モッペ湿原に舟一隻 - the road to hell is paved with good intentions -
沼へと沈んでいく船を目の前にし、俺の心中はこうだ。
やっぱりかー。
思った通り沈んだ。乗らなくて良かった。
むしろわずかにでも浮いていたのが不思議なくらいだった。
さて、やばいのは船が沈んだことではなく骸骨が死ねなかったことだ。
「死の王丸 壱号」の上は目論みどおり霊園として認識され、沈んでもまだダンジョンと認識される。
また、骸骨は息をしていないので沈んでも生き続ける。
沼に沈んだ狭いダンジョン「死の王丸」の上で、何もできず骸骨が突っ立っている。
沼は浅いので頭蓋骨の額部分が水面から出てきていた。シュール。
「王よ。『死の王丸 壱号』は沈んでしまいましたが、『死の王』が沈んだ訳ではありません。我々はまだ終わってはおりません。ここからが始まり! そうでありましょう!」
声は頭蓋骨の上から聞こえてきている。
本当にどうなっているんだろうか。
とりあえず返答しておこう。
「骸骨の言うとおりだ!」
じゃあ帰って、もうちょっとちゃんとした船を作ろうか。
後で迎えにくるからそのままで待っててくれ。
失敗の二日後、霊園に船が届いた。
さほど大きくはなく飾り気もない。しかし立派に船の形をしている。質実剛健ってやつだな。
――などと評してみたが、船の善し悪しはわからん。少なくとも沈まないだろう。
「それで、貴様は何者か?」
船を届けた男達はただの運び屋、本命は一人だけだ。
立派な髭を蓄えた偉丈夫が俺の前に残る。
「あっしはザムルング商会ドクサ支部の幹部が一人。名をナフティスと申しやす」
低い声だが、耳に残る。
声を聞けば人物の実力を測れる。間違いなく実力者である。
それにしてもまたザムルング商会か。
有能であることはモノマキアでわかったが、気持ち悪さがどうしても払拭できない。
「ナフティスとやら、この船は何か?」
「リッチ殿。モッペ湿原の船渡りを考えておいででしょう」
見事に俺の心内を言い当てた。
言い当てたが、すごいとはまったく思わない。
俺の横には作成途中の船が転がっているから、わかるっちゃわかるよな。
どうも上手くいかないので、また筏になりつつある……。
「あっしらが船を提供しやしょう。リッチ殿をドクサまで案内つかまつりやす」
「案内をするというからには、誰かが船を漕ぐということになる。アンデッドではやや不安が残る。商会側から誰か手を貸してもらいところだが」
船だけ与えるから適当に渡れ、与えた報酬をよこせというのは都合が良すぎる。
……いや、船だけでも十分ありがたくはあるんだが、さすがにな。
「不肖、ナフティス。以前は湿原での船渡しをしておりやした。リッチ様さえ良ければ、あっしが船頭を務めさせていただきやしょう」
迷いはなく、恐れもない、揺るぎない自信を感じ取れる。
俺に対する挑戦ともとれるな。
「良いだろう。俺としては渡りに船。舵を預けるのはやぶさかではない」
「ありがたきお言葉」
ただ、その報酬は聞いておかねばなるまい。
「お前らは、船と舵取りの見返りに何を望む?」
「あっしらが望むはモッペ湿原への道になりやす」
道?
「水に浸った沼に道も何もない。だからこそ船で行くんだろ」
「いいえ、湿原には道がありやす。あっしには見えるんです」
見えると言われれば、そうですかとしか。
長年の経験で得た、より安全な道のパターン。その可視化ということだろう。
「湿原と言えど全てがぬかるみという訳でもありやせん。霊園を築ける場所もありやす。そこに霊園を設置していただきとうごぜぇやす。霊園の柵に関してはこちらで準備もできておりやす」
なるほどなるほど。
準備が良いことで。
「霊園を設置して、モンスターやその他の脅威を排除すると。より安全な道を築くというわけだな。――それだけではあるまい?」
簡単すぎる。
全ての料理が盆の上に載せられ運ばれてきたようなものだ。
正直に言って、ほぼ何もすることがない。面白みに欠けるというモノである。
「お察しのとおり、もう一つやっていただきたいことがありやす」
「そちらが本命というわけだな。聞こうか」
「ドクサで行われている計画に介入していただきとうございやす」
「計画?」
「会長はそれを『プロトキメラ』と呼んでいやした」
初めて聞く単語だ。
何なのかがさっぱりわからない。
「どんな計画なんだ?」
「あっしも聞かされてないんです。こちらは別の幹部が担当でして」
「なんだそれは。何も知らされていない計画にどう介入しろと言うんだ?」
「リッチ殿が冒険者養成校を訪問すれば嫌でも関係すると聞かされていやす。リッチ殿の目的は冒険者養成校では?」
……その通りなのだが、ここで今回の話の一番不思議な点に回帰する。
「そも、お前らはなぜ俺を訪問するに至ったのだ?」
不思議だった。
俺はドクサの冒険者養成校やモノマキアの闘技場に行くという話を、人間ではあの二人以外に話したことはない。
あの二人がギルドへ話しているなら、それが伝わっていたとも考えられるが、フレイ女史は俺が二人に話す以前からわかっていた様子だった。
そして、このナフティスは俺が船を欲しがっているところへ、見事に船を持ってきたのである。
俺の行動が把握されている。
「会長から、『雨期になってもリッチ殿が来なかったら船を持参して迎えに行ってやれ』と指示されていやした」
いつ頃の話かと尋ねると、ちょうど俺達が上級へ上がった頃だという。
不気味すぎる。なんだそれ。俺の行動が全て予測されている。
まるで会長とやらの手のひらの上にいるようだ。
こちらの行動が全てお膳立てされて出てくる。
それなら突飛な行動でもするか、……いや、これは俺の意志だ。
誰かに命じられたわけでもない。むしろ、俺がこの状況を作り出したと考えよう。
「会長こと予言者どのは、俺について他に何か言及していたか?」
「リッチ殿は『北か南のどちらかに進み、次に西へ至り超上級に至るだろう』と。おそらく北、南、西だと」
北のモノマキアにはすでに行った。南のドクサはまさに行こうとしている。
西は手立てがないので後回し。どうも言われたとおりになっている。
それで俺達が超上級に達するとそいつは言うのか。
「奇を衒って東に行ってみるか」
「『万が一、東に進むのなら夢は潰える』」
……なんだそれ。
「『――と言っても東には進めまい』と」
本当に理解されている。
なんだよ、お前らの会長。気持ち悪すぎるだろ。
俺は当初、東の街を越え、さらに東へ進出するつもりだった。
しかし、街より先に東へ進むことができなかった。
なぜなのかはわからない。
霊園を作ろうという意欲がわかない。
むしろ作ってはいけないという感覚すら覚えている。
俺の感覚までも把握されている?
意味がわからない。
「西に行くと言われた際は、『大人しく北、南、その後で西にしておけ。それで超上級だ』とも」
気持ち悪さは感じるが、悪い結果にはならないという予言だ。夢の超上級を告げている。
北、南、西の順番は何か意味があるのだろうか。
「順番が気になっておられやすか」
「……なぜわかる?」
「あっしも同じ疑問が浮かんでいたんでありやす。そして、勝手に解答が来やした――会長から」
「勝手に?」
ええ、とナフティスは頷いた。
その顔は会長のすごさを誇るものではない。
別の雰囲気を感じる。俺が先ほど感じたモノと同じだろう。
「『北で自らの不足を知り、南で己が力に理解を深め、西で本質の対極に達し、深化を経て超上級に至る。このルートが一番きれいだよねぇ』と」
モノマキアで力不足を感じるまではわかる。
己が力に理解を深め、というのはドクサで闇魔法を詳しく知るということだろうか。
本質の対極に達し、はさっぱりわからない。星都アステリで俺はどうなって超上級に至ると言うのか。深化?
だが、良いだろう。
勝手に超上級に上がれる訳ではない。
会長とやらは予想しているだけ。行動するのは俺である。
故に自らの手で勝ち取るということは間違いない。
「乗ってやろう。お前らの会長様にな」
「ありがとうごぜぇやす」
「しかしだ。口にしてしまって悪いのだが、俺は言わざるを得ない。お前らの会長、すごいんだが、その――」
「気持ち悪いでしょう」
よくわかるといった表情でナフティスは言葉を継いだ。
俺達は二人でうなずき合っていた。
モッペ湿原の沼を一隻の小舟が進んでいく。
目的地はモッペ湿原の南端である。
南端に上陸し、霊園を築き、ドクサへの足がかりとする。
「リッチ殿、ここの下にお願い致しやす」
「わかった、船長。行け、骸骨」
「はっ!」
行き掛けの駄賃で、湖沼の水面下に霊園を作っていく。
船の真下に骸骨が沈み、杭とそれを繋ぐ鉄条、さらに細長い墓石を土に刺して、霊園の設置をする。
「船長は水没した状態でも地理を完全に把握している様子だな」
ナフティスの道案内には素直に感服している。
水面下の霊園もすでに十カ所は作っているが、一度も場所を違えたことはない。
「小さい頃から親父の背を追って、ここで稼ぎをしていやしたからね。眼を瞑っていてもわかりやす」
骸骨が上がってきて、船はまた進んでいく。
ゆっくりと静かに船は湖面を行く。まるで俺達だけが世界に存在を許されているようだ。
「王よ! モンスターが! モンスターが出ましたぞ!」
うるせぇな。
しんみりしている空気をぶち壊してきやがる。
それでも船が襲われては困るので、魔法で片付けていく。
「船長の親父殿は、今どうしておられるのか?」
「この湿原のどこかに沈んでいるでしょう」
死んでしまったらしい。
「親父の体は沈みやしたが、夢は今も浮かんだままでありやす」
「如何なる夢か?」
男は進行方向を指さし、振り返って来た道を指さした。
なんとなくだがわかった気がする。
「この湿原に道を作ると?」
「へい。北から南、南から北。誰もが安心して通れる道を作る。親父の夢であり、あっしの夢でもありやす」
恥ずかしがることもなく、怖じることもなく夢を語った。
吟味するに、俺の感想はこれに尽きる。
「船長。それは素晴らしい夢だ」
誰もが安心して通れる道がモッペ湿原にできれば、南から俺のダンジョンへ冒険者が来やすくなる。
来やすくなれば挑戦者数も増え、返り討ちにすることで俺の夢は実現へとまた一歩近づく。
「船長達の夢は、俺の夢にも繋がっている! もはや俺達の夢と言っても良い!」
ザムルング商会は胡散臭いが、ナフティスとは通じるものがある。
「今回、霊園の設置を最小限に留めているな」
「へい。杭を舟に乗せられるだけに留めてございやす」
「またいつでも俺を呼べ。俺達は夢のためなら労苦を惜しまない。違うか?」
「違いやせん!」
ダンジョンが広がっていく。
それは夢が広がっていくことと同義なのかもしれない。
俺の夢に繋がるものたちが、俺の側へと自然と寄ってくる。そして俺は、俺達になっていく。
ただ、俺達の夢に反する者もまた集めてしまうのだろうか。
幾日かが経過し、久々に霊園で二人に会った。
「ドクサへの道は無事に拓かれた。いつでも行けるぞ。日程はお前らの好きなタイミングでかまわん。決めたら伝えに来い」
まずは肝心な旅行の話をしておく。
次にここ最近のことを共有する。
二人はそこそこ安定した暮らしができるようになってきたと話す。
北からの交易品が来るようになったので、街も賑やかになってきたとか。
こちらもダンジョンで冒険者を返り討ちにする傍ら、ナフティスとともにモッペ湿原で霊園作りに邁進している。
徐々に霊園も広がってきた。広がれば広がるほど、モンスターは減り安全な道ができつつある。
今度は北からここまでではなく、南までも繋がる道だ。
女はそれは良いことですと朗らかに笑っている。
良い笑顔をするようになった。
一方で、男は首をかしげている。
眉間にしわを寄せ、「わかりません」といった顔つきだ。
「わからんか? これまで陸の旗竿地、行き止まりの街と呼ばれるほどであったこの地域へのアクセスが変貌する」
北を山脈、西を急流な川、南を湿原と自然の要害に囲まれたこの地域は、つい先日まで東からしかアクセスができなかった。
しかも、周囲の都市圏もまた移動をする際にそれに沿って移動することを余儀なくされていた。
ところがここに来て、北と南に一本の道ができようとしている。
もしも道ができればここは中継の街として一気に栄えるだろう。
しかも、俺はいずれ西にも踏み込む。その際、西への安定した道ができれば、ここは四地域の中心点となる。
街から都へと変貌を遂げることになろう。
それが良いか悪いかは、ここで議論しないものとする。
「あ、いや、それはさすがに俺でもわかるんすよ。北が通じただけであれだけ街が賑わってるんすからね」
む、そうだったのか。
それではさっきの不明な様子はなんだったのだろうか。
「俺が気になったのは、モッペ湿原の方っすね」
「モッペ湿原? 舟で移動し、着実に霊園を作っているぞ」
「ん~?」
男は首を再度かしげた。
「かまわん。思うところを述べよ」
「なんで舟を使うんすか?」
「は? お前が言ったではないか。舟を霊園として、移動しろと」
「あっ、いやぁ、それは最初のときで。今ならもっと」
「あ……」
女は何かに気づいた様子だ。お前の「あ」って何か怖いんだよな。
とりあえず後の説明はお前に任せるとそちらを見る。
「当初の目的は湿原の反対側に霊園を作ることでした」
反対側に霊園を作り転移する。
それをドクサの足がかりとしていく。
「渡るだけなら舟で移動するのが一番速いでしょう」
「ついでにその舟も、その辺の木の板に小さい墓石を載せて闇で覆ってしまえば良かったんすよ。後はリッチ様がその上に乗って、魔法で水面を滑走していきゃいいんすから。なんでちゃんとした舟を作ろうとしてるのか不思議だったんす」
……お前、そういうことはもっと早く言えよ。
「趣味なのかなって。自分で築くのが好きだから、舟もちゃんとしたやつを作りたいのかなって」
俺の顔色を察して男が慌てて言い訳を並べる。
「良い。舟造りに失敗したことで、俺は新たな夢の持ち主と出会えた。モッペ湿原を渡るには遠回りであったが、夢への遠回りであったとは思えん」
「それで今の霊園造園活動の話に戻ります」
女が話を蒸し返す。
俺としてはもうこれで終わっていて欲しいんだが……。
「舟で霊園を作る必要がありません。聞いた話では骸骨さんたちは水の中でも溺れません」
そうだな。
骸骨を丸二日水の中に漬けていたが問題なかった。
「毒の草も効果はありません」
その通り。
毒や麻痺は効かない。
精神攻撃はそれなりに効く。
「モンスターとて闇の付与があれば余裕で倒せましょう」
ほんとだね。
はぐれモンスターと言ってもしょせん雑魚。
「つまり、アンデッド共を水面下で動かせば良いと言うわけだ。しかしな――」
「底なし沼は、底がちゃんとあります。人間は死にますが、骸骨さん達は沼に沈んでも死ぬわけではないので、底まで沈んでから脱出させることが可能です」
……そうね。
「霊園もちまちま小さいのを作らず、まっすぐ大きく一本作ったらどうっすか? 道にしてしまえばいいんじゃないっすかね。その方が材料も最終的に少なくて済むんじゃ? 船長さんにどこにまっすぐ作ればいいか聞いてみたらどうっすかね?」
「……そっか、沼の中でも底に杭を打ってしまえば霊園の柵にはなる。材料費も道ができれば、すぐに回収は見込めるし、通行権を渡せば材料を提供してくる人たちもいる」
――うん、俺は決めたよ。
「お前らの墓はここに作る。アンデッドになったら俺の部下にするから」
指で二人の足下を差した。
二人は笑っているが、俺は冗談など言ってない。
「私は生を全うするつもりでして、アンデッドになる予定はないのですが……」
俺が本気なことに気づいた女がやや引きつった顔で答える。
「それならお前らの眠りを妨げるものがいないよう、俺が全身全霊で墓を守ろう」
「できればそれは、街で必死に生きている人にしてあげてください」
強情な奴だ。
「決する時間はまだ腐るほどある。またの機会にしよう。とにかく、お前らはドクサ行きの日程を決めておけ。日帰りは間違いなく無理だ。一泊、いや二泊か三泊は覚悟しろ。もしも観光の小遣いを心配しているなら無用なことだ。先の助言の報酬として俺が全額を負担する」
「ほんとっすか!」
「無論、妹の分もな」
女も喜んだ様子である。
「臣の分もあるんでしょうな?」
「お前は沼で霊園作りだ。現場監督が抜けるわけにはいかんだろ。俺の名代として舟の上で指示することを許す」
喜びと悲しみを混ぜながら骸骨は踊る。
男と他の骸骨も一緒になって踊り、もう訳がわからない。
いつの間にか音楽隊までできあがっていた。骨で墓石を叩くのやめようや。
二人は喜び勇んで帰っていった。
最初に比べるとその背もずいぶんと力が抜けているように思える。
「ナフティスに会いに行くぞ! モッペ湿原に道を作る!」
もはや霊園の造園にあらず。
誰もが安心して行き来できる、大きくて立派な道を俺達の手で作る。
夢を形にするのだ!




