない。
「そこで闇の真価の話になる。闇魔法が高位につれ本質に迫るのなら、逆に低位はその対極を目指す。すなわち、これこそ闇の真価だ」
「すまないが俺は学徒ではない。端的に真価とは何か教えてくれ」
先ほどから本質だの、第一種永久発動機関だの、不変がどうのこうので頭が痛い。
俺は、俺の使う闇魔法のことだけが知りたいんだ。理論とかは後で良いし、何ならなくても良い。
「闇の真価は、『自分の性質以外の全て』を『変える力』と為す『魔法』だ、とされる」
三つの点を強調した。
自分の性質以外の全て。変える力。魔法。
なんとなく合点がいく。
闇の最高位は自分を闇に変える力で、高位、中位となるほど自分からは離れていく。
闇の低位があんな効果になるのも、なんとなく「そうなのかぁ」という気がしないでもない。よくわからん。
「いかにも。闇魔法は、俗にこの三つを合わせて『よくわからない魔法』と呼ばれることもあるが、それは真価と比するに大きく間違った表現ではない。しかし、本質からはまったく離れている。自分の得意魔法ならこれくらいは知っておくことだ」
正直、そんな情報がわかってもどうしようもないよなぁというのが感想だ。
そうだった。闇魔法のついでにもう一つ知りたいことがあった。
「『本質の対極に達し、深化を経て』という意味がわかるか?」
「会長の言葉か。それは学説ではない。故に私からは説明できない。会長の言葉をそのまま引用させてもらおう。『本質が闇と成ることなら、真価は闇を為すこと。本質が不変なら、真価は何だろうか? 底のない闇に潜っていくようなもの――もはや深化だ。明晰を是とする魔法の在り方とは離れている。あるいは真価の行き着く先も、魔法ではないのかもしれないなぁ』」
「なんかお前らの会長は本当によくわからないな」
会長とやらの気持ち悪さがさらに増した。よくわからないモンスターが俺の足下まで這い寄っている感覚に近い。
そんなことを思っているとグノスィはわずかに笑いを見せた。
「なぜ私がこの商会のこの地位に就いたかわかるか?」
「いや。さっぱりわからんな」
実は気になっていた。
柄じゃない。こいつは間違いなく学者だ。
研究室の中か、書斎の中で理論をこねくっているのがお似合いだろう。
「我らの会長は、一部の界隈では有名なのだ。千年後の魔法理論を知る者としてな」
「千年か。幻想的だな」
あるいは詩的表現か。
俺は思わず笑う。冒険者にもよくある。
雲を槍で突き抜いただの、一晩で森に道を切り拓いただの。
弓を構えることなく無限の矢を撃ち放つ、竜だかをその身に憑依させるもあったな。
誇張もここまでいくともはや笑い話になる。現実的で写実的なほうがより堅実な強さとして受け止められる。
グノスィは笑わない。
「そのとおりだ。千年は過ぎる、が、少なくとも五百年先は感じた」
「……ん?」
俺の笑いは止まり、グノスィは逆にふっと笑った。
「喋りすぎたな、少し休む」
それだけ残し、目を瞑った。
死んでしまったかのように安らかな顔で眠りに落ちていく。
どこまでも学者だな。
他者の理解などまったく気にしていない。
やはり俺の性には合わん。




