第36話「本当の始まり」
ここまで書き終えた時、僕(伊集院アケミ)はこの手記で述べたいことは大体書き終えたと思った。とはいえ、本番はこれからである。まだ、『引きこもり』(以後、ここまでずっと語ってきた男の事をこう呼ぶ)の思想を描写しただけの事で、物語は何も始まっていないからだ。
僕はずっと、この手記をニコニコ笑いながら書いていたが、かといってテキトウに書いていた訳でも、嘘をついていた訳でもない。引きこもりはある意味で僕の分身であり、僕のもう一つの可能性でもあった。
現実の僕は、創作の世界ではなく相場の世界に身を置き、沢山の人たちと関わりあった。勿論、良い事ばかりでなく、金を持ち逃げられたり、裏切られりしたが、それでも引きこもりとは違って、現実の世界で生きることを諦めなかった。そして、僕の手で書き残さねばならぬ大切な人たちがいるからこそ、今こうして小説を書いている。
だが、もし現実世界で師匠と出会う事なく、創作の世界に没頭したり、証券会社に顔を出さなくても、現在のように自宅から株価をチェックすることが可能だったとしたら、僕はおそらく彼と同じように、ずっと部屋に引きこもっていたはずだ。そして彼のように、真っ当な人間に対する呪詛の言葉を呟きながら、四十歳の誕生日を迎えたことだろう。
『片隅に生きる人々』で作家への道を歩み出した時、僕は自分にとって大切な人だけでなく、かつての自分も救わなければならないと思った。僕が突然、この『手記』を書き出したのはそういう訳だ。引きこもりは僕にとって、片隅のアケミと同等に、いや、それ以上に大切な存在である。
兎にも角にもここまで来た。後は、いつものようにエピローグを書くだけだ。僕は執筆で疲れた体をソファーに投げだし、サイドテーブルの上に置いてあったお茶を一気に飲み干した。
少し寝よう。昨日はこの「手記」に苦戦して、殆ど休んでいなかった。起きたらもう一度始めから読み返して、それからゆっくり書けばいい。そう思った瞬間、何者かが僕に声を掛けた。
「人間が愚かな行為をするのは、ただ自己の真の利益を知らないからである、などといったのは、一体どこの誰だかご存じ?」
僕は自分の耳を疑った。このヤサの場所を知っているのは、かつて僕の相方だったDJ君と、人妻だけだ。今は二人とも、僕の傍には居ない。居場所すら分からない。もう一度、二人を望む心が、とうとう僕に幻聴を聞かせたかと、僕は慌てて体を起こし、辺りを見回した。
「ともかくこの手の連中の考え方によれば、人間というものはその知性を啓蒙してやって、正しい利益を教え込んでやれば、すぐに穢らわしい行為をしなくなり、清廉潔白な人間になるそうよ」
再び、声が聞こえた。その声の先には、全身黒ずくめの小さな修道女が立っていた。体つきはとても幼いが、顔立ちはとても大人びていて、相応な美人だった。とにかく、何か返事をしなくちゃいけない。
「啓蒙された知性を持ち、自分の本当の利益というものを理解した人間は、善行のうちにおのれの利益を見いだす……という事かい?」
僕がそう答えると、少女はほんの少しだけ口元に笑みを浮かべてこう言った。
「どんな人間だって、みすみす自分の利益に反するような行為をするはずがない。いわば必然的に善を行なうようになる。多分彼らは、そんなことが言いたいんじゃないかしら」
ああ、なんという素晴らしい考え方だろう! まるで純粋無邪気な、赤ん坊の夢のようなものだ! まったく、天地開闢以来、ただの一人でも、おのれの利益のためだけに生きた人間があるだろうか?
人間というものは、自己の本当の利益を承知しながら、大抵それを二の次にしてしまう。誰にも、何も強制されてないにもかかわらず、わざわざ危険な道へ道へと突進してゆくものだ。これらを証明する無数の事実を、いったい彼らはどう説明するつもりなのだろう?
「馬鹿げてるよ。人間はね、『安全で指定された道を、正直に踏んでゆくのは嫌だ』と、ただそれだけの理由で、それとは違った骨の折れる道を進んでいく生き物だ。真っ暗闇の中を手探りしながら、自らの道を強情に開拓して行くものだ」
「そうね」
「つまり、もしそいつらの言う事が本当に正しいなら、この強情とわがままの中にこそ、どんな利益をも上回る【本当の人間の利益】が隠されているということになる。奴らはそれにうんとは言わないだろう」
少女を僕も見ながら、静かな笑みを浮かべている。まるで僕がそういいだすのを待っていたかようだった。
「ところで……」と少女が切り出す。
「もし万一、その人間の利益なるものが、自己に有利なことでなく、【自己の不利を欲することに帰着する】としたら、いったいどんなものでしょうね? もしそうとだしたら、この世のすべての法則は木っぱ微塵に消し飛んでしまう訳だけど」
僕は思わず苦笑してしまった。まさに今、僕はそれを言おうとしていたところだったからだ。
「どうぞ、心おきなくお笑いなさい。だけど、この問いに対する返事だけは、ちゃんと返してほしいの」
彼女はどうやら、僕をからかいに来た訳ではないようだ。宜しい、ならばこちらも真剣に答えよう。
「僕は君が言っていることが正しいと思う。少なくとも、そういう人間が一定の比率で生まれてくることを、僕は信じる。でなければ、文明というものはここまで進歩しなかったはずだ。その事の是非はともかくとして」
僕の承知している限りでは、合理性を主張する連中は、『人間の利益台帳』を作成するのに、目に見える社会学的・経済学的状況の平均値をとって来たに過ぎないように思われる。つまり、彼らのいう利益というのは、自由とか、平等とか、平和とか、人権とか、GDPとか、株価とか、貯金額とか、有効求人倍率といった、そういったものの集合体に過ぎないと思うのだ。
簡単に言ってしまえば、社会の安寧を乱す行動は悪であり、統計上の数字を良化させる行動は善である。たった、それだけの事を主張しているに過ぎない。政治家の評価ならそれでもよいのだろうが、全ての人間にそれを当てはめようとするのは、いくらなんでも横暴すぎる。
僕はいつも不思議に思うのだが、こうした統計学者や、賢人や、平和主義者を標榜する連中が、利益を算出する際に、先ほど僕が言ったような、人間の本能ともいえる『未知の世界への渇望』を意図的に捨象しているのは、どういう訳なのだろう? 当然とり入れなければならぬその思いを、彼らは決して勘定に入れようとはしないから、そこで、全体の帳尻が狂ってくるのだ。
ちょっと考えれば、なにも大したことではないから、その利益を取り上げて、表に記入すればいい。だが、この厄介な利益は、いかなる分類にも当てはまらないし、より正確に言えば、【分類そのものを拒否する】ので、仕方なく無視するという次第なのだろう。
《続く》




