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幻想少女四編《Quartette》  作者: 伊集院アケミ
第四章「古書店の尼僧」
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後書きに変えて『僕が作品を書く理由』

 こういう事書くと、怒られるかもしれないんだけど、「今のラノベって本当に面白いのかな?」って思うことがよくある。


 面白いと思う人は、それを消費すればいいけど、あまり面白いとは思えない人も沢山いるはずだ。そして、面白いと思えない人にも、「単純に活字を楽しめない人」と、「活字はちゃんと楽しめるんだけど、面白いと思える作品に出会えない人」の二種類がいると思う。


 僕は後者なんだけど、ないなら自分で書いてやろうと思って、本作の素材となった四つの作品を書いた。作品の評価は読者の皆さんに委ねるが、自分にしか書けない作品が書けた自負はある。


 誰もが表現者となれる今の世の中は、勿論とても素晴らしいものだ。だがそれは、幾多の名作が駄作の海に埋もれ、一世を風靡したとしても、あっという間に忘れ去られることと同義でもある。ラノベ以前のサブカルチャーである、エロゲなら猶更だろう。


 何で突然、エロゲの話をしだしたかと言うと、僕は、剣乃ゆきひろという名のクリエーターに拾われ、自分の半生をエロゲ業界に置いてきた人間だからだ。そして自分でも、何本もゲームをプロデュースしてきた。


 若かりし頃の僕がエロゲが好きだった一番の理由は、ジャンプに乗っている漫画よりも、何十億と言う制作費をかけて作られたコンシューマー機の大作よりも、【面白い】作品がその世界にはあったからだ。僕の師匠である剣乃さんは、その作品を生み出す第一人者だった。


『DESIRE 〜背徳の螺旋〜』を始めてプレイした時の感動を、僕は一生忘れないだろう。あれは、絶海の孤島と言う閉じた世界で繰り広げられる、とても美しい物語だった。エロゲにおける特異点と言っても過言ではない作品であったと思う。


 僕が業界に身を置きだした頃は、エロゲのシナリオの質が劇的に向上していた時代で、物語を読ませることに特化した『ビジュアルノベル』というジャンルが大流行りしていた。僕はその時代を、業界人の一人として生きて来たから、大量の活字を読み、物語を楽しむことには慣れている。


 えろげ業界は次第に下火になり、元々この業界に居た人間が、今では何人もラノベ業界に移って作品を書いてる。玉石混交とはいえ、ラノベ業界が一時期活性化したのは、それも理由の一つだと思ってる。


 さて、僕は元々プロデューサー気質だから、世間で受けてるものが何故受けてるかはわかるし、自分でも時々嗜む。だけど、書き手としては、そういういったものを書く気にはならない。「どうしてだろう?」と考えた時に、水木しげるの顔が浮かんできたから、彼の話を少ししようと思う。


 水木しげるの親父は偉くて、まあ本人が、全然しっかりしてないせいもあったと思うんだけど、息子が昼まで寝てて、飯は人一倍食って、絵ばかり描いてても、「何とかなるだろ」って、ほっといた。


 実際それで水木しげるは九十三歳まで生きて、戦争で左腕を失ったにもかかわらず、凄いマンガを一杯描いて、手塚治虫とは全く違う世界観を持った作家たちの始祖になった訳だ。

 

 勿論、水木しげるがどんな人間だったか、本当のところは僕にはわからない。ただ僕が、彼の自伝漫画を飽きるほど読んで得た教訓は、「本人がちゃんとしたいと思ってても出来ないことを、ちゃんとしなさい」という事には何の意味もないってことだ。


 彼はのんのんばあと言う老婆に、その基本的な価値観を叩きこまれ、彼女から吹き込まれたお化けや妖怪の世界に没頭した。そして彼は、「自分が面白いと思う漫画」を描き続け、自分を周囲に合わせるのではなく、自分の世界観に無理やり周囲を引きずり込んだのである。


「俺が魅力を感じる世界は、絶対に面白いはずだ」


 その確信がなければ、あの赤貧状態のまま、ずっとマンガを描き続けられるはずがない。そして彼は、『河童の三平』のスマッシュヒットをきっかけに、とうとう鬼太郎を当てた。そして死ぬまで、実質的にそれ一本で喰ったのである。


 彼は多少怠け者だったかもしれないが、自分の好きな事だけは一生懸命やった。周囲の人たちも、その生き方を黙認した。彼に凡人とは違う価値観を構築させたのんのんばあと、人生の生き方を示した親父が居なければ、彼の才能は絶対に開花しなかったはずだ。


 さて、僕もまた、手塚よりも水木的な世界観を愛する人間である。そして、自分がちゃんと出来ないからこそ、「確かにちゃんと出来ないけれど、怠惰でやってない奴とは違うんだ」ってことを説明したくて、口が達者になった。


 僕はその口を武器にエロゲ業界に飛び込み、剣乃氏の元で『シナリオの作り方』を学んで、相場の世界で金を手にした。つまり、その盛り上げるための手法を現実世界に応用した訳だ。


 だが、僕の本当の才能は、口先でもトレードの技術でもない。それは多分、努力して手に入れたものではなく、天賦のものだ。


『どんな過酷な状況であっても、面白いと思う事を自分で見つけて、延々とそれをやってられる人』


 それが僕という人間の定義である。


 僕は今年前半のコロナの煽りで、円資産のほとんどを失った。これまで、まともに生きてこなかったから、国から支援を受ける事も出来ない。でも、「もしここから何とか出来たら、すげえ痛快だろうな」って、僕の中の【不幸を楽しむ才能】が猛烈に叫んでる。


「やべえ、もう無理! 絶対に詰んだ!」ってとこまで追い込まれて、奇跡的なアイデアが降りて来たり、異常な行動力が生まれて来たりすることが、モノを創る人間にはよくある。今の僕はそういう状態だ。

 

【無謀な目標に挑むことそのもの】が、生きる喜びなんじゃないかと、物心ついてからの僕はずっと思っていた。そしてそれは、僕が「ちゃんと出来ないのに、本当はちゃんとしたい」人間だから出来るんだと思ってる。


 ちゃんとした人間は、勝つ勝負しかしない。怠惰な人間は、そもそも挑まない。【ちゃんと出来ないのに、ちゃんとしたい人間】だけに、挑む権利はあるのだ。

 

 ちゃんと生きて、ちゃんとした人間と結婚して、ちゃんとした人間を育てて、それの何が楽しいのだろう? まあ僕はちゃんとしてないから、そういう生き方にも喜びはあるのかもしれないけど、ちゃんとしたもの同士が結婚しても、子どもがまともに育ってない例を、僕は沢山知っている。

 

 それは、親がどんなに優秀な人であろうと、「ちゃんとしたくても、ちゃんと出来ない人間」が一定数生まれてくるからだ。


 ちゃんと出来る人間には、そういう人間の気持ちが分からない。そういう人間が存在することを、想像することすら出来ない。ただ、怠惰だったり、能力が劣ってると見なして叱るだけだ。それで子供がまともに育つ訳がない。水木しげるの親父が偉いと言ったのは、そういう訳だ。


 ちゃんとしたいのにちゃんと出来ない人間にとって、エロゲっていうのは多分救いだった。少なくとも僕にとって、エロゲやエロ漫画はそういうものだった。僕は自分の性欲を満足させるためではなく、「もっとちゃんとしろよ」という言葉に疲弊した自分の心を救って欲しくて、それらの世界に没頭したのだ。


 あれから二十年以上の時が経ち、幸か不幸か、僕は再び相場で金を失った。これから、何をして生きていこうと思った時、遅まきながら、自分も水木しげるのように生きていこうと思ったのだ。


 僕の好きな物語は、閉じた世界でヒトならざるものと心を交わしながらも、決して結ばれることのないお話である。そういう話ばかりを、今回はまとめ見た。ハッピーエンドでも、お涙頂戴でもない、なんだか不思議な物語を、僕はこれからもずっと、紡いでだろう。


 僕は幸せそうな奴らを見ると、「ふざけんな、死ねよ」って平気で口に出すようなクズだけど、自分と同じような人間、つまり、「ちゃんとしたいと思ってるけど、ちゃんと出来なかった」人間のためならば、いくらだって頑張れる。僕は、そういう人たちに元気になって欲しくて、小説を書いているのだ。


 人も物語も、誰かの言葉で語られているうちは死なない。僕はそう思ってる。だから、沢山の人に受けるのではなく、限られた人間の心に思いっきり突き刺さる作品を、これからも書き続けたい。


 願わくば、この『幻想少女四選―Quartett—』が貴方の心に突き刺さりますように。


『僕が作品を書く理由』《おしまい》


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