廃棄
うーらぎった うらぎった
うらぎり もーのが やってきた
いーつも いーつも みーている
オミネス マームは みーている
おまえの こーとも しっている
暗闇の中、耳障りな子供の歌声が聞こえた。それと、車輪がキーキーと音をたてている。通気口のプロペラが回る音もした。長時間座っていたらしく、腰から下の感覚がなくなっていた。気がつくと、ドリイは車椅子に乗せられ、大きな扉の前にいるのだった。車椅子を押しているのはケイティで、彼女は立ち止まると、前にきてドリイの手を握った。
ここは、地底の出口であった。ドーム状で回転するシリンダー式の扉を通って、金属探知機のようなゲートをくぐる。最後に、大きな鉄の二重扉の中へ通され、背後の扉が閉められた。
しばらく待っていると、看守として働いているというマックスがやってきた。彼は一瞬だけドリイのことを見たあと、皆とおなじ方向を向いた。ちなみに、彼はやはり無表情であった。こっちをむいたのは、動いているものを眺めるだけの情景反射に近いのだろうと、ドリイは思った。
「テネブラエ 5266……これより、最期の命令を告げる」天井にぶら下がっているスピーカから割れた音がした。「喜べ、貴様はこれより、あの世へと旅立つのだ」
施設の子供たちの夢であるはずの外の世界が、いまのドリイにはおそろしいものに感じられた。どうしてここまでの恐怖を感じるのか、彼女は考えた。そうだ、この地底には『オミネス・マム』がいるが、外の世界にはいないのだ。『オミネス・マム』の手を離れるということは、すなわち死を意味する。なぜならば、ドリイにとっての世界とは、地底そのものであり、外の世界ではない。外の世界とはつまり、死後の世界であった。さらに、死後の世界に『オミネス・マム』はいないため、これもまた死であった。これはつまり、永遠の死を意味した。死んで、また死に続けるのだ。
「氏名番号5261、5265、貴様らも同罪である。連帯責任だ! わかっているな?」
「はい!」二人は大きな声で返事をした。
「いいか? 外に出ている間も『オミネス・マム』が貴様を見ている」
轟音を立てて、巨大な両開きの扉が開く。鎖と歯車の音がセメントの壁や天井に反響して、不快なメロディーを奏でていた。外からは眩しい光が差し込み、それを直視したドリイは驚いて下を向いて両手で顔を覆った。感じたことのない感覚だった。肌に光が当たると痛みすら感じる。悲しいわけでもないのに涙がでた。息をしようとしたが、うまく吸えない。湿気を多く含んだ空気をはじめて吸った彼女は、まるで喘息だったケイティのように過呼吸をはじめた。
「大丈夫? 具合が悪いの?」ケイティは異変に気がつき、ドリイの背中をさすった。
ドリイは頷くことすらできずに、車椅子の上で痙攣しはじめた。自分の体に、いったい何が起きているのかもわからず、彼女は、光と発作、恐怖に襲われた。
《もどらなきゃ……もどらなきゃ……いやだ! いやだ!》声にならない吐息だけの口が動いた。
ケイティはドリイの様子をみて、すぐに車椅子を光の少ない場所へと移動させようと、辺りを見渡した。しかし、地底への扉は閉ざされていたため、外へ出るしか選択肢はなかった。彼女は急いで、ドリイの乗った車椅子を押して、外へでた。まぶしすぎて、ほとんど物を見ることができなかったが、薄目にはいれそうな影が見えたので、そこへ駆け込んだ。
ドリイはすがるように車椅子から倒れ込む。顔面を陰に埋め、目を閉じた。思えば、食事らしい食事もしていなかったので、吐き出そうとしてもなにも出てこなかった。
岩が砕けるような鈍い音が何度か聞こえる。これは鎖が強く引っ張られ、地底への門がゆっくりとしまっているためだ。ドリイは薄目で門の方を見た。すると、わずかな隙間がゆっくりと細くなっていき、門は閉じられた。
門の周りには砂ぼこりがあがり、静けさだけが残った。
三人はしばらく陰に隠れて、閉じられた門を眺める。
なにも考えることができない。
自分たちはこれからどうやって生きていけば良いのか、まったくといって良いほど何も思いつかない。すると、途端に地底での生活が、かけがえのない、いとおしいものに感じられるのだった。ドリイは願った。待っていると門が開いて、あの看守たちがやってくるのだ。氏名番号を読み上げられ、自分は歓喜とともに返事を返す。二重扉の先が開き、シリンダー式の扉を通って、冷たいセメントの地面をはだしであるく。廃墟の街を通り過ぎて、あの施設が見えてくる。大階段をのぼって、重たい鉄の扉を通って…………嗚呼、なんと美しい灰色の世界。すばらしき楽園。われらの主こそ、『オミネス・マム』その人であり、絶対的な存在。『オミネス・マム』に隷従されることこそが、真の幸福であり、自由であることを、このとき、ドリイは悟った。
ケイティもマックスもおなじことを考えているようであった。三人は閉ざされた門に微笑し、そのときを待ち続けているのだった。しかし、門が開くことはなかった。
ドリイは体を引きずりながら門へと近づいて、両手が真っ赤になるまで叩き続けた。しかし、門はびくともせず、まるでセメントの床を叩いているようだった。
「アゲデ(あけて)!……アゲデヨ(あけてよ)……」ドリイは、ただただ泣き叫ぶことしかできなかった。