第31話「ハツカネズミの苦悩」
自分の恨みを晴らしたり、自己の主張を押し通したりするような人間は(僕には、彼らの事がさっぱり分からないのだが)、一体どんなふうに自己を正当化するのだろう? 僕が思うに、彼らは復讐の念に駆られると、頭の中にはその感情以外、何も残らなくなってしまうのではなかろうか?
彼らは壁にぶつかると、むしろそれ以前よりやる気を出し、実際、その能力によっては、たやすく越えていくのである。僕らならきっと、普段はそんな口実など信じないくせに、もっけの幸いとばかりに進むことを止めてしまうだろう。だが、直情行動派の人間はそうではないのだ。
壁とは通常の人間にとって、なんとなく心を落ちつけるような、道徳的な解決を与えるような何かである。しかし、この壁のことは、また後で語ることにしよう。
さて、僕はこうした直情行動派の人間こそ、本当のノーマルな人間だと思っている。これこそ慈母のごとき自然が、僕らを優しく地上に生みおとした時、「そうあれかし」と望んだような人間なのである。
僕はこういう人間を見ると、腸が煮えくり返るほど羨ましくなる。元論、こういう連中は頭の鈍い、愚鈍な連中だ。ノーマルな人間とは、馬鹿であることが正常なのだ。諸君はその訳を、既にご存じのはずである。
僕がこの、いわば一種の疑念に類したものを、堅く信じこんでしまったのは他でもない。正常な人間のアンチテーゼ、即ち《《他者の意識に反応するためだけにカスタマイズされた、強烈な自意識を有する人間》》を例にとってみると、相手は愚か者だとちゃんと理解しているにも関わらず、彼らの異常な熱量の前に圧倒されてしまうのだ。そして、自らの強烈の自意識を活かせないまま、好んで自分を二十日鼠かなんかのように考えて、自身を人間扱いをしなくなるのである。
いくら上等な知性と意識を有していたところで、要するに鼠は鼠である。ところが相手は、愚か者とはいえ人間だから、その他一切が備わっている訳だ。しかも、ここで肝心なのは、《《自分で自分を二十日鼠扱いにしている》》ということで、誰もそんなことを頼みはしないのに、自らの意志で自身を貶めているのである。
さて今度は、この二十日鼠の行動ぶりを拝見しよう。この鼠が侮辱を受けて(こいつはほとんど一年中、侮辱を受けているのだが)、僕と同じく復讐を念じているとする。この鼠の心中には、正常な人間、つまり『自然と真理の人』に対する憎悪の念が、積もり積もっているに違いない。
しかしながら、自然と真理の人は生まれつき愚鈍なために、そういった感情をそもそも持たない。仮に持ったとしても、自分の復讐をただ単純に【正義】と考え、何ら悩むことがないのである。ところが二十日鼠の方は、その強烈な自意識のために、正義を否定してしまう。そして結局、仕事そのもの、つまり、自身の復讐自体を止めてしまうのである。
不幸な二十日鼠は、「他人のために生きなさい」という一見美しい世迷言を信じてしまったために、さまざまな穢らわしいものを、自分の周囲に山のごとく積み重ねてしまった。そして、その未解決の問題は、永遠に解消されることがない。こうして、高尚な知性を持ち、最初は高邁な理想に燃えていたはずの二十日鼠は、何時しか腐海の中に住むドブネズミのように、何人からも忌み嫌われる存在になるのである。
その忌まわしい暗渠の中で、侮辱と冷笑に打ちのめされたわが二十日鼠は、さっそく冷たくも毒々しい、未来永劫消えることのない憎悪に浸るのだ。これまでの人生で受けてきた、浅ましい侮辱の記憶の数々を、きわめて詳細な点まで残りなく思い起こすのだ。その都度その都度、いっそう浅ましいディテールを勝手に付け足しながら、自分の空想で意地悪く自分を嘲弄し、いら立たせるのである。
己の過去を恥じながらも、やはり一切のことを思い返し、再三再四、心の中で捏ねくり回したあげく、「こんなことも、起こりうる可能性があったのだ!」というのを理由に、ありもしない事実を捏造し、自分で自分を侮辱するのである。
鼠はきっと臨終の床にあっても、同じ事をしているだろう。つまり、今わの際まで、ありったけの屈辱を思い返す訳だが、その時には長年の間の積りに積もった利息までが、おまけにくっついてくるのだ。
何か復讐を始めるにしても、そんな復讐の試みのために、相手よりも自分の方が百万倍も苦しんで、先方はケロリとすましているに相違ないのを、鼠はちゃんと知っているのである。それでも鼠は、いつか復讐を遂げたいという自分の気持ちを抑えることが出来ない。
諸君らは、この鼠を、救いようのない愚か者だと考えるだろうか? 僕は否と答えよう。何故ならこの鼠は、現実的には誰も傷つけてはいないし、鼠のような人間にも、幸せを追求する権利は担保されてしかるべきだからだ。
一体、僕は何を主張したいのか?
それは、『このいまわしい、半ば絶望的な状態』や、『女性の肌も知らぬまま、四十年間、ひとりぼっちの生活を続けてきた事実』や、『永久に変わらぬ決心をした後の、すぐ次の瞬間に湧き起こる悔恨』や、一言で言ってしまえば、『僕の過剰な意識と妄想が作りだした、熱に浮かされたような混沌』の中にこそ、これまで何度も僕が申しあげている、【不思議な快感の秘密】が隠されているという事である。
しかし……もうたくさんだ。どうせ理解などしてもらえないのだから、諸君にとって並み並みならぬ興味を有するこの主題については、これ以上、語らないことにしよう。
《続く》




