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幻想少女四編《Quartette》  作者: 伊集院アケミ
第二章「時空管理局の女」
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第15話「剣乃さんの遺品」

 何故、僕がこの箱を購入しようと思ったのか? それはこの箱が、僕の師匠、つまり剣乃 征大(ゆきひろ)の遺品であると、箱の詳細ページに記されていたからだ。しかも、その前の持ち主はあの田中角栄だという。

 

 一般には知られてない話だが、師匠は確かに政治家の裏金の運用をしていた。中でも、田中派は一番のお得意様だったそうだ。僕がこの世界に入った頃には、角栄は既に故人であり、彼に反旗を翻した経世会(竹下派)の連中も力を失いつつあったが、師匠から角栄との思い出話は何度も聞いたことがある。


 何故、仕手筋と政治家がつながるのか? それは、この国で合法的に大金を稼ぐには、株が一番楽だったからだ。政治家とヤクザから金を集め、大相場の絵図を描き、彼らに金を戻すのが僕の師匠の仕事だった。


 勿論、金を回すだけの彼らと違って、実際に相場を『作る』師匠は何度もお上から狙われた。ガサを喰らうのは日常茶飯事で、小菅暮らしをしたことすらあったが、師匠に金を回してる政治家たちの支援と、堅気の金は使わないというポリシーのお陰で、結局一度も有罪にはならずに済んだ。


 その全盛期を僕は知らない。師匠の昔話を聞くたびに、僕は何度も、「あと十年早く生まれていれば……」と思ったものだ。


 晩年の師匠は、表と裏の世界をつなぐフィクサーみたいなところがあって、角栄が脳梗塞で言葉を失った後も、田中派の復権のために私財を投じることを惜しまなかった。


 角栄は自分の身は守れなかったが、約束通りに師匠の身は守った。もし箱の力が本物だとすれば、身内の大半に裏切られた彼が、後事を託して師匠に箱を譲ることだって、あり得ない話じゃない。


 角栄は議員生活一年目にして、法務政務次官になり、三十三本もの法律を議員立法で通して、戦後最年少の五十四歳で首相に就任した男である。そして見事、日中国交正常化を成し遂げた。彼の奇跡のような業績と、その後の転落の陰に箱の力が作用していたとすれば、箱の話は俄然信ぴょう性を帯びてくる。


 だが、師匠がその箱を受け継いだという話は、僕にはどうも腑に落ちなかった。師匠の晩年は、決して幸福とは言い難いものだったからだ。政治資金規正法の改正で政党助成金が生まれ、合法的に国の金を流し込めるようになってから、政治家と仕手筋の共同作業は、ほとんどなくなった。


 用済みになった相場師たちは、金融商品取引法の改正により、ほとんど全て駆逐された。株券の電子化がそれに拍車をかけた。誰が何の目的で株を集めてるか分からないからこそ、相場は思惑を生む。もし角栄が脳梗塞で言葉を失ってなかったら、こんなくだらない法律は間違いなく握りつぶしていただろう。


 僕はそんな古い時代の政治家と相場師たちを知る、最後の世代だ。師匠は箱を受け継いだが、相場師の意地として、その力は使わなかった。そう考えれば、一応のつじつまは合う。もしこの箱が師匠の遺品だとすれば、僕はそれを他人の手に渡すわけにはいかない。


「何としてでも、この箱を手に入れよう」 


 僕がそう心に決めた時、ヤサにある古時計の鐘がなった。時刻はちょうど午前零時を回ったところだった。箱の力が本物か否か――それはもう、僕の中では重要な議題ではなかった。師匠の遺品でありさえすれば、それでいいのだ。


 僕はメインの証券口座にログインし、資産残高のスクリーンショットを撮った。そして、そのスクショを連絡先のメールアドレスに添付し、手早く短文を打ち込む。


「箱を購入したいと思います。成功報酬の一千万円も既に準備出来ています。つきましては、受け渡しの方法を教えてください」


 数分後、すぐに返信が来た。


『貴方がこの箱を持つにふさわしい人間であるか、簡単な審査をさせていただきます。つきましては、ご連絡先を今から十分以内に返信してください。これが最初の試験です』


 冷やかしはお断り、という事なのだろう。時間制限をかけて慌てさせ、個人情報を抜く手口かも知れないとは思ったが、師匠の遺品の魅力には勝てなかった。


 僕は携帯番号とヤサの住所を入力し、名を【伊集院アケミ】と記した。勿論偽名だが、僕にとってはそれなりに思い入れのある名前だ。普段からこの名前を名乗っているし、もはや本名で呼ばれても自分の名だと思えないくらい、思い入れの深い名前になってしまっている。


 コーヒーでも入れて、少し落ち着こうかと思った瞬間、非通知で携帯が鳴った。どうやら売主は、僕に勝るとも劣らないくらいのせっかちな人間らしい。


「伊集院アケミさんの携帯でよろしいでしょうか?」

「はい、そうです」


 声の主は、意外にも女性だった。もの静かだが、まだ十代といっても不思議じゃないくらいの若々しい声だ。


「この度は、箱の購入申し込みをいただきまして、ありがとうございます。既にご存じかと思いますが、あれは色々といわく付きのものです」

「はい。買う方にも、相応のリスクがあるという事ですよね」

「その通りです。これからいくつかご質問をさせていただきますが、購入後のトラブルを避けるためですので、気を張らずに、正直にお答えください」

「わかりました」

「お申し込みをされている方は他にもおられますが、私としては、貴方に所有していただきたいと思っています」


『私としては』という言葉に、僕は少しだけ違和感を感じた。この人は審査を代行しているだけで、箱の持ち主ではないのかもしれない。


「では、始めさせていただきます。まず最初に、伊集院アケミというのは、貴方の本名ではありませんね?」

「……!」


 僕は少し動揺した。確かに女性的な名前ではあるが、「本名ですか?」と問われることはあっても、「本名ではありませんね?」と問われる事は今まで一度もなかったからだ。


「はい、その通りです。しかし私は、仕事でもプライベートでも、常にその名前を名乗っています。本名を使うのは役所と病院くらいです」

「郵便物は、この名前でも届きますか?」

「まったく、問題ありません」

「わかりました。では、それで結構です。我々に対して誠実であっていただければ、貴方がどんな名前を使おうが、我々は一切関知しません」

「ありがとうございます」


 どうやら、話の分かる女性のようだった。僕の本名を検索すれば、全く身に覚えのない過去の話が幾らでも出てくる。名乗らずに済むなら、それに越したことはない。


「では次の質問です。貴方が箱の所有者として相応しくない行動をとった場合、我々はいかなる手段を使っても箱を回収します。そのことを、ご了承いただけますか?」

「一千万をお支払いした後でも、箱を没収されることがあるということですか?」

「その可能性はゼロではないという事です。但し、貴方があの箱の力を悪用しない限り、そういう事は無いことを保証します」

「悪用?」

「あの箱は、所有者に権力をもたらす箱です。ですが我々は、その権力を濫用することまで認めている訳ではありません」

「なるほど。過去の所有者には、それをして身を持ち崩した人がいると」

「残念ながら、ゼロではありません」


「大いなる力を持つ者には、責任が伴う」という事が、言いたいのだろう。元より僕は、権力が欲しい訳ではない。


「一つ質問させていただきたいのですが、宜しいですか?」

「返答の確約は出来ませんが、どうぞ」

「得た権力を第三者に譲渡することは、箱の所有者として、『ふさわしくない行動』に当たりますか?」


「譲渡ですか……」と彼女はつぶやき、しばらく間を置いた後、こう続けた。


「箱の力は所有者のみに作用するものです。確約は出来ませんが、箱のそのものの譲渡でなければ、おそらく問題はないと思います。ところで何故、そんな質問を?」

「僕は昔、ゲーム会社を経営していましたが、うまくいきませんでした。正直に言って、余り責任を負う立場にはつきたくないのです」

「会社の事は存じております。それで、アニメ映画に出資しようと思ったんですよね?」


 何故、その事を知っているんだろう? その話は事実だが、表には一切出てない話で、それこそ僕の周りの金の動きを洗っていた、金融庁の人間くらいしか知らないはずだ。


「購入希望者の経歴と、人間性について調べるのが私の仕事です。念のために申し上げますと、この面談は、我々が既に調べあげたことを確認するための作業にすぎません」


 僕が黙り込んでいると、彼女はそう言って話を勧めた。彼女がどうやって知ったのかは分からないが、こちらの素性はバレバレらしい。


「権力に執着がないことは、箱の所有者としてはむしろ望ましい事だと思います。ですが、貴方が所有者に選ばれたとしても、箱の力を他人に明かすことだけは、絶対にやめてください」

「何故ですか?」

「貴方の身の安全のためです。それに、箱の秘密の漏洩は、所有権剥奪の可能性を高めるでしょう」

「分かりました。箱の秘密を守ることについては、お約束いたします」

「では、所有権の譲渡後も、箱の没収の可能性があるという事は、ご承知いただけますね?」

「はい」


 権力の譲渡に問題がないのであれば、箱の秘密を洩らさない限り、箱を没収される事は無いはずだ。そもそも今の僕には、たとえどんな過酷な条件であろうと、『受け入れる』以外の選択肢はない。


 師匠の遺品かも知れない品を、他人に渡す訳にはいかないからだ。


(続く)


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