作品アイデア1
「クソとしか言いようのない人生を送ってきました」
彼は自らの遺書を、そう切り出した。
事実、彼の人生は輝かしくはなかった。
容姿は優れず、運動も勉強もできない。
友達は一人としていない。
いじめられたことはないし、いじめに荷担したこともない。
彼は、徹底的に「いない者」として扱われてきた。
それは学校の中でも、社会でも変わらなかった。
そういう人生を、彼は「クソみたいな人生」と表現した。
「……ふぅ」
満足したのか、彼はボールペンを置いた。
「……じゃあな。この世」
ガスの栓を抜き、コックを一気にひねった。
ほどなくして、彼は意識を手放した。
「ンはッ……」
なんだ? ここは。
彼は、どうやら自分が眠っていたらしいことに気づいた。
ほぼ白とベージュしかない部屋。柵の着いたベッド。
ピッ、ピッと規則正しく音を鳴らす、大きな機械。
ここがどこなのかを思い出すのに、多くの時間は掛からなかった。
「ここは……病院?」
誰かを呼ぼうと、ナースコールを押すと、看護師がやってきた。
看護師は彼が目覚めたのを確認すると、部屋を出て行き、程なくして医師がやってきた。
「はじめまして、川島さん。医師の木下です」
木下と名乗った男は軽くお辞儀をした。
そして顔を上げると、穏やかな笑みを見せた。
「意識が戻られたようで、良かったです。あと少し通報が遅ければ、手遅れになるところでしたよ」
「なんで……」
「?」
「なんでこっちに戻したんだよ!!」
「……川島さん?」
「俺は幸せに暮らしてたのに!! なんでだ! なんで俺の幸せを奪った!!」
「川島さん! 落ちついてください!」
「返せ!!! 俺の生活返せよテメエ!!! 何の権限があってやってんだよ!!! 返せ!!! 返せぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
「落ち着いて下さい川島さん! 誰かッ! 誰か来てくれ!!」
騒ぎを聞きつけた医療スタッフ達が駆け寄ってきた。
全員で川島を押さえつける。
「返せ!! 返せええええええ!!!!」
「川島さん、大丈夫です。大丈夫ですよ。自殺から生還した人は、皆さん同じ反応をなさります。しかし、大丈夫です。徐々に元の生活に戻っていけば、かなら……」
「返せえええええええええええええええ!!!!! ああああああああああああ!!!!!」
「……やむを得ない。しっかり抑えといてくれ」
医師はそう言うと、ポケットから注射針を取り出した。
そして、そのまま川島の首筋に突き刺した。
「返せ!!! かえっ……かっ……」
「……」
「か……」
「……よし、安定した」
「では、運びます」
「お願いします」
スタッフ達が川島を担架に乗せ、その場を去った。
それを見送った医師は診察室に戻り、デスクに着いた。
「……それにしても、ここ最近多すぎやしないか……?」
医師は誰にでもなくつぶやいた。
視線の先には、PCのモニターがある。
そこに映し出されていたのは、この地域での自殺者数を示すグラフだった。
「……以上が事の顛末です」
「なるほどねぇ~」
所長は、背もたれにもたれかかった。
そのまましばらく黙り込んでしまったので、僕は次の言葉を待つことにした。
「一人暮らしの若者が自殺未遂で病院へ……。回復して元の生活に戻ったらまた自殺。言っちゃ何だが、いつものパターンだね?」
「まあ、有り体に言えば」
「ふう~ん。なるほどね」
「最近多いですよね。自殺者」
「今までもずっと上昇傾向にあったワケだが、ここ最近は目に見えて多いな」
ここが自殺大国である日本といえども、さすがに昨今の自殺率は異常だ。
世界全体が等しく上がっているならまだ分かる。
しかし、ここまでの上昇は、日本でしか確認されていない。
「しかも、せっかく助かっても、目覚めてから錯乱を起こしたり、精神が安定したと思ったらまた自殺したり。みんな同じ行動を取ってます。どういうことなんでしょうか……?」
「……なんかあるんじゃないの? 死ぬほど見たいモノがさ」
「死ぬほど、ですか。例えば……何でしょう?」
「そうだなぁ。例えば……異世界、とか?」
「……異世界?」
「自殺して失敗した連中はみんな同じ事を言う。『生活を返せ』だとか、『向こうの世界に帰る』だとか」
「それは……ただの幻覚では? 走馬燈の一種ではないかと思うのですが」
「だとしてもだよ。これだけ大勢の人間が、おんなじ内容の幻覚を見ちゃってるというのは……偶然かな?」
「何か原因があると?」
「う~ん……。どうなんだろうね。私にもよく分からんよ」
「僕はむしろ、ドラッグじゃないかと思うんですが……」
「幻覚を見せるドラッグにしろ何にしろ、これだけ大勢が同じタイミングで同じ言動をするのは妙だ。裏で手を引いてる奴がいてもおかしくない」
「黒幕がいるってことですか?」
「かも知れないね」
「となると、手を引いているのは誰でしょう? 政治家……警察……犯罪組織ってのもあり得ますね」
国民の思考能力を奪いたい政治家。
犯罪組織と結託した警察。
更に規模を広げれば、人口を減らして自然を守ろうとする自然保護団体なんてのも考えられる。
……いや、さすがにそれはやり過ぎか。そこまで行くとただの都市伝説だ。
「あるいは、そのどれでもないかもな」
「どれでもない……?」
現実的なラインを提示したつもりだったんだが……。
それ以外に何かあったか考えたとき、所長が口にした要素があったのを思い出した。
「まさかとは思いますが、異世界がホントにあるとか言いませんよね?」
「調べていけば、それも明らかになるかもな」
「はあ……」
「なんだ新人? 不服か?」
「いえ、そういうわけではないんですが……」
「キミの想像力は強みだと思うんだがねぇ~。一度『コレだ』と思ったら他の可能性を考慮できなくなるクセは、その強みを見事にかき消している」
「しかし……所長の中では違うようですが、僕はそれが正しいと思ってます。僕からすれば、『太陽が赤い』というのを疑え、と言われてるようなものですよ」
「宇宙の隅から隅まで探せば、太陽が青く見える星だってあるかも知れないぞ」
「それは詭弁でしょう……」
「たとえ詭弁だろうが、事実ならば、我々はそれに跪くしかない」
「……」
「ほら、行くぞ」
この人の言っていることも分かる。
つまり、『あらゆる事を疑え』ということだ。
すべてに懐疑の視線を向ける能力は、探偵にとって必須スキルだろう。
だけど、今回ばかりは例外ではないのだろうか。
異世界なんて荒唐無稽も良いところだし……。
と、言ったところで聞き入れてはもらえなさそうだ。
「はあ……。まあ、それはそれとして、一つ良いですか?」
「なんだ?」
「いつも思うんですけど、ここ留守にしちゃって良いんですか? 依頼したいって人が来ても、誰もいなかったら帰っちゃうでしょうし」
「どうせ依頼なんて滅多に来ないさ」
事実、この事務所に僕たち以外の誰かが入ってきたことはなかった。
僕がここに来てから数ヶ月が経つが、ただの一度も来訪者はない。
ということは、もう何年も来訪者はないという事なのだろうか。
「良いじゃないか。細かいことは」
「全然良くないですよ。そもそも、収入もないのに、なんでこの事務所は維持できてるんですか?」
「……それについては、まだ教える段階じゃないな。私の後を継ぐことになった時にでも教えよう」
「たぶん、それを聞くまでに転職すると思いますよ、僕」
「どうだろうな? この不況じゃ、再就職は厳しいんじゃないか?」
他愛ない話をしながら、僕たちは事務所を出て行った。
それは、すべての始まりの日にしては、ずいぶんと穏やかな日だった。