第35話「僕が書けなくなった訳」(後編)
では仮に、根本原因も理屈も抜きにして、ほんの少しの間、意識をおっ払って、盲目的に自分の感情に引き摺られてみる事としよう。つまり、ただ腕組みしてぼんやりと坐っていないために、誰かを憎むなり、愛するなりをしてみるのだ。
そうすると、どんなに遅くとも三日目ごろには、自分で自分を軽蔑するようになる。明らかに、自分自身を騙しているからである。その結果として残るのは、ただしゃぼん玉と惰性ばかり。ここまで言えば、もうお分かりだろう?
諸君、僕が自ら賢者たる事を自認しているのは、冷静な論理的思考の帰結として、「なにもしない」のが一番マシだという結論に辿り着いてしまったからである。僕らのような人間は、ただ普通に生きるだけで、他人を騙したり、不幸にしてしまう宿命を持っているからだ。
ああ、もし僕の無為が単に怠惰のためであったら、そのとき僕はどんなに自分を尊敬したかわからない。それは、たとえ怠惰にせよ、「あるものを自己の内部に持つことができた」という、その点に対する尊敬である。つまり、たとえ一つだけでも、自分で自分を確信できるような、積極的な性質を持つことになるではないか!
「あれはいったい何者だ?」と人がたずねた時、誰かが「なまけ者だ」と答える。自分に関してこんな評言を聞くのは、昔はとても嫌だったのだけれど、今となってはとても気持ちが良いものに違いない。【なまけ者】、これは実に一個の肩書であり、使命であり、履歴であるのだ!
諸君、これは別に諸君を笑わせるために言っているのではない。まったくそのとおりなのだ。その時こそ、僕は第一流のクラブの堂々たる会員で、絶えず自分自身を尊敬することが仕事になるのだ。
一つ具体的な話をしよう。僕はある変態紳士を知っていたが、彼は10年も前から「男の娘漫画」の第一人者であることを、一生の自慢にしていた。男の娘こそが、萌えジャンルの最先端だと信じ、おのれに判断に疑いをさし挾んだことがなかった。彼は穏やかな良心どころか、勝ち誇るがごとき顔をして死んでいったが、それはまさに当を得たことといわねばならぬ。
もしそれが僕だったら……いや、彼の事を悪く言うのは良そう。何故なら僕は、すべての美しくして深淵なるものを尊重するものだからである。
つまり、僕はなまけ者の中でも、特に底辺に位置する者ではあるけれど、そこらのありふれたものとはちがって、曰くつきのもの、たとえば、すべての「美しくして深淵なるもの」に同情する、なまけ者なのである。
諸君、如何です。これはお気に入りませんか? 僕はもう、何年も前からこれを夢想していたのだ。この「美しくして深淵なるもの」は、四十年もの長きの間、僕のうしろ頭を抑えつけていた。もし僕も、そういったものを手に入れることが出来ていたら、僕もまた、彼のように自信をもって人生を送ることが出来ただろう。
だからもし、諸君らが、僕のような人間になりたくなかったら、あの変態紳士のように、自分が心から熱狂できるものに対して祝盃を挙げることだ。「美しくして高遠なるもの」といっても、愛だとか、正義だとか、そんな高尚なものでなくても別に構わないのである。
僕はきっと、自分の盃に一滴の涙をそそいだ後、すべての「美しくして深淵なるもの」のために、それを飲み干すに違いない。その時は、この世のいっさいを「美しくして高遠なるもの」に変えてしまい、思いっきり穢らわしい疑う余地のないやくざな嗜好の中さえ、なにかしらの感動を見つけだすだろう。そして僕は、濡れた海綿のように、涙っぽくなってしまうと思う。
たとえば、一人のフォロワーが、異世界転生・チートモノのラノベを心の底から愛しているとすれば、僕はさっそく、自分の趣味嗜好をかなぐり捨てて、彼の心の健康を祝うはずだ。なぜならそれこそが、【壁】を壊すために必要な、最も重要な資質であり、僕はすべての「美しくして深淵なるもの」を尊重する者だからである。
僕は自分のその行為に対して、他人の尊敬を要求し、僕に敬意を表さないものを懲らしめてやれるだろう。正確に言えば、すべてを尊重するというのは、何も信じていないという事と殆ど同義なのであるが、諸君らに何と思われようとも、この否定的な時代にこうしたスタイルで生きていくのは、実にこの上なく愉快なことなのだ!
言葉遊びが過ぎた。これもまた、退屈を回避するための僕の妄想の一つである。実際には、何もしないに違いない。兎にも角にも、何をやっても他人の足を引っ張る僕が、誰にも迷惑を掛けずに、唯一出来ることが、部屋に引きこもって妄想にふける事だったのだ。
幼い頃から、何事もちゃんと出来なかった僕が、怠惰でそれをしない訳ではないことを証明するために、考えて考えて出した結論がこれだったのである。
確かに僕は、時々退屈に耐えかねて、人を愛したり、憎んでみたりはするものの、すべてはこの部屋の妄想で完結する事だ。結局、何もしないのと変わりはない。そして、その「何もしない」ことに対する、他者の嘲りや侮蔑の声が、僕の快楽の源泉となっていることは、既に述べたとおりである。
諸君らは、「何もしない」と言っている僕が、こんなに饒舌であることを笑うだろうか? しかし、あらゆる賢者の直接にして唯一の使命が、この【饒舌】にあるとしたら、どうだろう? 言葉を変えていえば、故意に空虚な議論をこね廻すことこそが賢者の証だとしたら、諸君らは僕に頭を下げてくれるだろうか?
これはもう、悲劇ではなく喜劇である。勿論僕は、その生涯において、何一つ完成させることができなかった。その根本たる原因は、言うまでもなく、「他人を喜ばせるために、生きましょう」というテーゼを単純に信じ込み、意識という名の地獄に捕らわれてしまったからである。
だから僕は、自然の法則がどうあろうと、万人がこのテーゼを正しいものと認めようと、まずはこれを否定しよう。でないと、僕に残された唯一の復讐である、【面当て】すら出来なくなってしまうからだ。
僕は何度でも繰り返そう。《《他人の視線を意識してモノを書く行為は、すべからく病気》》である。そして、その病気の行きつく先は自殺か、僕のようにじっと部屋に引きこもり、自らの妄想で自分を傷つけ、快楽を得るより他になくなるのだ。
だからもし、この手記を読んでいる諸君らがモノを書いて生きていきたい願うなら、まず真っ先にやるべき事は、評価という名の軛を断ち切ることである。そして、成功してる(ように見える)人間の、考え、推奨、ノウハウ等をすべて捨て、自分の心のままに本気で書くことだ。
もしその作品が、貴方自身の心を打つことが出来れば、きっと、貴方のような人間の心も打つことが出来るだろう。
(続く)




