第42話「物語を書くのに必要なもの」
「貴方は自分のちっぽけな虚栄心に駆られて、自分のだけの真実を見せびらかしに創作クラスタに乗り込み、裸踊りをしているだけだわ」
黒衣の少女は、更に煽り続けた。
「それの何がいけないんだよ? 意図なんか伝わらなくたって、僕の文章を読んで面白いと思ってる奴らは確実にいるだろ?」
「ならば、伝わらないことを拗ねて、こんな『手記』なんて書くべきじゃないわ。本当はちゃんと伝えたいことがあるくせに、危惧の念のために、最後の言葉を隠して!」
「仕方ないじゃないか。僕はまだ現時点では何者でもない。僕の周りにいた、【あの人たち】とは違うんだよ」
「違うからなんだって言うのよ。いい切るだけの勇気がないだけでしょ? 何者でもない人間には、真実を言う資格もないっていう訳?」
「それこそ、何も伝わらないじゃないか? 何者でもない人間の言葉に耳を傾ける暇人なんて、この世にはいやしないよ。ただでさえ、創作クラスタは、自分の事にしか興味がないんだ」
堂々巡りだ。真実を明かすことに、一体、何の意味がある? 他人の心を傷つけるだけだ。僕はウソつきが服を着て歩いているような男だが、断じて引きこもりとは違う。「自分の文章を読む人間を笑わせたい」と思って書いていることだけは、本当に本当だ。
「面白いことにしか人は耳を傾けないし、僕もまた、今は面白いことだけを書いていきたいと思ってる。真実を語るのは、その後でいい」
「その面白さは、下卑た娯楽だわ。実際、笑ってる人なんか、誰一人いないじゃないの」と、黒衣の少女は僕を嘲る。
「それは、書き手としての僕の技量と、受け手の知的水準の問題だ。僕はこの手記をコメディとして書いている。真面目に受け取られて、少々困惑しているくらいだ」
「貴方はそのエンタメ精神がご自慢らしいけど、本当はただ、狐疑逡巡しているだけだわ。何故なら、貴方の心は道化と淫蕩で曇らされているから」
「道化と淫蕩で結構だ! 芸術家とは、すべからくそういう生き物だよ。そうでない者に、果たして小説なんか書けるものかね?」
「純潔な心を持たないものに、正しい意識は得られないわ。貴方の言葉の中には、真実はあるけれど、処女性がない。貴方の苦しみは本物かも知れないけど、その苦痛をいささかも尊敬してはいないのよ!」
馬鹿な女だ。煽りで僕に勝てるものか。
「おいおい。そこまで言ったら、もうそれは罵倒じゃなくて、ご褒美だろ?」
「ご褒美?」
「これ以上、僕を喜ばせてどうするんだよ。これは悪い方の話じゃなかったのかい?」
「……ッ!」
彼女の罵声を浴びながら、僕はえもいわれぬ幸せな心地に浸っていた。確かにこの黒衣の少女は、僕の理想の女性かもしれない。
「なんという煩い男だろう。貴方は実に、芝居じみた真似ばかりをしたがる人だ! この嘘つきめ!」
「だから僕は、最初から嘘つきだって断りを入れてるじゃないか。ところで、もう一つのいい話って言うのは、一体なんだったんだい?」
無論、これまでの少女の言葉は、全て僕(伊集院アケミ)が、ねつ造したものだ。タペストリーの中のプリンツ・オイゲンと一緒である。いや、より正確に言えば、《《引きこもり生活の妄想の中から、勝手に生じたもの》》である。回路のおかしくなった僕の脳ミソは、眠っている時以外の全ての時間――いや、眠っている時でさえも、こんな風な不思議な言葉を紡ぎだしているのだ。
僕らのような狂った人間は、【何もしなくとも】、こんな言葉が次々と頭にうかんでくる。そのうちに、言葉がそらで暗記され、妄想そのものが戯曲的な形式をとるようになっているのだ。
彼女が真実を明かせというから、真面目な顔して、真実を少しだけ語ろう。僕は貴方を傷つけたいわけではないから、ここで読むのを辞めてもらっても構わない。傷つくのが好きな人、傷つくのをためらわないワナビのためだけに、僕はここまで延々と書いてきたのだから。
僕はもう笑わない。だから君たちも、笑わずに聞いて欲しい。
作家と言う職業は、キチガイが社会に奉仕できる唯一の仕事である。貴方が今、病気を治そうと精神科にかかってるなら、今すぐ止めた方が良い。そして今、貴方が聞いている幻聴や、内部から沸き起こる心の声を、すべて書き止めよう。それはきっと、将来の飯のタネになるはずだ。
面白い小説を書くために必要なことは、綿密なプロットを建てたり、取材を繰り返したりすることではない。必要なことはただ一つ。《《いま目の前で息をしていると思えるレベルまで、自分産み出したキャラクターに愛着を持つこと》》である。プロットや取材は、そのためにやるのであって、順番がそもそも逆なのだ。
もし貴方の中に、既に血肉の通ったキャラがいるなら、物語を考える必要すらない。あとは舞台を設定し、人物を配置し、彼らの行動を写し取るだけである。それで話が面白くないなら、それは貴方が詰まらない人間か、基本的な文章構成能力に欠けているかのどちらかだ。
「書けない」とかいうワナビのつぶやきを見る度に、僕はいつも苦笑していた。「書かなきゃ狂いそうになる」から、僕らは書く。既に演技を終えた少女たちに、「その程度しか書けないの?」と煽られながら、僕らは書くのだ。
回路の狂った脳味噌を元に戻そうとするほど、勿体ない事は無い。《《自分の異常性を客観視しながら、それを更に加速させようとする奴だけが文筆で飯を食える》》のだ。
僕はいま一度、あの言葉を繰り返すが、《《他人を意識する奴は、それだけで病気》》である。それは不治の病であって、考えなきゃ書けないような輩に、作家になる資格などないのだ。
しかし僕は、自分の身の程をわきまえている。『手記』を紙に印刷し、大衆に届けようなどとは、ちっとも夢想していない。僕がこれまで叙述してきた告白は、印刷すべきものでもなければ、他人に読ますべきものでもないだろう。実際、この作品は、僕が僕のためにのみ書いたもので、全部削除したって構わないのだ。
どんな人間の追憶のなかにも、誰にもうち明けたくないようなことがあるものだ。それどころか、そこから更に歩を進めて、自分自身にさえうち明けるのを、躊躇うような思い出さえある。そういう過去は、どんな身なりの良いちゃんとした人でも、大抵幾つかはあるものだ。
四月から今日にいたるまで、僕はずっと不安を感じながら、自分のことだけを書いてきた。僕自身が、最も血肉の通ったキャラクターだと信じていたからだ。そして、その不安を誤魔化すために、すべてをフェイク・ドキュメンタリーだと主張し、物語を極力エンタメ方向に振ってきたのだった。
ドストエフスキーの断言するところによると、この世には正確な自伝というものはあり得ないそうだ。人間は自分自身のこととなると、間違いなく嘘をつく。彼にいわせれば、たとえば、ルソーなどもその懺悔録の中で、いつも必ず自己中傷をやっている。虚栄心のためにわざと嘘をついているそうだ。
僕は彼の意見を正しいと信じる。僕にはよくわかっているが、時によると、ただただ虚栄心のために大それた犯罪を捏造して、それを自分の仕業にすることさえある。そして、これがいかなる種類の虚栄心であるか、僕には十分に理解できるのである。
(続く)




