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幻想少女四編《Quartette》  作者: 伊集院アケミ
第三章「黒衣の少女」
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第30話「病気の人間の自意識」

 早い話が、僕は恐ろしく自負心が強い。まるで背むしか小人(こびと)のように、猜疑心が強くて、怒りっぽい。けれど、本当のところを言うと、もし仮に、「お前は間違っている!」と善良な人々に平手打ちでも喰わせられたなら、僕は却ってそれを喜んだかもしれないのだ。否、きっと喜ぶに違いないのだ。


 勿論、実際にそうしてくれる人はいない訳だが、真面目な話、僕はそんな場合でも、一種独得の快感を見つけだす自信がある。むろんそれは、【絶望の快感】である。そう、絶望の中にこそ、焼けつくように強烈な快感があるのだ。ことに、自分の進退きわまった窮境を痛切に意識する時は最高である。


 その平手打ちを喰った場合には、その相手が僕の好きな、あるいは大嫌いな人間であればあるほど、「もう二度と世間へ顔出しができないほど、面目をまる潰しにされた」という意識が、否応なく頭からのしかかって来る。そして、ここで一番重要なことは、どんなに僕が理屈をこねてみたところで、結局、僕が全ての点において、一番の悪者になってしまうということなのだ。


 何よりも癪に障るのは、「他人を意識して書け」という事を教えたのは【彼ら】であり、僕をこのような人間にしたのも彼らであるのに、いわば自然の法則で、僕が悪者にされてしまうことである。せめて、本当の悪党は彼らなのだと理解されればまだしも納得がいくが、今日も彼らは、ワナビたちの尊敬を集め、僕の事をキチガイ扱いしている。


 それが僕には、到底納得がいかないのだ。


 諸君! 念のために申し上げるのだが、僕は叩きは一切やっていない。いや、これは決して自己弁護のために言っているのではなく、僕の方が彼らよりも、【劣等な】生き物であるという事を主張したいのだ。


 僕らのような、苦渋の中に快楽を見出すようなクズの中でも、やはり厳粛な階級があって、いかに稚拙な叩きであろうとも、他人に関わる行動力のある奴は、エリートともいえる存在なのである。


 僕のような意識の奴隷ともいうべき生き物になると、自分の行動が他人の目にどう映るかを、何時だって考えざるを得ないのだが、脳内でその後の展開を何百通りもシミュレートし、その行動の意義を考え、結局のところ「何もしない」という結論に陥るのである。


 何でいつもそうなるのか真剣に考えて見たのだが、まず第一に、僕が周囲の誰よりも賢いのが悪いのだ。


 僕はいつも周囲の人間の発言レベルの低さに辟易しつつも、それを指摘したり、迎合したりすることも出来ず、ずっときまりの悪さを感じていた。だから、いつも引きこもっていた訳だが、どうしても公の場に顔を出さざるを得ない時にも、僕はいつもそっぽを向いてばかりいた。


 はっきりと言うが、僕はこれまでの人生で、他人の顔を真正面から見たことが一度もない。そんなことが出来る奴っていうのは、途方もない恥知らずか、あるいは詐欺師かのどちらかでしかないと思っている。


 第二には、僕が非常に高潔な人間であることが問題なのだ。


 しかし、「自身の高潔さなど、一体なんの役に立とうか?」と意識したり、「自分の快楽のために、他人を貶めることなどしてはならない」と意識することによって、結局のところ、何にもすることが出来ないのである。


 無論、僕は不幸を好む人間であり、稚拙な叩きをして袋叩きにあう同類を妬ましくすら思うのであるが、自身の高潔さゆえにそれが出来ず、「怠惰」だと「口ばかりの奴」だと、【理不尽な】責め苦を負う程度の痛みしか、今だに味わえずにいるのである。


 さて、諸君らの中には疑問に思う人もおられるだろう。


「お前は平手打ちなど、一度も喰らった事は無いと言っていたではないか?」と。


 その通りだ。僕はどんなに頑張っても、他人の嘲りを受けるくらいが関の山で、他人の暴力をこの身に受けるなどと言う【栄誉】を授かることは、これまでの人生で一度もなかった。何しろリアルの僕は、四十年間も部屋に引きこもっていて、たまに外に出ても、ずっとそっぽを向いているだけの男に過ぎないのだ。


 だから僕は、自分の意識の中で、自分の大嫌いな人間や、とても素晴らしい人を思い描き、彼らに自分を貶めさせ、理不尽さを嘆き、まるで本当にあったかのように痛みや悔しさを感じて生きてきた。つまり、「自分はそうされて当然の生き物なのだ」と諦観の念に陥ったり、「僕のように、聡明で高潔な人間を貶めるとは何事か!」と、怒りを感じたりしているのである。そして、その妄想の屈辱の中からすら、何とかして快楽を得ようとしてきたのだ。


 諸君! これが病気の人間の【平常の】自意識なのである!


 呪わしい汚辱に満ちた甘い蜜を得るために、罪もない人間を貶める人間にすら嫉妬するようなイキモノには、もはや生きる価値などない。価値はないのだけれども、僕をこんな人間にした、「読者を喜ばせるために書きましょう」とか、「読み手がどんな気持ちになるかを、常に考えながら書きましょう」と言った綺麗ごとを抜かす連中の欺瞞だけは、暴かずにおられないのだ!


 だがそれも、所詮は言葉遊びである。もし僕が、本気で奴らに復讐することを望んだとしても、結局、何ひとつ成し遂げることは出来ないだろう。もし、本当に実現可能なアイデアがあったとしても、僕のような人間は、《《何一つ決行する気になれないから》》である。


 どうして決行できないか? このことについて、僕はとくに主張したい。これは煽りでなく、事実だからこういうのだが、意識しすぎる人間は、「思い付き」によって行動するという事が、そもそも出来ないのだ。


「なんとなく」、も無理である。全ての行動には理由が必要であり、またその理由を子細に検証しているうちに、無駄だとか、自分には資格がないだとか、「良い人に思われたら、たまらない」とか言って、結局のところ何もしないのだ。


《続く》

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