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幻想少女四編《Quartette》  作者: 伊集院アケミ
第一章「タペストリーのプリンツ・オイゲン」
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第5話「半力さんの病気」

 半力さんは置いてゆかれることに決まった。そう決意した瞬間に、とんでもない事が起こった。半力さんが、皮膚病にやられてしまったのである。無論、直ぐ病院に連れて行ったのだが、これがまた酷いのである。


 流石に形容ははばかるが、惨状、眼をそむけるものがあった。


 半力さんは体の毛を殆ど剃られ、何だかよく分からない薬をベタベタと塗られ、ミイラみたいに包帯でグルグル巻きにされた。こうして、頭としっぽだけがムクムクしてる、包帯まみれの変な生き物が爆誕したのである。勿論、患部を舐めてしまわぬように、エリザベスカラーのオプション付きだ。


「提督ー。これじゃ流石に、誰も可愛がる人はいないかも。飢え死にしちゃうかもしれません」


 玄関のプリンツがそういった。


「マジでか」


 僕は、ぎょっとした。


「一体、どうしたらいいんだ」


 流石にこのまま見捨てる訳にはいかない。僕は、半力さんの皮膚病が治るのを必死に待った。「七月の末頃には、治るんじゃない?」という病院の先生の言葉であったのだが、その七月もそろそろおしまいになりかけている。退去の申し出は済ませてあるから、末日になれば、僕はここを出ていかなければならない。


 家財の処分もあらかた終え、後は出発するだけだったが、どうにもならなかった。塗り薬だけでなく、注射なども打ってもらったのだが、一向に良くならないのである。見れば見るほど、酸鼻の極であった。


 半力さんも、己の醜い姿を恥じている様子で、とにかく暗闇の場所を好むようになった。たまに涼しい玄関の敷石の上で寝そべっていることがあっても、僕がそれを見つけると、直ぐに縁の下にもぐりこんでしまうのである。


 それでも半力さんは、僕が外出する時には、どこからともなく足音忍ばせて出てきて付いてきた。だが、ただでさえ、シドの物真似が辛くなってきてるのに、こんな珍妙な生き物と一緒に歩きたくはない。


 僕はその都度、「分かってるよな?」と言う感じで、黙って半力さんを見つめた。これは大変効き目があった。半力さんは己の醜い姿にハッと思い当る様子で、首を垂れ、シオシオとどこかへ姿を隠す。


「もう放っておくしかないんじゃない、提督? きっと、不治の病なんだよ」

「いやいや、そんな事もあるまい。もう少しすれば、きっと治るさ。最近は少し痩せて来たし、なんだかんだ言ってまだ一歳にもならぬのだし、病気さえ治れば、きっと可愛がってくれる人も見つかるさ」

「そうかなぁ……」


 今日もまた、玄関のプリンツとこんな会話を交わす。我慢するより他はないと思った。流石に、保健所に連れて行く訳にはいかない。かといって、病気の黒トラなんか連れて帰ったら、「自分の不始末は、自分でケリを付けろ」と、ドヤされるに決まっている。


 僕は、日々が過ぎ去るのをひたすら待った。半力さんの皮膚病は日に日にひどくなってゆき、僕までなんだか、体中が痒くなってきた。深夜にバタバタ痒さに身悶えしている物音に、何度ゾッとさせられたかわからない。たまらない気がした。そうこうしてるうちに、結構期待していたある新人賞の落選通知が来たりもして、僕の憤懣は、たちまち手近の半力さんに結びついた。


「すべてはコイツの病気のために上手く行かぬのだ。何もかも、悪いことは皆、コイツのせいだ」みたいに考えられ、しきりに半力さんを呪咀し、ある夜、僕の寝巻に猫の蚤が付いているのを発見するに及んで、これまで堪えに堪えてきた怒りが爆発した。


 僕は、ひそかに重大の決意をした。

 ひと思いに殺してやろうと思ったのである。


 皮膚病には快方の見込みがない。猛暑で食欲が湧かぬのか、体重もみるみる減っていた。コイツだってきっと、その方が楽なはずだ。保健所の力は借りず、自分でやる。それが、拾った僕の責任だと思った。


 勿論いつもの僕だったら、こんな乱暴な決意は、逆立ちしたって出来やしない。だが、猛暑のせいで少し気が変になっていたし、久しぶりに最終選考まで進んだ自信作が、選者に滅茶苦茶にこき下ろされた挙句、落選に至ったのが悔しくてならず、自暴自棄に陥っていたのだ。おまけに不眠も手伝って、発狂状態であったのだから、たまらない。


 猫の蚤を発見した翌日、僕は直ちに大量のちゅーるを買い込み、薬屋に寄ってある種の薬品を買い求めた。人ならば腹を壊すくらいの話で済むが、猫に対しては、致死量の毒薬となるはずだ。


 これで準備はできた。僕と家内プリンツは少なからず興奮していた。僕たちはその夜、鳩首して今後の事を相談しあった。くどいようだが、この家内と言うのは、玄関の(以下略)



 翌朝、四時に僕は起きた。流石に人目の気になった僕は、早朝に作戦を決行しようと、目覚し時計を掛けておいたのである。夜はもうしらじらと明け始めていた。これまでの酷暑が嘘のように、その日の朝は肌寒いほどであった。


「最後まで見ていないで、すぐ帰って来るといいわ。提督」


 玄関のプリンツが僕にそう告げる。


「心得ている。半力さん、おいで」


 半力さんはノロノロと縁の下から出てきた。


 僕は、さっさと歩きだした。今日は意地悪く半力さんの姿を見つめたりはしなかったので、半力さんも自身の醜さを忘れ、いそいそと僕についてきた。街はまだひっそりと眠っている。僕は半力さんと初めて出会った、あの公園へと急いだ。


 その途中、恐ろしく巨大な黒トラが一匹、半力さんを威嚇してきた。半力さんは、例によって上品ぶった態度を示し、さっさとその面前を通過した。だが、その黒トラは卑劣であった。無法にも半力さんの背後から、風のごとく襲いかかってきたのである。


 半力さんは咄嗟にクルリと身を返したが、少し躊躇し、僕の顔色を伺った。


「やれ!」


 僕は大声で、半力さんに命令した。


「あの黒トラは卑怯だ! 思う存分にやれ!」


 許しが出た半力さんは、プルプルと二、三度おしりを震わせた後、弾丸のように黒トラの懐に飛びこんでいった。たちまち二匹は、一つの手毬みたいになって格闘した。半力さんの患部を囲う包帯が、どんどん剥がれてゆく。僕は文字どおり、二匹の死闘を手に汗して眺めていた。


 ほどなく黒トラは、悲鳴を挙げて敗退した。半力さんよりも遥かに大きい図体をしていたのに、まったく駄目であった。おまけに皮膚病までうつされたかもわからない。馬鹿な奴だ。


 僕はホッとした。二匹の戦いを見ながら、僕も共に死ぬるような気さえしていたのだ。ナンシーと約束していたシドのように、「お前が死ぬ時は、僕も一緒に死んでやる」と異様に力んでいたのであった。


 半力さんは、逃げてゆく黒トラを追いかけたが、直ぐに立ちどまって、僕の顔色をちらと伺った。そして、特に得意げな様子も見せずに、僕のほうへと引き返してくる。


「よくやったぞ、半力さん」


 僕は久しぶりに、半力さんの頭を撫でてやった。


 僕らは再び歩きだし、小さな橋をカタカタ渡った。けさは異常に霧が深かった。ここは僕が、半力さんと初めて出会った場所である。半力さんは昔、この公園に捨てられた。だからまた、この公園へ帰ってきたのだ。


 お前のふるさとで死ぬがよい。


(続く)

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