エピローグ1「未来から来たメール」
「アナーキーとは挑む事だ。社会に挑む最良の方法は、コメディだ」
ジョニー・ロットン
令和二年 八月三十日。
「あのさあ……。何か変なメールが来たんだけど、君はどう思う?」
僕は、玄関の家内に話しかけた。
「変って?」
「ちくねこだん。の入ったメールなんだけど、僕の知ってるちくねことは、ちょっと違うんだよね。僕がまだ書いてない最終回まで、ちゃんと書かれているんだ」
「へー」
「おまけに、タイムスタンプが今年の十二月二十三日なんだ。これって変じゃないかい?」
「未来から来たメールってこと?」
「うん」
「作品の他に、何かメッセージはないの?」
「作品のテキストデータは添付されてて、メールの本文にはこう書いてあった」
『はち月まつの しど・びしゃすへ。この『ちくねこだん。』を はーとうぉーみんぐ大しょうに おくってください。じうに月まつの しど・びしゃすより』
「よくわからないけど、送れって言うならとりあえず送ってみれば? 別に損はないんだし」
「うーん……。最後だけとはいえ、自分の書いてないものを賞に出すのはなあ……」
「あんまり出来が良くないの?」
「いや、そんな事は無い。ちゃんとまとまってる。いま僕が頭の中で考えてるプロットとそっくりだ」
「じゃあいいんじゃない? どうしても気になるなら、どこか改変してからだして見たら?」
「うーんでも、ちくねこはお気に入りの作品だし、締め切りまであと二日しかないからなあ……」
考えた挙句、僕はこのちくねこを、素材の一つとして使うことにした。ちくねこは、猫に振り回されている僕の日常を、面白おかしく書いた作品である。ヒロインは勿論、玄関のプリンツだ。
僕は、過去の公募で落選した作品たちのなかから、プリンツと同じく実体を持たない幻想の少女たちが出ている部分をピックアップして、四篇の断章からなる新作を作ろうと思った。
名付けて『幻想少女四選―Quartet―』
ちょっと中二病臭いタイトルだが、これならあと二日あれば、何とかなるだろう。この世では、主人公の事を無条件で受け入れてくれるヒロインや、ハーレムものがもてはやされてるらしいが、僕の描くヒロインは基本的に皆、塩対応である。恋愛のレの字もない。
一番マトモなプリンツからして、玄関のタペストリーに過ぎないのだから、もしお互いにそんな感情を抱いたところで、どうにもなりはしないではないか。
美人で頭の回転が速くて、僕の事など歯牙にもかけない女性に振り回されるからこそ、人生は最高なのだ。僕のその思いは絶対に成就しないかわりに、彼女たちは永遠に劣化しない。ずっと最高のままだ。
僕ほどの人間が好きになる女性が、僕の事なんか好きになって欲しくない。プライドとコンプレックスの入り混じった、アンビバレンツな感情に振り回されるのが、僕は結構好きなのである。
「何か賞に引っかかるといいね」
「どうかな。まあ、幻想の少女と会話することすら出来ない凡人には、僕の描くヒロインの魅力を理解することは出来ないだろう。まあでも、猫はコンテンツとしては強いから、ちょっとは期待しとくか」
「もし何か賞が取れたら、全力さんと半力さんに、ちゅーるを買ってあげないとね」
「そうだね」
なんだかんだいって、プリンツは優しい。まあ、僕の妄想の産み出した少女たちとは違って、タペストリーの中の女神は本当に存在するから、少しくらい、一般向けでもいいだろう。
「じゃあ、行ってくる。今日も多分、遅くなるから先に寝てていいよ」
「わかった。頑張ってね」
玄関のプリンツにそう挨拶して、僕は赤瀬川さんの事務所に向かって駆けた。猫のトイレ掃除をしたら、今日も一日中、執筆である。年内には何かしらの目途を付けないと、百人いる僕の支援者たちも、愛想をつかしちゃうかもしれないからね。
『ついしん しんさいんのみなさま。じうに月まつの しど・びしゃすを どうかすくってあげてください』
<おしまい>